友好的反乱

 幸いと言うべきか、キノコ亜人の動きは決して速いものではなかった。

 キノコ亜人には足があるものの、短くて太い。全力で駆け出したところで、精々同程度の大きさの子供、即ち五歳児ぐらいの速さが限度だった。シャロン達大人の足ならば逃げ切るのは容易い。

 とはいえ狭い部屋の中では、子供の脚力であってもあっという間に端から端まで動ける。扉の前でもたもたすれば一瞬で追い詰められてしまう。


「ふんっ!」


 船員が力尽くで扉をこじ開けなければ、シャロンはこの時点でいただろう。


「ひぃっ!?」


 尤も、お礼を言う暇などない。さっさと部屋から廊下に出るや、シャロンと船員は同じ方へと走り出す。

 続いてキノコ亜人達も外に出てきたが、勢い余って壁に激突。しかも後ろから続々とやってきた仲間も追突し、絡まってしまう。

 あの小さな手足では、仲間を押し退けて這い出すのは一苦労の筈。逃げる時間はたっぷりある。

 作戦会議をするなら今しかない。


「お、お嬢! これからどうします!?」


「と、兎に角、他の人達に伝えましょう! キノコ亜人の前でケンカをしない事! もしも見られたらすぐ逃げる事! 後は、可能ならキノコ亜人を何処かに閉じ込める!」


 やるべき事柄を一つずつ言葉に出し、シャロンは頭の中で作戦を練る。

 キノコ亜人の狙いが、口喧嘩(と言えるほどのものではないと思うが)をした自分達だけならまだやりようがある。

 キノコ亜人は基本的に従順だ。船長など人間達の命令にはまず逆らわない。増殖しないようお願いした時でさえ、理由を尋ねるだけで敵意は示さなかった。穏便かつ巧妙な言い回しをすれば、恐らく騙すのは難しくない。

 ならば誰かの命令で、キノコ亜人達を船室や檻に閉じ込める事も可能な筈だ。その後可能ならば、なんらかの方法で『処分』する。もしも後からキノコ亜人が生えてきたら、それらも何処かの船室に閉じ込めておく。

 キノコ亜人の狙いが自分達だけという前提頼りだが、抑え込む手段はある。そう考えていた。


「た、たす、助け、助けてくれぇ!」


 その願望は、呆気なく潰えたが。

 シャロン達の行く先から、一人の船員が走ってきたのだ。ガタイの良い海の男が、ぼろぼろと泣きながら走っている。

 今の状況でその姿は、直接『奴等』の姿を見るよりシャロンを動揺させた。


「ど、どうした!? 何があった!」


「き、キノコ、キノコ達が……!」


「っ……き、キノコ亜人がどうしたの?」


「お、俺、新人の奴がサボっていて、だから叱ったら、キノコの奴等がケンカは駄目って、そ、それ」


 拙い口調であるが、彼は状況を話す。

 詳細はまだ分からないが、やはりケンカをするとキノコ亜人は襲い掛かってくるらしい。

 そして新人の船員も襲われたようだ。新人と呼ばれている船員は呼び名の通り、この船の乗組員の中では、雇用主であるシャロンを除けば一番の新人である。先輩から様々な事を教わる立場であり、それがサボりなんてしていれば、先輩から叱られるのは当然だろう。

 だがその当然をキノコ亜人は理解しない。説教すらケンカと判断し、『仲良く』する事を強制しようとしたのだろう。


「ぎ、ぎゃああっ」


 今、正にこの瞬間に。


「し、新じ、ひぃっ!?」


 どうやらその悲鳴は新人のものらしい。逃げてきた先輩船員はすぐに振り向き、間髪入れずに悲鳴を漏らす。

 新人、らしき船員は廊下の曲がり角にいた。

 彼は俯せに倒れていた。その上にはたくさんのキノコ亜人が乗っている。手足にもキノコ亜人はおり、十体以上で押さえ付けているようだ。

 以前船長が話していた通りなら、キノコ亜人の力は子供より遥かに強い。一体だけなら兎も角、十体も乗ってきたらいくら屈強な大男でも振り解く事は不可能だろう。シャロン達三人が助けに行っても、どうにか出来るとは思えない。

 手をこまねいていると、新人船員の背中に乗っていたキノコ亜人の一体が動く。小さくて丸い両手をもぞもぞと動かすや、それがゆっくりとだが伸び始めた。

 普段の二倍三倍と長くなるにつれ、キノコ亜人の腕は解けて繊維状となる。その繊維一本一本が新人船員の頭に触れると、彼はびくんと身体を跳ねさせた。


「ひ、ひぎぃいいぃいいいあぁああ!?」


 次いで上がる絶叫。

 白目を向き、全開の口から涎を撒き散らす。本能的抵抗か身体を左右上下に振り回し、何度も顎を廊下に叩き付けていたが、痛がるよりも苦しむ。

 激しく揺れ動く新人船員の顔をじっくり観察するのは困難だったが、彼の顔には薄紫色の『糸』が徐々に張り巡らされていった。

 やがて新人船員の動きは遅くなり、止まり、そして力なく落ちる。再び顎を廊下に打ち付けたが、最早呻き一つ漏らさない。半開きの口が閉じた際、舌先を噛み切ったにも拘らず。涙をこぼしながら、白目が虚空を見つめる。

 動かなくなった彼の顔は、ついに薄紫の繊維に埋め尽くされる。顔面が白味掛かった紫に染まると、その顔面が大きく盛り上がり始めた。顔全体がじわじわと萎み、原型を失っていく。

 盛り上がったものは大きく育ち、赤い傘と白い柄を持つ、一本のキノコとなった。


「よーい、しょっ」


 キノコは自力で新人船員の顔から分離。自分の足で立つと、新人船員の上にいるキノコ亜人達と向き合う。


「いえー。はいたーっち」


「はいたっちー?」


 楽しげに仲間とハイタッチする、キノコ亜人が誕生した。

 あまりにも淡々と、そして呆気なく、残虐な誕生方法だった。


「(ああ、そうか。ああやって仲間を増やすのね……)」


 キノコ亜人達にとって、仲良しとは仲間の証。

 仲良くしている間は仲間であるため、何もしない。戦う事は勿論、意見に逆らう事もない。何故なら仲間からのお願いに応えるのは、最も簡単な仲良しの証明なのだから。

 しかし仲良くない存在は、仲間ではない。

 だから仲間みんなで襲い掛かり、仲間にしてしまう。敵対的存在を協力して駆逐し、その版図を広げていく……そんな生存戦略だ。恐らくあの島にも昔は動物や植物がいたのだろうが、このおぞましいキノコ亜人が全て苗床にしてしまったのだろう。

 自分達はそんな地獄の島に流れ着き、挙句その悪魔を船に乗せてしまったのだ。途轍もないお宝だと大喜びで。

 奴等を奴隷にすれば、こっちは苗床にされてしまう。共存どころか利用すら出来ない。ここで駆逐しなければ、全員殺されてしまう。

 ――――シャロンは学術的かつ現実的な解析、それと未来に起こる危機を考える事で、どうにか恐怖から逃れた。傍にいる船員はシャロンを守る事だけ考えていたようで、息を飲みつつも動きはしない。

 ただ一人、新人を叱った先輩だけは恐怖に耐えられなかった。


「た、助けてくれぇぇぇ!」


 悲鳴を上げ、走り出してしまう。よりにもよって、シャロン達が走ってきた方へと。


「ま、待て! そっちは――――」


 船員は引き留めようとした。だが先輩船員は話を聞かず、そのまま廊下の曲がり角を進んでしまう。

 直後に悲鳴が上がり、倒れる音が聞こえた。

 ……どうやら目の前でケンカしていた相手以外の人間も、『仲直り』の対象らしい。新人を襲ったキノコ亜人にも、迂闊に近付かない方が良さそうだ。


「お嬢、一旦こっちに逃げますぜ!」


 シャロンは船員に手を引かれ、近くにあった廊下の横道へと入る。

 この横道を進んだ先にあるのは、備品置き場という名の物置。雑多に荷物が積まれ、狭苦しく感じる部屋だ。

 駆け足で船員は備品置き場に入ると、真っ直ぐ部屋の壁際へと向かう。そこには一本の斧が立て掛けられており、船員はこれを掴むと強引に取り外す。


「とりあえず武器を持っときましょう。あの数を全部倒すのは無理ですが、道を塞いだ一匹を叩き割るぐらいは出来ますぜ」


 斧を見せ付けるように、船員は軽く振り回す。

 確かに、これから何をするにしても武器はあった方が良い。船員が言うように全滅は無理だとしても、護衛手段の有無は生存率に大きく関わる。

 尤も、生存する方法があればの話だが。


「それで、これからどうします? 正直何をすれば良いのやらって感じなんすけど」


「……他の船員と合流すべきね。一人二人で戦うより、仲間と背中を守った方が良い。あのキノコ亜人と同じように」


「成程。向こうが数で来るなら、こっちも数で挑むと。そりゃそうすべきっすね。わざわざ各個撃破される必要はない」


 キノコ亜人の恐ろしいところは、今のところ数だ。数で圧倒されるから、船員達は為す術もなくやられている。

 見方を変えれば、数的不利さえなければ負けない相手なのだ。知も力も一対一であれば人間の方が上。生き残りを集めれば体勢を立て直す事も、良い作戦を思い付く事も出来るかも知れない。

 勿論絶対ではないが、これが最も生存率が高い筈だ。


「ええ。そうと決まれば、そうね、やっぱりまずは船長を」


 最初に生死を確認すべきは誰か。次の行動を考えつつ、シャロンは倉庫から出た


「あ。いたですー」


 直後、可愛らしい声を掛けられる。

 ――――子供の声で血の気が引いたのは、後にも先にも、この一回だけ。

 シャロンは声がした方を振り向かない。振り向こうと考える時間さえもない。


「けんかはだめですー」


 暢気で無邪気な声と共に、すぐ傍にいたキノコ亜人が飛び跳ねる方が早く。


「お嬢退けっ!」


 後ろにいた船員がシャロンの背中を突き飛ばしたのだから。

 前のめりに転んだシャロンには見えない。

 シャロンを突き飛ばすや、船員は即座に斧を振っていた。斧の刃がキノコ亜人の胴体を打ち、深々と食い込む。

 とはいえ斧の鋭さが足りなかったのか、はたまた思いの外丈夫なのか。キノコ亜人の胴体は切断までは至らず、切れ目が入っただけで吹き飛ぶ。壁に叩き付けられたキノコ亜人の傘から、微かに白い粉が吹き出し、そのまま地面に落ちる。


「うーん。なぐるのだめですー」


 この期に及んで、まだキノコ亜人は仲良くすべきと訴える。恐らく命乞いでもなんでもなく、本能的に思った事をそのまま言っているだけ。人の理屈に添うものではない。


「だったら、人に襲い掛かるなっ!」


 人間らしい理屈と共に、船員は斧を振り下ろす。

 動いてないお陰か。今度の斧は深々とキノコ亜人の傘に食い込み、すっと真下まで通り抜ける。

 呆気なくキノコ亜人の身体は左右に分かれた。裂かれた身体の中身は、料理に出てくるキノコと同じく繊維質。内蔵も血飛沫も飛ばない。

 動物を殺した時のような、確かなものは感じさせない。それでも身体を真っ二つにしたからのだから、一体片付けた事には違いなく。


「や、やった!」


「よぅし! 人間様を甘く見んなよッ!」


 転んだ体勢のまま顔を上げたシャロンと、斧を高々と掲げながら雄叫びを上げる船員。

 喜び勇む二人の顔は、切断されたキノコ亜人の断面が蠢いたのを目にした瞬間引き攣る。

 蠢く断面の正体は、細長い繊維。

 キノコ亜人の身体は繊維の集まりだ。それら繊維は一本一本が独自の生き物であるかのように動き、そして知性を持つかのように理路整然と並び替えていく。半分になった身体を膨らませ、縮め、形を整え……最後に真っ赤な傘も解れ、ふっくらとした形を取り戻す。

 真っ二つになったキノコ亜人は、しばらくすると二体のキノコ亜人になった。身体は随分と小さくなったが、丸っこい手足をちょこちょこと動かす姿は健全そのもの。それぞれが自力で身体を起こし、助けなしに立ち上がる。

 どうやら斧で斬ったぐらいでは、キノコ亜人は活動停止に至らないらしい。考えてみれば中身は食用キノコと同じ繊維質。出血どころか内臓破裂もないのに、それで動けなくなる筈もない。

 そもそもそんな身体でどうやって動いていたのか、という疑問もシャロンの中に湧くが……今、それを気にしている場合ではないだろう。


「お、お嬢! 逃げましょう!」


「え、ええ!」


 最早取れる手段は逃走のみ。船員と共にシャロンはこの場から離れる。

 幸い、運動能力はまだ再生しきれていないらしく、再生した二体のキノコ亜人の動きは鈍い。この場から逃げる事は難しくない。

 だが、これからどうしたら良いのか?

 斧で真っ二つにしてもキノコ亜人は死なない。だとすると剣や槍、弓矢で貫くのは全く効果がないだろう。鈍器で滅多打ちにするのであれば繊維も潰れるので効きそうだが、全身くまなく潰れない限りやはり復活するだろう。一体倒すのにどれだけ時間が掛かるか分からず、倒した事の確認も難しい。むしろ半端に効果があるものだから倒した気になって、無防備に背後を晒した瞬間襲われる、という事もあり得る。

 こうなると、船員の生き残りが集まっても戦いにはなるまい。戦えるというのは、どんなやり方であれ相手を『倒せる』のが前提だ。ここまで生命力が強いと人力で倒す事はほぼ不可能、最早一対一でも勝てるかどうか怪しい。

 まともな方法では駄目だ。ならばどうすれば良いのか。シャロンは必死に考えを巡らせ……一つだけ、浮かぶ。

 それは自分達の身も危険に晒すが、他の手段は浮かばない。このままキノコの苗床になるしかないのなら、命を賭けてでもやるしかない。


「っ……一度キッチンに行くわよ!」


「え? ええ、構いませんが、どうしてです?」


「あのキノコ達を全滅させるには、切るんじゃ駄目。広範囲を、長時間攻撃しないと無理。その一番簡単なやり方には油が必要だからよ!」


「……まさか」


 『油』と聞いて、船員は気付いたらしい。顔は引き攣っていたが、反対意見が出ないのは彼も他に手がないと思ったからか。

 シャロンとしてもやりたくはないが、これしか今は作戦が浮かばない。生きながら苗床になるよりはマシだと、覚悟を決める。

 船に火を付けて燃やし、キノコ亜人達を焼き尽くす覚悟を……

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