終焉の炎

 切っても殺せないキノコ亜人。

 だがそれは、彼等の身体が繊維質かつ、高度な内臓を持たないからだ。斧で両断した後の再生方法から察するに、繊維を一本残らず破壊出来れば、殺害出来る筈。

 その非現実な攻撃方法をこの船でやろうとすれば、燃やす以外に手はないだろう。


「燃やしてしまえば、あの身体も再生出来ない筈。繊維質なら隙間に空気がある分、人間よりもずっと燃えやすいと思うし。これなら奴等を一網打尽に出来るわ」


「流石お嬢。そいつは名案だ……と言いたいっすけど、いくらなんでも無茶ですぜ」


 非現実を現実にするための作戦を話すシャロンだが、船員の反応は芳しくない。

 彼の言いたい事は、聞かずとも分かる。船に火を放つなど正気ではない。

 火というのは剣や斧と違い、燃え移り、拡大するものだ。キノコ亜人を燃やせば、流石の彼等も火を消そうとしてのたうち回るだろう。その動きで船の床や壁に火が燃え移るのは、まず確実である。

 そしてシャロン達の乗る船は木造だ。火が付けば、たちまち燃え広がってしまう。水に浸っているとはいえ、その水が中に染み込んだら船が沈むのだから、ある程度の防水加工はしている。つまり船内の木材は湿ってすらいない。海水に面する外側以外、よく燃えるに違いない。

 中に火を放てば全員焼け死ぬ。船員が言うようにこれは無茶……自殺行為だ。

 シャロンもそれは理解している。それでもやらねばならない。


「確かに、その通りよ。避難のための小舟はあるけど、近くを救助船が来なかったらそのまま野垂れ死にでしょうし」


「なら……」


「でも、今更生きて帰れると思う? ううん、そうじゃないわね……この船と一緒に帰って良いと思う?」


 シャロンの問い掛けに、船員は息を詰まらせる。

 キノコ亜人の繁殖力は凄まじい。新人船員を襲った時の様子からして、栄養分さえあれば十数秒程度で一体生まれる。木材からも次々と生え、瞬く間にその数を増やす。

 あんなのが町に入れば、あっという間に王国中がキノコ亜人だらけだ。それどころか大陸中に広がっていき、世界中の国々をキノコ塗れにするだろう。

 その戦いの中で効果的な駆除方法が見付かるかも知れない。しかし見付からないかも知れない。見付からなければ全てがキノコに侵され、見付かったとしてもそれまでに途方もない犠牲が出る。

 あの亜人が主大陸に侵入する事は、王国どころか人類の危機と言っても過言ではない。この船はもうキノコ亜人に侵された。何がなんでも、船を大陸に辿り着かせてはならない。


「命を捨てる気はないけど、懸けるつもりではいるわ。これでも貴族なんだから」


 国と民を守るために命を張るのは、貴族としての矜持。

 故にシャロンは、船を燃やす事を躊躇わない。


「……ああもう! そこまで言われたら、俺も付き合いますよ!」


 その信念を話すと、船員までもが賛同してきた。


「えっと、あなたは別に早々逃げても良いんだけど。無茶なのは最初から分かってるし、そもそも上手くいくとは限らないんだからさっさと逃げた方が良いとも思うし」


「お嬢が命を張ってる時、俺だけ逃げるとか出来る訳ないでしょうが。何処までも付き合いますよ。まぁ、死ぬ気はないですが」


「……とても、頼もしいわね」


 心からの言葉は、果たして伝わっただろうか。

 その確認をしないうちに、シャロン達は目的地であるキッチンに辿り着く。

 一旦二人は口を閉じる。慎重に扉を開け、物音を立てないようゆっくり中を覗き込む。

 見たところ、中にキノコ亜人の姿はない。生えているキノコの姿や、苗床にされた船員の姿も見られない。耳を澄ましても特段音も聞こえず。物陰に潜んでいる可能性は捨てきれないが、恐らく中には何もいないだろう。


「……とりあえず、安全そうね」


「さっさと油を取りやしょう。俺は入口を見張ってますから、お嬢は油を取ってきてください。あっちの隅に置いてある筈です」


「ええ。分かったわ」


 シャロンは自らキッチン内へと入り、言われた場所へと向かう。

 この船の料理当番は綺麗好きかつ、整理整頓をちゃんとする性格なのだろう。キッチンは汚れておらず、油などの調味料は綺麗に並べられていた。お陰ですぐに油の容器は見付かる。


「あったわ! あ、あとマッチも持っていかないと……よし!」


「やりましたね! じゃあ……何処で火を付けるんです?」


 キッチンから出た後、船員は次の目的地について尋ねてくる。

 燃やす場所は重要だ。例えば甲板に火を付けても、キノコ亜人は殲滅出来まい。火は上へと伸びるものであり、船体最上部である甲板を燃やしても、中まで火は通らないからだ。

 キッチンも船体の中では比較的上部に位置する。此処に火を付けても、船底はちょっと熱くなるだけだろう。厳密には船のような閉鎖空間で火が燃え盛れば、酸欠や有害な煙などが生じ、人間なら確実に死ぬだろうが……キノコ亜人にどれだけ効果的かは分からない。

 確実に葬り去るためには、船底から火を付け、完璧に焼き尽くすべきだ。


「燃やすなら、船の一番底の方に火を付けるべきね」


「船底の部屋……てぇなると、やっぱあそこでしょう。奴隷達をしまっている、奴隷部屋だ」


 船員の言うように、奴隷達の部屋はこの船の一番底に位置している。火を放つならば、そこが最も合理的だ。

 頷きで同意した後、シャロンと船員は船の底へと向かう。

 ……道中でキノコ亜人に襲われる事はなかったが、彼等は決して活動を休止していない。その証拠に船のあちこちから助けを求める声と、大男が出すにはあまりに悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 それらの声を振り切るように駆け足で進み、シャロン達は船の最深部に辿り着く。他の部屋よりも大きく丈夫な扉を、恐る恐る開けてみる。


「うっ……!」


 思わず、シャロンは呻いた。

 売り物である奴隷達のいる部屋……そこは灰色の『粉』が舞い、視界を塞いでいた。

 注意深く観察してみれば、その粉は部屋中に生えているキノコから出ていた。どうやら胞子らしい。部屋にあるキノコの数は数え切れない。まるでキノコの森に迷い込んだと錯覚するほど、何処もかしこもキノコだらけだ。床も壁も薄紫の菌糸に覆われ、部屋全体が気味の悪い紫色に染まっている。

 ただしキノコが生えている土台の一部は、菌糸に埋もれた板材などではない。

 壁にもたれかかるように座り込んでいる船員、そして檻の中に閉じ込めていた奴隷達の身体だ。『輸送』中の亜人の数は五十体。しかし見たところ、全員が物言わぬ苗床と化している。

 この光景を奇妙だとは思わない。亜人達は攫われ、これから奴隷として扱われる身。そして見張り役の船員はそんな奴隷が反旗を企てないよう、常に威圧している。

 キノコ亜人がこの光景を目にすれば、ケンカしていると思わない訳がない。

 檻に閉じ込められているとはいえ、人間よりも身体能力に優れる亜人が全滅している。やはりまともに戦って勝てる相手ではないとシャロンは確信。燃やさねば不味いと、危機感を募らせた。


「……幸いと言うべきかもね。一番キノコだらけの場所を直接燃やせるのは」


 船全体が燃えたとして、柱の中まで焼き尽くせるかは分からない。キノコというのは地上に出ているあの特徴的な部分ではなく、その下にある細長い菌糸こそが本体と聞く。苗床がたくさんあるこの部屋を直接燃やしておけば、大打撃を与えられるだろう。

 それと、いくら亜人とはいえ……生きたまま焼くのはシャロンの良心が痛む。獣程度の存在と思っているが、その獣を生きたまま焼く事を楽しむ奴は相当なろくでなしだろう。いくら仕方ないとはいえ、その最悪な行為をしないで済むのは有り難い。

 早速シャロンは持ってきた油を奴隷部屋に撒く。胞子だらけの部屋に入りたくなく、入口から放る形になったが、それでもある程度広がった。

 後はこの油に火を投げ込むだけ。


「……………」


 シャロンは懐からマッチを取り出す。

 食用油であるため、火の付いたマッチを放り込んでもすぐには燃えない。むしろ沈めば火が消えてしまう。布などに火を付けて、その布を油の傍に置くことで燃え移らせる。

 これをしたら、いよいよ後には引けない。大きく深呼吸をした後、シャロンはマッチの火を付けるためにハンカチを取り出そうとした

 瞬間、そのシャロンの腕を誰かが掴む。

 一瞬凍り付くも、その手が傍に立つ船員のものだと気付く。恐怖は引いたが、今度は疑問が湧いてくる。


「お嬢、火を付けるのは……やっぱ、なしにしませんか」


 挙句作戦の中止を求めてくるものだから、驚きでシャロンは大きく目を見開いた。

 しかし考えてみれば、船員がそう言い出すのも無理ない。

 この船にはまだ、彼の仲間がいる。あちこちから悲鳴が聞こえたが、言い換えれば、少なくともその時はまだ生きている仲間だ。そして全滅したとは限らない。何処かの部屋に籠もり、助けが来るのを待っている者もいるかも知れない。

 生き残りがいるのに、その船に火を放てばどうなる?

 彼等は生きたまま火に包まれる。それは、キノコ亜人に襲われるよりも苦しい事かも知れない。その可能性に気付けば、誰だって止めたくなる。


「(でも、そんな事言ってる場合じゃないわ)」


 万一この船が大陸に辿り着けば、この船の乗員の何百倍もの人々がキノコと化す。生きたまま焼かれる者も、百や二百では足りなくなるだろう。

 ここで食い止めねば世界は地獄に変わる。なら、自分一人が地獄に落ちる方がマシだ。

 この船員にはそう納得してほしい。そう、納得した上で、協力してほしい。納得出来ないなら一人で逃げてほしい。

 だからちゃんと話そう。シャロンはそう考えた。


「火を付けたら、みんなと仲良く出来ないですし」


 この一言で、決意は呆気なく砕かれる。


「……何を、言って」


 目を背けたまま、シャロンは訊こうとする。だが船員は答えず、もう片方の手でマッチを奪い取った。

 このままではいけない。覚悟を決めてシャロンは振り向き、向き合う。

 船員と。


「――――ひっ。あ、あなた、それ……」


「それ? ……ああ、なんか急に生えてきましたね。ちょっと痒いっす」


 シャロンが怯えながら指摘しても、船員は何処吹く風。言葉通り、キノコの生える目許を指で掻く。

 何故、彼の目からキノコが生えているのか。

 この部屋に来るまでの間に襲われた? 否、そんな気配はなかった。彼は悲鳴一つ上げていない。接近こそしているが、キノコ亜人とは触れ合っていない筈。

 なのにどうして? シャロンは思考を巡らせる……いや、全力でをする。何故なら答えは目の前にあるのだ。

 奴隷部屋を満たす灰色の胞子という、これ以上ないほど明確な答えが。


「(直接襲う必要すらないなんて)」


 確実な方法ではないのかも知れない。或いは時間が掛かるのかも知れない。

 しかしただ胞子を吸い込むだけで、その身体からキノコが生えるなら……この三日間、一緒にいた全員が既に手遅れではないか。

 勿論、シャロンも例外ではない。何時キノコ達の『仲間』としてその身体からキノコが生えるか、『仲間』を守るため火を消してしまうか分からない。


「は、離して! お願い……!」


 船員の良心に訴え掛けようと、必死に頼み込む。

 だが、船員の手は力を弛めない。

 ならばと身体を捩ってみるが、屈強な船乗りが貴族の小娘の力で怯む訳もなく。マッチを取り返そうにも、船乗りの方が体格で上回るため高く腕を上げられるだけでどうにもならない。

 完全に詰んでいる。打つ手がない。

 このままでは奴等にこの船が乗っ取られてしまう。


「(で、でも、風向きが変われば、船の進路も変わる。それなら王国のある大陸には辿り着けない……!)」


 唯一残った希望は、風向きという運命に任せるものだけ。

 しかし強ち期待出来ないものでもない。季節によってある程度規則性があるとはいえ、風向きは刻々と変わるもの。帆船はその変化する風に合わせて帆を動かす事で、真っ直ぐ進む事が出来ている。

 風向きが一定ならば、この船はそのまま直進するだろう。だが大きく変われば、推進力の向きも変わり、頓珍漢な場所へと運ばれていく。その行く先がキノコ達の島か、誰もいない海原か、或いは新大陸か……兎も角王国ではない何処かとなるかも知れない。

 それならばまだ、王国は救われる。運否天賦ではあっても、そこまで低い確率ではない。

 そしてキノコ亜人達はあまり賢くない。正確には、人間的な教育を受けていないと言うべきか。だから船の操作方法なんて分からず、風に流される船を見守る事しか出来ない筈だ。仮に帆が推進力を生むと気付いても、どんな風向き(例え向かい風でも)でも一定方向に進むには、適切に帆の向きを調整しなければならない。帆を動かす訓練は勿論、帆をどの向きにすべきかはある程度の知識が必要だ。キノコ亜人達が見ている中で船を動かしたのは、今日が初めて。たった一日、いや、半日で覚えられるほど操船というのは簡単なものではない。

 まだ希望は捨てなくて良い。

 ――――その希望さえも、キノコ達は打ち砕く。


「ようやく、最後の一人を捕まえられたな」


 ふと聞こえてきた声は、キノコ亜人子供のものではなかった。歳を重ねた大人の声であり、威厳と風格を感じさせる。

 何よりシャロンにとっては聞き慣れた声である。

 シャロンは声がした自身の背後へと振り返った。助けを求めるために、この状況を打破するために。

 しかしそこにいたのは、一体のキノコ亜人だけ。

 何処からどう見てもただの、そこらにいた奴等と同じ姿形のキノコ亜人だ。少し身体が大きいぐらいしか違いがない。だというのにその立ち振る舞いは、まるで歴戦の戦士のように堂々とし、身体が痺れるような威圧感を感じさせる。


「(な、何よ、コイツ……)」


 本能的に感じる違和感、それと恐怖。だがその正体が分からない。

 まるでその気持ちを読んだように、そのキノコ亜人は話し出す。


「ではお嬢。ここは一つ、ゆっくり話そうじゃねぇか……仲良くするために、な」


 この船の全てを指揮する、船長の声色で。

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