あなたは?

帆尊歩

第1話

夫のタダシが亡くなりました。

八十歳、わたしより七歳年上。

結婚したころは、理想的な年の差なんて言われていい気になっていました。

まだ良い時代で、会社は基本終身雇用で、よほどの失敗をしなければ、たとえ出世出来なくてもそれなりの生活は出来るくらいには稼げました。

だから生活設計ができた。何歳でこれくらいの年収、最低でもここまで稼げると。

そんな話をすると子どもたちは、驚くとともに、本当に羨ましがる。でも子供達の年代はまだなんとか、問題は孫たちが社会人になった時。


夫のタダシが三十二歳、わたしが二十五歳の時の結婚、わたしは妊娠するまでそのまま働き、二十八歳で最初の子供を身ごもり、そのタイミングで会社を辞めました。

あの頃は遅すぎる寿退社と言われ、円満に会社を辞めました。

それからは子育てが始まり、やっと手が離れそうになったころ、二人目が出来ました。夫のタダシは、ここがタイミングとばかり、住宅ローンを組んで、小さな家を買いました。結局その子が手を離れるまでの十年間、わたしは専業主婦をして、その後パートに出ました。

子供が大きくなってくると家が手狭になってきました。

夫のタダシは、家を売りもっと大きな家に住み替えました。

家を売ると住宅ローンを完済して、さらに五百万くらいもうけが出たので、それを頭金にもっと大きな家に住み替えました。

ローンは頭金を五百万入れたので、定年までの期間に設定しました。今と違ってそこに不安はありませんでした。タダシの定年まで十五年、月のローン支払いも、無理のない程度でした。

その後タダシはあまり出世はしませんでしたが、お給料とボーナスは何もしなくても昇級をして行ったので、わたしのパート代を足して繰り上げ、繰り上げで、定年の五年前に完済できました。

子供達も独立して、それぞれに家庭を持ちましたが、どうも私達のころとは趣が違っていました。でもさらにその子どもたち、まだ小さい孫たちの時代は私達では想像も出来ないくらいの過酷な社会になっている、そんな予感がありました。

わたしとタダシがおくっていたのは、裕福でもなく、貧乏でもない、普通の中流家庭だと思っていた物が、今の孫達の社会から見ると夢のような時代だったことが分かりました。

ローン完済の終わった持ち家で、そこそこの退職金と、年金でさほど不自由もなく暮らしていた私達の懸念は、どう暇を潰して行くかだけでした。

でもまわりからちらほら、介護だとか、認知症だとかの話しが出てくると、タダシがぼそっとわたしに言った言葉があります。

「認知症になる前に死にたいな」

「何それ、ちゃんと面倒はみますよ」と言った私に、タダシは複雑な笑みを浮かべ、

「頼むよ」なんて言っていました。

その頃からタダシに少しだけ変化が現れました。

若い頃から健康に気を使い、会社の健診なども積極的に参加していたタダシが、病院嫌いになりました。それでもわたしは好きにさせていました。若いころは健康に気をつかっていたので、その当たりの管理は出来ると考えていたので、自分で病院に行かないといっているなら、本当に必要ないんだなと思っていました。


「最近オヤジはどうなの」息子はたまに家族で遊びに来てくれます。可愛い孫と遊ぶことがタダシの最大の楽しみのようでした。庭で、孫娘と遊ぶタダシは、五歳の孫娘とまるで同級生のように声を上げて遊んでいます。

「あいかわらず。最近は病院嫌いになって、少しぐらい具合が悪くてもお医者に行かないのよ」とわたしは、少し困ったように言うと、

「まあ長生きしてくれよ」と息子も何気なく答えていました。

「あっそういえば、山本さん覚えている」

「ああ、オヤジの上司で飲み友達の。よく遊んでもらったな」

「その山本さんが認知症になって」

「そうなの、だってまだ」

「そうよ、お父さんの三つ上だから七十五よね」

「そうか。まあオヤジとお袋に何かあっても、安心してくれ」

「じゃあ、この家はあげないとね」

「いや俺も家買ったから、さとしくんも家買ったからな」さとしくんというのは娘の旦那です。

「住宅ローンとかは大丈夫なの?」

「まあ何とかね。さとしくんのところもね。まあ、心配しなくて良いよ。でも心配なのは」と言って、息子はタダシと遊ぶ孫娘を見つめました。

「あの子達が大きくなるころは」

「そうなのね」


それからのタダシは段々意固地になって、お医者はもちろん、電子血圧計で血圧すら測らなくなりました。

そんなタダシに異変が起きたのは八十を目前とした春でした。

散歩に出たタダシがなかなか帰って来ない。

どこかに寄り道でもしているんだろうと気にもとめませんでしたが、でも実はそれは家が分からなくなっていたのでした。その時は公園のベンチに座って、小一時間休んでいるふりをして、何とか記憶をたぐり寄せて帰って来ましたが、そんな事が何度か続くようになりました。

あんなにお医者に掛かる事をイヤがっていたタダシでしたが、認知症外来はなぜか素直に行くと言いだし、それについてはなんの問題もなくお医者に掛かることが出来ました。

認知症の治療は、今までのことが嘘のように積極的でした。

そしてタダシは、八十になって三ヶ月後に、あっけなく脳溢血で亡なったのです。


タダシは脳溢血で倒れて四日で帰らぬ人となりました。

治療のためさまざまな検査をしたところ、タダシの体はボロボロでした。

血圧は高く、血糖値なども糖尿病レベルの数値で、脳溢血も、血糖値の数値を考えれば当然の症状で、絶対に自覚症状があったはずだとお医者様は言います。そうです、タダシはなるべくして脳溢血になり、当然の結果として亡くなってしまった。

「体の不調は、旦那さんから聞いていなかったんですか?」何度も聞かれたセリフでした。

「いえ。具合が悪い時はありましたが、なにも言ってくれませんでした」

「そうですか。自覚症状は絶対にあったはずなのに」お医者様も首をかしげます。

あんなに若い頃は、少しでも具合が悪いときはお医者に掛かっていたのに。


四十九日がすぎて、落ち着くと子供達と話す機会がありました。

「不思議だよな、ちょうど認知症が出てきたタイミングで、脳溢血なんて」息子が言います。

「わたしはお母さんと一緒に介護しようと思っていたのに」と娘が言います。

本当に良い子達。

「お父さんはあなた達に迷惑をかけたくない、そんな思いが通じたのかもしれない」

「そんなお母さん」と言って、もうすぐ四十になろうとする娘が泣き出しました。息子も涙をこぼしている。


誰にも言えないこと。

タダシは自ら命を絶ったんじゃないかとわたしは思っている。

でなければ急に医者嫌いになった理由がわからない。

わざと長生きしないように、その証拠に、遺言や、その他の後始末が完璧に整っていた。


わたしは、子供達が帰ったあとタダシのいない家で、タダシの位牌に手を合わせる。


あなたは。

あなたは、自ら命を絶ったのですか?

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