改稿
洗面所の換気口から、雨の匂いと湿気を纏った冷風が降りかかってくる。
風呂で火照った頬をゆっくりと冷やしてほしくて、風の通り道の真下である壁に凭れかかった。
気だるげに顔を上げると、窓際の電波時計は午後二時過ぎを指していた。こんな雨の日だというのに先回りしてプラごみを出しに行って、当然ながら濡れてしまったので早々と風呂に入ったのだ。
五連勤を経てようやくの休日である。そうだというのに、身を包んでいるのは最近買ったワンピースでも流行のファッションでもなくオーバーサイズのTシャツと五分丈のズボンという彩色に欠けた全身灰色コーデで、大して拭き取りもしていないため濡れたままのミディアムヘアが、徐々に肩を冷やしていく。
洗濯機の上に置きっぱなしになっていたスマートフォンを手に取ると、動きに反応したのか画面が明るくなる。薄暗い部屋であったから、些か眩しく感じつつもロック画面を見遣ると、友人からメッセージが届いていた。大方、来週以降で空いている日はあるかというような内容だろう。
多湿のせいか指紋認証では開かなかったので、面倒に思いつつもパスワードを打ち込む。予想通り、来週どこかに遊びにいこうという内容だった。
『いいよ』
行き先も聞かないまま快諾した。自分で言うのも何だが、友人が多い方ではない。このように遊びに誘ってくれる存在は貴重なのだ。
返事に既読が付くよりも先にタブを閉じて、スマホをまた洗濯機の上に置いた。
社会から受けるラベリングも世間体の良し悪しも、くだらないと思っていた。何もくだらなくなどなかったと、今となっては思う。
二十七歳、アラサー、独身。恋人とは半年前に破局、今は独り暮らし。一度転職しており、今はブラックではないがホワイトかと訊かれると肯定しがたい会社の、庶務に所属する若手社員。仕事はしなくていいならしたくない、恐らくバリキャリとはかけ離れた存在だろう。
特に秀でたものがあるわけでもなく、しかし特筆するほど劣っていると言えるものがあるわけでもなく、上位互換も下位互換もいるであろう、凡の人である。同じ部署の中で例えるなら、私より格段に有能な後輩と、明らかに事務職に向いていない私の同期の、その間に挟まり関係を何とか取り持つクッションだ。居心地があまり良くないのは、会社の立ち位置もあるが、そもそも私がそのような生き方しかできないからだろう。
相手の顔色ばかり窺って、へらへら笑って、当たり障りのない返事をして、長いものに巻かれ世間の波に流されるまま生きることができたら楽なのだろうと考えて、そのくせ巻かれ流されるようになったら「こんな人生に嫌気が差す」だのと宣う。
洗面台の鏡に映った顔は、部屋が暗いせいもあってか、自分でも驚くほど生気がなく、ひどく窶れて見えた。これでも、流行のメイクとファッションで取り繕えば何とかなっているように見えるのだから、なんだか面白い。
元恋人のことなど吹っ切れているくせに、ふとした瞬間に当時の生活の様子が蘇る。馬鹿馬鹿しくて反吐が出そうだ。だが、何か少しでも反応を見せてしまったら、何に対してか自分でも分からないが負けな気がして、努めて無表情を保つのだった。洗面所に並んで朝の支度をしていたのも半年前だ。もう六度カレンダーを捲っていることになる。今さら思い出してどうする。無益どころかマイナスだ。
虚勢ではない。断じて虚勢などではない。そのようなことを心中で何度も繰り返し呟いて、終いには気疲れして溜息が零れた。
まだ一日が終わる気配は遠い。少し開けたすべり出しの窓から、雨音に混じってピアノの音色が聴こえる。こんな雨の日に月光を、と掠れた声で呟いて初めて、そのメロディが確かに月光ソナタのものであると気づく。完全に無意識だった。このアパートの住人である誰かが弾いているのだろう。六畳二間の自宅に置くのだから電子ピアノが丁度いいであろうに、外から漏れ出る音色はやけに音質がいい。まさか木製のピアノなのだろうか、だとしたら音楽に熱心な人なのだろう。
演奏に傾聴しながら次々に思考を巡らすが、私はさして音楽に学のある人間ではない。専ら聴くばかりで、ピアノに触れたことなんてほんの一度や二度だ。楽曲に対する知識も浅い。学生時代に音楽の授業で知ったものは辛うじてぼんやりと覚えているが、それらを除外すれば殆ど無知に近い。
ただ、どうやらこのベートーヴェンの月光だけは、否が応でも身体が先に反応してしまうらしい。胎教として聴かされていたと言っても、あながち間違いではない。
月光ソナタを第三楽章の最後まで弾き切って、ピアノの音色はそれきり止んでしまった。
再び静まり返った小部屋に籠ったままでは、そのうち耳鳴りでも聞こえてきそうだ。このあと何をしようかと考える。数瞬の逡巡の結果、「また外に出よう」という結論に至った。先程ゴミ出しに行って濡れてきたというのに、どうにも懲りない性分らしい。
大半の人間が「家に居たい」と言うであろう天気の日は、外に出たくてたまらなくなる。その衝動がただの幼い逆張り精神なのかと訊かれても、答えられずに黙り込んでしまう自信があった。衝動は衝動であって、私はこれを衝動以外の何かで形容することができないのだ。
やりかけのゲームは何本も残っており、積読も気が滅入るほどあるというのに、こういう時に限ってやる気が起きない。変なところでちぐはぐなのが、私の常であった。
外に出てすぐ、深呼吸をした。
重苦しいような雨の日の空気が、私の身体を引き留めるかの如く付き纏う。
目的地を定めることなく適当に道なりに進んだ。脇にあった小さな公園。住宅街にひっそりと佇む、年季を感じられる個人経営の店。見渡す限り誰もおらず、静寂と喧騒が併存するこの辺り一帯の空間で私だけが生きているようだと、うっかり錯覚してしまいそうになる。
アスファルトと傘に打ちつける雨音の合間から、またピアノの音色がした。
三拍子のリズムからしてワルツのようだと、辛うじて察することができた。メロディを聴き取れたとして曲名など分からないというのに、足を止めて耳を澄ます。
まともにピアノを習ったことがあるわけではないから、体系的な知識は乏しい。だが、思い出と感慨があった。
──孫バカだと思うかもしれないけれど、美咲にはきっと才能があるから、ピアノを学んでみるのはどうだろう。
昔、祖父が生前このように訊いてきたことを覚えている。
まだ彼のその孫娘は小学生だった。幼いながらも私は「才能」が誰しもに何かしら与えられるとは限らないものであると理解しており、自分がその「無い側」であると考えていた。まさか、私にそんな素晴らしいものが備わっているはずがない。悔しさも全く無しに断言できてしまうほどだ。ダメダメだというほどの失敗体験を繰り返してきたわけではないが、何かポジティブな可能性をうっすらとでも見出せるような成功体験を得たことは一度もなかった。
ピアノは聴くだけで十分だから、と断った。あの日弾いたのは単なる気まぐれとも言えるし、今生の別れになるかもしれないと心のどこかで察していたのもある。
嘘でも前向きな回答をしなかったことを、正直後悔している。私の返事に少し寂しそうな笑みを浮かべた祖父の顔を見たあの日から十数年、思い出すたびに何となく胸が痞(つか)えるような感覚に見舞われる。
それに加えて、中途半端な私は自分の発言に対して無駄に律儀になってしまって融通が利かないのだ。あの日あのようなことを言ったからと、それを理由にしてピアノに向き合うことはなかった。あの日、「やってみようかな」と答えていたら、大した趣味もなく味気ない人間にはなっていなかったかもしれない。大人になって分かったことだが、大人になればなるほど、新しいことを始めるのが難しい。
祖父は毎日ピアノを弾いていた。どうして一日も欠かさずやるのかと問えば、「音楽家のように上手くはないから、老後の趣味と脳トレを兼ねているんだ」と晴れ晴れとした笑みで答えていたが、今思えばあれは夢半ばで諦めた青少年のようで、けれどそれにしてはやけに清々しいさまであった。
私は祖父母の家に訪れるたびに彼の演奏を聴き、何年もかけてゆっくりと衰えていく様子を、その指さばきや音色から感じ取った。指の動きの強かさ、伸びのある音色、細やかでありつつ正確なリズム。それらが、ひっそりと褪せていく。
なんと儚く、寂しく、残酷なことだろうかと、祖父の横顔を眺めながら他人事のようにそんなことを繰り返し考えていた。
祖父自身も耄碌を自覚していただろうに、上手く弾けなくなる箇所が増えるたびに苦しかっただろうに、それでも頑なに弾き続けた。まるで己が生まれ落ちた理由はここにあるのだと信じてやまないかのように、彼は指が上手く回らず鍵盤上で転けるようになっても、車椅子生活になって思うようにペダルが踏めなくなっても、片手でメロディをなぞるだけになっても、毎日欠かさず二時間以上、ピアノに触れていた。父はその背中を見ては、ある種の狂気だとぼやいていた。
歳を取れば取るほど人がボケるのは、忘却こそが死に対する自己防衛であるからなのだと、どこかで耳にしたことがある。祖父は事切れるまで終ぞ朽ちなかった。認知症などとは不気味なほどに縁遠い老人だったのだ。忘却が自己防衛というのが真というのなら、やはりあの背中には狂気が宿っていたのかもしれない。
祖父の死後、彼の半生を共にした相棒のアップライトピアノは、親族の手により何の感傷もなしに売り払われた。彼が遺した唯一曲の楽譜は私の手に渡ったが、渡っただけだ。私が音楽と触れ合ったのはそれきりだった。
最寄り駅の構内にあるチェーン店のカフェに入った。シックな色合いでやや薄暗い店内は、天候のせいで普段よりずっと閑散としていた。濡れた靴が高い音を立てるのが気になって、雨の日のフローリング上では慎重に歩を進めがちになる。
ウェイティングリストに辿り着くより先に店員に声をかけられ、窓際の席に通された。いつものこの時間帯は混雑しているため九十分の時間制限が掛けられているのだが、今日は時間制限がないという説明を受けてから、私は深紅のソファに身を委ねた。窓に雨粒が鋭く叩きつけられている。こんな悪天候の日に客が来る方がおかしいのかもしれない。よく歩いてきたものだと、先程までの二キロ弱の散歩道を振り返る。随分ぼんやりとしていたから、履いてきたジーンズは膝丈までぐっしょりと濡れていた。
メニューをパラパラと適当に捲って、何となく顔を上げる。当然ながら向かいの席には誰も座っておらず、私の傍にある深紅と同じ色をした背凭れがこちらを見つめている。
この店には高校時代から通っていた。元々は、高校の最寄り駅だったのだ。大学に通う際にこの近辺に引っ越してきて、それからはずっと自宅の最寄り駅だ。頻度こそ大したものではないが、私の言う「カフェ」とは、駅構内にあるため電車の音やらアナウンスの声やらが響いているシックな色合いの店舗のことを指す。とても落ち着く。
何となく持ってきたトートバックから半透明のクリアファイルを取り出す。ポリプロピレンの合間から、プラスチックらしからぬ匂いが微かに漂う。使い古した本と同じだ。
楽譜である。
祖父が使っていたものである。人の一生に近い年月をかけて黄ばんで皴のある紙には読みづらい達筆が黒鉛やらインクやらで記されており、遠目に見たら作曲家が母語でメモした跡のように見えなくもない。
音楽とは言葉を探している愛である、という誰かの名言を、学生時代に耳にしたことがあった。現代国語の授業中だった気がする。高校二年生の頃の担当教諭は音楽に長けている人だった。授業のたびに生徒に音楽関係の話を紹介してきたことを覚えている。何年も前に祖父は亡くなっていたが、この言葉を聞いてすぐに彼の顔が思い浮かんだ。
「君たち学生諸君が今受けているこの授業では、目に見えぬものの正体を、言葉を介し目に見えるようにして解き表す、そういったものを扱う。音楽の授業ではないのでね。だが、文学も音楽も、原点と核は人間の心にある。解釈に行き詰まったら、作り手の心を紐解くと良いだろう」
恩師という言葉で思い出すほど印象深い人ではなかったが、私が私となる過程で少なからず影響を受けた存在であった。
作り手の心を紐解く。この場合は誰を指すのだろうか。額面通りに受け取るなら作曲者だろう。数百の歳月を経てなお愛されるメロディを生み出したのは、紛れもなく偉業と言えよう。だが、手元のよく書き込まれた譜面を見て、私は祖父の心が知りたくなった。五線譜の隙間に詰め込んだ言葉に、そしてそこから発せられる音の一つ一つに、彼の感性と人生が詰まっている気がしてならないのだ。
記された音符に沿って小声で歌ってみる。譜面が読めるわけではないのだが、祖父が奏でる様子を幾度となく聴いてきたため、音に迷って詰まることも然程なかった。
珈琲を一杯飲んで、雨足が弱まってきたのを見計らって店を出る。しかし、帰るのが億劫で駅の中を散策することにした。
右に左に、と何度も道を曲がる。見慣れない店の方が多くなっていて、ここが全く知らない場所だったのかもしれないとまで思えてきた。高校時代に友人と寄り道した当時の流行の光景の大半は、時代の波に逆らえずに消えていったようだ。当然か、十年ほど前の思い出なのだから。
また曲がろうとして、しかし道の突き当りに黒光りする巨躯が目に映った。
数年前、通路にストリートピアノが設置されたということは聞いていたが、普段の交通手段は車であるため、実物を目にしたのは初めてだった。仁王立ちをして、こちらの様子をじっと見つめているようだった。圧倒され、興奮なのか畏怖なのか分からない感嘆の声が唇の隙間から漏れ出た。
悪天候であるためだろう、駅の大きさに反して通行人はかなり少ない。
私は震える足で近寄り、恐る恐る白鍵に手を伸ばす。
ぽん、と軽くも強かで伸びやかな音がして、思わず鳥肌が立った。
私が今まで交流を持った人間の中で、祖父だけが戦前を知る人だった。あまり過去を語る人ではなかったが、死が近くなればなるほど、ぽつりぽつりと少しずつ聞かせてくれた。遠い過去の実体験を語る人の存在の希少さを、最近になって実感するようになって、彼の人生の一端に過ぎないであろうその話を噛み締める日が今更ながら増えた。
移ろいゆく中で、ほつれて抜け落ちてしまうものがある。私たちの歴史は無数に見落としてきている。そして繰り返す。
異国の地で起きている戦争のニュースを耳にしたとき、祖父はいつも寡黙になった。液晶に煌々と映し出されるその惨状を見て、彼がどのような表情をしていたのか、覚えていない。
祖父が初めてピアノに触れたのは、終戦の年の秋だという。
戦争の傷跡が色濃く残る街中をさまよっていた。焼け跡から未だに立ち上る煙、破壊された家々、為すすべなく放置されたまま瓦礫の山。その合間から、木目調の茶色いアップライトピアノを見つけた。あれを奇跡というのだと思う、と祖父は当時を振り返るたびに何度も言っていた。
祖父はそこに毎日通って、西洋のとある古典音楽を練習していた。学童疎開する前に、隣の家から時折聴こえてきた曲だったのだとか。戦時下に敵性語の使用が禁じられていたというのはよく耳にする話であるが、西洋の古典音楽が敵性音楽として禁じられたことはなかったらしい。
祖父は完全な独学で、記憶を頼りにその音楽を再構築しようとした。食料を得ることさえ危ぶまれているほどであるから、楽譜を取り扱っている闇市は少なくとも周辺にはなかった。ピアノもいつから野晒しになっているのか分かったものではない。壊れかけで、音が鳴らない黒鍵もあれば、長らく調律されていないため音色も酷いものであった。
道端には餓死した子供たちの死体が転がっており、風向きによっては肉の腐った臭いを一身に浴びるときもあったようだ。
それでも、彼は毎日弾きに行った。
どうして、と問うたら、苦笑していた。
──自分の根底にあった価値観が総じてひっくり返ってしまったとき、縋ることのできる存在が音楽だけだったからだよ。
祖父は目前に立つ孫娘のあまり分かっていなさそうな表情を見て、また苦笑した。
──まだ早かったね。……きっと忘れてしまうんだろう、まあ仕方のないことだ。
寂しそうに目を細めた祖父が、再び鍵盤に向き合う。これは覚えている。私は、少なくとも私だけは覚えている。
老耄した彼が向き合っているのは、よく手入れされて傷一つも音の狂いひとつもないピアノで、ここは焼け野原でなく、長年暮らしてきた温もりある自宅だ。盤上で踊るのはハリのある青年の手でなく、皴とシミのある老人の手であったことも。
ゆっくり、両手を鍵盤の上に重ねる。見様見真似だ。かつて見た祖父の演奏を、実際に指を動かして鮮明に思い出したかった。
──何とか最後まで弾けた日のことは、よく覚えているよ。連日雨が降っていたんだけれど、ピアノを弾きに行ったときは運良く止んでいた。おじいちゃんは家にお金を入れるために昼間は働いていてね、夜にしか時間がなかった。辺りは焼け野原であるから騒音の心配はなくて、丁度よかった。あの日は満月で、そのおかげで鍵盤がいつもより見やすかった。雨上がりだから、ピアノの蓋にできた水溜りに月が反射して綺麗でね、大仕事をやり遂げたかのような達成感で思わず涙が出てしまったよ。音楽じゃあ空腹は満たせないというのにね。
祖父は何十年もピアノを弾いていたが、その生涯で演奏したのはたった一曲だけだった。
ベートーヴェン ピアノソナタ第一四番 嬰ハ短調 作品二七:二 月光ソナタ
──小学校の国語の教科書に、この曲を基にした物語が載っていた。僕はそれをひどく気に入っていて、暗記までして、疎開先で一日に何べんも読み返していたんだよ。
もう焼失して手元には残っていないその教科書が、彼にはまだ見えていたのかもしれない。ページを捲る手の動きを繰り返しながら懐かしそうに目を細めて、教科書があるはずだった虚空を眺めていた。
余韻と呼ぶには些か長すぎるかもしれない。どんな教科書だったのか、どんな内容だったのか、などと質問しようと考えていたが、その様子を見て私はすっかり黙り込んでしまった。
おもむろに、序奏の三連符を重ねる。
一度だけ、月光の第一楽章を弾いてみたことがあった。
祖父は本人の希望により自宅で最期を迎えたのだが、それの三日前、もう長くはもたないだろうと聞いて、私は父に連れられて急遽祖父母宅に向かったのだ。
ピアノの隣に布団を敷いて寝込んでいた祖父は、私の顔を見て比較的元気そうな様子で「いらっしゃい、よく来たねぇ」といつも通り声を掛けてきた。
それももう最後かもしれないと思うと胸が針で突かれるように痛んで、私は思い付きでピアノを弾いてもいいかと尋ねた。祖父は驚いた様子で目を瞬かせていたが快諾した。
初歩的な譜面すら読めない小学生が、月光を奏でる。今思うと、なかなかの奇行だ。
流石に全楽章は厳しいため、比較的簡単な第一楽章を選んで、それっぽく弾いてみたのだ。半生をこの一曲に捧げた祖父にとって、私の演奏は拙くて仕方なかっただろう。
だが、祖父が私に「才能がある」と褒めたのはそのときだった。思い入れの一際強い曲であったから、孫が演奏したことが嬉しかったのかもしれない。或いは、己の矜持も無意味に思えるほど衰弱していたのかもしれない。
月の映る湖畔を思い描いた。限りなく黒に近い藍の空の下、夜風は凪ぎ、辺りの空気は淀んでおり、呼吸を繰り返せば繰り返すほど肺が冷えそうな景色だった。
夜の靄を思わせるほど繊細に、濁り一つない澄んだ湖のように透明に、ペダルをそれとなく踏んでみながら指で旋律を辿る。
ピアノのペダルというのはどうやら奥深いものらしく、オンとオフの二通りではないという話を聞いたことがある。ハーフペダルと呼ばれている技術なのだが、響きの一部を消しつつ、伸ばしたい音を伸ばしたり、響きを作りだしたりすることができるという。
指で鍵盤を一つ一つ押していくたび、『音符を紡ぐ』というイメージが漠然と脳内に広がる。五線譜上に並ぶ黒丸のゆらぎを指でなぞるような感覚である。
夜のしじまと浮かぶ月を思わせる、厳かな幕開けだ。緩やかに波打つようなメロディは、雲が形を変えていくのを眺めている気分になる。大して上手くない演奏だと自覚しているが、曲の美しさで技術不足を多少は補えていた。
この曲の魅力としてひとつ挙げるのであれば、ひと匙の不気味さが混じった神秘的かつ可憐なメロディから、豹変したかの如き苛烈さ切り替わるところだろうか。何かに溺れ、悩み、苦しむ。月下に立つ人間の葛藤を、この十の指で絡め取ろうと言わんばかりの様相だ。
ものの見方が変わると世界の見え方も変わるとはよく聞くが、信ずるものが覆った当時の彼には、世界がどのように見えたのだろうか。その喪失の穴を埋めたのが、この月光、ひいては音楽だったのだろうか。
そもそも、疎開先で何度も繰り返し読んでいたというベートーヴェンの物語は、祖父にどれほどの影響を与えたのか。それは問うまでもなく、祖父の生前を思えば自ずと答えを見出せる。
私は一連のそれが宗教的に思えて仕方ないのだ。家族と引き離されたゆえの孤独を、物語に縋ることで辛うじて埋めていた。穏やかな昔日を恋い続け、苦しい現状が打開されるのを待ち望んでいた。
この世に多くある如何なる宗教とも異なる、彼だけの信仰。無論、ベートーヴェンを信奉する音楽家など五万といるであろうが、その内実は異なるものであろう。
ともすれば、楽譜は、不文律の教典である。
全て憶測に過ぎないが。
激動の人生だったに違いない。日本史の教科書の裏に載っている年表を見ただけでも戦後のスピード感には圧倒されるが、それを肌身で感じながら生きてきたのだ。その中で酸いも甘いも知って、祖父の弾く『月光』は気の遠くなるような年月を経て変容していったことだろう。祖父の演奏を録音しておけばよかったと思った。探せば存外実家にあったりするのかもしれない。
──聴いたものをサッと再現できるのは、確実に才能だよ。
そう言って私に笑みを向けた病床の祖父の表情は、賞賛だったのかもしれないし、羨望だったのかもしれないし、諦念だったのかもしれないし、私には想像がつかないような何かだったのかもしれない。彼の言葉の数々にはすべて意味があるのではないかと、つい邪推の方向に向かってしまう。
結局、私は音楽を選ばなかった。自分が才者であるなど、思ったことも実感したこともてんでなかった。何かしらの才能があると私に言ってくれたのは、この人生で祖父だけだった。人並みに「何者かになりたい」と焦る思春期を過ごして、結局は名前以外の固有名称を持てずにいる。
孫バカだと思って聞き流した。今だって半信半疑だ。けれど、もし素直にその言葉を信じて挑戦していたら、という考えが脳裏をよぎっては具合が悪くなる。
いつの間にかピアノの傍に若干名の聴衆がいた。今もまだ雨が降っているのであろうから人通りはまばらであったが、この拙い演奏に足を止めてくれる人がいたというのは、何だか嬉しい。
祖父の一等好きな曲だったんです。私の音色からでは見出せそうにないけれど、月光が如き静かな熱が、彼の演奏には確かにあったんです。本当なんです。貴方たちにも聴いてほしい。
そのようなことを言って回りたいという衝動が私の全身を駆って、最後の和音はやや手荒かった。
あの祖父の言葉を信じて音楽の道に進んでいたら、私も何者かになれていただろうか。先程もそうであるが、この歳になってまた、思春期のようなことを時折考える。
けれどもまあ、過ぎたことはどうしようもないのだ。人生はあらゆる選択で出来ていて、それら一つ一つが正解だったか否かなど、後付けでしかない。他の選択をしたらどうなっていたかなど分からないことの方が多い。死後に誰かが「あれは正解だった」「あれは間違いだった」と勝手に言えばいい。私には届くはずがないのだから。
祖父の人生にどれほどの正解と不正解があったのかを、私は知らない。
ただ、熱心にピアノに向き合うあの背中は、幼心ながらに素敵なものに見えた。自慢の祖父だ。
軽くお辞儀をして小走りでピアノから離れる。ふと我に返った途端、恥ずかしくなった。
まだ傘はしっとりと水気を孕んでいた。足が疲れてしまったから、帰りはバスに乗ることにする。
天気予報からして、雨はあと数日降るだろう。雨上がりの月夜には程遠い昼下がりだった。見上げても駅の天井が見えるだけだ。時折、電車の過ぎる音が音色を遮らんとこだまする。
幾ら模倣しても私は彼にはなれなくて、弾き終えたあの夜の高揚も当然味わいようがなくて、私は結局私でしかない。
ヨレヨレのTシャツにジーンズ姿であるから、知り合いには会いたくない。最短ルートでバス停までそそくさと向かいつつ、正気になったら卒倒しそうなほど文字通り着飾っていないさまの自分に呆れ、しかしどこか清々しいような思いでくつくつと笑った。
月の青さを知る 雨森透 @amamor1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます