彼女が風邪をひいたので。

伝々録々

彼女が風邪をひいたので。

 彼女が風邪で大学を休んだ。

 一応断っておくと、ここでいう彼女とはガールフレンドの意味である。


 僕は良い彼氏なので愛する彼女のお見舞いに行くことにした。彼女は一人暮らしなので差し入れも必要だろうと思い、事前にメッセージを送っておく。


『これから行くけど、何か買ってきて欲しいものある?』

 彼女からの返信は僕がスーパーマーケットに着いた直後だった。


『愛と優しさがほしいです』


 どういう意味だ……?

 僕は眉を顰めた。

 愛。そして優しさ。どちらも意味はわかる。だがそれらを買ってきてほしいとはいったいどういうことだろうか。


 正直、まったく見当がつかない。


 だが僕は頭がいい。だから考えればこの謎も解けるはずだ。

 考えられるのは何かの比喩。愛情一本的な栄養ドリンクが真っ先に思いつくが、彼女はその手の飲料は苦手だから飲まないと言っていたのを記憶力のいい僕は覚えている。愛は別の何かを指しているに違いない。

 優しさの方はなんだろう。優しさを謳って健康面をセールスポイントにしている食品は度々見かけるが、それだけではどれのことだか特定できない。商品を絞り込むには情報が足りない。


 ……いや、待て。


 僕は考える。

 一見意味不明の文字列に意味が隠されている……つまりこれは暗号だ。


 そして暗号解読には様々な鍵がある。子供の遊びであるたぬき暗号にすらたぬきという鍵があるのだ。文字をそのまま解釈しようとしていたらいつまで経っても正解には辿り着けない。『愛と優しさ』という意味不明な文字列をどうにかして復号する必要がある。


 まずは簡単なところで、単語を別の言語にしてみる。といっても外国語がわかるなんて話は彼女から聞いたことがないので、あるとすれば英語くらいだろう。

 愛は英語でラブ。スペルはLOVE。

 優しさを意味する単語はいくつか思いつくが、彼女は英語もさほど得意ではなかったはずなのでカインドネスあたりだろうと予測しておく。スぺルはKINDNESSだ。

 LOVEとKINDNESS。

 頭文字はLとK。

 だがLKで思いつくものは特にない。僕は困ってしまう。

 そうこうしているうちにスマホが鳴る。彼女からまたメッセージが届いていた。


『たぶん何か買ってこようとしてると思うんだけど、何もいらないから早くきて欲しいな。寂しい』


 一見、何も買ってこなくていいと言っているようである。

 でも彼氏たる僕はこのメッセージに裏があることに気づく。

 このメッセージの要点は「早くきて欲しいな」と「寂しい」だ。つまり何もいらないというのは本当はいらなくなどないのだ。ただ遠慮をして言っているだけで、本当に何も買っていかなかったらガッカリするのである。

 よって僕は可及的速やかにこの暗号に隠された真のメッセージを解明し、必要なものを購入して彼女の元に向かわなければならない。


 僕は頭脳をフル回転させて暗号を解読し、買い物を済ませて彼女の家に向かった。

 インターホンを鳴らすとしばらくして彼女が出てくる。パジャマのままで髪も乱れていて、表情も明らかに怠そうで、僕は心配になる。


「遅い」


 口ではそう言う彼女だけど、その声音はどこか嬉しそうだと僕は感じる。

「ごめん。買い物に時間がかかっちゃって」

「まあいいけど。とにかく入って。立ってるの辛いから」

 そうして僕は彼女の部屋に案内される。

「はいこれ、差し入れ」

 と、僕は買ってきたものを部屋の中央の机に置いた。

「ちゃんとご所望の通りのものを買ってきたよ」

「……何もいらないって言ったのに。……えっと、バナナと紅茶かな?」

「そう、バナナと紅茶。正確にはセイロンティーだよ」

 僕は自信満々にそう言った。何故ならあの暗号の意味がわかったからだ。


 愛と優しさ。英語に変換して頭文字を取ってLK。小文字ならlk。だが思いつくものがなかった僕はスマホでlkを検索してみた。


 すると、lkはスリランカのドメインだった。ドメインとは簡単にいうとインターネットでの住所のことで、日本ならjpだ。なぜスリランカがlkなのかはまったくわからないし僕も知らなかったのだけれど、lkをインターネットで検索して最初に出てきたのがそれだった。

 そして次にスリランカの名産を調べると真っ先に出てきたのがセイロンティーだった。さらにバナナもおいしいらしいという。紅茶の抗菌作用は風邪にいいというし、バナナは栄養満点だ。風邪の差し入れとしては申し分ない。


「そこで僕は確信したんだ。君が買ってきてほしかったのはバナナとセイロンティーに違いないって。さながら名探偵って感じだろう。まあ、バナナはフィリピン産だけどね」

 僕がひとしきりの推理を語って聞かせると、彼女はどうしてだか重い溜息を吐いた。


「……はいはい。よくできました。大馬鹿迷探偵さん」


 何故か呆れている風だったが、その目元は笑っているようにも見えた。

 そんな彼女を見て、やはり僕は自分を良い彼氏だと再認識する。

 間違いない。

 だって僕はちゃんと理解している。僕が彼女のために頭を悩ませれば悩ませるほど、彼女は僕に愛と優しさを感じるのだと。


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彼女が風邪をひいたので。 伝々録々 @denden66

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