第11話 死ぬまでにやりたいこと
「次はね、カフェを開こうと思ってるの」
孫の小川杏奈は、スマホから顔を上げて、
「かふぇー!?」
と、間の抜けた声をあげた。
「そう、もう死ぬまでにやりたいことは、全てやってきたわ。最後は、カフェだけ」
夫が先立ってから、一年。ずっと寄り添ってきた夫が、いなくなってしまったことは、櫻子にとって世界が終わったのと同じくらいの出来事だった。
そんな時、孫の杏奈が一冊のノートを持ってやってきた。ノートの表紙には、『死ぬまでに、やりたいこと』と書かれていた。
眉根を寄せて、孫を睨みつけると、杏奈はニタっと笑って、こう言った。
「おばあちゃん。死ぬのは、まだでいいでしょ?」
全く、最近の若い子ったら! という怒りは、ノートを受け取った瞬間に、不思議と消え失せた。
「そうね、まだでいいわ」
その日から、二人は「おばあちゃんの死ぬまでに、やりたいこと」を一つずつ遂行していった。
麻雀に行ってみたり、眠い目を擦りながら深夜ドラマを見たり、朝からお酒を飲んで、夕方まで寝たり。
他愛もないことを一つ一つこなしていくのは、楽しかった。
「最後のやりたいことが、デカすぎて、流石にあたしもお手上げなんだけど」
いじっていたスマホを机に置いて、杏奈はンーと喉を鳴らした。
「おばあちゃん。カフェって言っても、一人じゃ出来ないよ? それにさ、どこにカフェ作るの? お金は?」
「大丈夫。お金も人手も考えてあるわ。それに、場所ならあるわ」
櫻子は大げさに、一呼吸置いてから、
「ココよ!」
と両手をバンザイして、叫んだ。杏奈は、頬杖をつきながら再び、ンーと言った。
「いーじゃん、サイコー! 賛成! だって、おばあちゃんのやりたいことだもん!」
櫻子と杏奈は手を取り合って、はしゃいだ。杏奈の楽観的な性格は、誰に似たのかしらと櫻子は考える。……私?
「あ、でもおばあちゃん。その髪色は直した方がいいよ。お客さん、びっくりしちゃうよ」
「えー、ダメ?」
「ダメだよ。若者に言わせないでよ」
櫻子は、毛先をつまんで、自分の髪を名残惜しそうに見つめた。
櫻子だから、サクラ色に染めたのに……。
子どもたちの反対はもちろんあったが、櫻子は我が家をカフェと自宅に分けて改築してしまった。
スタッフは、ご近所友達の、のりちゃんだけ。
おばあさん二人じゃ心許ないわね。ババアのカフェになっちゃう。杏奈は、手伝ってくれなさそうだし。誰かスカウトしに行かないと。
櫻子は特に計画もなしに、外へ出た。
杏奈と一緒に『死ぬまでに、やりたいこと』計画を始めてから、自由気ままに過ごしてきたつもりだ。周りから見たら、無計画、無謀なことだと思うだろう。以前の私だって、そう思う。
けれど、今までずっと、自分のことは後回しでやってきたし、何事も計画的に目的を持って、進めてきた。そして、それは労力も時間もかかることを、櫻子は知っている。
どうせいつかは、死ぬのだ。やりたいことを形あるものとして、残したい。思いついたら、やってみる。それが、櫻子のカフェ計画だった。
そんなことを考えながら歩いていた時、桜の木の下でうずくまる女性を見つけた。吸い寄せられるように、足を止めた。
桜の花びらが、舞う。
色白の女性は、黒髪が風に弄ばれていても、気にしない。ただ、そこに座って、どこか別の世界を見つめているような、目をしていた。
ちょっと、不気味ね。
櫻子は目を合わせないように、早歩きで通り過ぎた。
ご近所の友達や麻雀で知り合った人に、カフェの話をして回ったが、みんな「面白そうだね」と言うだけで、乗り気ではないようだった。
「収穫ゼロね」
諦めて家に帰ろうと、来た道を戻っていた時、櫻子はヒャッと小さな悲鳴をあげた。
「やだ、桜のおばけかしら」
出がけに見た、桜の木の下にいた女性は、全く同じ格好で、同じ場所にいた。
夕陽が綺麗な日だった。散る桜の花びらが、金色の光に照らされて、その桜の木の周りだけが切り取ったかのように、神秘的な世界だった。
「こんなに美しい日なのだから、成仏してよね」
ナムナムと櫻子は呟きながら、通り過ぎたが、ふと足を止めた。
女性は、泣いていた。音もないその空間で、生気を失った顔で、涙を流していた。
「あなた。風邪をひくわよ」
近づくと、女性は黒目だけを櫻子の方に向けた。声をかけられて初めて、そこに人がいたことに気がついたようだ。
「私は、小川櫻子。よかったら、話を聞くわ。時間は無駄にあるのよ」
女性の隣に腰をかける。桜がひらひらと落ちてくる。まだ落ちたくない、まだ落ちたくない。そう言っているように聞こえた。
どのくらい沈黙が続いたか、櫻子も覚えていないが、ポツリ、ポツリと女性は話始めた。
話が終わる頃には、日が暮れていた。胸が痛む話だった。よいしょっと、櫻子は立ち上がった。
私、決めたわ。
「ハナさん」
櫻子は、女性の名前を呼んだ。
「あなたに聞きたいことがあるわ」
ハナさんは、力なく顔を上げる。
「今、無職?」
面食らった顔のハナさんに、櫻子は畳み掛ける。
「あなたに居場所と仕事をあげる。その代わり、私に力を貸してくれない?」
目をパチクリさせて、ハナさんは櫻子を見つめる。
「今、決めたわ。私、カフェを開くのだけれど……赤ちゃんや子どもを持つ親の為に、居場所を作るわ」
櫻子は、ハナさんの手を取り、立たせてあげた。
「ハナさん、児童憲章を知っている?」
ハナさんは、首を横に振った。
「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んぜられる。児童は、よい環境の中で育てられる。私、そういうカフェを作りたいの。どう? 手伝ってくれる?」
櫻子の手を握ったまま、ハナさんはしばらく考えていた。次にハナさんが顔を上げた時、彼女の表情は、生気を取り戻していた。
「よろしくお願いします」
ハナさんは、微笑んだ。目尻から涙が流れた。流星のように綺麗な弧を描いていた。
櫻子とハナさんは、夜道を一緒に歩いた。
「カフェの名前だけれど、ハナサクカフェってどうかしら」
「花咲くカフェ?」
「ハナさんと咲翔くんから名前をとって。いつか、二人が再会できますようにって、願いを込めて」
霞みがかった春の夜空には、星が瞬いている。
きっと。いえ、絶対に。
二人をもう一度会わせてあげたい。
櫻子は心の中で、また「死ぬまでに、やりたいこと」リストに一つ項目が加わったわね、と独り言を言い、祈るように目を閉じた。
ハナサクカフェ あまくに みか @amamika
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