弐 肖像画 その二

二日目のモデルは、十歳くらいの童女だった。

顔立ちは昨日の幼女と非常によく似ていて、おそらく姉妹だろうと思われた。


俺が屋敷内に入った時、昨日と同様に、童女は既に木製の椅子に腰かけ、少し右斜めを向く姿勢を取っていた。

俺は用意されたカンバスに向かい、昨日同様、無言で作画に取り掛かる。


童女もやはり無表情だった。

時々瞬きするだけの大きな眼は、一点を見つめて動かない。


椅子に座った姿勢も、ずっとそのままだった。

描いているこちらが、苦しいと感じるくらいだ。


それでも俺は、何とか二日目の絵を描き切った。

終わった頃には、立っているのも辛いほど疲労困憊していた。


単に絵を描く作業の肉体的な疲労というだけでなく、精神的な疲労が尋常ではなかったからだ。

この屋敷の中にいると、命を吸い取られて行くのではないかという、オカルトじみた考えが頭を過っていた。


屋敷を出て、安アパートに帰った俺は、食事も摂らず、そのままベッドに倒れ込み、眠ってしまった。

翌早朝、あまりの空腹に目覚めた俺は、部屋にあった袋入りの菓子パンを胃に詰め込んだ。

漸く一息ついた俺は、今日もあの屋敷に行くべきかどうか、深刻に考え始める。

――このまま残りの四日間、絵を描き続けたら、本当に命を取られてしまうのではないだろうか。


しかし俺は、その日も屋敷に行くことを決断した。

もちろん報酬の大きさが主な理由だったが、その時俺は、既にあの屋敷に魅入られていたのかも知れないと、今になって思うのだ。


三日目のモデルは、高校生くらいに見える女の子だった。

やはりその相貌は昨日、一昨日のモデルだった子たちとよく似ていて、姉妹だろうと思われる。


しかし大人の域に達しつつあるその容姿は、清らかさと艶やかさを重ねて体現していた。

俺はその美しさに一気に魅せられてしまった。

昨日までとは違い、そのひとを描く俺の指先に、忘れかけていた気迫が籠るのを感じたのだ。


その女も、これまでの子供たちと同様に、無表情だったが、そのことが返って備わった気品を現しているかのように思え、疲労も空腹も忘れて一気に肖像画を描き上げたのだった。

その日俺は、久々にまともな食事を摂って、充足感に包まれて眠ることができた。


四日目のモデルは、二十代後半に見える女性だった。

その顔立ちは昨日のひとを成熟させた、妖艶とも表現すべきものだった。


やはりこれまでの三人と非常によく似た相貌をしていた。

しかし、姉妹というには二日目までの子供たちと年が離れ過ぎているし、親子というには昨日の女の子と年が近すぎる。


俺は四人の関係が分からず、少し困惑してしまったが、それ自体は俺が受けた仕事とは直接関係ないと思い直し、作画に取り掛かることにした。

既に三日間、非常によく似た女性三人を描いてきた俺の指先は滑らかに動き、その女性の肖像画も満足のいく出来栄えだった。


五日目のモデルは、中年の女性だった。

年の頃は五十に手が届かんとする感じだ。

そしてその顔立ちは、これまでの四人と非常によく似ていたので、間違いなく四人の母親であると、俺は確信したのだった。


しかし今回の女性には、これまでと違い、表情に僅かな陰りが見えた。

それは四日間に渡って、姉妹たちの肖像画を描いてきた俺でなければ気づかない程の、僅かな変化だった。


俺はその些細な変化が気になったが、理由を本人に問い質す訳にもいかず、肖像画の作成に注力せざるを得なかった。

そんなことはあったのだが、その日の作品も、俺にとっては満足のいく出来栄えだった。

そして俺の中で、かつて芸術家を目指していた頃の情熱めいたものに、再び小さな灯がともるのを感じていた。


最後の日のモデルは、老女だった。

年齢は七十を超えているだろうと思われた。


おそらくこのひとがこの屋敷の主であり、これまでの五人の女性たちの母であり、祖母であるのだろうと、俺は思った。

結局俺が受けた依頼は、一家全員の肖像画を描くことだったようだ。


老女の容姿は威厳と気品に満ち、顔立ちもこれまでの五人が年齢を重ねれば、こうなるであろうと思われる、清冽さを備えていた。

しかしその表情には、明らかな苦悩が刻まれているようだった。

その苦悩を、老女は気迫で抑え込んでいると俺は感じた。


しかし彼女の肖像画は、俺にとって今回の仕事の総仕上げとなることを、俺は思い出した。

そして俺は、老女の気迫に負けないよう、最後の気力を振り絞って、作品を完成させたのだった。


最後の絵の完成を告げると、使用人の男はそれを受け取り、見返りとして約束通りの報酬を俺に手渡した。

「帰るのは少しお待ち下さい。最後の一枚を飾って、あなたの労苦に応えたいと思いますので」

男はそう言って、右側の壁に向かうと、六枚目の肖像画を壁に飾った。


その時までに描いた五枚は、左の壁から順に飾られていたのだ。

六枚の絵が並んだ光景は、何故だか幻想的な風景に見えた。

この屋敷に住む女性たちが、並んで俺を見つめているような、そんな気がしたからだ。


これまでの五人とは異なり、老女は俺が変える段になっても、椅子に腰かけたままだった。

さすがに疲れたのだろう。


荷物を片付け、使用人の男に挨拶した俺は、屋敷を出ようとした。

その時、ふと魔が差したのだろう。

扉を開けて出る際に、俺は後ろを振り返ってしまったのだ。


その時の光景は、多分この先も決して忘れられないと思う。

椅子に座っていた老女が、白骨に変わっていたからだ。

そして壁に掛けられた六枚の絵の顔も、どろりと絵の具が溶け落ちて、下から骸骨が覘いていたのだ。


「約束を破りましたね。何と言うことだ。せっかくご主人様が、永遠の時を手に入れられるところだったのに。お前の罪の代償として、二度と絵が描けないよう、その指を置いていきなさい」

怒りに満ちた声でそう宣言する男も、白骨に変わっていた。


その後のことは、よく覚えていない。

気がつくと俺は、アパートのベッドに横たわっていた。


起き抜けに右手に痛みを感じた俺は、手をかざしてみた。

親指と人差し指、そして中指が欠けている。

しかし傷口は既に塞がっていて、痛みだけが残っているようだった。

白骨と化したあの男の宣告通り、以来俺は絵を描くことが出来なくなったのだ。


暫く経って俺がその屋敷を訪ねてみると、そこはただの空き地だった。

俺は落ちている三本の指の骨と見つけると、ポケットに入れて持ち帰ることにした。


今にして思えば、俺はあの屋敷の主人の生涯を、六枚の肖像画として描かされていたのだろう。

そして俺があの時振り返らなければ、あの男が言ったように、屋敷の主人は永遠の時を手に入れたのだろうか。

しかし俺が見た老女の苦悩の表情は、それが彼女の望みではなかったのではないかと、思われてならない。


もしかしたらあれは、夢の中の出来事だったのだろうか。

しかし俺の指は、実際に三本ともくなってしまったのだ。

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