肆 山小屋 その一
最後は僕ですね。
僕はササキと言います。
大学生です。
僕は趣味で登山をしていました。
夏山も好きでしたが、やっぱり冬山の方が何となく達成感が大きくて好きでしたね。
そしてパーティで登ることもありましたが、どちらかというと一人で登る方が多かったです。
危険だという人もいますけど、自分のペースで登るのが好きでしたので。
今からお話しするのは、去年僕が信州の冬山に一人で登っていた時の体験です。
その日は午後から、山頂付近の天候が荒れるという予報でした。
それを聞いて登山を諦める人や、中腹の山小屋まで登って、そこから引き返すかどうか、天候を見ながら決めようとする人が大半でした。
しかし僕はその山に登るのは初めてでしたし、友人から話を聞いて期待が大きかったので、諦めきれずに登り始めました。
中腹までの道程は比較的平凡で、登っていてあまり面白くありませんでした。
友人からも、中腹から山頂までがその山のメインだと聞いていたので、僕はどうしても諦め切れませんでした。
良くないとは思いつつも、僕は他の登山者や山小屋の管理人の目を盗むようにして、山頂を目指したのです。
山頂付近にも山小屋があると聞いていたので、天気が荒れても、そこまで辿り着けば何とかなるだろうという安易な考えもありました。
それが間違いでした。
登り始めは順調でしたが、予報通り、途中からみるみる天候が荒れ始めます。
吹雪で視界は遮られ、進むことも容易ではありませんでした。
その時になって初めて、自分の無謀さを後悔していたのです。
――このまま遭難してしまうのだろうか。
僕が絶望しかけた時、目の前に希望の灯りが見えました。
山頂の山小屋の灯りでした。
僕は九死に一生を得た思いで、山小屋の扉を開けました。
中はランタンの灯りがいくつも点っていて、暖炉にも火がくべられ、外に比べると天国のような状況でした。
僕は入口で服に着いた雪を払い落とし、登山靴を脱いで室内に上がりました。
そこはやや広めの板の間で、既に先客が三人、思い思いに隅の床に座っていました。
女性が一人、男性が二人でした。
男性のうち一人は、女性とペアのようで、二人並んで座っていました。
三人とも、僕が室内に入っても、一言も声を発しません。
僕も何となく気後れして、無言のまま暖炉の前に場所を取りました。
とにかく体が冷えていたので、暖を取る必要があったからです。
幸い暖炉には薪が沢山くべられて、部屋中を暖房できるくらいだったので、すぐに体の冷えは収まってきました。
僕がホッと一息ついた時、後ろから声が掛かりました。
「おや。新入りさんかね」
振り向くと40代くらいの男性が、奥の部屋から出てくるところでした。
「ここの管理人の方ですか?」
僕が声を掛けると、その男の人は人懐こそうな笑顔を返してくれました。
「そうだけど。この嵐の中、無茶したもんだね。大変だったろう」
「すみません。無謀なことをしてしまったと後悔しています」
僕はバツが悪くて、照れ笑いを返しました。
「ハハハ。これからは気をつけなさいよ。それから、この小屋はセルフなので、飲食は自分で用意してね。買い置きの食料はお金を払ってもらうけど」
そう言いながら管理人さんは、部屋の中央に置かれた、頑丈そうな木製のテーブル席に座りました。
僕も荷物から非常食と飲料水を取り出し、管理人さんの正面の席に着きました。
その時になって漸く空腹を感じた僕は、取り敢えず持参した食料を口に詰め込みます。
管理人さんはその様子を、ニコニコしながら見ていました。
しかし部屋の隅にいた三人は、相変わらず無言のままでした。
管理人さんも、三人のことは気にしていない様子でした。
小屋の中は静まり返り、時折外から吹雪の音が響くだけでした。
僕が食べ終わったのを見て、管理人さんが、
「いつも一人で登ってるの?」
と、相変わらずの笑顔で訊いてきました。
「ええ、割と一人で登ることが多いですね。パーティ組むこともありますけど、一人の方が気楽なんで」
「まあ、説教するつもりはないけど、一人で無茶するのは止めた方がいいよ。今日みたいなこともあるからね」
僕はその言葉に曖昧な笑顔で応えました。
「ところで、この小屋のことは、下で訊いてきたのかね?」
「はい、麓の登録所で訊いてきました」
「登録所の人は、この小屋のこと何か言ってた?」
「いえ、特別なことは何も。頂上付近に小屋があるとだけ」
僕は管理人さんが何故そんなことを訊くのか不審に思い、曖昧な返事を返しました。
その時、僕の背後で音がしました。
振り向くと、部屋の隅に一人で座っていた男性が、立ち上がって暖炉に薪をくべるとこでした。
その人は何本かの薪を暖炉に放り込むと、僕を横目でチラッと見て、元の場所に戻って行きました。
その人の顔は、何かに怯えているように見えました。
「明日になったら天気も回復するだろうから、それまでは小屋の中でゆっくりして行きなさい」
その時管理人さんから声が掛かりました。
振り向くと、席を立って奥の部屋に戻って行くところでした。
多分そこが彼の寝室なのだろうと、僕は思いました。
管理人さんがいなくなると、室内はまた静寂に包まれました。
いつの間にか、そとの吹雪も収まったようでした。
そして僕が偶々、隅に座った男女に目を向けた時でした。
「あなた見えているのね」
上目遣いに僕を見ていた女性が、突然僕に話し掛けたのです。
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