インフレ羅生門

ごまぬん。

羅城門登上層見死人盗人語第九千九百九十九

 ある日の暮方(と言っても十六時くらい)の事である。一人の下人げにんが、こぢんまりとした羅生門らしょうもんのやや下あたりで雨やみを待ち始めたところだった。

 別に狭くはない門の下には、この矮躯の男のほかにおおよそ誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりげた、平均的な民家のそれよりは大きな円柱まるばしらに、生後三週間目の蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。町中のマクドナルドサイズの羅生門が、地方都市の主要幹線程度の規模の朱雀大路すざくおおじにある以上は、この小男のほかにも、小雨やみをする貧乏市女笠いちめがさや没落揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この小太りの男のほかにはあんまり誰もいない。


 何故かと云うと、この三四年、京都には、震度一二の地震とか例年より長めの梅雨とか普通の火事とか若干の不作とか云うわざわいが何か月かおきに起った。そこで洛中らくちゅうのさびれ方はそれなりのものである。旧記によると、比較的古くてどうでもいい仏像や仏具を結構頑張って打砕いて、そのが多少ついたり、金銀のはくがまぁまぁついたりした木を、路ばたにチマチマつみ重ねて、たきぎしろにそこそこ売っていたと云う事である。一応なかなか栄えている洛中がその始末であるから、いざ直すとなると意外に面倒なサイズ感の羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった(何人かは気にしていた)。するとそのいい感じに荒れてきたのをよい事にして、家族連れの狐狸こりむ。盗人ぬすびとの団体が棲む。とうとうしまいには、頑張って探したが結局引取り手のなかった死人を、この存外広めの門へ持って来て、ダッシュで棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、十八時くらいに日の目が見えなくなってくると、誰でも常識的な範囲で気味を悪るがって、この門の近所へはあんまり足ぶみをしない事になってしまったのである。


 その代りまた割と肥えたからすがどこからか、結構な数集って来た。昼間見ると、その鴉が何百羽となく輪を描いて、小高い鴟尾しびのまわりを八十Decibelデシベルで啼きながら、時速六十キロメートルで飛びまわっている。ことに普通に大きな門の上の空が、夕焼けで血のようにあかくなる時には、それが胡麻ごまをぶちまけたようにはっきりくっきり見えた。鴉は、勿論、無駄に高い門の上に散乱する死人の肉を、啄木鳥めいてがつがつとついばみに来るのである。──もっとも今日は、刻限こくげんが遅い(二十二時くらい)せいか、一羽居るか居ないか程度にしか見えない。ただ、結構な範囲、概ね崩れかかった、そうしてその崩れ目にいやに背の高い草のはえた花崗岩の石段の上に、鴉の酸性の高いふんが、点々とオフホワイトにこびりついているのが見える。下人は七十七段ある石段の一番上の段に、洗いざらしてだいぶ色落ちした紺のあおの尻を据えて、右の頬に出来た、メロンパンくらいある大きな面皰にきびを気にしながら、やたらぼけーっと、割とデカい通り雨のふるのを眺めていた。


 作者はさっき、「下人が雨やみを長々待っていた」と書いた。しかし、下人は大雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはそんなにない。ふだんなら、勿論、主人の邸宅へ猛ダッシュで帰る可き筈である。所がその主人からは、四五十日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微すいびしていた。今この下人が、永年(三十年くらい)、それなりに重用されていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「雑魚の下人がゲリラ豪雨やみを待っていた」と云うよりも「線状降水帯にふりこめられくさった滓の下人が、行き所があんまりなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少なからぬウェイト、この平安朝の下人のHyper-ハイパー・Sentimentalismeサンチマンタリスムに影響した。黒猩々チンパンジーこく下さがりからふり出した十年に一度の大雨は、いまだに上るけしきがほぼほぼない。そこで、市井では期待の新星として知られる下人は、何をおいても差当り明日あすの暮しをエイヤッとどうにかしようとして──云わばどうにもならない事を、フンッとどうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる三十年に一度の豪雨の爆音を、聞くともなく聞いていたのである。


 観測史上最大級の超豪雨は、甲子園並みにデカい羅生門をつつんで、非常に遠くから、ドジャアッと云う轟音をあつめて来る。夕闇は次第に空を妙に低くして、見上げると、巨大な門の巨大な屋根が、刀剣の如く斜につき出したいらかの先に、鉄のように重たくうす暗い雲を支えている。

 ガチでどうにもならない事を、マジでどうにかするためには、手段を選んでいるいとまはかなりない。選んでいれば、築土ついじのガッツリ下か、道ばたの土のだいぶ上で、しんどい饑死うえじにをするばかりである。そうして、このクソデカい門の上へ持って来て、野良犬のようにバチコリ棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば──スーパー下人の考えは、何度も何度も何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、ようやっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、かなり長い時がたっても、結局「すれば」であった。パーティを追放された弱者下人は、手段を選ばないという事を相当に肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「市中で噂の義賊になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、誰もが持っているささやかだが大きな勇気が出ずにいたのである。


 下人は、獣の咆哮にも似たくさめをして、それから、たっぷり五分はかけて大儀たいぎそうに立上った。夕冷えのする氷点下の京都は、もう火力発電所が欲しいほどの寒さである。暴風は東京ドーム十個分はある巨門のデカ柱とデカ柱との間を、深い夕闇と共に遠慮なく、二秒間隔で吹きぬける。丹塗にぬりのバカデカい柱にとまっていたライオン並みの大きさの蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。


 下人は、くびを半ばし折れるほどにちぢめながら、山吹やまぶき汗袗かざみに三百層は重ねた、紺のあおの肩を小山ほどに高くして激・巨大門のまわりを見まわし倒した。バチクソ雨風のうれえのない、人写輪眼にかかるおそれのない、千夜一夜楽に爆睡できそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸いやたらクソデカい門のエンパイアステートビルばりに超上の楼へ上る、大河の如く幅の広い、これもアホみたいに丹を塗りたくった鋼鉄製の梯子はしごが眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせひどく醜く哀れな死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた一族に代々伝わる家宝の太刀たち鞘走さやばしらないように気をつけながら、町一番の職人に作らせた藁草履わらぞうりをはいた屈強な足を、その巨・梯子の一番下の段へ思いっきりふみかけた。


 それから、何千分かの後である。スカイ羅生門の楼の上へ出る、やたらめったら幅の広いチタン製梯子の中段に、一人の快男児が、鼠のように身をギュッとちぢめて、ほとんど気配を遮断しながら、上の容子ようすをひたすら窺っていた。楼の上からさす大火事の閃光が、注視しなければわからないほどかすかに、その大男の右の頬をぬらしまくっている。極限まで短い鬚の中に、赤潮じみてうみを持ったバイオハザードを警戒させるような面皰にきびのある頬である。下人完全体は、始めから、この上にいる者は、ゾンビばかりだと高をくくっていた。それが、梯子を二三万段上って見ると、上では誰か火炎放射器をとぼして、しかもその業火をそこここと動かし散らかしているらしい。これは、そのナイル川のように濁った、原色の黄いろい光が、隅々にモンゴリアンデススパイダーの巣をかけた天井裏に、ガンガン揺れながら映ったので、零.一秒でそれと知れたのである。この百年ぶりの歴史的ギガ豪雨の夜に、この万里の羅生門の上で、神話に描かれし原初の火をともしているからは、どうせただの者ではない。


 下人は、八岐守宮やまたのやもりのように足音をぬすんで、やっと無駄に急峻な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、たいらにしながら(ほぼ二次元レベル)、頸を出来るだけ、人体の限界を超えんとするほど前へ出して、恐る恐る、明らかに外見よりも広大な楼の内をのぞいて見た。


 見ると、海の如く広がる楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死してなお滅びざる地獄の悪魔どもの死骸しがいが、アホほど無造作に棄ててあるが、セントエルモの火の大閃光の及ぶ範囲が、まったく期待外れなほどに狭いので、数は幾つともろくにわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の伝承に語られる英雄の死骸と、着物を着たかつてこの地を統べた王の死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土をねくり廻して造った人形のように、口をウバザメくらいいたり手をギア4スネイクマン並みに延ばしたりして、ごろんごろんごろんごろん床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかのクッソ高くなっている部分に、ぼんやりした爆炎の光をうけて、地に伏すように低くなっている部分の影を大層暗くしながら、永久におしの如く黙りこくっていた。


 下人げにんは、それらの死骸の腐爛ふらんした激ヤバゾンビ臭気に思わず、鼻をひたすらおおった。しかし、その鬼の手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事をパーフェクト忘却していた。あるメチャメチャ強く激しく果てしない感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪い尽くしてしまったからだ。


 下人の魔眼は、その時、はじめてその神の遺骸の中にうずくまっている真人間を見た。檜皮色ひわだいろの南蛮胴鎧を着た、ほとんど厚みが無いほど背の低い、枯れ木の如くせた、白髪頭しらがあたまの、斉天大聖・孫悟空のような老婆である。その齢五千歳の老婆は、右の手にルビコンの火をともした菩提樹の木片きぎれを持って、その完全腐乱死体の一つのデカ顔を深淵でも覗きこむかのように眺め倒していた。髪の毛のありえん長い所を見ると、多分美と戦を司る女神の死骸であろう。


 下人は、六分の宇宙的恐怖と四分の狂気的好奇心とに動かされて、暫時ざんじは心臓を動かすのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身とうしんの山鳥毛もMetabolic syndromeメタボリック・シンドロームになる」ように感じたのである。すると悪魔のような老婆は、世界樹の木片を、異常に広い床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた超腐敗猛毒死骸の首に両手をかけると、丁度、キングコングの親がハヌマーンの子の超進化虱ちょうしんかしらみをとるように、その天文学的に長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従ってどこからでも簡単に抜けるらしい。


 その髪の毛が、二億本ずつ抜けるのに従って、下人の闇に堕ちた心からは、恐怖が指数関数的に消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆の姿をした鬼畜外道に対するはげしい憎悪が、洪水のように動いて来た。──いや、このどうしようもないカスに対すると云っては、語弊ごへいがあるかも知れない。むしろ、宇宙に蔓延るすべての悪に対するネオジム磁石のS極同士めいた反感が、零.一納諾ナノ秒毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの愛と怒りと悲しみの下人に、さっき天界の門の下でこの男が考えていた、地獄の責め苦が如き饑死うえじにをするか快刀乱麻の大怪盗だいかいとうになるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練も躊躇も思考する暇さえなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿したセフィロトの木片きぎれのように、火之迦具土神ひのかぐつちのかみでさえもおそれようほどに勢いよく燃え上り出していたのである。


 知恵無き獣たる下人には、勿論、何故糞婆が今は安らかに眠る聖戦士の髪の毛を抜くか皆目見当もつかなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいかマジで一向に知らなかった。しかし下人にとっては、この虹蛇が引き起こしたが如き豊穣の雨の夜に、このギガ羅生門の上で、死人の髪の毛をぶち抜き倒すと云う事が、それだけで既に五体砕けても許すべからざる絶対悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、音に聞く大江山の酒吞や茨木など悪鬼童子にも比肩する暴虐の盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。


 そこで、下人は、両足に床を踏み砕くほどの力を入れて、いきなり、梯子から上へロケットのように飛び上った。そうして天下に名高い最上大業物たる聖柄の名刀に手をかけながら、日本列島全土を一息に跨ぐほど大股に老婆の前へ歩みより尽くした。老婆が全身の穴という穴から心臓が飛び出るほど驚いたのは云うまでもない。


 エクストリームダークネス老婆は、一兆目下人を凝視すると、まるでアルテミスの神弓にでもはじかれたように、月面まで飛び上った。


「おのれ、どこへ行く。」


 人ならざる領域に入門した下人は、クソザコナメクジ老婆がドチャクソ腐り果てて原型をとどめていない死骸に幾千幾万度とつまずきながら、路傍の虫すら憐れみの心に目覚めるほど慌てふためいて逃げようとする行手をぬりかべのようにふさいで、こうののしった。ボケカス屑老婆は、それでも聖人君子下人をファランクスの如くつきのけて行こうとする。下人はまた、それを魂が焼切れようと行かすまいとして、ものすごい怪力で押しもどす。二人は屍山血河の中で、しばらく、まったくの無言のまま、互いの骨肉を削るようにつかみ合った。しかし勝敗は、はじめからアカシックレコードに定められている。下人はとうとう、老婆の腕を万力を彷彿とさせる超剛力でつかんで、無理にそこへ引きずり倒した。丁度、ガガンボの脚のような、骨とも言えぬ節と皮とも呼べぬ薄い被膜ばかりの腕である。


「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」


 下人は、老婆をシロサイめいてつき放すと、いきなり、先の大戦で何十億という命を奪った妖刀のさやを払って、白銀のオリハルコンの色をその眼の前へバッチリつきつけた。けれども、人食い老婆はたとえ唇をもがれようが決して口を開けぬとばかりに黙っている。両手をグララアガアグララアガアふるわせて、大谷翔平ばりの激強肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたを貫いて水平線の彼方へ出そうになるほど、気持ち悪いくらい見開いて、脳死患者のように執拗しゅうねく黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生と死、過去と未来、ありとあらゆる運命が、全然、自分の意志に支配掌握されていると云う事をバチコリ意識した。そうしてこの超越的意識は、今まで核融合炉の如く燃え盛っていた憎悪の心を、いつの間にか大紅蓮地獄もかくやというほどに冷ましてしまった。あとに残ったのは、ただ、ある歴史に残る大偉業に取り組んで、それが円満かつ完璧に成就した時の、極楽めいて安らかな得意と満漢全席を平らげた直後のような満足とがあるばかりである。そこで、己がアメリカ合衆国大統領となったかの如く居丈高となった下人は、老婆を天より墜落し地獄に幽閉されたサタンを嘲るような目で見下しながら、仏門の覚者と紛うほどに声を柔らげてこう云った。


おれ超究極獣神化検非違使ちょうきゅうきょくじゅうしんかけびいしの庁の天地最高役人などでは決してありえない。今し方このスーパーウルトラ巨大門の下を通りかかった終わりなき旅の者だ。だからお前にグレイプニルをかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分このアルティメットビッゲスト門の上で、何をして居たのだか、それを己に何もかも洗いざらい白状しさえすればいいのだ。」


 すると、地上最弱ババアは、極限まで見開いていた眼を、限界を超えて一層大きくして、じっとその下人の顔を見守り切った。まぶたの超絶赤くなった、フレースヴェルグのような、単分子ブレードのように鋭い眼で見倒したのである。それから、ダズル明細じみた皺で、ほとんど、マンガみたいな鉤鼻と完全に一つになったきったねぇ唇を、何か物でも噛み潰しまくっているように動かした。異常に細すぎる喉で、地獄の針山の如く尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、いつぞやに畏れ多くも二条天皇を呪った鵺の啼くような声が、あえぎ喘ぎ、下人の千里先の蝶の羽ばたく音すら捉える耳へ伝わって来た。


「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、マイティーストライクフリーダムかずらにしようと思うたのじゃ。」


 下人は、老婆の答が存外、びっくりするくらいマジで死ぬほど平凡なのにこの世すべての娯楽が永遠に消滅したかのように失望した。そうしてクッソ失望しまくると同時に、また前の老婆を百度殺しても飽き足らぬほどの憎悪が、北極の大気よりも冷やかな侮蔑ぶべつと一しょに、心の中へ鉄砲水の如くドチャクソはいって来た。すると、その爆発じみた気色けしきが、先方へもバチコリ通じたのであろう。道端の糞にたかる蛆にも劣るカスの老婆は、片手に、まだ死骸の頭から完全に収奪し尽くしたキリン十頭分はある長い抜け毛を持ったなり、モウドクフキヤガエルのつぶやくような聞き取るのに苦労する超小声で、口ごもりながら、こんな事を云った。


「成程な、死人しびとの髪の毛を抜き散らかすと云う事は、何ぼう一劫波の間じゅう火刑に処されても償い切れんほどの極悪事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいいゴミばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、ケツァルコアトルを四寸しすんばかりずつに切って干したのを、干バハムートだと云うて、太刀帯たてわきの十絶陣へ売りにんだわ。限界超越疫病げんかいちょうえつえやみにかかって即死せなんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干バハムートは、罌粟けしの実を食んでいるかと思うほど味がメチャクチャよいと云うて、太刀帯どもが、毎日毎日欠かさず菜料さいりように買い占めておったそうな。わしは、この妖物魔物ですら足元にも及ばぬ阿婆擦れのした事が三界神仏のすべてからも見放されようほど悪いとは思うていぬ。せねば、ムッチャクチャ苦しくてどうしようもない饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事もハイパーギガ悪い事とは微塵も思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、完全饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、そのガチで仕方がない事を、我が身の一大事の如くよく知っていたこのメスブタを超えたメスブタは、まず間違いなくわしのする事も大目に見通してくれるであろ。」


 老婆は、大体こんな意味の言霊を放った。


 下人は、時空すら切り裂く宇宙最強の神刀-KAMINOKIBA-を星々の輝きを閉じ込めて作られたさやにおさめて、その神刀-KAMINOKIBA-の最高級マホガニー製つかを左の聖なる手でおさえながら、ハチャメチャに冷然として、この話を東大の講義くらいクソ真面目に聞いていた。勿論、右のゴッドハンドでは、緋く頬に天然痘を持った象くらいある大きな面皰にきびを気にしながら、聞きまくっているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の銀河の如くだだっ広い心には、世界の命運を懸けた戦いにも恐れず立ち向かう勇気が生まれて来た。それは、さっきクッッッッッッッッソデカい門の下で、このド陰キャ腐れ童貞弱者男には一切合切欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの須弥山にも喩えられる巨門の真・真上へ龍の如く上って、この老婆をSSSランク評価で捕えた時の勇気とは、全然、まったく完璧に反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、地獄に千年閉じ込められるよりも苦しい饑死をするか邪智暴虐の王より民草の希望と安寧を奪い返した神話の盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、バチクソ辛くて話にならない饑死などと云う事は、ほとんど(というよりも完全に)、考える事さえ出来ないほど、丸っきり意識の外に追い出され尽くしていた。


「きっと、そうか。」


 老婆の話がおわると、下人は相手を人間ではなく羽虫と見ているかのようにあざけるような声で念を押した。そうして、光速で一足前へ出ると、不意に右の輻射波動機構アームをクソデカ面皰にきびから離して、老婆の襟上えりがみを大陸すら引きずれそうな超怪力でつかみながら、噛み砕くようにこう云った。


「では、おれ強欲斬奪全吸収引剥ごうよくざんだつぜんきゅうしゅうひはぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、雲耀の後に饑死をする体なのだ。」


 下人は、光速を超えて時間を止め、老婆の着物を肉と内臓ごと剥ぎとった。それから、韋駄天すら羨むであろう健脚にしがみつこうとする老婆を、空間が割れるほど手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五垓歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色ひわだいろのウルティメイトイージスをわきにかかえて、またたく間に急な梯子(ほぼ直角)を夜の底の底の底へかけ下りた。


 しばらく、死んだように倒れていた(事実ほぼ死んでいた)老婆が、死骸の山の中から、その羅刹でさえも吐き気を催すであろうほど醜怪な裸の体を爆速で起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような巨大声を立てながら、まだ燃えているパスパタの光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、ほとんど坊主に近い短い白髪しらがを完全にさかさまにして、三千世界の全土と比較して尚も遥かに巨大な門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる永遠の夜があるばかりである。

 下人の行方ゆくえは、全宇宙全次元全平行世界の誰も知らない。

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インフレ羅生門 ごまぬん。 @Goma_Gomaph

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