第十話『人工島特区とクジラ』

〈大黒柱『琵琶』に到着します〉

 憎たらしい|海三三九〈うみさざんく〉の声。


 シャトルのフロントガラスのすぐ向こうには、真っ黒な太い柱が、海から伸びているのが見える。柱の頂上からは、無数のTubeが放射状に広がる。この柱には、Tubeはあるが、アクアリウムは存在しない。代わりに、数千年前はこの地球に腐るほどあったという、森林、というやつが円形に広がっている。人がそれほど多く済んでいる気配はない。多分この柱を上空から見下すと、タコやイカをひっくり返したような見た目をしているだろう。緑色だから、食欲は湧きそうもないが。


 シャトルはゆっくりと減速し、Tubeの束、収束地点に入ると、ほとんど揺れもなく、スムーズに停止した。

 席についたまま、大人しく待つ。

 シャトルの扉が開くと、

 すらっとした若い女が入ってくる。


〈ようこそ、ブラック・ワン。交代の要請に応じていただき、ありがとうございます。こちらにいるのが、ブルー・リーダー〉

 海三三九が、俺と女の間を取り持つ。


 ブラック・ワンか。俺よりも五つも上の階級だ。やはり柱の民は格が違うのか。


 そして女の第一声、

「これはシャトルA15127、お前は内藤湛山たんざんで間違いないな?」


 この女、俺の苦手なタイプだ。一言で表せば、女豹のような女。目力のある目と、細くもはっきりとした眉は外側に向けて上がっている。顎下あたりまでの黒髪。俺はその髪型を何と呼ぶのかは知らないが、とにかく小洒落たスタイル。


 俺は舐められないよう手際よくベルトを外して、立ち上がる。


「ああ、そうだ。そういう君が月石黒音つきいしくろねかい? いやぁ、交代すまないねぇ。外せない用が入ってしまってな。スケジュールは……おい海三三九、表示してくれ」

 俺の声に応じて、海三三九は従順に、エクシウム・ガラスの壁に立体画像が映し出し、

「こんな感じ。引き継ぎの分、少し遅れるだろうから、ミニヤ・コンカに着くのは十四時半くらいかな」

 俺は良かれと思って補足する。


「言われなくても見ればわかる。にしても、関税がやけに高いな。二〇〇〇〇クレジット?」

 女はいちゃもんばかりつけてくる。


「そう、積荷があってだな。ミニヤ・コンカに持ち込む関税がやけに高いから、その中身が気になって、海三三九に聞こうとしたんだが……。おい海三三九、積荷の中身は?」

 ダメ元で尋ねる。


〈すみません、アクセスを拒否します。重要機密につき、上級責任者権限を要します〉

 同じ文言の再放送。


「ほら、この通り」


 女は偉そうに腕を組み、

「ふん。ならば、私が聞いてみよう」

 と提案するが、


〈すみません、アクセスを拒否します〉

 拒否。この秘密主義者め。


 女もアクセス権がないのなら、俺のプライドも保たれる。

「なんだ、柱の民の君も、ペーペーか」

 と、煽っておく。


〈ブルー・リーダーには、上級責任者権限がありません。ブルー・リーダーが下車後、お伝えします〉


 くっ、そっちの線だったか……


「なんだよ、俺のせいかよ! そんなに柱の民が偉いのかよ!」


 女は、俺の喚き声は無視して、

「ちなみに……内藤、だったか? お前は出発早々引き返してどこへ何しにいくんだ?」

 と、高圧的に聞いてくる。


 おいおい呼び捨てか。身分だけ高くて、若いくせに生意気な女だ。

 こうなったら……


「すみませぇん、アクセスを拒否します! 重要機密につき、上級責任者権限を要します!」

 真顔で、大きめの声で。

 

 へっ、見たことか。


「冗談はよせ、お前はTube修復部隊だろう? どうせ人口島特区の奴らの襲撃でもあったんだろ」


 なんだよ。全てお見通しってか? 癪に障るなぁ。

 こうなったら、ヤケクソだ。


「そうですよっと。俺は生粋のブルーワーカーだからな! ブラックの身分にはほど遠いが、仕事内容はブラック!」


 俺の渾身の自虐に、

 女は苦笑い。


「誰もそこまで聞いていない。輸送が遅れるとまずいから、早く出て行ってくれ」


 冷たいやつだ。この女を、第一印象で女豹と形容した俺の勘に狂いはなかったみたいだ。が、どうせ二度と会うこともないだろう。適当な捨て台詞を吐いてずらかろう。


「あいよ、腹黒い柱の民さん」


 俺は女に背を向けたままそう言って、シャトルを降りる。 



***



__富士本部から北西へ二百海里 アクアリウム『南海第一』内にて__


 俺が今いるのは、四方八方を海の青で囲まれたガラスの箱、アクアリウム『南海第一』。五階建て、そこそこのサイズ。普段は、大和国の唯一のエネルギー資源であるメタンハイドレートの採掘場の作業員が寝泊まりするベッドタウンだが、今は復旧作業のためのTube修理部隊でごった返している。おそらく大味であろうチェーン展開の飲食店がずらりと並ぶが、今は食事どころではなく、客はいない。そこには客の代わりに、襲撃による負傷者たちが運び込まれている。建物内の随所に、アクアリウムの底から天井めがけて伸びる透明な柱状の構造物。エクシウムの壁化の性質を活かしつつ、上昇には浮力、下降には水圧を利用したエレベーターだ。柱とエレベーターの籠の間には、海水が満たされており、昇降の度に生じる水の泡が、レンズの役割を果たして中の乗客の姿を歪め、拡大させる。


 一人の男が、こちらに手を振りながら駆けてくる。

「ちょっとブルー・リーダー! 遅かったじゃないですか!」


 部下の中でも、一際腕の立つ、ブルー・ワンだ。


「おお、ブルー・ワン。すまない、ヒマラヤ方面に向かう途中だったもんでな。蜻蛉返りさ。こっちも参ったよ」

 遅れた言い訳に、一応、被害者ヅラしておく。


「それはお疲れ様ですねぇ。で、今回の襲撃はかなり派手ですよ。ほら、向こう見てください」

 ブルー・ワンは、俺がついさっき降りた、西のシャトル発着場とは正反対に位置する、東の収束地点を指差す。


「ああ、そのようだな」

 アクアリウム自体に被害はない。が、本来は数十本のTubeの束が伸びているはずのアクアリウムの収束地点は、綺麗さっぱりごっそりと吹き飛ばされているのが確認できる。砕けたエクシウム・ガラスの透明な残骸が、海中に射し込む太陽光の反射によって、見え隠れする。

 

「収束地点が的確に狙われてます。音波攻撃に利用されたクジラは、よーく飼い慣らされていたんでしょう。メタンハイドレートの採掘従事者のおっちゃんが言ってました。ガス・プラットフォームまで行こうと、シャトル発着場に入ろうとした矢先、海中から、三十メートルもあろう巨大クジラが飛び出し、鳴き声を上げた。鼓膜が引っ張られるような不快な高音が数十秒続いて、気づいたら、目の前のTubeは崩壊。幸い発着場へのゲートは閉じており、おっちゃんは海に落ちずに済んだそうです。こうも言ってました。運悪く早めにシャトルに搭乗していた同僚は、ガラス片が全身を貫いて多臓器不全……」

 ブルー・ワンは、扇情的に、被害報告をする。が、俺が欲しい情報は、もっとこう、事務的なやつだ。


「人口島特区の奴らは血も涙もないな。建物の被害状況と、修理の進捗は?」


「アクアリウム『南海第一』東収束地点、上りTubeの半分の十本が一海里に渡って半壊。下りTube全二十五本が二海里に渡って全壊・崩落。発着場もシャトルも木っ端微塵で、どれも使い物になりません。修理は、全く進んでいません。目下、富士本部からの船が、替えのTubeを輸送中です」

 ブルー・ワンは、甚大な被害を無感情に淡々と報告するが、それが仕事というものだ。


「つまりはクジラは下りのTubeを狙ったということか。音波攻撃に巻き込まれたシャトルの乗員、積荷とその輸送依頼主を洗いざらい調べた方が良さそうだ、と上に提言するべきだな。積荷の損害は?」


「破壊されたシャトルには、合計三十の積荷がありましたが、うち二十四個は中身の無事はともかく引き揚げ済み、残りの六つは行方不明。人口島特区の海賊たちはその六つが目当てだったんでしょう。ちなみにいずれもアラスカの大黒柱『デナリ』由来のものです。なんでも、高価なブツだったみたいです」

「高価なブツ?」

 その言葉が、俺の耳に引っかかった。


「ええ。そのブツ、ヒマラヤ方面へ運ばれる予定だったらしいんですが……関税だけで、一つあたり二〇〇〇〇クレジットらしいですよ?」


 俺は、その記憶に新しい数字を聞いて、ゾッとした。


「二〇〇〇〇クレジット……待てよ、俺がさっき乗ってたシャトルの積荷の関税も……いや、なんでもない」

 ついボソッと呟く。


 ブルー・ワンは首を傾げ、不思議そうに俺を見る。

 が、すぐに、次の話題を見つけた様子で、

「あ、そうそう、積荷の中身は石ころのようなものらしいですよ? ネイビー・リーダーをやってる知り合いに聞きました」

 と教えてくれた。


「石ころねぇ……」



***



__大和国から遥か東の海で__


 夜。


 空には丸い、黒い月ダークムーンが小さく見える。


 海から放たれる、小さくも眩しい白い光。


 いや、光は海からではなく、そこに浮かぶ何かから放たれている。


 光は、その何かの輪郭をちょうどかたどるように配置されている。


 のっぺりとした、クラッカーとも座布団ともとれる見た目をした、浮島のようなもの。


 その上には、黒い帯状の構造物が所狭しに敷き詰められ、その合間を縫うように、背の低い建物がポツポツと見える。


 人の姿もある。


「おいお前! 操舵を誤るんじゃあないぞ? 底なし渦には、絶対に近づくなよ!」

 暗くさと眩しさではっきりと見えないが、とにかく男の声。


「はい兄貴! あ、向こうにクジラが見えますよ? ひょっとして、姉御が戻ってきたんじゃ……」

 子分らしき男の声。


 白く泡立つ塩水を引いてくるのは、体長三十メートルもあろう巨大なクジラ。


 その、背に乗る、ウェットスーツの女性。

 顎下までの黒髪が、塩水で顔にまとわりついている。


 浮島の光の一つが、女性とクジラの方に向けられる。


 光に怯む女性は、腕で目を守りながらも、

「おっと眩しい! 石、とってきたどー!」

 と元気よく叫んだ。


●●●●●●●●●●●●

【Tuberの階級】黒に近づくほど位が高い。黒、藍、紫、青、緑、黄、橙、赤、桃、白の十種類。

●●●●●●●●●●●●


〈第十一話『石と姉妹』へ続く〉

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Tube 加賀倉 創作 @sousakukagakura

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