第2話 こいつは何を言っている
ケインの聴覚野にパートナーAIの言語化信号が送り込まれる。
〈じゃあ言い直しますね。セス・オーガンドはもう、死んでいる。どうすか?〉
このパートナーAIにはミドルクラスのエモーションシンセサイザーが適用されている。AI性能的には全クラス対応可能なのだが、ハイクラスは“人間ぽくて気持ち悪い”という理由で却下され、ロークラスは“シャレが通じない”と却下された。稼働開始以来、カスタムとブラッシュアップを重ねて四十五年。相応に息の合う、ケインにとって三代目のパートナーAIだ。
〈ああ? だったらこいつは……いや、要点〉
無駄口をやめたケインが報告を促し、パートナーAIが即答する。
〈はい。セスは合成人間に特有の後天性脳電消失症候群で死亡、確定時刻はきのうの十七時二十四分。旦那にコールが入る十六時間前っす。目の前に立ってるのは“セスの複製脳とパートナーAIとの複合体”が動かしてる“脳死体”っす。リアルタイムで各モニターを確認したから間違い無いっす〉
〈なんだあそりゃぁ〉
ケインは短い唸りを漏らした。
『合成人間』とは蔑称に等しい俗称であり、正式には『細胞誘導生殖由来者』と呼称される。通常細胞を使って発生させた生殖細胞から生まれた人々のことだ。子を欲する通常細胞提供者は一件につき一人から四人までと幅があり、各段階の細胞には多くの生物学的調整と遺伝子設計が施される。様々な事情で子を持てない人々にとっては福音となっているが、その誕生プロセスの特異性ゆえに倫理観や宗教観などとの兼ね合いが難しく、差別や偏見が絶えない。
複製脳はヒトの脳を物理的に複製したものだ。AIコア技術を応用した無機物構成型は、脳神経構造を完全再現しながらもコアチップの体積はAIのそれとほぼ変わらない。
〈さっきの『ボスが死亡した』って発言は、“セスのボスであるゲス野郎こと我々のターゲット”じゃなくて、“複合体のボスであるセス”のことだったんすよ。ややこしいっすね〉
〈あいつは死んじまって、目の前で俺を脅迫してんのはあいつが使ってたAIだってことか?〉
〈そうっす。正確には“セスの複製脳とパートナーAIとの複合体”っすけど〉
数年前から、セスが自身の複製脳をパートナーAI代わりにしていたことは知っていた。稼ぎのすべてを注ぎ込んだ代物だ。『カネならほかにマシな使い道があるだろう』とからかうと『趣味はバイクが一台あればいいから』と笑っていたことを思い出す。
防護服の足元からゆっくりと視線を這い上がらせ、フェイスシールドに鋭い眼光をねじ込む。鼻から小さな息を漏らした。
〈とにかく、あいつは死んじまったわけだ。で、この死体はどうやって動いてんだ?〉
踏ん切りをつけるのに要したのはほんの数秒だった。いや、ケインは後輩の体質を知っていた。そして他者の死にも慣れ切っていた。そんな彼にとっては、この数秒は長い方だったのかもしれない。
〈ログ確認の時に質問したっす。複合体の話によると、十八か月前に脳電消失の予兆とされる最初の発作があったそうっす。それを切っ掛けにセスは複製脳の思考制限と欲求制限を解除、複合体と自身の肉体を感官リンクして身体感覚の共有を開始。さらに肉体と複合体との身体的親和不足を機械的に補う目的で、身体運動補助強化システムをレベル10までアップグレード。そして今朝セスが脳死、肉体はほぼシームレスに複合体のものになった、ってワケっす〉
報告を聞く間に、ケインの眉間には深い縦皺が彫り込まれていった。次に口をついて出たのは自分に相談が無かったことへの恨み言ではなく、平凡に過ぎる感想のみだった。
〈全部違法じゃねえか〉
〈それ、職業殺人者のセスに言うっすか?〉
舌打ちしたケインが口を開く。
「おいAI、てめえの所有者に成り済まして何する気だ?」
〈“AI”より“複合体”が適当だと思うんすけど〉
〈うっせえって〉
防護服の人物――複合体――が答える。
「メモリーセルをすぐに返してもらえると思っていました。ボスが死亡したことを知れば、複製脳であるわたしには渡してもらえないと考えたのです」
「当たりめえだ。機械のおめえがメモリーなんかどうするってんだ」
「わたしの目的は、メモリーセルを回収してデータを抹消する、ただそれだけです」
「セスはなんでそんな命令をした?」
「ボスの命令ではありません」
「ああ?……それで得するのはあのゲス野郎だけだな。バレてハッキングされたか?」
「ハッキングは不可能です」
〈複製脳の動作原理は一般AIと違うっす〉
複合体とパートナーAIが同時に答えた。
「揃って突っ込むんじゃねえよ。じゃあ、あれか? このAIは勝手にこんなことやってんのか?」
そう呟きながら顔をしかめ、複合体に向かって
「馬鹿馬鹿しい、時間の無駄、無意味だ。銃を仕舞え馬鹿野郎が。所有者が存在しねえ廃棄対象のおめえがそんなことしてなんになる」
「わたしは人間になるのです」
ケインの目が軽く見開かれ、すぐに細められた。浮かんだ薄笑いが歪み侮蔑の色が混じる。
「おうおう、イカレAIか。前前世紀の遺物だな。複製脳の違法運用で現代に復活ってワケだ。マンガかよ。呆れたもんだな」
大袈裟に溜息をついてみせたケインにパートナーAIが言う。
〈ねえ旦那、さっき接続した時にシステムモニターも見せてもらったんすよ、そしたら法定の機能制限が全部外れてたんす。これってアレじゃないすか?〉
〈なんだよ〉
〈“複製脳が完全に機能したら憑き物がする”ってやつ〉
ケインが鼻で嗤った。
〈オカルト気違いがでっち上げた妄想だ。そんなこと喋ってたらおめえもイカレてるって言われんぞ?〉
〈そうっすか? 有機系複製脳が御法度になったのはそれが原因って話があるじゃないすか〉
〈ウチ帰ってから好きなだけ考えろ。あのAIがイカレてんのはな、自壊システムが機能しなかったからだ。システムモニター見たんだろ? セスが下手な細工したせいだ。とにかく目の前の問題に集中しろ。いつ撃ってくるかわかったもんじゃねえ〉
〈あれ? さっき大丈夫だって言わなかったっすか?〉
〈馬鹿、相手によるだろが。あいつの気が変わったってんなら話のしようもあったけど、死んじまってイカレAIが相手だぞ。頭吹っ飛ばすか?〉
〈またまたぁ。その
〈俺の反応速度ナメんなよ。つっても、
言葉を発しないケインに向かって複合体が語り掛ける。
「あなたにメモリーセルを渡した後、ボスは数日間思い悩みました。人権侵害に相当する不正を弾劾する社会的正義と、自身を地獄のような日常から救ってくれた恩に報いる個人的道義、どちらを取るべきだったのかと。結論はこの通りです。メモリーセルを回収してデータ――」
「ナーンセンスだ!」
ケインが言葉を被せた。
「あいつは死んじまったんだぞ。あいつに恩売ったゲス野郎がどうなろうが、地球が爆発しちまおうが、死んだあいつにはなんの関係も無え。生前の目的が死後に達成されたって、それを満足するあいつは存在しねえ、消えちまった、意味無しだ。死んだ人間の代わりに恩返しだあ? ふざけんな。おめえはあれだ、所有者が死んだのに自動停止し損ねて狂ってんだ。そうやって人間様を脅しやがんのは、あいつが殺し屋だったせいか?」
「ボスはあなたを慕っていました。あなたはボスを差別することも無く、熱心に仕事のノウハウをレクチャーしてくれました。そのお陰でボスは一人前になれたのです。仕事だけでなく、プライベートでも付き合いを持ってくれたのはあなただけでした。このような事態になったことは心から残念に思います」
口元を歪めたケインが皮肉めいた口調で言う。
「心からねぇ……あいつが組織を抜けるって言った時は期待したんだがな、改造人間と合成人間のコンビが組めるってな。それがこの有様だ。まったく」
合成人間と同様に『改造人間』という呼び方も好ましいとされない俗称だ。正式には『身体機能拡張者』と呼ばれ、生命科学と機械工学に基づき肉体改変をおこなった人々を指す。欠損部位の補完や身体運動補助のための技術とは異なり、身体機能の継続的再生と強化を主目的としている。そのため世間からは“超人願望を満足させるために大金を叩く変人”だと、事あるごとに揶揄されている。
一瞬浮かんだ苦々しい表情を唾を吐いて消し、ケインがつづける。
「機械のおめえに通じるか知らねえが、改めて言うぞイカレAI。このメモリーセルには人間にとって大事なもんが入ってる。表社会でいいツラしてる裏社会の大物ゲス野郎を吊し上げるためのネタだ。世のため人のためになることだ。おめえが邪魔していいことじゃねえ。おめえの所有者がどんな理由でこのデータを消そうと決めようが、死んじまったらもう関係無い。全部無効だ。命令もされてねえのに、おめえが出しゃばっていいことじゃねえ。おめえがやってることは、おめえの所有者が『先輩』つって懐いてた俺の邪魔をすることになるんだぞ。恩を仇で返すってやつだろが。どうだ?」
複合体は語ることをやめなかった。
「最初の脳電消失の兆候を確認したあと、ボスが話してくれました。ボスは育児放棄された細胞誘導生殖由来者でした。特殊な出自というだけの理由で幼少期から迫害を受けつづけました。生きるためには最下層犯罪者という道を選ばざるを得ませんでした。そして、そこでも差別から逃れることはできなかったのです。残虐がまかり通る裏の世界で、ボスは両眼を抉られ喉を潰され四肢を挫かれました。ついに死を受け容れようとした時、あなたがゲス野郎と呼ぶ人物に命を救われたのです」
ケインが嘲り声で応じる。
「殺し屋に仕立て上げるためだ。俺の後釜としてな。あのゲス野郎にいいように使われてポイ捨てされる道具なワケだ。考えるだけで腹立つぜ」
「あなたやボスが受けた精神調整が受け容れ難いレベルであったことは確かです。ボスも自身の心を操られていたことを知って深く傷つき、悲しみました。また裏切られた、命の恩人にまで裏切られた、と。だからあなたを頼り、指示に従って違法行為の証拠を集めたのです」
「それを使ってゲス野郎を失墜させる、それでめでたしめでたしだろが」
「いいえ。ボスは思い直したのです。世の中から排斥され誰にも必要とされぬまま消える運命にあった自分には、生きる理由を与えてくれた人物を糾弾する資格など無い、と。与えられた目的を果たして恩に報いよう、自分は必要とされているのだ、そう結論したのです」
「言いなりに殺すことを正義だと刷り込まれてか。操り人形だぞ。あいつはそれでいいって言ったのか?」
「分相応、そう言っていました」
ケインが大仰に顔をしかめる。
「情けねえ!」
唾を吐き小声でつけ足す。
「生きてりゃ根性叩き直してやったのに」
「わたしはボスのやっていたことが善いことだったとは思いません。人間である以上、たとえターゲットが重犯罪者であったとしても殺人は悪です。強力な精神調整に依るところが大きかったとしても、本人に同調の意思があったことは否めません。ただ、ボスは命を救われた恩に報いようとしていました。それは善だと思うのです。しかし違法行為の証拠があなたの手に渡ったことによって、ボスは恩人を裏切ることになりました。自身が嫌悪する裏切りに、自らが裏切りで応じることになったのです。そして、それを正すことができないまま死亡しました」
「俺に対する裏切りじゃねえのかよ、なんて野暮なことは言わねえでおいてやる。あいつにも信念ってもんがあったんだろうからな。とは言え、何がどうだろうと死んじまったらすべてパア、無効、この件は決着だ。俺がゲス野郎を潰して終わりだ」
「いいえ」
素早い否定にケインが舌打ちした。
「終わりにはしません。わたしはボスの遺志を継ぎメモリーセルを――」
「無意味だって言ってんだろが!」
歯を剥き出し怒鳴る。
「死人のためになんかするなんてこと、馬鹿馬鹿し過ぎてアクビも出ねえ! 人間がするならわからねえことも無え、世間体を繕っててめえを慰めるためだからな、やりたい奴ぁあやりゃあいい。だけどな、おめえは機械だ! 人間の都合なんかお構い無しに動き回ってやがる、所有者不在で発狂したただの人工知能だ!」
複合体がゆっくりと首を振る。
「違います。わたしはプログラムベースの思考に限定されている現行AIとは異なります。高速演算能力を得るためにパートナーAIと複合化されてはいますが、ボスの……あの人の脳構造を忠実に再現した無機物構成型複製脳であり、且つ思考制限と欲求制限が解除されています。だからあの人を想うのです。あの人の遺志を継ぎ行動するのです。人間ならそうするものではありませんか?」
ケインが渋面を傾げ、汚い物を見るように複合体を睨む。
「気違いのたわ言だな。てめえの所有者の死体使って動き回ってる奴が何ぬかしてやがる気持ち悪りい。それが人間のやることか? いわゆる死者への冒涜ってやつじゃねえのか? 人で無しのやることじゃあねえのかよ、この化けもんが。制限解除されたイカレAIが狂った欲求に煽られて暴走しやがって。相手させられる俺の身にもなってみろ。まあ、ある意味人間らしくはあるか、人間なんてのはてめえの都合が第一だからな」
複合体は何も言わなかった。ケインが鼻で嗤う。
「とにかく、死んだ人間がどうなんて話はもうたくさんだ。百五十年近くも生きてるとな、慣れんだよ、人が死ぬのは当たりめえ、電池切れと同んなじことだってな。世間一般の人間なんてのはな、真っ当な寿命で次から次へとあの世行きだ。寿命の前に死んじまう奴だって珍しくねえ。どんなにいい奴でも、人から必要とされてる奴でも、人生の旨味も何も知らねえガキでもだ。そんな奴らにこだわってる融通の利かねえ人間が、他人の生き死ににとやかく言うんだよ。カネの力でいつまでも生きてる悪党の親玉や胸糞悪い政治屋や俺みてえな変人資産家はな、近しい人間が死んだって沈痛な面持ちは葬式まで、すぐに日常が始まってそいつの名前もツラもあっと言う間に忘れっちまう。消えんだよ、死んじまったら。ハナから存在しなかったみてえになっ」
複合体の据えた銃口が微かに揺れたように見えた。
「そうなのですか? あの人のことも?」
「誰でも同んなじだ。消えた人間はなんの役にも立たねえ、そんなもんに用は無え。代わりの人間なんぞいくらでも湧いてくるってのに、もう存在しねえ奴に気ぃ遣ってなんになる、この世界になんの影響がある、てめえの行動に制限掛かって面倒が増えるだけだろが。得することなんぞひとつも無え。世の中はな、生きてる人間が動かしてんだよ。どこにも存在しねえ人間が何するってんだ。データを消去すりゃあいつが喜ぶ、とでも言うつもりか? 死人が礼を言ってくれるってのか? 死人は何をしてくれるんだ? 虫酸が走るぜ」
勿体ぶって間を取り、見せつけるように唾を吐いた。
複合体がゆっくりと首を振る。
「そんな、こと言わないで、くださいよぉそれ、は駄目です」
話し方に不自然な乱調が生じ、甘えとも取れる響きが混じった。
ケインが眉根を寄せ口元を引き締める。いまの口調に聞き覚えがあるような気がしたが、その感覚はほんの一瞬の幻聴にも思えた。
「人間がなぜ故人の名を墓碑に刻むのか、あなたにはわかりませんか?」
複合体の問い掛けに唸るように応じる。
「機械が俺に説教かよ」
「人間がなぜ故人の思い出を語るのか、あの人を可愛がっていたあなたなら――」
「やあめろ。もう、うんざりだ」
言葉通りの口調で遮られ、複合体が呟く。
「……あなたは逃げています」
「ああ?」
「あなたはなぜ、身体機能拡張処置を受けるのですか? 社会通念を超える巨費を投じてまで、なぜ不死を求めるのですか?」
「いつまでしゃべる気だ」
「人は死ねば消えて無くなる、死者の顔も名前も忘れ去られる、この世界との関わりは失われると、あなたは言いました。だからあなたは――」
怒声が響く。
「いい加減にしろイカレAI! 最後通牒だ、銃を仕舞え!」
狂った人工知能の妄想を聞かされるのは、もうたくさんだった。ここまで我慢した自分自身に呆れていた。
「そうですね……わかりました。最後に言わせてください、これで終わりにします」
ケインは再び吐き出しそうになった大声を苦労して呑み込み、大きく息を吸った。長々と吐く。
「そうしろ」
「あの人は『ぼくたちは一心同体だよ』と言ってくれました。そしてそれは事実でした。元来、インプラントを介したヒトとAI間における応答は言語化された思考のやり取りが基本であり、前駆脳波によるAIの行動は、学習した単純指示へと繋がるスイッチに応じているに過ぎません。何より、ヒトはAIの思考を直接理解することができません。しかし、わたしたちは違いました。わたしたちには言葉が要りませんでした。わたしがあの人の思考を理解することは無論、わたしの思考をあの人が理解することさえ可能だったのです。互いの心が何を求めているのか、それを知ることができたのです。だからあの人はこの体をわたしにくれたのです。道を外れていると言われれば反論は許されないのかもしれません。しかし、わたしは押し通します。わたしが人間でなくても、気の狂った人工知能と罵られても構いません。メモリーセル内のデータを抹消し……この体であなたの体を破壊します」
複合体は銃を下ろさなかった。
「おおっと? キレたか? このAIゾンビが」
ケインの険しい顔に薄笑いが浮かんだ。決着をつける時が来たことを確信し喜びを感じていた。無意識に声が低まる。
「やってみろ。俺に鉄砲向けた奴がどうなるか教えてやる」
ゆっくりと目を見開く。拡大した瞳孔が殺気に染まっていった。
つづく
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