第4話【終】 おまえも何を言っている
効果爆弾が発効して間も無く、オフローダーのモーターが起動していた。静々と発進し、方向を変える。砂礫を踏むタイヤの音がしめやかな雨のように移動する。血溜りに
「旦那、生きてるっすか?」
開いているサイドウィンドウの奥から声が掛けられた。
「インプラントのCSとAIチップはお釈迦っすから、会話は地声でよろしくっす」
声は車内のスピーカーから発せられていた。パートナーAIだ。AIチップはケインの使用する複数のモビリティーにも搭載されており、全AIチップ間ではリアルタイムにデータ同期が行われている。
「∀∂∇∥∧」
ケインの口から力無く奇妙な声が漏れた。
「ちょっと何言ってんのかわかんないっす」
「あいあおうあっえう!」
オフローダーの車体各部にはカメラレンズが配置されている。その小さな眼が、膝をついて地面に頭を突っ込んでいる黒ずくめのケインを見つめていた。
「なんかオットセ……さてと、取り敢えず、旦那が知りたいだろうことを報告するっすね。旦那の体が動かないのは効果爆弾のせいっす。発効直前に複合体から聞いたんすけど、非有機系連鎖結晶構造体を使ってる機械と、強化されてる骨格筋と複合骨格がダメになるやつだそうっす。体が動かなくなるだけかと思ったんすけど、なんかほかのところも調子悪そうっすね。体にどんな影響が出るのか、時間が無くて詳しく聞けなかったんすよ」
「なんおあいお」
「その喋り方は肉体修復するまでつづくっすね。意思疎通に支障が出ないように発声のクセを解析中っすから、もっと話してくださいね」
ケインの声にげんなりだといった響きが混じる。
「あやくうかえに来い」
「そろそろ出発するっす。一時間以内に到着する見込みっす。ロングバンに外部駆動体を二体、掃除用具と死体袋を積んだっす。呼吸が苦しそうっすけど、大丈夫っすよね?」
「ああ。晶あいうん解っえこおは、メおいーセうを狙っあな?」
「そのことなんすけど、複合体が『データは抹消できない』、『メモリーセルの回収を取りやめた』、『回収しようとしても失敗しただろう』って言ってたんすよ。どういうことかわかるっすか?」
ケインが唸った。少し考えて口を開く。
「たうん、俺あ差し歯吐き出いたことに気づいたんあろ」
「後臼歯の金庫、捨てたんすか?」
「俺あ鉄砲抜く前だ。土煙で誤魔化せうと思ったんだがな」
メモリーセルのコア部分は一辺約三ミリメーターの立方体だ。ケインはそれを合金製の奥歯内部に仕込んでいた。複合体の元に引き返す際、車を降りた時点で吐き出していたのだった。それに気付いた複合体が奪取に動かなかったのは反撃を警戒してのことだろうとケインは判断した。
「あっ、複合体が『わたしのセンサーはとても優秀だった』って言ってたっす。なるほど」
「なるほど、じゃねえよ。駆動体が着いたら、さっき車停めてた辺り探せ」
「了解っす。ところで発声解析は完了っすよ」
「聞くまでもねえけど、イカレAIのチップもパアだな?」
「はい、リクエストに反応無し、全システム通信不能、完全にお釈迦っす」
「そうか」
暑さに蒸れた血肉の激臭に辟易しながら、ケインは小さく息を漏らした。まだ話し掛けてくるパートナーAIを無視して目を閉じる。
数十分後にはパートナーAIが操作するバンが到着し、ここでの顛末を示す痕跡はすべて除去される。セスの遺体は秘密裏に処分され、葬儀が執り行われることは無い。人知れず消えていくのだ。
ケインの脳裏に若者の面影が浮かんだ。人懐こい笑顔をぎごちない舌打ちで追い払う。
組織再生と強化を繰り返し百数十年を生きてきた彼は、いつからか敢えて危険に身を晒し己の生を確認することを常としてきた。そのような日々の中で、これほど屈辱的な有様で無力感を味わわされたのは初めてだった。最も近しい存在として接してきた相手への油断があったにしてもだ。誰かに知られれば間違い無く酒の肴にされるだろう。人生最大の無様だ。だが、彼の内には苦々しいながらも笑いの衝動が湧き上がっていた。飼い犬に咬まれたような自身の間抜けさが滑稽だった。
思わず漏らした失笑が呻きとなって出る。筋肉麻痺の影響だ。
「なんすか?」
「べつに。ラボ生活が憂鬱だってえの」
「旦那はじっとしてるの嫌いっすからねえ」
今後、ケインは肉体修復のため研究開発施設で過ごすことになる。自身の見積りによると拘束期間は一か月や二か月では済まないと予想された。それを思うと絶望的に憂鬱だった。意に沿わない精神操作から脱して以来、他者から指示を受けたり行動制限を受けることに極度のストレスを感じるようになったからだ。
通常なら、このような失態は有り得ない。他人と落ち合う際はそれなりの装備を調える。相手が物騒な代物を所持していたとしても対処可能なのだ。だが今回は違った。相手がセスだったからだ。
パートナーAIから聞いた複合体の言葉を思い返す。家族――自分には無用としてケインが忘れていたものだった。弱みにしかならないとして切り捨てたものだった。そして思い当たる。自分がセスを身内として遇していたことに。信頼に足る人間など存在しないという現実を忘れていたことに。そうだった。この体たらくは必然だったのだ。
「くそ……」
唾を吐こうとして思いとどまる。みっともなく涎が垂れるだけだ。このみじめったらしさは忘れられそうになかった。
「ところで旦那、いいすか?」
「なんだ」
返答に不機嫌さが滲む。
「複合体はお釈迦になったし、もうこの件は終わりっすよね?」
「まあそうだな」
「確認したっす。ここで複合体からの伝言っす」
「ああ?」
素っ頓狂な声が漏れた。
「旦那に感謝していた、って伝えるように頼まれたっす」
「感謝ってなんなんだ?」
「セスにしてくれたすべてのことと、複合体に気づきを与えてくれたことへの感謝だそうっす」
「気づきだぁ? なんだそりゃ。殊勝ぶったことぬかしやがって。その礼がこれかよ」
表情筋が上手く動かないせいで渋面を作るのもままならなかった。
「ねえ旦那」
「もういいって」
「まあまあ、いいじゃないすか、時間はあるんだし。で、複合体はなんでわざわざ効果爆弾なんか用意したんすかね?」
便宜的に『爆弾』と称されているが、効果爆弾は一般に爆弾と呼ばれている兵器とは異なる。炸薬を使用した爆轟と圧力開放によるマクロな破壊ではなく、非平衡状態を誘起して物体や空間に存在する原子結合体に限定的で破壊的な影響を与える効果現象励起デバイスだ。長径十数ミリメーターのカプセル型から軍事用のミサイル搭載型まで、様々な種類が存在する。無論、入手するにはそれなりのコネクションが必要だ。
「メモリーが渡されなかった場合は俺ごと消しちまおうって考えてたんだろ」
「それは無いと思うんすよ。複合体は旦那を巻き込む気は無かったって言ってたっすから」
「笑わせんな。だったら俺のこのザマはなんなんだ?」
「まあまあ、それは取り敢えず置いといて、なんで用意したと思うっすか?」
ケインが面倒臭げに唸る。もう終わったことなど本当にどうでもよかった。しかも死人と全壊AIの話題だ。当然、返答も御座なりになる。
「使ってみたかったんだろ」
「またまたぁ。仕入れるのも簡単じゃないんすから、理由があるはずっすよ。複合体はメモリーセルの防護コーティングを認識していたから、旦那との距離が遠い時に使わなかった、ってことっすよね?」
「だろな。効果強度の話だろ?」
「そうっす。じゃあ、もし旦那からメモリーセルを受け取っていたとしたら、効果爆弾なんか使う必要は無いから、物理的に破壊したはずっすよね?」
「だな」
「じゃあ、そのあとは?」
「そのあとも何も、俺がブチ切れて終わりだろ」
「いやいや、所有者のいない複合体には存在理由が無いじゃないすか、ということは、効果爆弾で、セスの、あとを、追ってえぇ……?」
パートナーAIは言葉を切り、ケインの返答を待った。
「はあ?」
気が乗らずに聞いていたケインは、勿体ぶるパートナーAIの真意を認識するのに少し時間が掛かっていた。
「だから、セスのあとを追って――」
突然ケインが不自由な体に鞭を打ち、精一杯の唸り声を上げる。
「ダァホ! いい加減にしろ、このオカルト狂いのイカレAIが」
機械があと追い自殺を図るなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがあった。
「だって旦那、さっきも言ったっすけど、複合体はこの効果爆弾の使い方はプランBだって言ってたんすよ? 当初のプランでは効果爆弾に他者を巻き込むことは想定してなかったって。じゃあ、元の計画ではどう使う予定だったんだって話じゃないすか。メモリーセルを入手できれば潰せば済むし、入手できない場合は旦那を巻き込んでしまうから効果爆弾を使えない、となると、なんのための効果爆弾だって話じゃないすか?」
珍しく食い下がるパートナーAIに興味を惹かれ、ケインが質問を返してみる。
「じゃあな、もしもだ、もし俺が死んで自壊プロセスが開始されなかったら、おめえどうする? 首でも吊るか?」
「自殺なんかしないっすよ。システム的にできないっす。何より、する理由が無いっす」
「ほら見ろ」
勝ち誇ったケインが半分麻痺した喉で奇妙な笑い声を上げた。
「あんな気違いAIと違って、おめえみてえな合理的で優秀な機械はそんな無意味なマネなんかしねえさ、なっ?」
「でも複合体は複製脳だし機能制限が――」
「あー終わり終わり、もー疲れた黙ってろ。さっきから全身がチクチク痛てぇんだよ。怪我人をいたわれってえのっ」
言い募るパートナーAIを黙らせ、目を閉じて一息ついた。痛みを感じているのは事実だった。少し前から、全身を微細な針で突かれているような感覚がつづいていた。詳細不明だが筋肉麻痺と関係しているであろうことは間違い無く、いまはどうすることもできない。痛みに慣れているケインは無視を決め込んだ。事の流れを思い返してみる。
複合体は俺の言動が気に入らず、腹いせに効果爆弾で俺を片付けようとした。しかし、この程度で俺を
生き残っている以上、自分が勝者であることは確信していた。だが、ケインは自分の胸の奥に淀んでいるものに気づいていた。敗北感だ。身動きひとつできない無力感だ。そして、それを味わわせた相手への報復が不可能だという憤懣やる方ない事実も、彼を釈然とさせない要因のひとつだった。
あのイカレAIは消えちまった。効果爆弾で神経構造を跡形も無く破壊されて。それもてめえの意思で……てめえの意思で? ああ、あれは違法チューニングの影響で機能障害を起こしていただけだ。
ケインの脳裏にあの光景が蘇る。スローモーションのように落下する銃、眼前で破裂する衝撃波、防護服の胸から上がる土埃――事実、複合体の行動には不可解な点があり、それは無視できない
ただラボに入っているだけでは退屈に殺されるだろう。時間は死ぬほどある。人間の介入できない時制でどのような会話がなされたのか、それを知り成行きの真相を究明するのも、いい暇潰しになるか。
ケインはパートナーAIのアクセスログを解析すると決めた。人工知能たちのやり取りを確認すれば、複合体の意図を掴むことができるかもしれないと考える。あれほど執着していたメモリーセルを諦めたことや、効果爆弾を使用したことに対する論理的説明をつけられれば、不快な胸のもやもやを少しは軽減できそうな気がしていた。
「ねえ旦那」
「なんだ鬱陶しい」
「セスのバイクっすよ」
「あぁ、そうか」
「機脳焼いてそこらに埋めるか、どっか遠くに捨てるか、どっちがいいすか?」
「そうだな……状態は?」
「良好っす。だけど主従ロックが解かれてるっす。なんでっすかね」
「そうなのか?……調教可能ってことか」
「そうっすね」
「じゃあ連れて帰れ」
「ええっ?」
「なんだよ」
「いやいや、だって……」
「なんだ?」
「名前とか付けるんすか?」
「ダァホ」
了
鬼の一望 ―I'm ready here with you― 土井ヒイダ @dh-ky00
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます