水、闇、戦闘描写

 いつだったか、彼女はこう言っていた。


「私の異能? 水の上を歩くくらいしかできないわ」


 と。

 あの女、とんだ食わせ者だ。

 遅ればせながらその事実に思い至った俺の眼前を透明な帯がかすめる。

 それはただの真水だ――彼女の能力下でさえなければ。


 俺から見て三歩先の領域には水の帯が縦横に張り巡らされていた。


 小魚の跳ねるような音が連続する。

 水を踏む、というあり得ない物音はこう聞こえるのか。


 水を蹴り、流れに乗り、彼女は縦横に空間を駆け巡る。

 彼女の手にした舞扇がひらめく度に新たな水が湧き出で、新たな帯となる。

 駆けるほどに水の牢獄――彼女の領域は広がり、密度を増していく。


 水牢の中央に捉えられているのは一体のデーモンであった。

 不意に凝集した黒い光が閃き、無数の闇色の槍となって彼女へ殺到する。


 しかし舞扇の軌道に合わせて発生した水の幕が閃光を弾き、捻じ曲げ、闇の魔術は彼女を損なうことはない。


 悪鬼の闇魔法が悔し紛れかのように水の路を砕く。

 巻き上がった飛沫が彼女とデーモンの姿を覆い隠す。


「おっと」


 俺は一歩横に退く。

 水飛沫の向こうから飛んできた闇の槍が先ほどまで立っていた場所を砕く。


 視線を戻した頃には、水の牢獄は元の姿を取り戻していた。

 当然のことだ、いかな呪詛も仮想質量も流体に影響を及ぼせるはずもない。


 万策尽きたデーモンが恨めし気な叫びを発する。


 苦し紛れに振りかぶった右腕は、しかしその爪で何物かを切り裂くこともない。

 何故ならば、懐深く到達した彼女が、舞扇から伸びる水刃でもってその心臓を貫いていたからである。

 胴を貫く水の刃に鮮血が溶けだし、いくらも経たず赤く染まる。

 扇の要から垂れる水晶の玉飾りが月光を弾いてうるうると光った。

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文章訓練 納戸丁字 @pincta

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