第13話 もはや矯正は不可能

大阪事件で小林や小森、芳我とともに林正英を殺害した浦は1995年9月12日、大阪地裁から「遊び仲間にバカにされたくないため、直視しがたいほど残忍な犯行に加わった。身勝手な犯行だが、反省しており更生の可能性もある」として、懲役4年 - 8年の不定期刑(求刑:懲役5年 - 10年)の判決を受けた。


また小林たちの言いなりになって林の死体を捨てる手伝いをした中年ダメヤクザの川田は懲役1年8か月の判決を受ける。


そして、愛知での事件にかかわった高澤は4-6年の不定期刑、事件当時成年だった重住と林はそれぞれ懲役3年執行猶予4年、町田と藤川は少年院に送致された。


小林、小森、芳我は逮捕後も反省なき態度でふざけた態度であり、公判中に知り合いの女が来ると笑顔で答えるほどで遺族の感情を逆なでする。

明らかに殺す気で暴行していたとしか思えないのに殺意を否認したり、三人とも罪を擦り付け合い、「オレはどれくらいで出れるの?」と自分たちは未成年であるから大した刑にはならないと高をくくってすらいた。


だが、四人も人を殺した者を未成年だからという理由で許すほど日本の司法も甘くない。


2001年7月9日に名古屋地裁での判決公判が開かれ、小林は求刑通り死刑、小森・芳我両被告人を無期懲役とする判決が下された。


「大切な命を奪いながら『生かしてほしい』というのは虫がよすぎるが、それでも生きたい気持ちを隠せない。刑務所で働き、慰謝料を被害者遺族に送りたい」

「重大事件を起こして本当に申し訳ない。二度と事件を起こさないよう精一杯努力する」

「拘置所でキリスト教を信仰するようになり、被害者の冥福を祈ってきた。(キリスト教の)教えに従いやり直せると思う。許されるなら生きて罪を償いたい」

などと虫がいいことを言っていた三人だったが、この判決は到底受け入れることができず、「死刑や無期懲役は重過ぎる」とすかさず控訴した。


だが、最初から死刑だった小林はともかく、まだ無期懲役だった小森や芳我にとっては自分の首を絞める結果となる。

2005年10月14日に控訴審判決公判が開かれ、名古屋高裁第刑事2部(川は第一審判決(小林が死刑、小森・芳我両被告人が無期懲役)を破棄、三被告全員を死刑とする判決が下された。


彼らは上告したが、これも覆らず、2011年4月1日付で三人の死刑判決が確定。

「もはや矯正は不可能」と、実名と顔写真まで公開された。


そう、彼らは矯正は不可能だ。

あれほどのことをしでかしても反省などしていない。

小森は国を相手に訴訟を起こしたり、芳我は出版社に自分の名前を容易に連想させる名前をさらされ「プライバシー権の侵害・名誉毀損で大変な精神的苦痛を受けた」と主張して訴訟を起こしたりもしている。


2024年8月時点でまだ彼らの誰も刑を執行されていない。

もう確定したんだからとっとと執行してしまえ。


なお、この事件であるが、四人もの命が奪われたほどの凶悪さであるにもかかわらず、1988年に起きた名古屋アベック殺人や1989年に発覚した女子高生コンクリート詰め殺人に比べて知名度が低いのは阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きていてインパクトが薄れたからだとされているが、そうではないと筆者は思う。


被害者に女性が混じっていなかったからではないか?


男性を何人も殺すより、女性を一人殺す方が悪いことのような気がするし、女性が被害者の事件のほうがインパクトに残るからではないだろうか?

そう思うのは筆者だけじゃないはずだ。


だがこんな短期間でしかも短絡的に、大した理由もないのに思いっきり残虐なやり方で四人も殺した者たちをこんな長期間生かしておいてよいのか?

充分万死に値する。


法務大臣は厳正にかつ可及的速やかに職務を執行してもらいたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

1994年・大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人~最凶未成年犯罪者たち~ 44年の童貞地獄 @komaetarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ