人鳥ゲームリプレイ
葉月氷菓
飛翔
地球はたくさんの問題を抱えていた。だから沈んでしまったのだろう。
地球に住む人類種が四度目の大きな戦争をはじめたのと同時に、
だが、それすら今の宇宙で起こっていることに比べればミクロな事象だった。LIGOの研究員のひとりが重力異常の真相に辿り着いた時、彼はすぐさま脱出を提言した。
──どこから?
──太陽系圏から。
「宇宙に大気が満ちている」
地球に棲む人類に観測し得る範囲などたかが知れているので、彼らにはそう言い表す他なかった。その異常事態は一体
何年かけて沈むのか。悠長に計算している時間はなかった。先刻まで戦争をしていた人類は智慧と技術と心をひとつにし、水星が太陽に飲み込まれる頃には、太陽系圏を脱する能力を備えた船を完成させた。それも、人類だけのものではない。地球という惑星に棲む、能う限りの生命を載せられるだけの、無数の船を。
やがて金星が太陽に沈む頃、大船団は飛び立った。太陽に沈みゆく地球に別れを告げて。
◆
「ペンギンという名の、飛べない鳥がいたらしい」
壱号の呟きに、皆は顔を上げた。〝顔を上げる〟というのは飽く迄も意識を自己から他者へ遷移する比喩を指し、実際に顔を持ち上げて壱号に視線を向けた訳ではない。そもそも肉体を持たない彼らに、それは実現不可能だ。
「鳥は飛ぶから鳥なんじゃないのか?」
弐号は言う。かつてK-Pg境界における巨大隕石由来の大量絶滅を生き延びた竜弓類の内、数多の鳥類もまた船に乗り地球を脱していた。津波や洪水で多くの地上に棲む生命が飲み込まれる中、多くの犠牲を出しながらも彼らは命懸けで羽ばたくことで空へと逃れたのだ。つまり人類の手を借りずして重力災害を多く生き延びた類稀なる種でもある。それ故に、仮に〝飛べない鳥〟が存在していたとしても、きっと重力災害から逃れることは難しく、運よく人類に保護されていなければこの宇宙船イヴァキュレイターに乗ることは叶わなかっただろう。釈然としない顔──もちろん比喩としての表情──の弐号に、参号が補足する。
「壱号が言っているのは、ヒトがカテゴライズした生物学的分類のことさ。翼を持つ、卵生の恒温脊椎動物。そういった幾つかの共通項を持つのであれば、それは鳥さ。空を飛ぶことは条件じゃない」
壱号、弐号、参号……というのは個体名を表すものではない。肉体という殻を抜け出し、意識体──魂だけの存在となった彼らは互いに外見による個体の判別・定義をしない。代わりに、数体が寄り集まってコミュニケーションを取る際には第一発言者を壱号、次の発言者を弐号……と一時的に定義し仮称するという習性をいつからか身に着けた。だからこの場で壱号と呼ばれる意識体も次の寄り合いでは別の仮称で呼ばれていることだろう。
宇宙船「イヴァキュレイター」は、船首・船尾にそれぞれ搭載された反物質バリア・ディバイダーで大気を弾くことで周囲を疑似真空状態にし、天体の引力によって常に嵐が吹き荒ぶ宇宙空間でさえ、超光速航行を可能としていた。しかし、何万年もの光速を超えた飛翔に搭乗者たちの肉体と精神の位相が少しずつズレはじめ、やがて完全に剥離した。閉所に格納されていた肉体から抜け出した意識体は自由に船内を動き回り、相互コミュニケーションを取りはじめた。精神体同士の交流は、旧来の言語を必要とせず、意識を触れ合わせることで互いの持つ情報を渡したり、受け取ったりする。元の肉体の種別などお構いなしにだ。だから、時にノミとヤモリとヒトとクロサイが一堂に会してわいわいと議論することも、決して珍しい光景ではなかった。そこには大も小も、強きも弱きもない、等しき魂だけの会合。そして誰もが、窮屈な肉体に戻ることなど考えもしなかった。果たしてイヴァキュレイターの「地球生命たる奇跡を塵に還させはしない」という理念は叶えられたのか。それとも永遠に失われたのか。その問いに答えられる者は今は居ない。
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