灯火

めいき~

傘の想い出

「ねぇ、ちひろ」


「何、りんり」


二人の少女が、学校の屋上で空を見ていた。


「りんりはさ、この街がなくなっちゃうのどう思う?」

「どうにもならないと思うわよ。少なくとも、私達がどうこう言っても何も変わりはしないじゃない」


この街はもうすぐ、水の底に沈む。

黒い空の下、制服を着た二人が手を繋いで。



二人でこっそり忍び込んで、二人とも制服のまま……。



ぽつり、ぽつりと雨が降り始め。やがて、二人の制服や顔をぬらす。


りんりがすっと、赤い傘を開いて手招きした。


「私達が、初めて会った時も私が傘を忘れた時だったっけ」

「うん、最初は騒がしくて迷惑って思ってたわ」


思わず、うっとなる。


「でも、それがあったから私達はここまで仲良くなれた」

「確かにね」


二人で、手を繋いだまま。切り取られた世界の中で、思い出を振り返る。


「ねぇ、最初にこの屋上に来た時の事覚えてる?」

「忘れてないわよ、りんりに傘のお礼を言おうと全力で走ってここに来て。丁度、佐藤がりんりに告白して振られるとこに出くわしたのよね」


「しかもその時、りんりがちひろが好きなんだって。それを聞いちゃってさ、出るに出られず。気まずさで慌てて階段を引き返そうとして、盛大に階段から落ちてパンツ丸出しでひっくりかえってるのを佐藤とあっけにとられた感じで見つけたのよね」



「その時のパンツは青だった」「うるさい、そこは忘れなさいよ」


「ごめんなさい、私ちひろが好きなの♪」からの「りんりが好きな奴って女かよ~!」とちひろとりんりがその告白シーンを再現して傘の下で少女二人の笑い声がした。



二人肩をそっと寄せ合って、傘に収まる様にしながら声を揃える。



あの時の佐藤は、頭を抱えながら一週間ぐらい不登校になってたのよね。

そうそう、一週間の間街を彷徨って新しい恋を見つけたらしくて。


相手を見た時思わず、「アンタ大丈夫?」と尋ねた時「あぁ、俺は新しい恋を見つけたんだ!これからは、さやかさんひと筋に生きるぜ」って言ってて。



佐藤が、本気で顔を上気させながら。そのさやかさんって人がどんな人なのか気になって二人で佐藤のあとをつけてさ。



「その時も、こんな小雨だったわね」

「ちひろがもってきた傘が、尾行向きじゃなくて結局私の傘に一緒に入って追いかけたのよね」


「街中で、迷彩カラーは逆に目立つって」



思わず、思い出して二人が渋面になる。



「佐藤が好きになったさやかさんって、パン屋のおばあちゃんじゃない!」



肩を叩いていたり、幸せそうに買い物につきあったり。



「デートだか介護だか判らないような歳の差で、佐藤のあの幸せそうな顔!」

「いつも、ご飯ひと筋だったあいつが急に昼パン食になってさ~」



さやかさんが、佐藤を見る目は孫を見る様な眼だったのが余計に笑えたけど。

後で、きいたら七十才のさやかさん。六十五の時に旦那さんなくして、若い頃の旦那さんそっくりの佐藤をみて。息子か孫が居たらきっとこんな感じだったのかなって、教えてくれた。


「佐藤、哀れ~」

「まぁそれでも、二人とも幸せそうだったじゃない」


それもそうねと、肩をすくめながら。


「ここから見える景色も、あと少しで見納めかな」

「そうね~」


二人で、思わず顔を見合わせて苦笑した。


「そういえば、そうだったわね」


冷えた夜で、僅かに白い息が僅かに見えた気がした。

傘の下、お互いの声だけが聞こえる世界。



静寂と雨音が添えられ、夜が降りてくる。



「ねぇ、りんり」

「何よ」


左手の人差し指を彷徨わせ、同じように視線を彷徨わせながら。


「私達二人ってさ、一緒に色んな所に行ったわよね」

「うん」


もう潰れてしまった水族館に、もう閉園した動物園。

枯れてしまった植物園に、古くて小さな映画館。


休みの度に、行ける場所には二人で行ったね。



「イルカのショーでステージに呼ばれて、魚をあげようとしたら飛び出して来たイルカにびっくりして落ちて、ちひろがどざえもんになってる所を助けてもらったりとか」


「トラを背に写真を撮ってもらおうとしたら、ちひろがおしっこされて。殆ど動物を見る事もできず二人で帰ったりとか。しかも、後で写真を現像に出した時はちひろが丁度笑顔で写って後ろからかけられるその瞬間を捉えてたり?」


お互いに、変な顔になる。


「でもでも、二人で植物園に行った時に飲んだ紅茶凄く美味しかった♪」

「一緒に出て来た、木の実を使ったパイは凄く可愛かった♪」

「皿が百均の奴でなければ、もっと良かったね」



ね~♪と二人の顔に輝きが戻る。



「そういえば、あの映画館覚えてる?」

「覚えてる、覚えてる。B級の映画しかやってなかったり立ち見で溢れてたりしたけど、街に映画館はあそこしかなかったのよね」


「席に座りながら、寝ているオッサンの頭をちひろがよく叩いてたね」

「見ないなら、私達に席譲りなさいよ!」ってよく怒ってた。



体に悪そうな色のゼリービーンズに、塩味しかないポップコーン。

飲み物は、バカみたいな値段して。意味も無い、パンフレットが並んでて。



それでも、楽しかった……。



綺想ばかりが蘇り、雨が傘を叩いて音楽を奏で。

久遠の夢に、お互いの体温が染みて。




二人の視線が、リボンの様に絡み合う。



「時間切れかな……」



背後から、りんりがちひろの肩をそっと抱いて。



「ごめん」



その言葉に、無言で首をふる。

そっと、手を添えて。



背後から伸びた手を、ゆっくりと撫でながら。



「いつまで、気にしてるの?」

「だって、だってぇぇぇぇ!」



その手に涙が、雨と共に肩を叩く。

傘は、いつのまにか風で床に転がっていて。



黒い雲を、幾つもの雷が静寂を打ち抜いた。



「笑顔でさ、送ってほしいな」

「無茶言わないでよ」



嗚咽交じりに、答えるその声に再び両肩に置いた手を撫でた。

その手は、徐々に透けて……。



「また、来年会えるから」

「来年なんて待てない!」



しばし、二人の間に雨が床を叩き続ける音だけが辺りを支配した。



制服のリボンをゆっくりと、背中から結び直し。



「そういえば、貴女の髪が長かった頃に風が吹いて。髪の毛が私の鼻に入ったんだっけ」



「それ、今思い出す事?」



急に振り返って、頬を膨らませて文句を言おうとした時。

満面の笑顔で、笑っていて。


もう殆ど、校舎の壁しか見えない程にりんりは透けていた。


「ほら、空の雨も止むのよ。貴女の顔の雨も頑張って止めてよね」


「ずるいよ、それ」



涙を指でそっと拭うと、落ちていた傘が足に縋る様に当たっていて。


二人で、空を見上げると丁度雨が止まっていた。




りんりは、工事現場でちひろを助けようとして逆に足を滑らせて。

そのまま、亡くなった。




「話したかったから来ちゃった☆彡」

「バカ」



肩を竦めて、カラカラ笑う。



「その傘、大事にしてよね。それを目印に来年も会いにくるから」

「何よそれ」



両手をたれ下げて、お化けの物まねをしながら冗談めかして言った。



「本物のお化けになってるのに、それは冗談にはならないよ……」

「それもそっか」


「明日が、お葬式なのに。こうしてると、いつも通りだね」

「気にしない、気にしない」


ちひろは、傘を拾ってゆっくりと畳みながら。

まだ止まない、雨を隠す様に俯いていた。



(本当は心配だったから)



「ほら、この傘」

畳んだ傘の一点を指さして、笑いながら言った。



「借りた時、通りすがりのピザ配達のバイクに引っ掛けられて折っちゃって」

「よく見たら、ボンドでくっつけてあるじゃない! これお気に入りだったんですけど」



「ほら、幽霊って何か未練が無いと出てこれないし」

「随分みみっちい、未練ねそれ」



(本当の未練なんか言える訳ないじゃない)



「未練は未練だから」

「はぁ……」



(もう幽霊だから涙なんか出る訳ない)

(親友に泣き顔でおくられるなんて、イヤだから)



「もう、そういうのは無いのよね?」

「来年、思い出したら話すかも?」


「そこは、無いっていいなさいよね」

「自信が無いでゴザル」


二人で、ぷっとなって笑う。


「ゴザルじゃないわよ」


りんりがぺろっと、舌をだして。



「また、来年」

「待って!」



そういうと、とうとうりんりが消えてしまった。



「もう! 幽霊になってもあいかわらずなんだから!!」



(絶対、来年も出てきなさいよ)



「この傘が、目印かぁ……」



ぽつりと言葉が零れ、傘を持った自分の震える手をもう一方の手で色が変わる程強く握りしめ。


(貴女の未練がそんなみみっちい訳ないじゃない)



幽霊は未練が無いと、出てこれないって図書室で二人で読んだ本に書いてあって。


傘を忘れた日、一緒に帰りながらその話をしていた。

あの時は、幽霊なんて居る訳ないじゃないとかお互いにバカにして。



強い想いが、別の世界と繋ぐなら。


それが怨みでも、友情でも。

プラス方向でも、マイナス方向でも。



「何が、ゴザルよ。おどけちゃってさ~」



雲から見える、光たちが。

まるで、磨かれたステンドグラスの様に屋上を照らし。


少女の、雨は止んでいた。



「来年、出て来なかったらこの傘捨てちゃうからね!」

叫ぶ様に言いながら、傘を抱きしめる。



傘についた、フグの様に丸いハムスターのキーホルダーが揺れ。



「宿題みたいに、忘れない様に頑張ります」なんて、またふざけながら返事をしているような気がして。


思わず、丸いハムスターを人差し指と親指でアイアンクローの様に片手でつまんだ。


ノートを写させる前に、またぁ?みたいにしてたあの時を思い出しながら。


また、徐々に表情が曇る。


「この縫いぐるみ付きキーホルダー、まだつけてたんだ」


動物のおしっこまみれで、ちひろが帰る羽目になったあの日。

お揃いのキーホルダーを買って、ふてくされた顔みながら顔の横で揺らして。


「そっくり~」とかやって、からかって。



思わず一人で、声を震わせながら。



つまんだ丸いハムスターに向かって、まるで話しかける様に。

もにゅもにゅと、何度も何度も指を動かしてほっぺたの様に柔らかいそれを。



「来年なんて言わずに、いつでも出てきなさいよ」




姿が見えなくなって、まだいるかもしれないりんりに向かって言った……。





(おしまい)

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