月の青さを知る

雨森透

🌧

 洗面所の換気口から、雨の匂いと湿気を纏った冷風が降りかかってくる。

 風呂で火照った頬をゆっくりと冷やしてほしくて、風の通り道の真下である壁に凭れかかった。

 大半の人間が「家にいたい」と言うであろう天気の日は、外に出たくてたまらなくなる。その衝動がただの幼い逆張り精神なのかと訊かれても、答えられずに黙り込んでしまう自信がある。衝動は衝動であって、私はそれ以外の何かで形容することができないのだ。

 気だるげに顔を上げると、窓際の電波時計は午後二時過ぎを指していた。こんな雨の日だというのに先回りしてプラごみを出しに行って、当然ながら濡れてしまったので早々と風呂に入ってしまった。まだ一日が終わる気配は遠い。

 何をしようかと考えて、結局また「外出しよう」という結論に至る。

 やりかけのゲームは何本も残っており、積読も気が滅入るほどあるというのに、こういう時に限ってやる気が起きない。ちぐはぐなのが、私の常であった。



 外に出てすぐ、深呼吸をした。重苦しいような雨の日の空気が、私の身体を引き留めるかの如く付き纏う。

 目的地を定めることなく適当に道なりに進んだ。脇にあった小さな公園。住宅街にひっそりと佇む、年季を感じられる個人経営の店。見渡す限り誰もおらず、静寂と喧騒が併存するこの辺り一帯の空間で私だけが生きているようだと、うっかり錯覚してしまいそうになる。

 アスファルトと傘に打ちつける雨音の合間から、ピアノの音色がした。

 三拍子のリズムからしてワルツのようだ。メロディを聴き取れたとして曲名など分からないというのに、耳を澄ます。

 まともにピアノを習ったことがあるわけではないから、体系的な知識も乏しい。


 ──孫バカだと思うかもしれないけれど、きっと才能があるから、ピアノを学んでみるのはどうだろう。


 昔、祖父がこのように訊いてきたことを覚えている。まだ祖父が元気だった頃であり、その孫娘が小学生だった頃のことだ。幼かった私は、ピアノは聴くだけで十分だと断ってしまったが、正直後悔している。

 大人になればなるほど、新しいことを始めるのが難しい。


 祖父は毎日ピアノを弾いていた。どうして毎日なのかと問えば、「音楽家のように上手くはないから、老後の趣味と脳トレを兼ねているんだ」と晴れ晴れしく笑っていたが、今思えばあれは夢半ばで諦めた青少年のような表情だ。

 私は祖父母の家に訪れるたびに彼の演奏を聴き、何年もかけてゆっくりと衰えていく様子を、その指さばきや音色から感じ取る。なんて儚く、寂しく、残酷なことだと、祖父の横顔を眺めながら他人事のようにそんなことを繰り返し考えていた。

 祖父の死後、家にあったアップライトピアノは売り払われ、私が音楽と触れ合ったのはそれきりだ。



 一体どれほどの間、過去に想いを馳せていたのだろう。回顧しているうちに無意識ながら目的地が見つかっていたようで、ふと我に返ると目の前には茶色のアップライトピアノがあった。それを見てようやく、自分が想像以上の距離を歩いてきたのだと察する。

 最寄り駅の自由通路にストリートピアノがあることは知っていたが、普段の交通手段は車であるため、実物を目にしたのは初めてだった。

 悪天候であるためだろう、駅の大きさに反して通行人は随分少なかった。

 私は、恐る恐る白鍵に手を伸ばす。

 ぽん、と軽くも強かで伸びやかな音がして、思わず鳥肌が立った。


 私が今まで交流を持った人間の中で、祖父だけが戦前を知る人だった。あまり過去を語る人ではなかったが、死が近くなればなるほど、ぽつりぽつりと少しだけ聞かせてくれた。遠い過去の実体験を語る人の存在の希少さを、最近になって実感するようになって、彼の人生の一端に過ぎないであろうその話を噛み締める日が増えた。


 祖父が初めてピアノに触れたのは、終戦の年の秋だという。

 戦争の傷跡が色濃く残る街中をさまよっていた。焼け跡から立ち上る煙、破壊された家々、為すすべなく放置されたまま瓦礫の山。その合間から、木目調の茶色いアップライトピアノを見つけた。

 祖父はそこに毎日通って、西洋のとある古典音楽を練習していた。学童疎開する前に、隣の家から時折聴こえてきた曲だったのだとか。戦時下に敵性語の使用が禁じられていたというのはよく耳にする話であるが、西洋の古典音楽が敵性音楽として禁じられたことはなかったらしい。

 祖父は完全な独学で、記憶を頼りにその音楽を再構築しようとした。食料を得ることさえ危ぶまれているほどであるから、楽譜を取り扱っている闇市は少なくとも周辺にはなかった。ピアノもいつから野晒しになっているのか分かったものではない。壊れかけで、音が鳴らない黒鍵もあれば、長らく調律されていないため音色おんしょくも酷いものであった。

 道端には餓死した子供たちの死体が転がっており、風向きによっては肉の腐った臭いを一身に浴びるときもあったようだ。

 それでも、彼は毎日弾きに行った。

 どうして、と問うたら、苦笑していた。


 ──自分の根底にあった価値観が総じてひっくり返ってしまったとき、縋ることのできる存在が音楽だけだったからだよ。


 祖父は目前に立つ孫娘のあまり分かっていなさそうな表情を見て、また苦笑した。


 ──まだ早かったね。きっと忘れてしまうんだろう、まあ仕方のないことだ。


 寂しそうに目を細めた祖父が、再び鍵盤に向き合う。老耄した彼が向き合っているのは、よく手入れされて傷一つも音の狂いひとつもないピアノで、ここは焼け野原でなく、長年暮らしてきた自宅である。


 ゆっくり、両手を鍵盤上に置く。見様見真似だ。かつて見た祖父の演奏を、実際に指を動かして鮮明に思い出したかった。


 ──何とか最後まで弾けた日のことは、よく覚えているよ。連日雨が降っていたんだけれど、ピアノを弾きに行ったときは運良く止んでいた。おじいちゃんは家にお金を入れるために昼間は働いていてね、夜にしか時間がなかった。辺りは焼け野原であるから騒音の心配はないから丁度よかった。あの日は満月で、鍵盤がいつもより見やすかった。雨上がりだから、ピアノの蓋にできた水溜りに月が反射して綺麗で、大仕事をやり遂げた達成感で思わず涙が出てしまったよ。


 祖父は何十年もピアノを弾いていたが、その生涯で演奏したのはたった一曲だけだった。


 ベートーヴェン ピアノソナタ第一四番 嬰ハ短調 作品二七:二 月光ソナタ


 ──小学校の国語の教科書に、この曲を基にした物語が載っていた。僕はそれをひどく気に入っていて、暗記までして、疎開先で一日に何べんも読み返していたんだよ。


 おもむろに、序奏の三連符を重ねる。

 一度だけ、月光の第一楽章を弾いてみたことがあった。

 祖父は自宅で最期を迎えたのだが、それの三日前、もう長くはもたないだろうと聞いて急遽祖父母宅に向かったのだ。

 ピアノの隣に布団を敷いて寝込んでいた祖父は、私の顔を見て比較的元気そうな様子で「いらっしゃい、よく来たねぇ」といつも通り声を掛けてきた。

 それももう最後かもしれないと思うと胸が針で突かれるように痛んで、私は思い付きでピアノを弾いてもいいかと尋ねた。快諾を得て、月光を奏でた。

 流石に全楽章をやるのは厳しいため、比較的簡単な第一楽章を選んで、それっぽく弾いてみたのだ。

 祖父が私に「才能がある」と褒めたのはそのときだった。彼の思い入れの一際強い曲であったから、誰かに演奏してもらえて嬉しかったのかもしれない。


 月の映る湖畔を思い描いた。限りなく黒に近い藍の空の下、夜風は凪ぎ、辺りの空気は淀んでおり、呼吸を繰り返せば繰り返すほど肺が冷えそうな景色だった。

 夜の靄を思わせるほど繊細に、濁り一つない澄んだ湖のように透明に、ペダルをそれとなく踏んでみながら指で旋律を辿る。

 ピアノのペダルというのはどうやら奥深いものらしく、オンとオフの二通りではないという話を聞いたことがある。ハーフペダルと呼ばれている技術なのだが、響きの一部を消しつつ、伸ばしたい音を伸ばしたり、響きを作りだしたりすることができるという。

 指で鍵盤を一つ一つ押していくたび、『音符を紡ぐ』というイメージが漠然と脳内に広がる。五線譜上に並ぶ黒丸のゆらぎを指でなぞるような感覚である。

 緩やかに波打つようなメロディは、雲が形を変えていくのを眺めている気分になる。大して上手くない演奏だと自覚しているが、曲の美しさで技術不足を補えていた。

 第一楽章は厳かに、第二楽章は穏やかに、第三楽章はメリハリをもたせて。

 真似事であるため細かいことは分からず、大雑把に印象を割り振って弾いている。

 第三楽章は、祖父に言わせると「独特な主題、複雑な和声、対位法の技術など内容が詰まっていて弾きがいがある」とのことらしい。

 夜の静寂しじまと浮かぶ月を思わせる第一楽章、ひと匙の不気味さが混じった可憐でメロディアスな第二楽章を経て、豹変したかの如く苛烈なメロディに切り替わる。何かに溺れ、悩み、苦しむ。月下に立つ人間の葛藤を、この十の指で絡め取ろうと言わんばかりの様相だ。


 音色に沿って、青年期の祖父の苦悩を垣間見た気分になる。

 ものの見方が変わると世界の見え方も変わるとはよく聞くが、信ずるものが覆った当時の彼には、世界がどのように見えたのだろうか。その喪失の穴を埋めたのが、この月光、ひいては音楽だったのだろうか。


 ──聴いたものをサッと再現できるのは、確実に才能だよ。


 そう言って私に笑みを向けた病床の祖父の表情は、賞賛だったのかもしれないし、羨望だったのかもしれない。彼は認知症を発症するより先に亡くなった。それもあって、彼の言葉の数々にはすべて意味があるのではないかとつい邪推の方向に向かってしまう。

 私は音楽を選ばなかった。自分が才者であるなどと思ったことはてんでなかった。何かしらについて才能があると私に言ってくれたのは、この人生で祖父だけだった。人並みに「何者かになりたい」と焦る思春期を過ごして、結局は名前以外の固有名称を持てずにいる。

 いつの間にかピアノの傍に若干名の聴衆がいた。今もまだ雨が降っているのであろうから人通りはまばらであったが、この拙い演奏に足を止めてくれる人がいたというのは、何だか嬉しい。

 祖父の一等好きな曲だったんです。私の音色からでは見出せそうにないけれど、月光が如き静かな熱が、彼の演奏には確かにあったんです。

 そのようなことを言って回りたいという衝動が私の全身を駆って、最後の和音はやや手荒かった。


 あの祖父の言葉を信じて音楽の道に進んでいたら、私も何者かになれていただろうか。この歳になってまた、思春期のようなことを時折考える。

 けれどもまあ、過ぎたことはどうしようもないのだ。それに加えて、私は決して音楽を選ばなかったことを後悔してはいない。著名な存在でないことを思い悩んだりもしていない。


 軽くお辞儀をしてピアノから離れる。まだ傘はしっとりと濡れていた。足が疲れてしまったから、帰りはバスに乗ろう。


 今見上げても、月どころか空さえ見えないだろう。駅の高い天井が視界一面に広がるだけである。


 ものの見方が変わると世界の見え方が変わるというのは、本当だ。

 諦念だとかそんな後ろ向きなものでなく、強がりでもなく、心の底から「何者でもなくともよい」と思えるようになった。

 何者でもない自分は嫌いではない。毎晩、その日の出来事を日記に綴っては、そのくだらなさに少し笑ってしまう。そんな些細な一瞬ごと好きだ。

 今日の内容は困らずに済むだろう。


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