洗濯機の中で歪む次元
遠部右喬
第1話
その日、私は洗濯ハンガーの前で、洗いたての一枚の布を手に佇んでいた。
洗濯物を干す際、常々疑問に思っていたことがある。
「何故パンツは、洗濯機の中で裏返しになってしまうのか?」
この「パンツ」は、ボトムスの事ではなく下着のことである。
解決法は簡単だ。ネットに入れて洗えばいい。もしくは手洗いでもすればいい。それを分かった上で、敢えての疑問だ。
洗濯機にパンツを放り込む。この時点では表裏は正しい向きになっている。
洗濯機を回す。因みに我が家の洗濯機は、乾燥機能などと無縁の武骨な縦型である。
洗濯物を取り出し、皺を伸ばす為に広げる……と、不思議なことに、高確率で裏返っている。何故だ。
真っ先に浮かんだのは、「思い込み」である。十の日常より一の非日常が印象的であるのと同じく、ほんの数度の出来事を、あたかもしょっちゅう起きていると錯覚しているだけなのかもしれない。だが、この日洗濯したパンツは全て裏返っていた。これは思い込みなどでは無い、紛れもない事実である。
ならば、材質に起因している現象だ、という仮定はどうだろう。敏感おハダの私のパンツは殆どが綿100%、かつ、お安い代物だ。水流の抵抗と他の洗濯物との摩擦が主である表面(外側)に対し、裏面(内側)には更に自身の擦れも大きく加わる筈だ。その結果、表裏の摩擦抵抗に著しい差が生じ、徐々に捲れていくのではなかろうか。メーカー様に申し訳ない言い種になるが、所詮は安物、布地の摩擦抵抗が高いのではないか。
これは中々いい考えに思えた。そこで、ある実験をしてみることにした。
パンツを洗濯機に放り込む際に、
愉快な心持ちで、手にしたパンツを洗濯ハンガーにかけていった。
*
三日後。
ピピピーピーピー。
洗濯機の仕事終了のお知らせに、いそいそと洗濯機の蓋を開け、洗濯物を取り出した。
ハンカチ。
タオル類。
寝巻代わりのTシャツ。スウェット。
ネットに入れた、痛んでほしくない衣類達。
その他、こまごまとした小物。
色々。
そして――裏返ったままのパンツが三枚。
「?」
確かに三枚とも裏返して洗濯機に突っ込んだ。なのに何故、今もって裏返ったままなのか。これは仮説が間違いだったという事か。
私は嘆息し、黙々と洗濯物の皺を伸ばした。
それから数時間後。
取り込んだ洗濯物の山から三枚のパンツを取り出し、改めて観察してみた。仮にそれらをA、B、Cとしよう。A、Bはメーカーは同じだが、それぞれサイズ感と手触りが微妙に違う。Cはメーカーが違い、かつ、お値段も私の持っているパンツの中ではぶっちぎりにお高い逸品である。デザインは三枚とも、いわゆるボクサータイプだ。
Aを手に取り、そっと撫でてみた。これとも随分長い付き合いだが、今更ながら表裏で僅かながら手触りが違うことに気付く。してみると、今回これが裏返らなかったのは(あるいは、今迄裏返り続けたのは)、
さて、Bである。こちらは、表裏の手触りに違いを感じない。目を瞑って触ったら、縫い代とタグの有無以外では表裏の区別がつかないだろう……はた、と手が止まる。それはむしろ、大きな違いがあるという事ではないか。だが、ツナギから靴下まで、大抵の布物の内側には縫い代とタグがあり、それでいて、洗濯中に全面的に裏返るような事は滅多に無い。裏返るのはパンツだけなのだ。どういうことだ。
一旦Bの考察を中断し、Cを手に取る。A、Bに比べ、ウエストのゴムは太目で布地面積も少々大きめ。表裏同じ手触りの織りだが、表面(今回の洗濯時に内側に向けた面)にはペイントが施されている。もしかしたらこのペイント材が摩擦を減らし、裏返りを阻害したのかもしれない。何故なら、こいつもこれまでの洗濯の際、ちょいちょい裏返ることがあった様に記憶しているからだ。であれば今回の結果は、ペイント材が要因と考えても良いかもしれない。
私は一人頷き、それぞれを丁寧に畳んだ。
*
前回の実験から十七日後の、晴天。
二週間以上時間が空いているが、無論その間も洗濯はしている。幾多の洗濯物と共に、この間に洗ったパンツは十四枚(正確には一種×四回、二種×三回、二種×二回という、五種類を洗いまわしていた)。その内の何枚が裏返るかを確認してみた所、結果は十四枚中九枚が裏返っていた。思ったよりも少ない印象だが、この話の冒頭の「パンツ全て裏返り問題」も確率的にあり得なくは無い程度には偏りがあるように思える。また、あくまで感覚だが、どれが裏返りやすいという明確な違いも無いようであった。
さてこの日、洗濯機の中では、五枚のパンツが水に踊っていた。今回は他の洗濯物を排し、これらだけ洗ってみることにしたのだ。非常に不経済だ。もう二度とこんなことはしないと己に誓う。
五枚の内訳は、以前と同じA、B、C、それに加え、Aとセットで購入した同形同布で色違いのA´、Bとセットで購入した同形同布で色違いのB´、となっている。因みに、A´とB´はタンスから取り出したばかりの未着用の状態だ。A、Bは裏返し、A´、B´、Cは裏返さずに洗濯機に入れてある。洗濯後にA´が裏返っていれば布地による現象、B´が裏返っていればタグと縫い代による現象、A、Bが順向きに戻っているかCが裏返っていれば単なる確率で裏返る、という傾向が、ザックリながら示唆されるのではないかと考察したのだ。
ピピピーピーピー。
洗濯機が、業務終了のお知らせメロディを高らかに鳴らす。さて、どうなっているだろうか。
マジックショーの観覧のような心持ちで胸高ぶらせ、蓋に手をかける。
It's showtime!
「……??」
A、Bはそのままの状態、A´、B´、Cは面が入れ替わっていた。五枚ともが、表面が内側――裏返しの状態だったのだ。
これはもう、「パンツ」という状態が、洗濯機の中で特異な現象を引き起こしているという事ではないだろうか。
成程、我が家の洗濯機の中は、私という観測者が存在することで、パンツ限定で次元が歪む仕組みにでもなっているのだろう。ならば、その事実を受け入れるしかない。
数時間後。
洗濯ハンガーのピンチに挟まれた洗濯物達が、風にはためいている。
良く乾いた彼等を取り込み、その中でも特別な五色の布を手に、私は結論した。
「確実に無駄な実験だった」……と。だが、満足である。
床に放られた洗濯物達を黙々と畳む私の口元には、ぬるい笑みが浮かんでいるのであった。
洗濯機の中で歪む次元 遠部右喬 @SnowChildA
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