雨の文芸三題噺「アンブレラ」
武藤勇城
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「アンブレラ」
「雨は嫌いよ」彼女は言った。
「朝、髪の収まりが悪いの。憂鬱だわ」曇天を見上げながら、つっけんどんに吐き捨てた。
あれはいつだったろう。同じクラスになった高校二年生。初対面から数ヶ月、クラスメイトの顔と名前が一致する頃……そうだ、今と同じ五月の梅雨時。
「雨の日は嫌よ」彼女は言った。
「靴は泥まみれ。車に水を跳ねれる」不機嫌な声で、何故か僕が睨まれた。
高校から駅へ向かう帰り道。たまたま一緒になって、傘を差し肩を並べて歩いた時だ。
彼女と付き合う切っ掛けは何だったろう。よく覚えていない。けど、いつもしかめっ面で、愛想を振りまくなんて出来ない彼女が、何となく愛おしく思えた。お互い農家に生まれ、話が合ったのも大きい。最も、農業高校なので生徒の大半は農家出身。だからこの理由はこじ付けというものだ。
高校を出て家の手伝いを始めた。農業大学に進む必要性を感じなかった。それよりも早く一人前になりたかった。彼女も高校を出ると、実家に戻って名産のフルーツを育て始めた。彼女の家まで車で二十分。免許を取る前は自転車で、免許を取ってからは親の軽トラで。足繁く通った。
彼女と付き合い五年。傘を並べて歩いたあの頃とは違う、二人で入れる大きな傘を買った。軽トラの助手席に座る彼女は、傘を抱えて少し嬉しそうに見える。
「雨は嫌いだったよな」
「うん……」
「髪が気になるんだっけ」
「そう。今朝もセットするのに一時間かかったわ」
「悪かったな、こんな日に誘っちまって」
彼女は答えない。けど、それほど不機嫌でもない。
「歩行者。水を撥ねないでね」
相変わらず愛想なしに、窓の外を眺めて言う。
「まだ早かったな」
唯一の繁華街。開店まで、あと五分ほどある。
「もう少し車の中で待つか?」
「行こ」
「いいのか? 雨だし、少し外で待つぞ?」
「いいの」
車を降りて助手席側に回り、ドアを開ける。彼女の膝の上にある新品の傘を広げる。駐車場から歩道に出て、店まで数十メートル。
「雨は好きよ」彼女は言う。
「今は貴方がいるから」傘を持つ左腕に彼女が縋り付く。
宝飾店の前で足を止める。五月生まれの彼女の誕生石を受け取り、店を出る。雨はすっかり上がっていた。彼女の細い指に婚約の証を嵌めると、一瞬、今まで見たことのない笑顔を浮かべてから、恥ずかしそうに俯く。
「本当はね。憧れていたの。相々傘……」
足元の水溜まりが、濡れた樹々を映し、婚約指輪と同じエメラルドグリーンに輝いていた。
雨の文芸三題噺「アンブレラ」 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro
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