生命、神秘、輪廻。漂う万華鏡の中、変わり続けるのは――。

 世界を見渡せば、何十億人という人々が生活している地球。もちろん、文字通りワールドワイドに世界を見渡せば、生物という括りでいえば、もう数を数えることを放棄してしまうほどの、生命を抱いている地球。それら生命の営みの中に生じる種々の問題は、地球にストレスを与え続け、その結果沈んでしまったのかもしれない……。
 未知、という他ない事象の観測に驚きを隠せないながらも、研究者ならばやはり浮足だつものなのでしょうか。事の重大さを鑑みれば、とてもそんな悠長なことは言ってられないものですが……。
 飛べない鳥……ペンギン。その名前に反して、飛べないという矛盾を孕んだその鳥は、逆に言えば、人間の手によって手厚く保護された稀有な存在と定義することもできるのではないでしょうか。自らの羽で飛び立ち、逃げ延びることができた鳥とは対照的に飛べない というハンデを人間の手という翼で補って逃げ延びた。その結果、宇宙船イヴァキュレイターに乗船できている。……もしかして、人間についていくことで何らかのメリットを見出していて、あえて飛べないことを選択した……?
 参号の補足……確かに、飛べるか否かではなく、「翼」の有無が判断基準という目線は人間の価値観を反映しているかのようですね。当のペンギンたちからしてみれば、別段どう思われようが、関係のないことなのでしょうし。
 魂だけとなり、存在の定義ができない彼ら(?)の独自のルールに則れば、自身は壱号にも弐号にも参号にもなりえるという……。人ならば、一人三役もできている……。(そもそも解釈の前提が違いますが)
 肉体が剥離する感覚というのは、当然のことながら体験したことはありませんが、自分の肉体と魂か離れていく感覚をリアルタイムで体感するというのは想像しただけでも想像を絶する光景ですね……。いや、厳密にはリアルタイムでもなくなるのでしょうか?
 人も動物もなし。魂の値段は同一で、平等。その一直線上に並んだ魂たちは、思い思いに浮遊し。あるいは、見方を一周……いや、百周くらい回ってみれば、そんな人生も楽しいのかもしれませんね。
 それは、まるで自身のアイデンティティを取り戻そうとする本能のように感じられました。そんな中で交わされるペンギンについての議論。
 なるほど……進化の過程で地球が滅んだ説ですか……一理ありますね。
 (私も一緒になって、ふわふわと漂っているような感覚で書いています。)
 進化=良いことと捉えるには些か承服しかねるものがありますよ、弐号さん。行動範囲が広がることによって、天敵が増え、自身が狙われるリスクも跳ね上がるのですから。否、飛び上がるのですから。同時に、飛べない羽=退化と捉えるのもねぇ。勿論飛べない羽=進化も同様ですが。
 伍号さん、なるほど。確かに人の世の言葉には烏合の衆という言葉もありますね。……おっと、文字面だけで言葉を選んでしまいました。これは誤用どころか。ただの誤爆ですね。まぁでも、群れで生活するというのは、生きていく上で身につけられた……もとい、身に沁みついた生活の知恵なのかもしれませんね。
 ふむ……鳥たちのさえずりのようなこの会合……なんだか盛り上がってまいりましたよ! 人鳥ゲーム、良いですね!
 ふむふむ……皆さん、どうやら主食は魚のご様子。ただ、細かい部分でやはり個性が出ているので、そこをどう捉えるかが正解への近道になりそうですね。
 伍号さん……まぁ、確かに。人は常に身勝手ですね。それに加えて知恵がある分余計に厄介といいますか……。
 ほうほう……好きな景色となると、また若干変わった回答がちらほら……。でも皆さん、ほとんど海というのは共通しているご様子で……もしや、それぞれ近しい生き物だったりしますかね?(チラッチラッ
 参号さんのまとめが何というか……どこか達観しているようで、素晴らしいとはまた違うんですけど、『置かれた場所で咲く』みたいなイメージでしょうか。旅の果てか……つまり、ゴールってことですよね。正直、今はまだ曖昧にしておきたいところですが……。
 天敵というところでは、これまたそれぞれ共通の天敵がいらっしゃる方々が……。なまじどんな鳥かが分からないだけにもどかしさは半端ないのですが、壱号さんや弐号さんは、少なくとも人間と交流があったことを示唆されていますね……。天敵、ということからあまり良い交流ではないですが……。でも、もし仮にこの宇宙船に人間が乗っていたとしても、ここではすべてが平等ですからもういがみ合う必要はないですもんね。根に持っていたものをチャラにはできませんが、それを許してしまえる環境ならここには整っていますから。
 参号さんの最後の問いかけはなんだか……泣けてきます。思い思いに、重い夢があって。その確かな重みがあるからこそ、その確かな重みを伴って語る夢だからこそ。その言葉の裏にある確かな希望に、私は涙を流さずにはいられないのです。
 答え合わせの時。弐号さんがペンギンだった……と。鳥類に備わった卓越した色の識別能力により、その中でもとりわけ際立った識別能力を持ったのが弐号だったと。
 正体をあてられた弐号のフリからの、参号の生い立ち……それは思わず口をつぐんでしまうようなアクシデントであり、結果的に「飛べる鳥」でありながら「飛べない鳥」であることを強いられた、フクロウ。飛べなかったけれど、人の温かみに触れ大事に育てられた結果、ヒトに対して恩義も感じ、そして故郷へと連れて行ってもらうことにも成功し。それはいつしか参号の翼となって、白銀の世界へと大いに羽ばたいていくことでしょう。それはきっと夢じゃない。叶ったら夢ではなくなるのですから。
 それでも、参号にとってはやはり、思い悩むこともあったのですね……。確かに、同じ種族からしてみれば「己で餌もろくに取れず、ヒトに甘えるなど」と思う輩も少なからず、いることでしょう。でも、良いのです『置かれた場所で咲く』ことができたのですから。それに、後に邂逅するペンギンたちもいますしね。
 その姿を見て、生き物はみな愛されているのだということを知った弐号。そうなんですよね。どんな生物であれ、愛の結晶としてこの世に産み落とされた以上、それは愛される形であって当然。それは弐号もなんら例外じゃない。コンクリートの隙間からひょこっと顔を出す花のように。まずは、自分で自分のことを好きになることこそ、生命として生まれた者に課された「気づき」の第一歩なのかもしれません。
 飛べないから、翼に意味はない。それは違っていて。飛べないということの意味をもう一度、見つめなおしてみれば、また違う側面が見えてくる。飾りでも良いんです。ほら、鳥だって派手に羽を着飾って、メスにアピールしたりするじゃないですか。それもまた、自身を愛し、他者に愛されるための気づきなのですから。
 壱号の言う、この旅のゴール。それは海。全てが始まり、全てが還る場所。寄せては返す波のように、その波に上手く乗って、壱号もうまく生まれ変われますように。
 彼らを乗せた宇宙船は、どこへ行く。どこかへ向かっていく。生命という「神秘」を載せて、向かうのは海か。それとも、違う場所か。いずれにせよ、この巨大な「ゆりかご」に舵はない。
 強くてニューゲーム なんて、便利なシステムは存在しないから。それでも、この宇宙船の行きつく先は、安寧の地であることは間違いないと、なぜか断言できるような気がします。