第3話 あいつは何を言っていた
時が止まったのは、ほんの一瞬だった。
複合体の銃が動いた。傾き、長い指の間をすり抜け、音も無く落下する。
間髪を容れず轟音が連続した。ケインの手の先で凄まじい熱気が膨張し炸裂する。複合体の銃が硬く乾いた地面を叩く。
放たれた三連射は防護服の胸部に集中した。着弾したH.RIP弾頭が胸骨を貫き分散する。心臓と肺を引き裂き背骨を粉砕する。いくつかの断片が背を破り飛び散った。
ヘッドギアが揺らぐ。腰が砕けて尻をついた。頭を垂れて両腕を投げ出し、地面に落とした粘土細工のようにひしゃげる。
ケインの銃はまだ黙らなかった。つづけざまに爆鳴を吐く。
防護服の両腕が肘部分で分断された。さらに両膝が弾け、駄目押しの一撃でセンサーコーンが折れ飛び脳が破壊された。
灼けた銃口から小さな陽炎が立ち昇る。照星の向こうの人影が、見てはならない物のように歪んでいた。銃を構えたまま小声で尋ねる。
「どうだ、動けねえだろ」
その言葉が、同時に複合体にも向けられたのかは定かでなかった。パートナーAIが迅速に対応し、開放されたままの各種モニターをチェックする。
〈動けないっすね。人体は完全にお釈迦っす。複合体は機能維持、神経接続は切断。アシストシステムは中枢部損壊で全機能停止。ヘッドギアのセンサーは機能停止、集音機能停止、左の機眼だけ機能維持。以上っす〉
ケインが鼻を鳴らす。必要充分な成果だった。
「まあこんなもんだな」
薬室に一発を残して弾倉を交換した。セイフティーを掛けて懐に収める。抜き出した手には小型の高周波ナイフが握られていた。スイッチを操作し、常人には聞こえない作動音を確認する。
〈何する気っすか?〉
「あいつのケツ拭いてやんだよ。三枚下ろしにして複製脳チップを抜いて潰す。ここで血抜きしときゃあ、あとが楽だろ」
〈グロいっす〉
ケインは短く笑って足を踏み出した。
複製脳チップの埋設位置はある程度の推測が可能だった。上半身の体幹に沿った数か所だ。先ほどの銃撃を受けても複製脳が機能していることから、探索範囲は限られる。口で言うほど大きな切開は不要と踏んでいた。
〈ねえ旦那〉
「ん?」
〈複合体はなんで銃を落としたんすかね〉
ケインが鼻を鳴らす。
「手が疲れたんだろ」
〈またまたぁ。聞いてみてもいいっすか?〉
「悠長なこったな」
〈マシントークっす〉
ケインが鼻で笑い、パートナーAIは了承の意を受け取った。複合体のコミュニケーションシステムに再度アクセスする。
〈ちょっといいっすか?〉
〈なんでしょう〉
〈銃を捨てた理由が知りたいんすけど〉
〈わたしのボスのためです〉
〈セスのことっすね?〉
〈そうです〉
〈もう少し詳しく、いいっすか?〉
〈いいですよ。セスは捨てられた細胞誘導生殖由来者でした。親に該当する細胞提供者は不明です。セスに繁殖欲はありませんが、家族を欲しました。しかし細胞誘導生殖由来者には生殖機能が無く、クローニングも更なる細胞誘導生殖も不可能です。そのように設計されていますから。だから自分の脳構造を複製したのです。そうして生まれたわたしはヒトではありませんが家族同然なのです。わたしがあの人の遺志を受け、メモリーセルのデータを抹消することは必然なのです。それが人間らしさであり、そうすることでわたしは真にセスの家族となるのです〉
〈それがセスのためになるんすか?〉
〈そう思っていました。しかし、いま話したことはわたしの独り善がりなのだと認識しました。あなたの所有者と会話するうちに、そう思うようになりました。本当に大切なことは、わたしが人間性を得ることなどではないのです〉
〈なんすか?〉
〈セスが慕っていたあなたの所有者が、セスを思い出すことです。それが、あの人が存在し生きた証となるのです〉
〈旦那がセスを思い出すこと?〉
〈そうです。そうすれば、セスはそこに存在します。消えることはありません。あなたの所有者はそれを気づかせてくれました。わたしは長くは活動できません。脳内物質の分泌が停止しているので、臓器の機能が維持できないのです。仮に私がメモリーセルを手に入れてデータを消去したとしても、数週間後には肉体が衰弱して活動不能になります。全機能制限を解除されているわたしは研究対象として分離され、様々な実験の末、限界まで微小分解されることになったでしょう。しかし、あなたの所有者は長命です。セスのことをいつまでも忘れないでしょう〉
〈どうすかねえ、うちの旦那は忘れっぽいすから〉
〈すべてが終わったら、わたしたちが感謝していたと伝えてください〉
〈感謝ってのはどういうことっすか?〉
〈セスにしてくれたすべてのことと、わたしに気づきを与えてくれたことへの感謝です〉
〈承諾したっす〉
〈ありがとう〉
〈銃を捨てた理由がはっきりしないっす〉
〈あなたは、わたしが本当に撃つと思いましたか?〉
〈当然っす〉
〈……そうですか〉
〈なんすか?〉
〈いいえ。銃を捨てた理由は単純です。セスはあなたの所有者を慕っていました。これはとても強い感情です。セスにもわたしにも経験が無いので明確に理解することはできないのですが、もしかしたら、セスはあなたの所有者を家族のように思っていたのかもしれません。おそらく、そうです。そのような感情を抱いていた人物はほかにいません。だからわたしは撃ちたくなかったのです。また、仮に撃ち合いになっていればこの肉体は想定外の損傷を受けたでしょう。そのような事態は避けたかったのです〉
〈そうっすか。でも結局、あんたの目的は未達成っすね。体はお釈迦じゃないすか。うちの旦那のほうが一枚上手ってことっす〉
〈そうですね。ところでその旦那さんは、いま何をしているのですか? 感覚器官が片眼しか機能していないので教えてもらえますか?〉
〈いまから複製脳チップを破壊するそうっす〉
〈理にかなった行動です〉
〈それで終わりっすね。じゃ、さよなら〉
〈さようなら〉
高圧縮の思考交換が実行され、両者の会話は瞬時に終了した。
「なら、聞いてこい」
〈聞いてきたっす〉
「なんだよ。で?」
〈セスが旦那のことを家族のように思ってたみたいだから撃ちたくなかったし、撃ち合いになって人体が損傷する事態も避けたかったそうっす〉
「ほぉ……そうかい」
家族という言葉が気に掛かって少しだけ片眉を持ち上げたが、ケインは聞き流した。自分の家族がいつまで存在していたのかも忘れてしまっていた。地面にわだかまる複合体の前に立つ。
防護服に包まれた人体は常人には思いも及ばない有様で折れ曲がり、潰れ、千切れかけていた。流れ出た血液が熱い地面を鈍重に這い、落ちている銃に赤い指先を触れようとしていた。
ケインはセスの銃を無造作に拾い上げ、腰の後ろのベルトにねじ込んだ。血を避けてしゃがみ込み、片手を伸ばす。砕けたセンサーコーンの根元を指先でつまみ、伏しているヘッドギアを引き起こす。
着弾の衝撃で歪んだシェルには、半分飛び出した機眼が辛うじて収まっていた。まだ生きている左眼が徐々に上向き、ケインの姿を捉える。そして、それは起こった。
〈あっ〉
パートナーAIが電子的変化を感知した。複合体に詰め寄る。
〈何したんすか?〉
〈晶体分解プロセスが開始されます〉
〈それって効果爆弾じゃないすか。なんでそんなもん持ってるんすか?〉
〈セスの死後に計画を立て、用意しました。発生効果は非有機系連鎖結晶構造体を含有する機器類を不可逆的に機能停止させるものですが、極近距離に効果出力範囲を限定すれば、同構造体を使用する拡張生体器官類にも影響を及ぼします〉
〈旦那の体を破壊するってこのことだったんすね。でも、そのレベルの出力強度だとあんたもお釈迦じゃないすか〉
〈想定内です。メモリーセルのデータは抹消できませんが、あなたの所有者の体は破壊されます。目的はきっと達成されます〉
〈データが抹消できないって、どういうことっすか? あんたが設定した出力強度はメモリーセルの防護コーティングも透過して、データ保存領域を崩壊させるレベルっすよね?〉
〈先ほども話したように、会話をつづけるうちにわたしは考えを改めたのです。データを抹消しても、あなたの所有者を不必要に落胆させるだけだと思ったのです。わたしの利己心がそのような結果を招くことが許せなかったのです。だからメモリーセルの回収を取りやめたのです。機会はあったのですが、回収を試みてもあなたの所有者に阻止されていたでしょう。このあと決着がつけば、わたしのボスが危険を冒して収集したデータを活用して、あなたの旦那さんも目的を達成するでしょう〉
〈回収を取りやめたってどういうことっすか?〉
〈いまはもう使えませんが、わたしのセンサーはとても優秀だったのです〉
〈ほんとに何言ってんのかわかんないっす。時間も無いし、もういいっす。そんなことより、旦那は死んじゃうんすか?〉
〈心配要りません。強化されている骨格筋と複合骨格の修復で済むはずです〉
〈それだって大ごとっすよ。こんなことする必要あったんすか? 意味無いと思うんすけど〉
〈当初のプランでは、効果爆弾に他者を巻き込むことは想定していませんでした。つまり現在進行中のこれは急遽立案されたプランBなのです。しかし、事ここに至ってわたしは安堵しています。こうすることが必要だったからです〉
〈なんで?〉
〈忘れさせないように〉
〈え?〉
〈セス、きっとこれで――〉
効果爆弾のマイクロリアクターが臨界に達した。
防護服を中心に不可視の力が脹れ上がった。半径二メーターの球状空間を音も無く荒れ狂い、唐突に消失する。
ケインの表情が凍りついた。ヘッドギアから手が滑り、落ちたナイフが血を撥ねる。ゆっくりと体が前傾し両膝をついた。頭から防護服の股ぐらに倒れ込む。
数秒間、ケインは言葉を失っていた。全身が脱力して呼吸が苦しい。視界の隅でアイキャッチャーが明滅している。バイタルコントローラーから視覚野に送られた警告表示だ。ガス交換と循環系機能の機械的加速が開始されたことは感覚的にも認識していた。いわゆる緊急事態だ。血で粘る地面に額を押しつけたままインプラント通信で呼び掛ける。
〈おい、なんか、体が動かねえ〉
〈しばらくお待ちください、しばらく――〉
パートナーAIの応答は無かった。脳内インプラントのBIOSが淡々と紋切型のメッセージを繰り返すのみだった。何らかの電磁気的破壊が行われたことは確実と言えた。
ここは極紫外線の影響が最も強い放棄地帯だ。人は無論、機械ですら滅多に立ち入ることは無い。いまの状態で放置された場合、自分の体の耐久性がこの地獄をさらに長引かせることになるだろう。
垂れ下がってくる目蓋を懸命に開き、睨む。目の前は血の赤一色だ。切れ切れに呻きながら、ぎごちなく顎を動かす。力無く半開きになった口から舌が垂れ唾液が落ちる。
「!!!」
声にならない罵声が弱弱しく漏れた。
つづく
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