第3話 忘れたい思い出

 今日もあたしは、部活動見学に行かないで、まっすぐ家へ帰ってる。

 3、4限で部活動紹介の時間があったんだけど、ピンとくる部活がなかったの。

 無理にやっても続かないだろうし、もう帰宅部でもいいかなって思ってる。


 うん、今日は睫毛が上がったまま。

 新しいマスカラ、当たりだったかも!


 昨日より朝の状態が保たれている睫毛を確認して、ミラーをしまう。

 前を向くと、少し先を咲良が歩いていた。


 ……咲良も、部活入らないのかな?


 有り得る。中学の時も入ってなかったし、高校でも入らないのかも。

 咲良なら、勉強に専念したいとか、そんな最もらしい理由を掲げてそう。

 適当に決めたあたしとは違って、真面目に考えた結果なんだろうな。


 なんて考えてると、咲良がくるりと横を向いた。

 方向転換をした咲良は、ドラッグストアへ歩いて行く。


 帰らないの? 昨日いたのに、今日もドラッグストアに行くの?


 昨日買わなかったとはいえ、2日連続で行く?

 そんなにすぐに入荷しそうな物が欲しかったのかな。

 早くほしいなら、他のお店に行けばいいじゃない。

 それとも今日も見るだけか、別の物が目的かな。


 あたしは足を止めて、少し迷ってから――自分も身体の向きを変える。

 どうしても気になって、咲良を追いかけることにした。


 咲良がドラッグストアに入り、自動ドアが閉まる。

 しばらく待ってから、あたしも店内に入った。


 薬が並ぶ棚を通りすぎて、真っ直ぐコスメ売り場に向かう。

 そこには昨日と同じように、咲良の姿があった。


 やっぱり真剣な顔で、じっと商品を見つめてる。

 全く動かなかった咲良が、そっと棚に手を伸ばした。

 白くて長い指が、1本のリップに触れる。

 シンプルなパッケージの説明を、真剣な顔で見てるみたい。


 やっぱり、咲良だって、メイクに興味があるんじゃない。

 本当はメイクしてるのかな。それとも、やってみたいの?


 ――似合わない、なんてそんなふざけたこと、本気で思ってる?


 そのまま静かにリップを見てた咲良が、ふっと息を吐いた。

 握ってた商品を棚に戻し、歩き出す。

 そのまま、今日も何も買わずに出て行った。


 コスメ売り場に行って、咲良の行動をなぞるように、さっき咲良が持っていたリップを手に取る。

 深い赤色の、リキッドタイプのリップだった。


 リップ、それもリキッドタイプの物を見ていたのは、朝の事があったから?

 あたしたちが使ってたのと、似たものを探してた?


 それに色は――やっぱり赤。


 マスカラ、アイシャドウ、アイライナー、ファンデ、チーク、リップ……。

 キラキラと輝く、可愛いコスメが並んだ空間。

 あたしは、この商品棚を見ているだけで、ぱぁっと心が明るくなる。


 リップでとびきり可愛くなった、今朝の早紀と雛乃の目は、キラキラと輝いてた。

 まるでコスメの輝きが、色と一緒に、顔についたみたいに。


 だけどさっきの咲良の目は――何だか暗い色をしていた。

 星の見えない空のように曇ってて、輝きなんて……全く見えなかった。


 商品を棚に戻すと、はぁっと大きな溜息が出る。


「……馬っ鹿みたい」


 誰に聞かせるわけもなく呟いて、店を出た。


 また、昔の記憶を掘り出しちゃった。

 忘れたいのに、咲良がずっと忘れてくれないから――いつまで経っても、過去にできないじゃない。


 今は、咲良を見ると「気まずい」と思ってしまうけど。

 昔は、咲良と一番仲がよかった。あたしは咲良が一番好きだったし、多分咲良も、一番あたしが好きだった。


 そんな仲を、好きを壊してしまったのが――赤いリップと、あたしの軽率な発言だった。








 小学校4年生の時。


 あたしは誕生日、ママにキッズコスメのセットを買ってもらった。

 ママと一緒に選んだ初めてのコスメは、宝石よりもキラキラと輝いてて、とっても嬉しかった。


 コスメの入ったボックスを抱えて、大きな鏡の前に座る。

 ピンクのチークを乗せると、ほんのりと頬が色づく。

 石鹸の香りがする薄づきのリップスティックを唇に塗って、はがせるマニキュアを両手の爪にベタ塗り。


 今思い出すと、子供の遊び。

 それでもあの時のあたしはあたしにとって――どの映画のプリンセスよりも輝く、可愛いお姫様だった。


 お姫様になれたのが嬉しくて、すぐに咲良の家に行った。

 可愛いあたしを、可愛い咲良に見て欲しかった。


『わあ、夢愛ちゃん可愛い! お姫様みたい!』


 玄関ドアを開けて出てきた咲良は、あたしを見るなり、目を丸くして言った。

 まん丸の大きな目に星が煌めいたことも、よく覚えてる。


『でっしょー! メイクしたの!』


 あたしがちょっと自慢するみたいに言ったら、咲良はすぐ近くまで駆けてきて――ぎゅっと抱きしめてくれた。


『すごい、とっても似合ってる、素敵! メイクするって、どんな感じ?』


 鼻先が触れそうな距離で、咲良は興奮したように弾んだ声で言った。

 褒めてもらえたのが、可愛い咲良に可愛いと言われたのが、咲良の笑顔が、コスメよりもキラキラと輝いていたことが。

 嬉しくて、あたしは本当に沢山、初めての体験を話した。


『……私もメイクしたら、夢愛ちゃんみたいに可愛くなれるかな?』


 あたしの話を聞いていた咲良が、少し眉を下げて言った。


 咲良はあの時から、クラスで一番可愛かった。

 可愛くて勉強ができて、おまけに優しい、完璧な子。

 なのにあまり自分に自信がなくて、よく困った顔で、こんなことを言ってた。


『咲良は、そのままでも最高に可愛いよ! あたしが言うんだから、間違いないでしょ!』


 だからあたしは咲良の頬を撫でて、力強くそう言ってた。

 すると咲良は明るい顔で笑って、『そうだね、ありがとう!』って言うの。


 あたしは小学校に入学してすぐ、咲良に話しかけて友達になった。

 咲良は人見知りが激しくて、大人しい子だったけど。

 やっぱり1年生の時から、とっても可愛かった。

 綺麗な咲良と友達になれたのが、あたしの小さな誇りだった。


 咲良は、あたしの親友。

 それと同時に――あたしが最初に見つけた、完成された芸術品だった。





 あたしはそれ以来、すっかりメイクに夢中になった。


 そんなあたしが発端になって、クラスでキッズコスメが流行った。

 みんなにとっては、あたしがインフルエンサー。


 どれが可愛いとか、どうやって使えばいいとか、沢山質問されるの。

 あたしがメイクをしてあげると、みんな喜んでくれた。

 みんなの顔がキラキラになるのが嬉しくて、大人になったらメイクアップアーティストになりたいな、って思ったんだっけ。


 学校が終わったら、みんなでコスメを公園に持ってくる。

 塗り方を教えたり、マニキュアを貸しあって、爪によって色を変えたり。

 キラキラ輝くあの時間が、大好きだった。



 あれはある日、あたしが友達にマニキュアを塗ってあげていた時。

 他の子たちが、『可愛いー!』だなんて、いつもの数倍楽しそうな声をあげていた。

 全ての指に塗り終えてから、みんなの方を見ると――あたしの時間が止まった。


 みんなに囲まれてたのは、とっても可愛い女の子。

 真っ黒な髪と白い肌に、赤く色づいた小さな唇がよく映える。

 人形――いや、絵画のような、本当に綺麗な子だった。


『夢愛ちゃん! どう、似合ってるかな?』


 そんな綺麗な子――咲良は顔を輝かせて、あたしに駆け寄ってきた。

 咲良はコスメを持っていなかったから、いつもあたしにくっついて、みんなの様子を見てた。

 憧れてたんでしょ、それはわかってた。

 でも持っていないものは仕方ないし、きっと自分は上手くできないからって――。


『きっと似合うよって、みんなが選んで塗ってくれたの!』


 咲良はとっても嬉しそうに、にこっと笑った。

 うん、とっても可愛い。似合ってる。素敵。お姫様みたい。


 あの時咲良があたしに言ってくれた褒め言葉は、するりと浮かんできた。

 美人とか最高とか、他にも沢山。

 でも、その全部が喉に引っかかって、声にはならなかった。


『夢愛ちゃん……?』


 あたしが何も言わないから、咲良は心配そうに顔を曇らせた。

 どうしよう、何か言わなきゃ。咲良にこんな顔、させちゃだめ。


『――似合ってない』


 そうやって必死に喉を押して、出てきた言葉が――それだった。


『え……?』


 咲良はかなり驚いたようで、目を大きく見開いた。

 ああ、そんな顔しないで。笑ってる方が可愛いから。

 そんな顔をされると――泣きたくなってしまうから。


『――似合ってないよ! 全然……全っ然可愛くない!』


 波打つ感情のままに、声を荒げてしまった。

 ショックを受けたように、咲良の綺麗な瞳から、星が消える。

 それからその目を強く瞑って、引き攣った唇を開いた。


『……そ、そっかぁ。夢愛ちゃんみたいに似合うのって、難しいよね。…………私、そろそろ帰るね』


 あはは、と乾いた笑いを漏らした咲良は、くるりと出口の方を向く。

『咲良ちゃん!』と他の子が、焦ったように名前を呼んでる。

 咲良は聞こえてないみたいに、走っていっちゃった。

 あたしも引き留めようとしたけど――声が出なかった。


 あの日から咲良は、コスメやメイクの話には乗ってこなくなった。

 何となく謝れなくて、気まずくて、咲良を避けちゃって……そのまま。


 高校生になった今まで、ほとんど口を聞けてない。

 だめだってわかってる。

 わかってるけど……今更、どうしろって言うの?

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