赤を入れる

天井 萌花

第1話 大好きな魔法

 朝、少しずつクラスメイトの集まってきた教室の中。

 あたしは自分の席に座って、いつもポーチに入れてる四角い鏡と向き合ってた。

 

 くるくると蓋を回して、細くて白い筒を開ける。

 これはクリアマスカラ。透明の液で、セットしたまつげのカールが崩れないようにするもの。

 容器の縁でコームについた液の量を調整して、ゆっくりと目元に近づける。


 まつげの根本に当て、ジグザクと横に動かしてから――すっと引き抜く。

 反対の目でも、もう一度同じ作業。

 一度鏡を遠ざけて、左右のバランスを確認。よし!

 マスカラの蓋を閉めてポーチに戻すと、一気に緊張が解けた。


「ふぅ……。」


 もう一度鏡を顔に近づけて、しっかり睫毛が上がっているのを確認する。

 睫毛が上がったお陰で目が大きく見えるし、今朝書いた涙袋もいい感じ。

 二重線はくっきりで、ローズピンクのリップは自然に血色をよくしてくれてる。


 ――よし、盛れてる。今日のあたしも、最高に可愛い!


 いつもの呪文で魔法をかけて、ポーチを鞄にしまった。

 あとは夕方まで、このビジュアルが保てることを祈るだけ。


「おはよー、え、夢愛ゆあい! 今日のリップ可愛いー!」


 教室に入ってきた友達が、あたしを見て目を輝かせた。

 続けて入ってきたもう一人の友達にも、「ねえ夢愛のリップ見てー!」と嬉しそうに言っている。


 今日のメイクは、遠くからでもわかるくらいバッチリみたい!


「おはよー! 嬉しい、ありがとー!」


 そろって近づいてきた二人に、あたしはにこっと笑ってお礼を言った。


 今日は、リップの塗り方にこだわってみたの。

 すぐに気づいてもらえて、ふわふわしていた気持ちが、もっと高くまで舞い上がった。


「どこのリップ使ったの? 色は昨日と同じよね」


 カバンを置いた二人が、まじまじとあたしの唇を見てくる。


「昨日と同じリップだよ。ちょっと塗り方変えてみたの!」


 人差し指を唇に当てて、ちょっと自慢するように言ってみた。

 昨日動画サイトで見た、リップ一本でグラデーションを作る塗り方。

 それがすごく綺麗で、さっそく真似してみたの。


「えぇ、塗り方だけでそんな変わる!?」


「別のみたーい! すご、今度教えて!?」


 そんなに褒めてもらえると、ますます嬉しくなっちゃう。


 妹にも見せたけど、妹はメイクに興味がないから、棒読みで「よかったねー」と言ってくるだけなんだ。

 だから家では全然、そんな話できない。

 でも――学校に来たら、みんなでこうしてメイクの話ができる。

 それが嬉しくて、この高校選んでよかった! って思った。


「いいよ、任せて! 早紀さきはツヤ系のリップ使ってるよね? 雛乃ひなのはリップスティック使ってるイメージなんだけど……リキッドタイプも持ってる?」


 早紀さきは可愛らしい印象の子で、色んなタイプのメイクを楽しんでる。

 今日はあたしがつけているのと似たような、ツヤ系のリキッドルージュをつけてるみたい。


 雛乃ひなのは背が高くて大人っぽい子で、いつもベージュメイクがよく似合ってる。

 リップもいつも同じで、ほんのり発色するシアー系のリップを使ってるイメージ。


「ある! 明日持ってくるわ」


 少し考えた雛乃が、にこりと笑って言った。


 雛乃が使ってるのでも同じことができるかもしれないけど、試したことないからわからない。

 だから雛乃が別のも持ってて、かなり助かった。


「よかった! じゃあ明日の朝、塗り方教えるから」


「助かるー。わたしもいつものリップ持ってくる!」


 高校に入学して、早一週間。

 出会ってすぐにしては、早紀とも雛乃とも、かなり仲良くやれていると思う。


 まだお互いのことを良く知ってるわけじゃないけど、こうやって少しずつわかってきた。

 ……といっても、メイクやコスメのことばかりなんだけど。


 禁止の学校も多いけど、あたし達の高校では、学校でメイクをしてもオーケーなの。

 あまりにも派手すぎるのは禁止らしいけど、普通に身だしなみを整えるには困らないくらい。

 あたしがこの高校を選んだのも、それが決め手。


 中学の時は禁止だったから、好きにメイクができるようになって嬉しい。

 それはあたしだけじゃなくて、みんなもそうみたいだった。


 大半の女子生徒がメイクをしてるし、みんなお互いのコスメやメイクの仕方について、楽しそうに話してる。

 中学の時から休みの日に楽しんでた子もいれば、高校生になってからメイクを始めた子もいるみたい。


 メイクの話をすることが、メイクで更に可愛くなったみんなが、キラキラした目が、この雰囲気が。

 あたしはすっごく心地よくて、大好き。


「えー、桜庭さくらばさん、メイクしてないの!?」


 斜め後ろの方から、突然驚くような大声が聞こえてきた。

 続いて、「う、うん。そうなの……」という控えめな声。

 誰かはわかっているのに、つい振り返っちゃった。


 姿勢よく席に座って話しているのは、“可憐”という言葉があまりにも似合う――似合いすぎる、女子生徒。

 艶のある黒髪は胸元でぴったりと揃っていて、絡まり一つない。

 細身だがスタイルがよくて、しっかりブレザーのボタンを閉めてて真面目そう。

 優しそうな瞳も、それを縁取る睫毛も真っ黒。

 落ち着いていて大人っぽい――けれどどこか可愛らしさもある、美人な女子生徒だった。


「えー、マジか! ノーメイクでその顔面偏差値とか……歩くプリ機じゃん!」


 驚いて声をあげたのは、その子の前に立ってる別の女子生徒。


「あ、あはは……ありがとう」


 声の大きな子に迫られて、“桜庭さん”と呼ばれた子は、整った眉を困ったように下げている。

 その仕草までもが可愛くて、羨ましいな、なんて思っちゃう。


「桜庭さん、本当にメイクしてないんだぁ……超ナチュラルに見せる秘訣とか、あるんだと思ってたね」


 早紀も一連のやり取りを見てたみたいで、驚いたように呟いてる。

 ないよ、そんなの。あるかもしれないけど――少なくともあの子は、そんなことしてない。


「……あたし、咲良さくらと幼稚園の時からずっと一緒だけど……昔っからあんなよ」


 あの子の名前は、桜庭さくらば 咲良さくら

 芸能人顔負けのルックスと、語呂の良すぎる名前も相まって――本当に同じ次元に存在しているのか、つい疑いたくなってしまう子。

 あたしと咲良は家が近くて、いわゆる幼なじみ、というやつなの。


 でも――


「――あいつがメイクしてるとこ、見たことない」


 優等生な咲良は、中学校にメイクをしてくる、なんてことはもちろんない。

 休日に偶然見かけたこともあるけど、その時もメイクはしてないみたいだった。


 元から整ってるから、色を加える必要なんてないんでしょ。


「そーなの? やってみてほしいわね。赤リップとか似合いそうじゃない?」


「確かにー! 今日の夢愛の塗り方してさー!」


 ――好き勝手言わないでよ。


 と、楽しそうにはしゃいでいる2人に、怒ってしまいそうになった。

 あたしはなんとか棘のある言葉を飲み込んで、ぎゅっと唇を引き結ぶ。


「ね、夢愛、桜庭さんと仲いいの? ちょっと声掛けてみてよー!」


「……無理。仲良くない。」


 能天気に言われて、イラっときてしまった。

 自分の声が低くなったのを感じて、慌ててトーンを上げる。

 可愛い笑顔を作って、誤魔化すように顔の前で手を振った。


「ごめんー、昔は仲良かったけど、今はあんまり絡みなくて……。咲良、あんまそういうの興味ないみたいだし、やめとこ!」


「あー……そっか。そうね」


「ごめん、勝手言って……」


 雛乃が、心配するようにあたしを見てくる。

 早紀は悲しそうに顔を曇らせた。

 必死に誤魔化したつもりだったけど、不機嫌だってバレちゃったかな。


 咲良は、メイクをしない。

 あの子はそんなものに興味ないし、素で可愛いから、そんな必要がない。

 


 ――本当は一度だけ、見たことがあるのだけれど。

 その話を二人に教える気には、どうしてもなれなかった。

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