第13話 嫉妬はキスで直して

 日が過ぎた。

 マックスと顔を合わせない間、私はずっと彼の事を考えている。

 破談書類は未だに見つからない。魔法具店からもらった失せ物捜しの魔法具も犯人の目星のつかないうちは無駄に使いたくないからまだ使っていない。


 幸いなのは、魔法塔でも大きな変化はなさそうだって点かな。大々的に侵入者を捜せーって塔所属の魔法使い達がわらわら出動したなんて話は聞かないもの。私の正体を突き止められなくて諦めたのかもね。


 私の中で魔法塔への懸念が薄れた頃、王宮から恒例の舞踏会の招待状が送られてきた。


 社交界では私とマックスは破談になったと広まっていて正直言って出席するのは憂鬱だったけど、王宮からの招待状だし余程の理由でもない限りは欠席は得策じゃない。

 でもフリーになったと思われている彼目当ての令嬢達が彼へと群がる様なんて見たくない。

 落ち込んでいると、コンコンとノックがあってフェリックスの声がした。ここ最近彼は律儀にも王都から帰ってくると帰宅の挨拶をしに来てくれる。ただ今日は扉を開けると彼は挨拶よりも先に急くようにして開口一番こう言った。


「姉さん、今度の王宮舞踏会には是非僕と一緒に行こう!」


 両親にも来たし彼にも招待状が送られてきているのは当然で、帰宅してそれを読んだのね。

 そう言えばこの子と一緒に参加したパーティーはいつぶりだろう。ここ数年来はマックスと一緒だったから。途中で別行動するしないは別として。

 でも今回はそっか、フェリックスが適任よね。

 ロレンツと決着をつけると言っていたマックスからはまだ何も音沙汰はない。

 もしもこのまま本当に連絡がなかったら……?

 膨れる不安にドクリと嫌な動悸がした。


「姉さん? 駄目かな?」

「あ、ううん、久しぶりに姉弟で行きましょ!」


 フェリックスはとても嬉しそうにハグしてきた。私も幼少時から慣れたスキンシップをやり返す。

 ふふっ、本当にこの子は大人に見えてまだまだ甘えん坊さんなんだから。


 そうして迎えた王宮舞踏会。


 王国各地から貴族達が集まるから、マックスも出席するはずだ。

 遠目で無事な姿を見るだけでも慰めにはなるわね。

 ……無事、か。あはは、私ってどこまで愚か。

 魔法塔に直接乗り込んだ癖に、ロレンツからすごすごと逃げ帰るだけでマックスから手を引くように直談判すらしなかった。怖くて頭になかったから。こんなだから彼は私を危険から遠ざけようとするんだわ。

 内心じゃそんな自己嫌悪ばかりを抱きながら馬車を降り、私はフェリックスと共にシャンデリアの煌めく舞踏会会場に入場した。

 私達姉弟を出迎える視線はいつもと同じようでいて、だけど少しだけ熱いものが増えている。

 まあね、うちのフェリックスもここ一年くらいでぐんと背が伸びて男らしさが増し増しでカッコ良くなったもんね。お洒落にもなったし誰か好きな娘でもできたのかな。姉としては少し寂しいけど応援するぞ。


「ね、姉さん?」

「頑張れフェル!」

「はい?」


 しみじみと見つめていたらフェリックスは何故か無性に嬉しそうにしたけど、私のよくわからない励ましには困惑を浮かべた。


「ねえ、曲が始まったら先に一曲踊りましょ? それから向こうでお料理を少し……」


 後はそのうち来るだろう友人令嬢とまた恋バナかな。あ、今夜はこの子も入れて根掘り葉掘り質問攻めにしちゃおうかしら~?

 なんて考えていたらフェリックスがくすりとした。


「王宮の料理は絶品だからね。もしもこの先僕が家を継いだら、王宮に劣らない姉さん好みの料理人を沢山雇って、一生僕が姉さんの胃袋を満足させてあげる。楽しみにしてて?」

「それは楽しみね。大好きよフェル~」


 弟の腕に抱きついてじゃれ合いながらダンスホールの方へと歩く。まだ曲は始まってはいないけど、もうまもなくね。

 マックスの姿が見当たらない落胆と、それと反対にどこかホッとしている自分もいる。喧嘩腰で別れた日から会っていないから複雑なの。あ、曲の雰囲気が変わった。


「真ん中の方に行こうか姉さん」

「ええ――」


 行きましょう、と返そうとした矢先、不意に腕を引かれてフェリックスから手が離れた。姿勢が傾く。

 え、何? 誰?


 まさかマックス――……ってえええ!?


「やっとまた会えた。私の唯一無二。君のそのとても美しいエメラルド色の瞳は間違いない。今夜ここに来れば会えると思ってた」

「な……なっ!?」

「平気か姉さん!? あんた誰だ?」


 私をよろめかせたその腕で私を受け止めた誰かは、極上の笑顔で私を覗き込んでくる。


 銀髪の際立つマジックマスター・ロレンツ。


 今夜はその髪を品よく一つに結んでいた。黒ローブじゃなく紳士の正装だし、そうしていると貴公子でしかない。

 彼はまだ薄紫色の瞳でじっと私を見つめている。


 やけにう~~~~っとりと。


「え……ど、どうしてそんな目で? まさか惚れ薬が抜けてない? あ、でも効果が継続中は瞳にハートが浮かぶって聞いたけど、ないわよね」


 私の訝りは尤もだと思ったのかロレンツは周囲の令嬢達が頬を染める麗しい微笑を張り付ける。私は言い知れない寒気が走って背筋が震えたけど。


「薬の効果ならもうとっくに消したよ。ウェルストン嬢、いやフェリシアと呼ばせてもらおうかな」


 何で!? いやだーっ! 親しくないのに!!


「な、ならどうして私を? いいえそれ以前にあんな目元だけでよく私だって突き止めましたね」

「一体私を誰だと思っているんだい?」


 はいっ愚問でした。ただね、まさかこんな人目のある場所で堂々と接触してくるとは思わなかった。勘弁してよ。


「あれからずっと君に会いたかった」


 ふ、とロレンツは私を支えている近さをいい事に頬に唇を寄せてきた。


「なななにするんですかっ!?」

「おいあんた……!」


 フェリックスは怒り心頭で私をロレンツから引き離し背に庇うようにしてくれた。目撃者達がざわついている。


「私にあんなラフな態度を取ったのは君が初めてだったんだ。心底びっくりして惚れ薬を無効化しても胸の高鳴りが治まらなかった。今だってそんな冷たい眼差しにドキドキしているんだよ。君からどんな仕打ちをされるのかと思い浮かべるだけで幸福感が込み上げて込み上げて……っ」

「何だよ惚れ薬って? 姉さんこいつヤバいだろ、変態だ」

「ど、同感」


 私がどん引くと、その態度にすら恍惚とされた。ひいっどうしよう本物だっ。


「けれどまさか姉上の魔法具店の顧客だとは思わなかった」

「姉上? 魔法具店? もしかしてあの眼鏡の店主さんはお姉さんなんですか!?」

「ご名答」


 世間は狭い。だから彼女は詳しかったのね。


「おいあんた、今の訂正しろ!」


 ここでフェリックスが何故だか頗る不機嫌な声を出した。警戒とはまた別の何かを宿している。私もロレンツも想定外の横槍にキョトンとした。


「うちの姉さんは、マックス・エバンズの婚約者じゃない。――元・婚約者だ」

「ええと、フェル?」


 彼には別れたふりって真実を話したはずなんだけど?

 私の戸惑いを尻目にフェリックスは懐から何かの紙を取り出してババーンとロレンツの目の前に突き付けた。


「姉さんとマックス・エバンズは正式に破談になっているんだよ。噂上でも別れたとは言われているが、ここにその歴とした証拠があるんだ。金輪際間違うな!」


 彼が掲げたのは何と何と何と無くなった私の破談書だった。


「……そう、フェルが勝手に持ち出したのね。私がどれだけ焦って探したと思ってるの?」


 低めた声には憤りが滲む。


「あいつは姉さんには相応しくない! ようやくちゃんと別れると思ったら別れたふりをするなんて馬鹿げた話を聞かされて、僕がどんなに混乱したか知らないだろう?」

「それには事情が……って、ここじゃあれだからバルコニーに行きましょ。ロレンツ卿も宜しいですか?」

「勿論さ」


 微笑むロレンツのバックには大量の薔薇が舞うどころか花吹雪いていた。彼は陰キャじゃなかった。

 公の場で私も今夜が彼を初めて見るくらいに顔を出さない人らしく、彼が誰なのかまだわからない人が沢山いる様子。大注目されている。

 私は二人を置いて一人先にツカツカと早足で歩いて一番近いバルコニーへと出た。


 先客がいた。


「――少し会わないうちに変な虫がまた増えたな、フェリシア」

「マックス様!?」


 いつの間に。嬉しさと驚きに立ち止まっていたら不機嫌声だった彼から腕の中に閉じ込められた。しかも頬にキスまでされる。


「えっ、あのっ、ふりっ、不仲なふりしないと!」

「それはもういい」

「はい?」

「俺が馬鹿だった。君から離れているんじゃなかった。これから先は君のすぐ近くでそいつらから護るようにする」


 そいつら、と彼が言ったのと同時に二人が異変を察知して駆け込んできた。


「姉さんを離せ!」

「来ていたのかエバンズ……」


 フェリックスとロレンツはそれぞれマックスと対決するように立つ。


 ロレンツなんて魔法で何か立派な剣を取り出して構えた。

 因みに彼の魔力の色は紫だった。一般的に高貴なる色の一つだけどロレンツのだと思うと毒々しいなあ……。


 オーラと違って剣からは清冽な印象を受けた。ただね、淡く青く輝く剣身は綺麗だけど抜き身だから物騒でしかない。


 ――ってちょっと待ってこんな所で刃傷沙汰は勘弁してよ! 私は慌ててマックスの腕の中から抜け出すと、三人の間に入った。


「落ち着いて! 私のために争わないで!」


 こんな台詞は愛読している小説のヒロインしか言わないと思っていたのに、どうしてこうなった……!


「ロレンツ、さっきはよくも俺のフェリシアに不埒な真似をしてくれたな。しかし無駄だったな、既に消毒は済んだ」

「君の……? は、何を言っているんだい? フェリシアは近いうちに私の妻になるんだよ。彼女の猟奇は私のものだ」

「あんたらこそ馬鹿か!? 姉さんは僕と一生実家暮らしだ!」


 三人は全く私の制止を意にも介していないようで自己主張大会を始めた。あんな台詞を言った私は私で羞恥に撃沈したけど、三人にしてもツッコミ所満載よっ。

 結論、この場の皆例外なくイタい人認定です。


「フェリシア、今夜私がそこの悪魔から君を解放してみせる。わざわざ私に密会しに来てくれた君の気持ちはちゃんと受け取ったよ」

「笑える。彼女がどうして貴様に密会を望むんだ。大体、そんな錆びた剣がこの俺に通用すると思うのか?」

「ふふっ、強がりかい?」

「貴様こそ思い上がるな。泣きを見るぞ」


 とうとう犬猿の仲らしい二人が本気で火花を散らし合う。

 ひーっ黒と紫のオーラがぶつかって渦を巻いてるー!


 こんな緊迫感はきっと何度経験したって慣れないわ。だけど、そんな中なのに私は改めて愛しさを強くしていた。


 マックスは私のために彼の苛烈な一面をずっと隠していて、言うなれば猫を被っていたわけだけど……うん、私のためにね、私のためにい~っ。彼のそんな健気な真実を見せられてより一層もう手放せないなって思う。

 で、でもこの状況は薄ら命の危機を感じるからホントやめて!

 すると、二人には構わずフェリックスが傍に来た。


「姉さん、とりあえず色々と説明してほしい」


 ああそうよ、事情説明が目的だった。この子だけは冷静に戻ってくれて良かった~。


「……このまま相討ちにでもなれば漁夫の利だ」


 冷静じゃなかった……っ。それに嘘よね可愛い弟が実は腹黒だったなんて!

 一頻り精神的衝撃を受けたせいか、かえって私は気を取り直せた。まさにショック療法ね。

 こうなったきっかけと言うか原因は私にある。

 そんなわけで私フェリシア・ウェルストンは、ロレンツ君に言いたかった事をハッキリ伝えようと思いまーす。


「ロレンツ卿! マックス様を害しようとするのはもうやめて下さい。どんな力もそれを行使する者の精神によると私は思います。マックス様は誠実です。決してあなたが言うような穢れた力なんかじゃありません! そもそも魔物から人々を護ろうと働いている仲間じゃないですか!」


 ロレンツは同意できる部分があるのか、ふぅむと思案するようにする。


「君がその破談書の通りに彼と綺麗さっぱり別れるのなら、約束してもいいよ」

「え?」

「騙されるなフェリシア。こいつは善人の顔をした悪人だ。フェリシアにだって危害を加えようとするだろう」

「彼女に危害を? あはっそれこそまさかだね。好きな娘を誰が好んで傷付けると言うんだい? エバンズ、君じゃあるまいし?」


 当て擦られたマックスは悔しそうに歯噛みした。ロレンツは与えられた情報からこっちの事情を的確に推察したんだろう。油断ならない男ね。


「信用できないかい? けれど本当にそんな心配は無用だよ。どうしてか私は君がとても好きみたいだからね。理屈はわからないのに、君といると嬉しくなって変なのさ」


 変……。私こそ変な気分よ。全然知らない相手なのにこれが本当のロレンツの姿なんだろうって感じた。


「だからさ、破談を偽装する必要はないよ。婚約していようと私はエバンズから堂々と君を奪ってみせるからね」

「ふん、略奪愛なんてされませんよ」


 でも、もう不仲な演技は必要ないんだ。


 そっか……そっかあぁ~~。


「「フェリシア!?」」

「姉さん!?」


 良かったって安堵したらポロポロと涙が出てきちゃった。


 ふりだなんて本音ではずっと嫌だったから、無意識に結構なストレスに苛まれていたみたい。


 三人が揃ってぎょっとなったのが、こんな状況なのに何だかとても平和だなって思ってしまった。


 私の涙でその場の男達の頭は一気に冷めたみたい。

 三人して慌てふためいた。如何にして私を泣き止ませようかと三者三様で、悪いとは思ったけど内心少し可笑しかった。

 少しして落ち着いた私は、三人にそれぞれ説明したわ。


 結局ロレンツにマックスを狙うのを止めさせるのはできなかったけど、当のマックスは平然として別に構わないって言っていた。


 彼は私がロレンツに狙われさえしないのならそれで良かったみたい。


 その二人は案外同類なのか、殺れるもんならやってみろってお互いに闘志を燃やしていた。二人はもう子供じゃないけど、男の子ってよくわからない。


 それから、破談書は私の手でビリビリに破いて紙吹雪にしてやった。


 フェリックスは全然納得していない顔でいたけど、催促したら素直に書類を渡してくれた辺りやっぱり根は良い子よね。だから怒る気持ちは薄れちゃった。


「さてと、ロレンツ卿とフェルは先に中に戻って? 私はマックス様と話があるから」


 二人はそれはないよと抗議を示したけど、私が頑として言い張ると渋々バルコニーを離れた。

 ロレンツは「最後には私を選ばせてみせるから」と美の化身みたいな誘惑的な眼差しを去り際に残して行ったっけ。

 厄介な男に目を付けられたなあ……。ま、選ばないけど!


 二人を送り出し私自らで扉を閉めてくるりと回れ右。手摺に寄り掛かって待つ婚約者へと近付いて、抱き付いた。


 彼もそれを予期していたように余裕で受け止めてくれた。


「マックス様、やっと私達心置きなく恋人らしい事ができますね!」

「例えばどんな?」


 どこか揶揄うような気配を滲ませて彼は私の目を覗き込んでくる。その深いジェットブラックの瞳が僅かに細められた。


「俺な、本当は君に少し怒っているんだ。ロレンツなんかと関わって、しかも惚れられて」

「あれはたぶん薬の後遺症と言うか気の迷いだと思いますけど……」


 黙ってこっちを見つめてくるだけのマックスの沈黙が本当にそう思うのかって厳しく問われているようで、私は反省を浮かべた。

 確かに軽率にも魔法塔に潜入して、予定外にもロレンツと関わってしまったのは私の落ち度。


「ごめんなさい」


 しょんぼりしたら彼はハッとしたようだった。


「いや、俺こそ悪い。ついつい嫉妬して気が立ってしまって」

「へ、嫉妬……したんですか?」

「それはするだろう」


 私はパチパチと瞬いて意外感を露わにする。嫉妬されたなんてとんでもなく嬉しい。そう思ったらむふふと不細工にはにかんでいた。


「私も、あなたが他の娘と話すだけでも嫉妬していたって知ってました?」


 今度はマックスが瞬いた。


「そうなのか」

「はい。そうなんです」


 ふっと二人で同時に噴き出す。


「これからはもっとするだろうな」

「私もです。でもきっと、キス一つで機嫌は直りますけどね?」


 私はヒールの踵をちょっとだけ上げた。

 腰に回された彼の腕がよりドレスに食い込んだ。

 啄むようなキスをする私達を、どこかから赤い目の黒猫が呆れたように見つめていた気がした。





 仲良く手を繋いでバルコニーから戻った私とマックスの様子から、私達の復縁の話は社交界にあっという間に広まった。


 この日以降、マックスもロレンツもフェリックスも、今まで以上に魔物討伐に精を出して他の追随を許さない功績を叩き出し、三人は王国注目の男達になった……んだけど、何故かいつもセットで私の所に来るからマックスと二人だけの時間が激減した。


 ああ早く彼と結婚したいーーーー!!


 私の欲求不満は募るばかり。

 いっそ結婚式を早めようって密かに画策を始める私だった。

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婚約者に嫌われているので自棄惚れ薬飲んでみました まるめぐ @marumeguro

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