壱 海女 その二

しかしそれも束の間のことでした。

時間が経つにつれて、磯場が徐々に沈み始めたのです。


わたくしども三人は狭くなっていく磯場の上で、身を寄せ合うようにして小さく固まりましたが、段々と足元に水が押し寄せてきます。

わたくし共は大鱶おおぶかが襲って来るのが恐くて、ブルブルと震えておりました。


しかし大鱶は人二人を喰らって腹がくちたのか、辺りから姿を消していました。

しかしホッとしたのも束の間、大鱶よりも恐ろしいものが、わたくし共を襲ってきたのでございます。


カツでした。

海の中から磯場に取りついたカツの顔は、それは恐ろしい形相をしておりました。


それよりも恐ろしかったのは、カツの乳より下がくなっていたことでございます。

恐らく大鱶に食われてしまったのでしょう。

それでもカツは生きていたのか、はたまた、カツの怨念だけがわたくし共を襲ってきたのか、今となっては分かり様もございません。


磯場に取りついたカツは、一番近くにいたスエコの足を掴むと、物凄い力で海に引き込んだのです。

そしてスエコの頭を後ろから鷲掴みにして、激しく岩に打ち付けました。

二人はそのまま海に沈んで行きました。


わたくしとサチエは、恐怖のあまり声も出せず、二人が沈んだ辺りを、只々凝視するしかありませんでした。

すると今度は、背後の海からカツが現れました。


カツだけではありません。

スエコもカツと並んで磯場に這い上って来たではありませんか。


その顔は酷いものでした。

岩に何度も叩きつけられたせいで、眼は毀れ、鼻は無残に潰れておりました。

二人は、今度はサチエの両足を掴み、海に引き摺り込んで行きました。


次はわたくしの番です。

思った通り、カツとスエコにサチエも加わっていました。


スエコとサチエに足を引っ張られながら、わたくしは必死で磯場にしがみつきました。

しかしカツが私の背中から覆い被さり、物凄い力で私の手を磯場から引き剝がそうとします。

最早わたくしには、抵抗する力は殆ど残されておりませんでした。


しかしその時、陽が昇り始めたのです。

辺りは急に明るくなり、わたくしを海に沈めようとする力は消えていきました。


気力を振り絞って、磯場をよじ登ろうとした時、私は背中に激しい痛みを覚えました。

振り向くと、無念の形相を浮かべながら消えていくカツの顔が見えました。

カツがわたくしの背中に、爪を立てたのです。


磯場の上に登り切った私は、安堵のあまり、そのまま気を失ったようです。

やがて異変を知って助けが来て、私は何とか無事に、家族の元に帰ることができました。


後から聞いた話では、後に三人の遺骸が、浜に打ち上げられたそうでございます。

やはりカツは乳より下の体を、大鱶おおぶか喰い千切られていたそうです。

スエコの顔も、酷い有様だったようです。


その後わたくしは、海女を止めて、違う仕事に就きました。

二度と海に出る気はしませんでしたから。


これでわたくしのお話は終わりですが、信じて頂けますでしょうか。

真実である証しが必要とあらば、五十年経っても消えない、背中の爪痕をお見せするしかございません。

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