第4話 メイクをするのは

 昨日の帰り道は、嫌なことを思い出しちゃった。

 それに真っ直ぐ帰ると、咲良さくらに会っちゃう。


 だから中々帰る気になれなくて、席から立ち上がれなかった。

 どんどん人が減っていく教室の中、あたしはぽつんと座って、ぼんやりとSNSを眺めてる。

 本当は誰かと喋りたかったけど、みんな部活に行っちゃうみたい。


「……夢愛ー? どうしたの」


 雛乃ひなのが突然、横から声をかけてきた。

 慌ててスマホから目を離して、声がした方を見る。

 長い髪をポニーテールに結った雛乃が、薄く微笑んであたしを見てた。


「雛乃!? 部活行ったんじゃなかったの?」


「行ったよ。でも、戻って来た」


 確かに雛乃は、もう体操服に着替えてる。

 制服も、通学鞄も、中学の時から使ってるらしいバスケシューズも持ってない。

 体育館に荷物を置いて、すぐ戻って来たみたい。


「何で……?」


 あたしが問いかけると、雛乃はニコッと、柔らかく笑った。


夢愛ゆあい、元気なさそうだったから」


「え……バレてた?」


 はぐらかそうと思った。

 心配かけたくないし、あたしが勝手に凹んでるだけで、雛乃には関係ないんだから。

 だけど言い訳しよう、なんて思えなくて――するりと、言葉が出た。


「うん。バレバレよ」


 雛乃はくすくすと笑って、あたしの隣の席に座った。

 優しい声で、「どうしたの?」と聞いてくる。


 ……いいのかな。相談しても、いいのかな。

 まだ会ったばかり。友達になったばっかり。

 それでも言ったって、いいのかな?


桜庭さくらばさんのこと?」


 あたしが黙りっぱなしだから、雛乃が控えめに聞いてきた。

 ――びっくりした。だって、当たりだったから。


「うん、そう……」


「やっぱり? バレてるよ。桜庭さんのこと見る時、すごく悲しそうな顔してたでしょ」


 雛乃に言われて、またびっくりした。


 顔に出てた自覚はあった。

 あたし、絶対怖い顔してる。怒ったみたいな顔してる。って、思ってたから。

 でも……悲しそう、って言われるとは思ってなくて。


 あたし、悲しそうな顔してたのかな。


「大丈夫?」


「……ねぇ、雛乃」


 雛乃の問いには答えないで、そっと名前を呼んでみる。

 そしたら雛乃は、「なに?」と、優しく聞いてくれた。


「雛乃は、何のためにメイクするの?」


 あたしが聞くと、雛乃はうーん、と考えるそぶりを見せる。

 少しの間唸ってから、あたしを見た。


「夢愛は? 夢愛が何でメイクするのか、先に聞かせて」


「あたしは……可愛くなるため」


 あたしは、可愛くなるためにメイクをする。


 下地やファンデで肌を綺麗に見せて、シェーディングやハイライターで、輪郭を綺麗に見せたり。

 アイシャドウで涙袋を作って、アイブロウで眉毛を整えたり。

 ビューラーでまつげを上げて、それをマスカラでキープさせたり。

 チークで頬に、リップで唇に色をつけたり。


 そうやって完成したあたしは、最高に可愛い。

 普通の家に生まれて、普通の学校に通う、ただの女の子が――一瞬で、お姫様になれる。


 だからあたしは、メイクをしてる。


「それだけ?」


「うん。それだけ」


 可愛くなるためのメイクなら、可愛い子には、必要ないでしょ?

 咲良は元々肌が綺麗だし、無理矢理陰影を作らなくたって、輪郭が整ってる。

 涙袋や眉毛を描かなくたって、まつげを上げなくたって、色を加えなくたって、可愛い。


 咲良はそのままで、完成された美しさを持ってる。

 だから、咲良はメイクなんてしなくていいって、思ってた。


「私も、可愛くなりたいから。でもそれは、一番の理由じゃないのよ」


「じゃあ、一番は何?」


 雛乃は悪戯っ子のように笑って、人差し指を頬に当てた。


「楽しいからっ!」


 雛乃の顔は、言葉の通り、本当に楽しそうだった。

 無邪気に笑った顔が、キラキラと輝いて見える。


「全員じゃないとは思うけど、きっとみんなそうだよ。可愛くなりたいだけじゃなくて、楽しいからメイクしてる」


早紀さきなんて、絶対そうでしょ?」と雛乃が付け足した。


 早紀は毎日、色んなメイクをしてくる。

 全部可愛くて似合ってるけど『やっぱり昨日の方が可愛かったな』なんて、早紀は楽しそうに言ったりするの。


「夢愛は、もし今よりもっと可愛かったら――例えば桜庭さんの顔だったら、メイクしてなかった?」


「……し……」


 しない、のかな?

 もしあたしが咲良の顔で生まれたら、メイクをしていなかったかな。

 しなくても充分可愛かったら、あたしはメイクをしない?


「――やめない。絶対やめない!」


 はっきりと、そう言い切れる。

 咲良の顔なら、メイクは必要ない。なくたっていい。

 でも大事なのは――やりたいかどうか。


 もし、あたしがもっと可愛い子に生まれていても。

 生まれた時から、メイクなしでもお姫様だったとしても。


 絶対あの日、あの誕生日のプレゼントは、コスメセットだった。

 だって、コスメのキラキラとした輝きに、惹かれないわけないもの。


「そう、そうだね。……絶対やるよ。だってあたし――メイクが好きだから! ずっと、憧れてたから!」


 可愛いかどうかなんて関係ない。

 コスメの輝きに、メイクをしたお姉さんに憧れて、手を伸ばしたくなってしまうのは――きっと、みんな一緒。

 咲良だってそう。憧れたなら、咲良も、メイクをすればいい!


「ありがとう雛乃! あたし、行かなきゃいけないとこある!」


 あたしは立ち上がって、鞄を肩にかけた。

 今すぐにでも、走り出したい。椅子をしまうのさえ、もどかしかった。


「行ってらっしゃい。気をつけてね!」


 大きく手を振ってくれた雛乃に手を振り返して、教室を飛び出す。


 咲良に、謝ろうと思った。

 今更、許してくれないかもしれないけど。


 許してくれなくたっていい。

 あたしのことなんて、嫌いだって言ってくれたらいい。


 でも、『ごめんなさい』と、もう一言だけ。

 どうしても、あたしは咲良に言いたいことがあった。

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