第12話 激マズ惚れ薬は攻撃アイテムにもなる

「あれ隊長、早いですね。今日はウェルストン嬢とお昼しなかったんですか? 昨日なんて午後半休でしたよね~?」

「鍛練と関係の無い話はするな」


 所は王宮練兵場。何気ない部下からの言葉にマックスはじろりと睨みを利かせた目を向ける。声のトーンも普段からは下がりに下がり地を這っていた。

 部下の青年はよもや射殺されるような目を向けられるとは微塵も思っていなかったので顔面蒼白で竦み上がった。


(喧嘩だな)(婚約者と喧嘩か)(そりゃああなるわー)


 練兵場の兵士達は即座に察した。そういう場合は下手に触れない方がいい。同僚の尊い犠牲は忘れないと誰もが涙した。

 一昨日に隊を揺るがす「今日の昼は婚約者と食べてくる」とのマックスからの上機嫌な宣言を受けてから、隊の一同はようやく彼の厳冬が終わったと感涙したものだが、まさかのたった二日間だけの春だったとは、とそこにも涙した。


 そのマックスはウェルストン家から直接王宮に来て通常通りに事務仕事をこなし、午後からは自主的に早めの鍛練に臨んでいた。しかし彼はやる気満々ではなく内心溜息しか出なかった。


(フェリシアを怒らせるとは思いもしなかった)


 次また次と交代する部下と模擬剣で打ち合いをしながら彼は無意識に眉間を強く寄せる。打ち合い相手の部下は怯えの色を滲ませた。その気持ちの緩みが隙となりマックスから模擬剣を叩き飛ばされて打ち合い終了となった。


「たるんでいるぞ、もっと集中しろ。魔物との実戦では今のような不注意が命取りになるんだ」

「はっはいすみませんでした!」


 深く頭を下げ、飛ばされた模擬剣を拾ってから待機の列に戻る涙目の部下を一瞥してマックスは小さく溜息をつく。


「隊長、今日は鬼ですか? これでもう泣かせたの八人目ですよ。彼らがたるんでいるんじゃなく、あなたがいつもより容赦なしなんですよ。そこ自覚あります?」


 話しかけてきたのは副隊長の青年ライリーで、年齢はマックスよりも三つ上。この隊の大半の人員と同じく歳下のマックスを上官と仰ぐのにも抵抗はないようで、普段から物腰柔らかく纏め役として頼られてもいる男だ。

 今のように言うべきところははっきり意見を述べてくるので、マックスとしてもやり易く信の置ける相手だった。


「そんなに容赦なかったか?」

「まあそうですね。ところで、一体ウェルストン嬢に何をやらかしたんです? あなたが練兵場に姿を現してからずっとウェルストン君の視線が怖いんですが」


 ウェルストン君ことフェリックス・ウェルストンは、フェリシアの一つ下の弟だ。


 マックスとライリーとは別の隊に属する。練兵場は広いので他の隊と鍛練が被るのは日常茶飯事で現在もそうなのだが、何故かフェリシア弟は遠くからじーっとマックスを睨み付けるようにしている。


 幼い頃からそうだった。


 フェリックスはマックスへの当たりがきつい。


 彼が養子としてウェルストン伯爵家を継ぐために親戚筋から迎え入れられたのはマックスも知っている。一人娘のフェリシアは将来的にはエバンズ家に嫁ぐとされていたので後継者が必要だったのだ。貴族階級ではその手の縁組みは決して珍しくなく、生家よりも格上の家に迎えられる事は光栄とさえ思われている。


 迎え入れられた時フェリックスは確か六歳だったとマックスは記憶していた。何故なら愛するフェリシアが弟ができたととても可愛く喜んでいたのが彼女が七歳の頃だったからだ。何事もフェリシア基準に覚えている。

 フェリックスは家族になったフェリシアや彼女の両親にはとても懐いていて、今でも言われなければ彼が養子だとは思わない仲の良さだ。


 マックスも本音では姉弟のその親密さに時々、いやかなり面白くないものを感じていた。


 それに輪を掛けてフェリックスの自分への態度だ。彼に何かをした記憶のない身としては神経を逆撫でされたのは一度や二度ではない。偶然にも名前が似ているのもムカつく。


 フェリシアと関係が拗れてからは何故か風当たりは弱くなったが、改めて考えるとある結論に行き当たる。


 フェリックスは重度のシスコンなのだ、と。


 大好きな姉を奪われるようで婚約者が気に食わなかったに違いない。

 しかも今日再びきつくなった。

 おそらく彼女との婚約継続を知っているのだ。フェリシアも弟にだけは話していても不思議ではない。それくらいにマックスの目から見ても二人の仲は良い。


 遠目に睨まれているのをマックスが気付いたのに向こうも気付いたのか、休憩中だったらしいフェリックスは鼻を鳴らすようにして自らの剣を手に取るとくるりと背を向けた。


 しかも何故かその際にふっと笑った。唇の片端を吊り上げるようにして。


「……何だ、今の余裕の笑みは」

「余裕と言うより、どこかざまあ~な感じがしましたが」


 ライリーからの指摘にも、どうしてそうされるのかはわからない。わからない……が、とにかく生け簀かない奴だと言う思いを強くした。


 マックスがその笑みの理由を知るまでそれ程長くはかからなかった。





 マックスが帰ってから私は念のため部屋中を引っくり返して破談書類を捜したけど、見つからなかった。


「やっぱり誰かがこっそり持ち去ったとしか思えない。でも犯人に心当たりはないし」


 屋敷の人間には誰も該当者になりそうな人はいない。


「内部じゃないなら、外部?」


 あ。一人思い当たった。


 面識はないけど、何かしら動機は見出せそうな相手が。


 そいつが手段を選ばずマックスを害するつもりなら、破談書類も何かに利用できるかもしれないと盗み出しておいたとしてもおかしくはない。


「マジックマスター・ロレンツ」


 確証はないけど、疑いはある。


「疑わしきは……よし、一度探ってみよう。伯爵令嬢として面会すれば向こうも下手に危害を加えては来ないでしょ」


 マックスには当然内緒。知れば心配をかけるだろうし、そもそも行かせてくれないかもしれない。うん、確実に危険だから行くなって止められる。


「自分の事は自分で、ね。……マックス様だって頼ってくれなかったんだし、私だってそうするわ」


 そんなわけで我ながら頑固だとは思うけど私一人で動こうって決めた。

 善は急げと、翌日には魔法具店に行った。三つ編み眼鏡の店主に頼んでテレポートや飛行の魔法具とか主に防御と逃走、潜入や隠伏に重きを置いた物を見繕ってもらった。


「お客様は今度は何をやらかすおつもりなんですか~?」

「や、やらかすって失礼ね」


 店主は悪びれる様子もなく私を見つめてくる。亀みたいに独特に睨んで来ないでほしい。私も正直後ろめたい。うぅ、誤魔化せないなあ。


「……実は魔法塔に行こうと思ってて、それで使える物が欲しかったんです。あ、マックス様には内緒ですよ?」

「魔法塔、ですかあ。差し支えなければですが、どうしてまた内緒でそんな所に?」


 店主の抑揚から魔法塔にいい印象を持っていないのを感じた。

 魔法具を作れる店主は勿論魔法使いだけど、魔法塔には属していなくて無所属なんだとか。

 魔法使いだからって必ずしも魔法塔に属さないとならないわけじゃないからね。現にマックスだって魔法使いだけど王宮に属している。どこに属するか或いはどこにも属さないかは自由だ。属する事で便宜を図ってもらえて生活や商売に有利になったりするから普通はどこかの組織に入るみたいだけど。


「訳あってマジックマスターに会いたいんです」

「ほうほう、ロレンツですか。しかしまあ彼は滅多に訪問者には会わないそうですよ。門前払いが落ちでしょうねえ」

「そんな……」

「どうして彼に会いたいんです~?」

「捜し物があって、彼に探りを入れてみようかと」

「ほえ~探りを? あのロレンツに? お客様も存外大胆思考の持ち主ですよねえ」


 店主は何故かいたく感心した。

 破談書を盗んだかもなんて憶測まではさすがに言えないけど、彼女は何かを察してより適した魔法具の数々を選んでくれた。


 ――そして数日後、侍女を抱き込んでの入念なお出掛け計画を立てた私は一人王都に入り、その広大な街並みの一角に聳え立つ魔法塔の門を叩いていた。


 テレポート魔法具で実家から直接門前まで飛んだから移動時間はほぼゼロ。帰りもその予定だ。

 私は屋敷にいると思われていて、侍女にもさも私がいるように食事やお茶の用意をして偽装してと言ってある。

 夕方までには帰る予定。両親や使用人達は言うまでもなく、夜に帰って来るだろう弟にもそれならこの前みたいにバレたりしないはず。

 マックスに言った通り家族には私達は婚約解消したと思わせている。


 例外は可愛い弟フェリックスね。私の愚痴とか悩みをいつも聞いてくれて励ましてくれる彼だけは本当の事情を知っている。


 まあ可愛いと言っても体は彼の方がずっと大きくなったけど。


 魔法塔は塔と言うだけあって、首の痛くなる角度で見上げた天辺は遥か上。古色蒼然とした灰色石造りの建築物だった。

 フェリシア・ウェルストンとして正面からロレンツへの面会を申し込んだけど、店主の言っていた通り門前払いされたので予定通り魔法具で潜入する事になった。


 店主は私の魔法塔行きに私以上に張り切って色々と用意してくれた。実力を知るいい機会とかぎゃふんと言わせてやるとか息巻いていたけど、過去に何か個人的なトラブルがあったのかな?


 門から一旦見えないように離れた私は、早速と特殊なフードローブを羽織った。姿が見えても魔法塔の仲間の誰かって認識する魔法具なんだとか。現に門番は元よりすれ違った誰にも不審者だと怪しまれたり引き留められたりはしなかった。

 念のため目元以外はフードに覆面で隠した明らかな不審人物なのにね。ホント凄いアイテム~。店主が本来はとても値段が高いのを今回だけ特別にと安くしてくれたのよね。


 その代わりにロレンツの部屋にこっそり手紙を置いてきてほしいとのリクエストを受けた。お安い御用よ。


 件の男の部屋は最上階だって店主から聞いた。どうしてそんなに詳しいのかは詮索しなかったけど、有用な情報には感謝ね。


 その他にも店主から教えてもらった道順で距離をショートカットする魔法の階段なんかを使って難なく最上階へと辿り着いた私は、荘厳な景色に暫し絶句した。


 だってそこには燦々とした日の光の降り注ぐキラキラとして美しい聖堂が広がっていたんだもの。


 明かり取りの窓でさえ極めて少ない魔法塔にこんな明るく綺麗な場所があるとは思わなかった。ロレンツは敬虔な男って聞いたのを思い出す。確かに自分の執務室をこんな風にしてしまう辺り説得力がある。


「……って、圧倒されていられなかったんだ。誰もいないのは天の助けね。今のうちに破談書を捜さないと」


 私は近くの机に目立つようにして店主の手紙を置くと、次に荷物の中から掌に乗るキューブを取り出した。これも店主から買った物で狭い範囲でなら高精度で失せ物が捜せるみたい。この聖堂くらいの広さなら余裕ね。


「私の婚約破談書を見つけて」


 指先を針で少し突いて出した血をキューブに垂らすとそう言葉にした。すると血が染み込むや音もなく霧散したキューブが魔法の光になり聖堂一帯に拡がった。破談書があれば光はそれに集約するそう。


「え、うそ……」


 だけど光はどこにも集まらずにそのまま空気に溶けて消えてしまった。


「ここにはないって事……? 犯人はロレンツ卿じゃないかもしれない?」

「――どちら様かな?」


 不意の声に思わず飛び上がった。

 声の方を慌てて振り返ると聖堂の入口に男が一人佇んでいる。

 長い銀髪を背に流した若く見目麗しい男が。

 魔法使いの年齢は見た目通りじゃないって聞いているから定かじゃないけど、外見のみで判断するならもうすぐ二十歳のマックスより二つ三つ上そうだ。

 銀髪だし自由にここに入ってきたって事は、彼が話に聞いていた塔主のロレンツね。

 どうしよう、魔法塔の仲間って認識されているだろうし手紙を届けに来たって言って無難にやり過ごせるかな。実際手紙を届けたんだし嘘にはならない。そうやってここを出たら即刻テレポートよ。


「巧妙な魔法を使っているけれど、君は魔法塔の者ではないね。どこの所属で、何をしに来たんだい?」


 なっ!? モブ認識させる魔法を使っているのに見破られた!


 ――逃げなきゃっ!!


 とっさの思考で長距離逃走用のテレポート魔法具を取り出して使おうとした。


「ふうん、挨拶もなしに逃げるつもり?」

「――!?」


 離れていたはずなのに、いつの間にかすぐ前にいた。

 彼は実力のある魔法使いだ。一瞬でテレポートするのもお手の物に違いない。

 強く手首を掴まれ振りほどけない。マックスの暗殺を目論む相手なのだ、捕まったら何をされるかわからない。恐怖心がせり上がる。


 このテレポート魔法具は使用者たる私の血を付けるって発動条件があるから手を掴まれていては発動させられない。どうにかして逃げる方法はない?


 その時だ。手紙を置いた机の上に見覚えのある小瓶があるのが目に入った。


 今更気付いたけど、え、これって惚れ薬? どうしてここに? ロレンツには片想いする相手がいるの?


 わからないけど、確かこれ激マズだったよね。


 要は相手の隙さえ作れればそれでいいと、私は小瓶を引っ掴んで歯で蓋を取り払うや相手の顔へと投げつけた。狙い通りに液体薬が彼に飛び散った。


「うっ、くっ、何だこの味……っ!」


 味覚に悶絶して緩んだ相手の手を振りほどき、私はテレポート魔法具を発動させる。


「待つんだ!」


 相手はグロテスクな顔色で口元を手で押さえ、まさに逃げようとするばかりの私を見た。ああうん、すっっっごくマズいもんねそれ! 同情する。謝罪はしないけど。


 目元だけを出していた私の目と彼の目とが合う。


 私はハッとした。やばっ!


 惚れ薬の発動条件は飲んで最初に目を見た相手だったはず。

 幸い、咄嗟に顔を背けた瞬間には私はもうテレポートしていた。追跡妨害の機能は付与してあるけど万が一追跡されてしまっては困るからと行き先を魔法具店へと指定して。何事もなければ自宅に直帰だったんだけどね。


「ふう~。に、逃げられて良かったあぁ……」


 大丈夫よね? フード被って覆面していたし、人相は知られなかったはずだから。緑っぽい目の色の人間もそう珍しいわけでもないし。


「おや、お帰りなさいお客様」


 戻った私を見つけた店主が近寄ってきて、私はあった事を話して聞かせた。捜し物はなかったと、そして手紙をちゃんと置いてきたと。

 ……それから、惚れ薬があって逃げるために彼に掛けてしまったと。


「大丈夫ですよね? 向こうも凄い魔法使いなんですし、効能を消すのもできますよね?」

「きっとそこは平気ですねえ、何しろマジックマスターですからねえ」


 ほ、良かった。


「私の素性もバレていないですよね?」

「顔を見られていないのでしたらおそらくは。ですが、念のためこの店には暫く顔を出さない方が宜しいかと。手紙をお願いしましたよね。あれを開けば私からだと向こうも知るでしょうからね」

「なるほど。わかりました。そうします。色々とありがとうございました」

「いえいえ~。あ、そうそうどうぞこれを。失せ物捜しの魔法具です。捜し物はお客様にとって重要な物のようですし、サービスですよ」

「て、店主さん……好い人っ」

「ほとぼりが冷めた頃にでも、またのご利用をお待ちしていますね~」


 重ね重ねお礼を言って私は店を後にした。

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