鬼の一望 ―I'm ready here with you―

土井ヒイダ

第1話 誰が何を言っている

 苛烈な陽光が一面のれき砂漠を灼き、まだ形を保っている岩々を容赦無く風化させ崩し去ろうとしていた。大地は熱く干からび、目眩めまいがしそうな照りつけに白っぽく浮き上がっている。右を見ても左を見ても変わらない。歪んだ地平の果てまで同じ景色がつづいていた。高く揺らめく陽炎以外に動くものは何も無い。

 ケイン・セヴァーはおよそ七メーター先の銃口に視線を戻し、ベルトのバックルに両手の親指を引っ掛けた。ねじ曲げていた口を開く。

「どういう冗談だ?」

 自身が発した月並なセリフに苦笑いを浮かべた。剥き出しのスキンヘッドに、プロテクターを内装した黒いジャンパーとパンツ姿だ。極紫外線量のおびただしいこの地域に相応しい恰好ではない。

「先輩、お願いです、メモリーセルを返してください」

 平静な機械音声が四度目になる要求を告げた。ケインの前方に立つ人物だ。太陽光線の脅威を阻む防護服は体に密着した運動性能優先型、ゆるく伸ばした腕の先には小口径の全自動拳銃が握られている。その背後にうずくまっているのは巨大な甲虫を思わせるシンクバイクだ。

「おめえから物借りた覚えは無えって言ってんだろが。貸しばっかじゃねえか。だろ?」

 ケインは小首を傾げ、白色合金製の強靭な歯を剥き出してみせた。

「現在も所持していることは知っています。返してください」

 銃口は微塵も――本当に微塵も――揺らがなかった。

 軽く顔をしかめたケインが硬そうな唇を歪める。親しげだった笑みが苦笑に戻った。奥を透かし見ることは叶わないが、防護服のフェイスシールドを睨む。

「なんなんだ、そのおふざけは。おめえは俺の指示でデータ集めてきたってのに、返せってのはおかしいだろが。こいつを証拠に俺たちで弾劾ブチかます、あのゲス野郎を社会的に抹殺する、最後に悪党ヅラに一発ブチ込む、だろ?」

 片方の拳を突き出してみせたが、防護服の人物は反応を示さない。

「それを確約した事実はありません。お願いです、メモリーセルを返してください」

 ケインは天を仰いだ。目を細めて呆れ声を漏らす。

「何がだ勘弁しろよ。わざわざ呼び出すからなんか面白れえネタでもあんのかと――」

 突然言葉を切り小さく舌打ちした。副次聴覚が微かな振動を捉えたのだ。銃弾が自動装填される音だった。

「こいつ……なんだってんだ」

 再び銃口に視線を戻し、警戒心に低く呟いた。

 先ほどから会話している機械音声はよく知る人物のそれだったが、言い回しにまとわりつく違和感が気になっていた。普段は丁寧な物言いに独特の柔らかさが含まれているのだが、いまはそこはかと無い堅苦しさを感じる。この場所に着いた時もそうだった。極紫外線の高空防御が追いつかない放棄地帯の、それも炎天下の礫砂漠に黙然と佇むその姿に、何か近づき難い異常性――使い慣れた言葉にすれば――を感じた。防護服を着ているとはいえ、バイクで来るのも如何なものかだ。だから距離を取ったのだ。

 眼前の人物を改めて観察する。手足の長い特徴的な体型に普段との違いは見出せない。土埃にまみれた暗赤色の防護服は一般流通品とは異なり、アシストスーツと総称される身体運動補助強化性能を備えた特装品だ。気密式ヘッドギアのフェイスシールドには視覚補助用機眼が一対、前額部にはセンサーコーンを一本備えている。身体特性と適合駆動するこれらの装備は、所有者以外の肉体では絶対に動作しない。たとえ一卵性双生児でもだ。つまり、別人では有り得ない。だからこそケインは眉をひそめた。

 脳内インプラントを介してパートナーAIに指示を送る。無論、声は発さない。

 パートナーAIは自身の所有者が指示を文法処理するより早く、受け慣れた前駆脳波を感知していた。即座に防護服の人物のコミュニケーションシステム(CS)にアクセスする。マイクロ秒単位でID確認を済ませ、指示が言語化されるまで返答を控える。

〈ID確認〉

〈はい。IDコードが記録と一致。例の珍しい身体特性も記録と一致。旦那が見繕ってあげたスーツのシリアルナンバーも適合。ちなみにCSもあっしの顔見知り。間違い無く、セス・オーガンド本人っす〉

 パートナーAIの返答は通常よりも噛んで含める形になっていた。所有者が抱いている疑念を承知していたからだ。

 だが、ケインは納得できなかった。軽く奥歯を噛む。パートナーAIの性能を疑うわけではないが、直感がこの事態を危擬していた。セス・オーガンドという人間が本気でこんなことをするはずが無いと心が確信していた。だが、現実では後輩の握る銃が自分を狙っている。絶対にすべきではない行為だ。もし本気でこうしなければならない理由があるのだとすれば、それはケインの想像の及ばないところだった。

 疑惑と苛立ちが増す頭を冷やす必要があった。銃口を無視し、腕組みして視線を落とす。ややあって出し抜けに顔を上げた。目を剥き顎を突き出す。荒々しく振り立てた両手の中指を三回突きつけ、怒鳴る。

「こいつは! 渡さねえ! ダァホ!」

 フェイスシールドを睨みながら傍らに唾を吐いた。自分から会話を進める気にはならなかった。なにしろ相手は銃を突きつけているのだ、このケイン・セヴァーに。

 背を向けて四十メーターほど先にある岩棚を目指す。その下の日陰に車を停めてあった。生物が死滅した赤茶色の涸れ地を大股に進む。

〈旦那、撃たれるっすよ?〉

 気配りを見せるパートナーAIにインプラント通信で応じる。

〈大丈夫だ〉

〈セス、裏切ったんすよ〉

〈うっせぇだぁってろ〉

〈車、動かしましょか?〉

〈いーっつうの〉

 無防備なスキンヘッドを中天の炎が容赦なく炙る。つややかな頭皮が光を撥ねる。

 常人の肉体なら数分で骨の髄まで焼かれ、待っているのは深刻なDNA障害と死だ。そんな極紫外線も彼にとっては軽い日光浴にすらならない。分子レベルにまで及ぶ身体改造は幾度かの技術革新を経て修正強化され、もはや死ぬのが困難と評される域に到達していた。

 土埃でコーティングされた年代物のオフローダーまで半分の距離を過ぎた。ケインは歩をゆるめない。口元を引き締める。背中を狙う銃口が気になって落ち着かないが、それは撃たれることへの恐怖からではない。

 過去、彼は自分に銃を向けた相手に、それがどれほど馬鹿げた行為であるかを必ず思い知らせてきた。再度同じ過ちを起こさない確実な方法でだ。その顛末はセスによく話して聞かせた。エピソードは豊富だった。セスは時に笑い、時に頬を引き攣らせて聞き入っていた。銃口の向きには細心の注意が必要だと肝に染みた様子だった。

 そんなセスが自分に銃を向けている。あまつさえ発射可能な状態で。その心境も理屈も思いつけなかった。また、他者が介入しているとも思えなかった。自分の後輩が金力や脅迫で翻意する人間でないことには確信がある。それ相応の年月を共に過ごしてきたからだ。薬物などで精神に異常を来たしているとも考えにくかった。アシスト機能に影響を及ぼすため、防護服に駆動制限が掛かるはずだからだ。精神操作に至っては論外だった。

 現状、あれがセスではないと断ずる材料は見つけられない。それが面倒だった。相手が別人なら、交渉や説得に労を執る必要は無い。ものを言うのは銃だけで済むからだ。

 残すところ十メーターとなったが背後に動きは無い。奴はいったいどんな態度で俺の後頭部を眺めているのか、本当は悪ふざけでダンスでもしているのではないか、それとも銃を向けながらただただ馬鹿みたいに突っ立っているだけなのか……そんな想像をするとにわかに向かっ腹が立った。

 五メーターを切っても音沙汰は無かった。パートナーAIが車のドアを開く。空調の効いた車内に熱い外気が殺到し、適温に保たれた空気を一挙に追い出した。

 開いたドアに手を掛けたケインは束の間動きを止めた。一度深呼吸をしてわずかに期待してみるが、やはり何も起こらなかった。舌打ちし、軽く跳んでポジションの高いシートに腰を落とす。音高くドアを閉めるとルーフの土埃が躍った。ステアリングホイールに片手を置き、横目で後輩の姿を覗き見る。鷹に等しい視力には五十メーターの距離は苦にならない。こちらを凝視する銃口と目が合った。また舌打ちして呟く。

「ド阿呆」

〈なんで撃たないんすかね?〉

「おめえにゃ一生わからん」

〈またまたぁ〉

 何かのサプライズなのか単なる気まぐれなのか知らないが、これ以上付き合う気は失せていた。この先の計画は自分独りで進めても構わない。ゴネる後輩への説教は次の機会と決め、モーターをスタートさせた。

 サイドウィンドウを下ろして中指を立てた腕を突き出す。マニュアル操作で勢いよく発進させた、直後だった。

「待ってください」

 高圧の機械音声が鼓膜にねじ込まれた。ケインの顔が歪む。

「遅っせえしうっせえ!」

 ブレーキペダルを蹴って急停止させ、突き飛ばすようにドアを開けた。タイヤが掻き上げた土煙の中へ飛び出し、叩きつけるようにドアを閉める。歯軋りを響かせると足元に唾を吐き、つかつかと進んで立ち籠める土煙から抜け出した。もう一度赤茶色の唾を吐いて罵声を放つ。

「ふざけんな馬鹿野郎! 鼓膜が破れっちまうだろが!」

 防護服のヘッドギアが発したサウンドビームの出力過多にかなり苛立っていた。実際に鼓膜が破れることは無いが、主聴覚システムの音圧適応制御にも限界がある。不意を衝く大音量が何より嫌いなのだ。

「メモリーセ――」

「うっせえって!」

 怒鳴りながら懐の銃を掴んだ。抜くと同時にサムセイフティーを解除する。カートリッジを使うオーソドックスな大型半自動拳銃はすでに装填済みだ。全金属製の重く強暴な得物を両手で握り、足早に歩を進める。

「メモリーメモリーうっせえ! オウムか!」

 彼我の距離を先ほどと同じに保ち、地面を抉るように足を止めた。地表を覆う砂礫が水しぶきのように飛ぶ。フェイスシールドを睨み、突き刺すように銃口を向ける。

 その時、視線の奥でシンクバイクが身を起こした。ケインの銃に反応したのだ。だが、当のケインは意に介さず目もやらない。所有者保護を遂行するためであっても、一般自律機械は暴行や攻撃的行動は取らないからだ。そもそもこのバイクは可動形体になった時点で動きを止めていた。待機指示を受けたのだろう。

「おめえ、計画を反故ほごにするみてえなこと言ってたな。理由を言え。聞くだけ聞いてやる」

 銃を抜く前とは違い、その声には厳しさと用心深さが窺えた。この不明瞭な懸案の先送りをやめ、ここでけりをつけると決めたのだ。

「はい。先の計画には同意できません」

 大型拳銃の威嚇とケインの気魄を浴びても、応じる機械音声に怯みは表れなかった。変わらず銃を構えたままだ。

「その理由を言えってんだよ」

 答えが返らぬまま数秒が過ぎた。声が高まる。

「言え!」

「ボスが死亡したからです」

 ケインの眉が片方、ぴくりと震えた。ついで嘲るような薄笑いが浮かぶ。

「あのゲス野郎がくたばったら大ニュースだ。世間には伏せられたとしても俺の耳にはすぐ入る。ガキみてえなホラ吹いてんじゃねえ」

 ヘッドギアが軽く左右に振られた。

「スーツのバイタルモニターとログを開放します。確認してください」

「なんだあ?」

 噛み合わない返答に眉をひそめた。ターゲットとしている人物の死亡説と後輩の体調とに関係があるとは思えない。いぶかしみながらパートナーAIに確認の指示を出した。直後に報告が入る。

〈旦那、ヤバいっす。この人死んじゃってたっす〉

 ケインは無表情だった。フェイスシールドを見つめたまま軽く首をひねる。

〈ちょっと何言ってんのかわかんねえな〉

 遠く陽炎の向こう、崩れた岩の悲鳴が微かに鼓膜をくすぐった。


つづく

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