由美の結婚

縦縞ヨリ

由美の結婚

 由美は私の子。今年二十五才になる。

 

 小さい頃は泣き虫で、その癖やんちゃで、男の子に混じってザリガニ釣りをしたりしては、滑って転んで、びしょ濡れになって泣きながら走ってくる様な子だった。

 小学校に入ってもやんちゃさは健在で、学校の遊具は全て制覇するとばかりに、いつも土埃を纏って駆け回っていた。

「おかあさん! 一番大きいタイヤが飛べた!」

 学童保育に迎えに行くと、開口一番そんな報告をされるのが日課だった。弾けるような笑顔は私の宝物だ。

 そんな娘だったので、履くものと言えば専らズボンかキュロットスカートだった。

 私が可愛いと思って買ったスカートは、殆ど新品のままサイズアウトし、結局お友達にあげてしまった。

 成長したユミは転んで泣く事が無くなった。私は誇らしかった。

 

 中学生になったユミは、握り締めた紺のプリーツスカートを見つめて、泣きそうな表情をしていた。

 短く切り詰めたショートカットは、正直スカートには似合わない。

「……スカート、あんまり着たくない」

「でも、制服着ないと学校行けないでしょ?」

「わかってるよ……」

 ユミは結局、スカートの下に学校指定のジャージを履いて、中学校生活をやり過ごした。式典などジャージを履けない場面もあったので、私はユミを連れて、スカートでギリギリ隠れる丈のインナーを探した。ユミは可愛いワンポイントの入ったものより、シンプルな黒いショートレギンスを好んだ。


 反抗期らしいものは無かったが、初潮が来た時が一番の修羅場だった。

 ユミは、

「嫌だ!気持ち悪い」

 と言って、声が枯れる程泣いた。


 高校生、ユミの選んだ女子校の制服は、ちょっと変わっていた。今でこそ珍しく無いが、制服にスラックスがあったのだ。

 その頃にはユミがどうしてスカートを履かないのか、何となく分かっていた。

 ユミは女子校で、水を得た魚の様にイキイキと過ごした。友人も沢山できて、中学の時より格段に笑顔を見れるようになった。

 私立の学費はそれなりにかさんだが、看護師の私は夜勤を増やし、必死に働いた。


 ユミはそのまま、付属の女子大に上がった。

 彼女なりに考えたのだろう、奨学金を借りると言ってくれたが、私も計画して貯めてきた貯金があったし、小さい頃からかけていた学資保険もある。

「別に気にしなくて良いのよ、ユミが学校行くのだって分かってたし、その為の貯金なんだし」

「だって、わたし、お母さんになんもできないから……」

 そう言ったユミは、酷く表情を曇らせた。私は何か言おうとして、止める。娘の口から聞くまでは、何も言わない事にしていた。

 代わりに背中に手を回して、ぎゅっと抱き締める。幼い頃にしたように、背中をぽんぽんと叩いた。

「ユミは私の宝物だから、お母さんユミが幸せならそれでいいの」

 少しだけ、くすんと鼻をすする音がした。


 ユミは大学生になった。授業にゼミにと忙しく学校生活をおくり、空いた時間はアルバイトもした。

 たまに落ち込んで帰ってくる日もあったが、理由は言わなかった。

 そんなある日、ユミから話があると沈痛な面持ちで言われた。

 外は雨が降っている。屋根を叩くサァッという雨音に、時折通り過ぎる車が水溜まりを跳ねる音が重なる。

「お母さん、……あのね、わたし、……本当はね、男の子に生まれたかったの」

「うん」

 雨音。呼吸音。少しづつ、乱れてゆく。

「あの……ほんと、本当に…………ごめんなさい……ッ」

 ユミは泣いていた。

 多分、女に産んでしまった私に、自分が男である事を伝えるのが申し訳なくて、悲しくて、辛くて泣いている。

 でもいいのだ。ユミと世間にとっては大きな事かも知れない。でも、ユミと私にとっては些細な事だ。

「ユミ、聞いて」

「……うん……」

「私にとって、一番大事なのはユミが幸せな事」

「うん…………」

「それだけ」

 言葉足らずかも知れないが、ユミの幸せが目標で、その結果を得るために、ずっと一人で足掻き続けているのが母親の私だ。

「……あのね、孫の顔はたぶん見せられないんだよ……」

「孫なんかよりお腹を痛めた自分の子のが可愛いに決まってるでしょ。要らないわ別に」

 躊躇無く一息で言ってのけた私を、ユミは泣き濡れた目でポカンと見る。そりゃあきっと何日も、何十日も、あるいはもっと悩んだ答えがこれなら仕方があるまい。

「……お母さんってさ、めっちゃ強いよね」

 一度チーン! と鼻をかんで、ユミはやっと笑った。


 それから、色々な話をした。

 名前の字を変えるのは家庭裁判所の許可が要るが、読みだけなら簡単な手続きで済むこと。

 実は高校の時から、外での一人称は「俺」だと言う事。

「えっ聞きたい、言ってみ?」

「お母さんの前だとなんかまだ恥ずいんだってば」

 性的な目で見られる年齢になってから、男の子が苦手になってしまった事。

 そして実は、彼女が居るということ。

 その時のユミは、真っ赤に頬を染めていたが幸せそうだった。

 そんな訳で、この日から娘は息子になったのである。


 ユミの雰囲気は少しづつ変わった。元々ボーイッシュな服装を好んでいたが更に男の子らしくなり、身体も鍛え始めて少し逞しくなった。

 今までは私に負い目があったのだろうか。

 心配したが、そんな事は何処吹く風とばかりに、ユミはイキイキとしていた。

「できればアパレルの営業に就職したいんだよね。会社によっちゃ結構俺みたいなのも居るみたいでさ」

 心なしか声も低めだ。

 タブレットの画面を覗くと、ダイバーシティの文字と共に虹の旗レインボーフラッグが掲げられている。

「働きやすそうなら良いんじゃない?」

 いつの間にかイケメンになっている。堂々とした姿がそう見せるのか。いや、親の欲目だろうか?

「何見てんの?」

「イケメンだなって」

「ありがと、良く言われる」

 どうやら欲目では無いらしい。


 私達は相談して、社会に出る前に名前の読みを「由美ユミ」から「由美ヨシヒロ」に改めた。

 性別を変えるかは、時間をかけてゆっくり考えていけばいい。適合手術をする人が増えたとは言え、身体にメスを入れる負担は大きい。

 何より、私達が住む県でもパートナーシップ条例の議論が進んでいた。


 大学を卒業した由美ヨシヒロは、希望通りアパレル業界で働き始めた。最初は慣れない仕事に苦戦し、時に泣いて帰ってくる日もあったが、彼は齧り付いて努力して、二年も経ったら一端の営業マンに成長していた。

「一度お会いしたら、もう二度と忘れさせません」

 と言って名刺を渡しているらしい。ちょっとキザだがインパクトが強いのは良いことらしく、営業成績も華々しいものになっていた。

 私としては、息子が堂々と活躍出来るのが嬉しかった。


 そんな頃、ヨシヒロは会わせたい人が居ると言って、女性を連れてきた。大学の時に付き合っていた子とは別れたと聞いていたので、社会人になってから知り合ったのだろう。

 アパートの玄関を開けて出迎えると、そこには深々と頭を下げる人が居て、あまりに頭を上げてくれないので、こちらが恐縮して慌ててしまった。

 何とか部屋に迎え入れて、菓子折りに一生懸命はしゃいで見せても、女性は未だ真っ青になって緊張している。

 お茶を一口飲んでもらって、やっと話が始まった。

「こっちは、今お付き合いしてる雪子ユキコさん。俺の三個上。……雪子さん、この人が俺の母さん」

「太田雪子と申します……ヨシヒロさんとは二年ほど前からお付き合いさせていただいて、……息子が一人おります」

「あら!」

 そりゃびっくりだ! くらいのあら! だったのだが、雪子さんは益々小さくなってしまった。

 どうしたものかとあわあわしていると、ヨシヒロはまあまあとその場をなだめる。

「三歳の男の子が居て、俺とも仲良しなの。写真、ほら」

 見ると、あどけない男の子を抱える、笑顔のヨシヒロの写真だった。

 途端、自分でもよく分からないが目が熱くなった。

「……おいおい母さん泣いてんの!? 」

「すみません……! すみません……! 」

 雪子さんがペコペコしてるし私は何故か泣いてるし、いよいよ収拾がつかなくなってきた。

 ヨシヒロが縋る様な目で見て来る。

 いやこれはどう考えても私が悪い。

「……あの、雪子さん……聞いてください……」

 泣いたのなんていつぶりだろう。旦那と離婚した時以来じゃ無かろうか。

 一才のヨシヒロを連れて、小さなアパートに引っ越して。幸い外は土砂降りで、私がわんわん泣いて、釣られてヨシヒロもわんわん泣いても、誰にも怒られなかった。 

「あの、私、息子が子供に恵まれる事は無いと思っていて……それで……嬉しくて……」

 雪子さんもクシャッと顔を歪めた。なんだか通じ合うものを感じる。己の身一つで我が子を守る、その一心だろうか。

「……息子も私も、お義母様を大切にしますから、……ヨシヒロさんと、結婚させてください」

「もう、俺が言おうと思ってたのに!」

 ヨシヒロはそう言って笑った。きっとこの笑顔に支えられている人が沢山居るんだろう。私達みたいに。


 雪子さんをヨシヒロが駅まで送り、帰ってきても私はまだ興奮覚めやらなかった。

 雪子さん、穏やかそうな人だし、ヨシヒロが良い人と言うなら大丈夫だろう。何より突然降ってきた「孫」という単語に、私は自分でも驚く程ドキドキしていた。 

 ヨシヒロが普通の女の子と違うのは、比較的幼い頃から薄っすら察していた。その過程で、「孫」という文字を心の辞書から塗りつぶして消していたのだと、今更ながら思った。

 ヨシヒロは、血が繋がらないながらも子供の人生を育むのだ。なんと素晴らしい事だろう。

 あと完全に私欲で、孫を可愛がりたかった。私、ランドセルとか買っても良いんだろうか?

「母さん、俺ずっと考えてたんだけどさ……」

「……うん?」

 ハッとして、ヨシヒロを見る。さっきまでの明るい表情は影を潜めて、緊張した硬い表情をしている。

「……お父さんにも、報告した方がいいと思うんだ」

 お父さん。なんだっけそれ。ああ、あれか。

「要らないわよ、二十年以上連絡取ってないんだから」

 そうである。妊娠中に浮気した元夫。養育費もろくに払わなかったクソ野郎だ。

 幸せだった空気が一気に色褪せるのを感じた。私の気持ちを映すように、外はしとしとと雨が降り始めた。雪子さんは濡れずに帰れただろうか。傘は持っていたと思うが。

「俺が今こうなってる事、お父さんは何も知らないんだよね」

「連絡してないからね」

「すっきりしたいんだ。お父さんなんて居なくて良かったって思いたい」

 そうか、それならば。いざとなったら私が割って入ろう。

「……分かった。ただし、お母さんも一緒に話す。いいね?」

 ヨシヒロは神妙に頷いた。


 繋がらないかもなと思ったのも束の間、数コールで奴は電話に出た。

『……はい、もしもし』

「もしもし?丸山さんのお電話でお間違い無いですか?」

 流石は営業職と言うか、いっそ優雅にも聞こえる調子で言う。

『はいあの、どちら様ですか?』

 こいつ、元嫁の連絡先を消してやがったのか。

 なんせ薄給の上に若い女と浮気するクズだ。

 途絶えた養育費を催促しなかったのも、『金が無い』と喚くのを聞く徒労を考えたら、自分が馬車馬の如く働いた方が余程ましだったからに他ならない。

「あなたの娘のユミです」

 久しぶりに聞いた、ユミの方の声だった。その静かな声は、私の頭を一瞬で冷やす。

「今度結婚する事になったので、そのご報告をと思いまして、お電話差し上げました」

『ユミ!? それは……おめでとう……今何をしてるの? 相手はどんな人?』

 どの面下げて言ってんだ。まず今までの不義理を謝れよ。

「今は営業職を。相手は三つ年上の、お子さんの居る方です」

『……いやユミ、それ大丈夫なのか?男やもめで子供見てくれる人が欲しくて、体よく扱われてるんじゃ無いか?』

 なんていやらしい捉え方をするんだろう。

 人間、潜在的に自分の頭にある事しか口に出せないものだ。

「相手は女性なので。お子さんは可愛くて、良く懐いてくれています」

『……は? なんだって!? どういう事なんだ!』

「女性と結婚するんです。そうご報告したくてお電話致しました」

『ふざけるな! 同性婚だなんて、子供が虐められたりしたらどうするんだ!』

 ふー……と大きく息をついた。もういいだろう。

 努めて平坦に言う。

「あんたがそう思うのは、あんたがそういう親子を偏見で見てるから」

『彩!? お前、何で止めないんだよ!』

「止めないのは、この子の事を一番近くでずっと見てたから。……もう良いでしょ、切るわよ?」

「うん。お父さん、俺生まれて幸せです。これからもずっと幸せになります」

『なっ……』

 とん、とスマホの通話を切る。またかかってきたので着信拒否にした。

「ね?嫌な奴でしょ?」

「ほんと最低だった! でも母さんがカッコよくて惚れ直した!」

 私達はゲラゲラ笑って、ビールや焼酎なんか引っ張り出して、有り合わせの肴で、二人楽しい事ばっかりを話しながら、一晩中飲み明かした。


 結婚式は親しい友人等を招いた、小さく温かい雰囲気の式になった。

 我が家の孫となった勇ちゃんは、ベールボーイを立派に努めてくれた。今はひと仕事終えて、私の横で大人しく子供用のコースを食べている。

「勇ちゃん、おしっこ行きたくなったらすぐばぁばに言うんだよ」

「うん!」

 元気に応えるのが愛らしい。良い子だなあ、可愛いなあとデレデレしていたら、ふと窓ガラスに雨が当たっている事に気がついた。他の席からも声が上がる。

「あら、天気雨ね。珍しい」

「狐の嫁入りは縁起がいいんだよ」

「帰りまでに止むかしら」

 青い空に雨粒。歓談の時間だった事もあり、皆が外に注目した。そして、それに一番に気がついたのは、勇ちゃんだった。「あっ」と声を上げたかと思うと、一際大きな窓に向かって駆け出してしまう。

「勇ちゃん、待って!」

 慌てて私も後を追った。小さな指のその先は雨。その向こう側。

「見て! 虹が見えるよ!」

 途端、会場の何人かは立ち上がり、或いは泣き出した人も居た。何人かはハイヒールをものともせず窓に駆け寄った。

 新郎新婦が、手を繋いで高砂から降りて来た。

 ヨシヒロが勇ちゃんの肩に手を置いて、そっと目線を合わせる。太陽の反対側に、大きな虹が出ていた。

 虹は彼らと、彼らに寄り添う私達のシンボルでもある。雨の中、皆虹の旗を掲げて、あるいは杖にして、あるいは支え合いながら、虹を待っている。

「綺麗」

 雪子さんが呟くその目にも、虹の色が映り込んだ。

 ヨシヒロが語りかけた。

「勇ちゃん覚えてて、他の何にも覚えてなくていいから、この虹が綺麗だったのだけ、ずっと忘れないで」

 カメラマンを頼んだ友人が駆けつけて、私達は虹を背景に、初めて家族写真を撮った。

 やがて皆フレームに入って、化粧が涙で溶けていたり、足が裸足だったりめちゃくちゃだったが、自由で元気で賑やかで、幸せな集合写真になった。

 

 今日は一日雨だ。

 雨は冷たくて、でもその音は癒しにもなる。水は命を育み、時には虹を呼ぶ導きにもなる。

 私は、虹の旗に写真立てを並べた。

 

 明日は家族が遊びに来る日だ。 

 さあ、とびっきりのご馳走を用意しよう。

 

 終

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