ネクロポリス

色街アゲハ

ネクロポリス

 余りの暑さに耐えかねて、打ち水した滴が庭の草木のそこかしこに残る中、その恩恵にあやかった形の、石の上に目を閉じたままじっと動かずにいる一匹の蜥蜴が目についた。

 見る角度によって緑色、赤、黄、青、と様々に色合いを変化させていく鱗が、岩に籠った熱とは対照的に、金属的な冷たさを見せていた。

 それを眺めている内に、私の中に此処ではない、何処か遠くの存在しない筈の街のイメージが浮かんで来るのだった。


 

 日中の陽射しから逃れる様に、誰もがこの街特有の分厚く白い壁の中に逃れた中、街の外観はまるで抜殻となった蟻塚の様な様相を見せていた。


 唯一、街中で賑わいを見せていた酒場では、ここの所人々の間で交わされるある噂について盛り上がっていた。

 こうして杯を交わしている者達の中に、密かに死神が紛れている、と。終いには、頭から深くフードを被り、剥き出しの歯列と細く乾いた指をカタカタ鳴らしながら、何事か良からぬ計画を練っているらしい所を、誰かが見た、などと云う戯言まで飛び出す始末。


 ドッと起こる笑い声。流石にそれは無い、第一、そんな奴が居たら一発で分かるだろうに、と至極尤もな意見に皆頷き合うのだったが、それでも噂自体は決して無くなる事は無かったのである。


 そんな屋内での喧噪を余所に、外では石と太陽だけが存在する静寂が世界を占めていた。

 建物に遮られた陽の光は、石の表面に留まり、その裏に黒々とした影を映し出す。

影と光との境い目は鮮明に分たれていて、まるで実態を持つ、物言わぬ生き物の様に蠢いていた。


 もしかしたら、この影こそが真の街の支配者なのかも知れない。そこら中に張り付き、この世界を密かに動かしている。動かしているのは時。その象徴となる物が、影を除いてこの世界で唯一動き移動する太陽。影の向く方向を見てみるがいい。全ての影の向く線の交わる一点。それは太陽のある位置に他ならないのだから。


 黒く、静かに少しずつ動いて行く影から伸びた、見えない糸の様な力が、太陽を、作り物に過ぎない太陽をジワジワと動かして行く。直接眺めた所で目を傷める事の無い太陽。それは、この街、延いてはそれを包み込む世界その物が 作り物であることを暗示していた。


 そう言われれば、この街を形作っている石も、何処となく重量感に欠け、まるでドロドロに溶かした白い紙を捏ね上げた様に見える。そして、シミ一つない青空は、印刷された厚紙。

 

 街の人間は誰一人この事に気付かない。そして、夕暮れの時刻が近付くと、青い空の上に、淡紫色の薄いフィルムが一枚、また一枚と重ねられて行く。始めの内は、そのフィルムは赤系に傾いている為、幾枚も重ねられて行く内に、見事な夕焼け色の空が出来上がる。

 それから、フィルムは徐々に濃青色を強めて行く。夜が近付いてきたのだ。フィルムの表面には、今度はごく薄く蛍光色の点が無数に鏤められており、フィルムの束が夜の色を強めて行くにつれ、点の光も少しづつ強くなって行く。

 こうして、最後には空は完全に夜一色となり、そこには明るく輝く星々が数え切れない程に座っている。


 街の人々は眠りに就く。自分達がこんな危うい状況に置かれている事に気付く事無く、目に眠りの粉を掛けられたかの様に、深い眠りの中に落ち込んで行く。


 代わって、何か、人の気配とは明らかに違う何かが、静かに目を覚まし始める。それは家々の奥深く、紙で出来た家の壁を引っ搔く、乾いた微かな音から始まる。その音は、細い、今にも折れそうな指から齎されたもので、やがて、それが街のあちこちから聞こえだし、互いを呼び合うかの様な応答になって行く。


 遂に、街に自分達しか存在しない事を知ると、彼等はゆっくりと姿を現わす。街の中央広場に集った彼等は、空洞になった眼で互いを見交わすと、今夜も又、今までと同じ様に、各々の持ち寄った物を確認し合う。


 その度に、誰ともなく首が横に振られる。それ等のどれ一つとして、彼らの目的に適う物では無いのだから。


 何の収穫も得られないまま、この異様な会合が終わってしまうかと思われたその矢先に、遂に、彼等は見付け出す。彼等をこの地に縛り付け、外の世界へと抜け出す事を阻んでいる、忌わしいこの街を葬り去る事の出来る物を。


 それは、古ぼけた一つのマッチ箱。これなら、全てが紙で出来たこの街を余さず焼き尽くす事が出来る。その時こそ、彼等は完全に開放され、何処へなりとも望むがままに行き来する事が出来る様になる筈だった。


 今にも崩れ、毀れ落ちそうな細い指で、彼等はマッチを擦る。中々火は点らない。殆どのマッチは、古くて使い物にならなくなっているか、或いは、それを確かめる間もなく軸が折れてしまうかの末路を辿るのであったから。


 しかし、マッチの残りも少なく、いよいよ尽きようか、と云う所で、不意に一点の輝きが、彼等の顔を照らし出す。肉のゴッソリ抜け落ちた顔。不安定な顎を鳴らしながら、彼等は見守る。火の点ったマッチは高々と掲げられ、今にも街へと移されようと揺れていた。


 突然の出来事が、彼等を脅かす。頭上に掲げられたマッチの火が、空に垂れ下がった幾層にも重なるフィルムに燃え移り、忽ちその火は空全体に燃え広がって、手の付けられない有様になってしまった。


 声にならない悲鳴を上げて逃げ惑う彼等に、容赦無く光の海が雪崩れ掛かる。為す術も無く、彼等は元いた場所へと逃げ帰って行く。


 彼等の時間は終わりを告げる。夜が終わり、今や朝の到来を示す朝焼けが、空を真っ赤に染め上げていた。


 陽の昇る時刻ともなれば、彼等はもう人の姿に戻っている。彼等は、自分達が夜の間眠っているとばかり思っている。彼等は此の街を出た事が無い。その事を、彼等は自分達の街に対する愛着であると信じて疑わない。自分達が、この街に閉じ込められているという事に、全く思い至らずに。


 昼の時間は、夜の会合がそれ以上続かない様にする為の物である。人の姿になるのは、夜の間に起きた事を忘れさせる為。そうすれば、彼等は次の夜もきっと同じ過ちを繰り返す事になるだろうから。


 恐らくこの事実を知るのは、遠くこの事を見ている私だけだろう。いや、もう一人いた。この街の真に所有者であるところの死神が。

 彼は一匹の蜥蜴に姿を変えて、街外れの一際目立つ岩の上で、街の様子を眺め続けている……。


 私の意識はここで急速に薄れて行き、死者の住まう街は、何処とも知れない遥か彼方へと遠ざかって行く。そして、私は何時もと同じ、夕暮れの中に佇んでいる自分に気付くのだ。

 

                               終

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