友愛汚染
「せ、ん、ちょう……」
「おう。つーてもそいつぁ、俺の苗床の名前だな……ま、記憶は引き継いだから俺自身といっても間違いじゃねぇが」
うわ言のように呟いた言葉に、船長の声を使うキノコ亜人は豪快に答える。恐らく包み隠していない言葉だが、シャロンにはまるで意味が分からない。
苗床の名前? 記憶は引き継いだ?
一体なんの話をしているのか。呆けたシャロンの表情を見て、大凡の気持ちは察したのだろう。船長声のキノコ亜人は語り始めた。
「まず、俺達の歴史を語ろう。遠い遠い、昔の記憶だ」
曰く、キノコ亜人達は本来亜人ですらないという。
その正体は苗床の構造を模倣する菌類の一種。例えば樹木に取り付けば、頑強な巨躯を支えられる丈夫な身体を持つ。獣に取り付けば、噛み付くための口を作り、歩くための手足を持ち、手足を動かすための筋繊維的構造を生み出す。そして脳細胞を模倣すれば、知能や記憶さえも再現出来る。
優れた生物の身体を模倣すれば、広範囲に子孫を残す事が可能だ。またその個体が持つ記憶を辿れば、敵の躱し方や食べ物の場所も分かる。しかも模倣した形質は、菌糸などを通じて他個体に連携が可能。一個体でも優秀な能力を獲得出来れば、種族全体で共有出来るのだ。
敵対的な存在に襲い掛かる性質も、この時には身に付けた。というより当時島に暮らしていた肉食獣の性質を、そのまま模倣した結果と言うべきか。これが結果的に仲間を積極的に増やし、勢力を拡大するのに役立った。この時にはまだ、『友好』の概念は持っていなかったが。
菌類の戦略は大成功を収めた。いや、大成功し過ぎた。島中の動植物を片っ端から苗床にし、菌糸は島を覆い尽くしてしまったのだから。仲間は増えたが新たな苗床がないため次世代を生む事が出来ない。次世代が生まれなければ変化もない。
以降、時折やってくる海鳥や流れ着く海産物を苗床にし、細々と生きるだけの停滞した日々が長く続く。だがある時、次の革命が起きた。
人間が流れ着いたのだ。
人間が島に入り込んだ瞬間、菌類は彼の身体を貪り食おうとした。獣の姿をした菌糸達が続々と襲い掛かったのである。そこに打算も何もない。獣の知能で感じる本能、餌を前にした犬と同じ行動である。予期しない攻撃に遭難者は呆気なくやられ、菌糸に取り込まれた。
菌糸は人間の身体を養分にして繁殖しつつ、同時に構造を模倣。それは肉体的な特徴だけでなく、脳の神経構造も含めてだ。人間は自身を特別視しているようだが、脳の基本的な作りはそこらの獣と大差ない。新たな世代の菌類は獣以上の知性を獲得した。更に友愛や敵意などの感情も理解する。
そうして結果誕生したのが、亜人のような形態のキノコ――――つまりシャロン達が発見したキノコ亜人だ。
「……成程。あのキノコ達に知能があり、言葉を話せたのは、遭難者の頭を模倣したからなのね」
「話が早くて助かるぜ。ただまぁ、問題もあった。獣の脳は問題なく模倣出来た俺達にとっても、人間の頭はとても複雑でな。どうにか記憶などは読み解けたが、一人分だけじゃあ完全な模倣には至らなかった。お陰で、あんな子供っぽくなっちまった」
「流石人間。進化の最高点ね……って言いたいけど、その言い方だと、あれね。要するに試行回数が足りなかっただけ」
「ああ。この船にはたくさんの人間がいた。だから知能の模倣をするのに、十分な検証が行えた。俺の人格と記憶を再現出来たのも、その努力のお陰って訳だ」
奴隷部屋にいた五十もの亜人、二十人の乗組員。彼等の脳構造を元にしたのなら、高い知能が得られるのも頷ける。シャロンの前にいるキノコ亜人は、やはり船長を苗床にしたのだろう。
そして船員達の記憶を引き継いでいるからには、当然船の操縦方法も知っている筈。
「……一つ、頼みたいのだけど」
「王国に向かうな、って願いなら、残念だが断らせてもらう。俺達としても目的地には辿り着きたい」
「そんなに仲間を増やしたい訳? 本能に従うようじゃ、やっぱり下等な動物よね」
煽るように侮辱してみる。これで考えが変わるか、もしくは隙を見せてくれれば……そう期待していたが、未だシャロンの腕を掴む船員はぴくりとも動かない。
船長声のキノコ亜人も同じ。シャロンの苦し紛れなどお見通しらしい。
「増えたいんじゃない。みんなと仲良くなりたいんだ」
それでいて『真意』を明かすのだから、ある意味性格は良いのだろう。
「仲良く……」
「いや、これも本能だな。王国では人間が亜人を奴隷扱いしている。そいつぁ、仲良くない行いだ。俺達は仲良くするのが大好きだ。だからケンカしている奴のところに行って、そのケンカを止めたい」
「ど、奴隷制はケンカじゃないわ。あれは一つの階級で、それは、えっと……」
「奴隷狩りで無理やり連れてきた結果、だろう? 無理矢理は良くねぇよなぁ。それは仲良しの相手にする事じゃねぇ」
ガハハと笑いながら語る船長キノコ。だがシャロンは思う。もしも奴に顔があるなら、その表情は決して笑っていない。
敵対者を積極的に潰し、それを苗床にして繁殖を行う。
それは此処までの道中で考えていた、キノコ亜人の繁殖戦略そのものだった。むしろ知的になった事で、直接的なケンカではなく概念的な不仲まで見逃せなくなっている。
何がなんでも王国を、キノコで包み込むつもりらしい。そうして仲間を増やしてきたがために。
「さて、お嬢も仲間になってもらおう。なぁに、苦しい事なんて何もない。記憶も引き継ぐし、何より――――」
船長キノコはゆっくりとシャロンに手を伸ばす。
その手に掴まれたらどうなるか。
何が起きるか分からないが、どうなるかは分かる。真冬に裸で放り出されたような寒気が、シャロンの背筋を駆け巡る。
この手に触れられたら、今度こそ終わり。
「い、い、嫌ぁああ!」
叫び、無我夢中で、シャロンは腕を振り回した。
考えなしの反射的行動。だが火事場の馬鹿力が発揮されたのか、その力は今までのものとは段違いに強い。
その手が運良く船員の下顎にぶつかると、ふっと船員の身体から力が抜けた。船員は膝を付き、ぱたりと倒れ伏す。
これが趣味の悪い悪ふざけでない事は、船員がシャロンの腕を手放した事実からも明らか。あまりにも呆気なく、シャロンは自由を取り戻した。
「あちゃあ。まだそっちの身体は人間主体だからなぁ」
船長キノコの独り言によれば、船員の身体は完全に乗っ取られた訳ではないらしい。だとすれば、先の一撃で運良く脳震盪でも起こしたのだろう。
この好機を掴まねば、今度こそ死ぬ。
「や、やあぁっ!」
火事場の馬鹿力には程遠い、けれども渾身の力でシャロンは蹴りを放つ。
狙いは、船長キノコの
「おっと」
蹴りは直撃。痛がる様子はないが、船長キノコの身体は大きく吹き飛ぶ。
蹴った衝撃で傘からたくさんの粉……胞子も溢れる。その粉の一部を、シャロンは吸い込んでしまう。
だが、今更それがなんだと言うのか。この三日間あのキノコだらけの島で、キノコ亜人と一緒に暮らしていたのだ。胞子なんてとうの昔に吸い込み、今頃自身の体内も菌糸だらけに決まっている。
自分が何時、正気を失うか分からない。正気を失う前に、やれる事があるとすれば……
「っ……!」
一人、シャロンは走り出す。
船長キノコがその後を追う事はしてこなかった。やれやれとばかりに肩を竦め、シャロンを見送るだけ。
まるで何をやっても無駄だと言わんばかりに。
確かにそうかも知れない。既にシャロンの身体が菌糸に蝕まれているなら、人としての理性は間もなく失われるだろう。それに傍にいた船員が、火を付けようとした瞬間にキノコが生えたのも偶然ではあるまい。菌糸というのは環境さえ整えば、何時でもキノコを生やせると聞く。というより環境が整うまで待つと言うべきか。奴等はいざとなれば、好きなように生える事が出来るのかも知れない。
だとすればシャロンの足掻きなど、最早滑稽だろう。
今頃船内に溢れ返っているキノコ亜人が一体もシャロンの前に出てこないのは、奴等もそう思っているからか。その見下した態度を、忌々しいとは思わない。『下等な亜人』と見下し、奴等を船に乗せたのはシャロン達人間なのだから。どちらがより愚かなのかは、結果を見れば明らかだ。
その愚かさを少しでもマシにするため、シャロンが向かったのは甲板。
見えた空は、よく晴れていた。風も程々に強く、大きく広げられた帆がそれを受け、船は前に進んでいる。
ざっと見渡した限り、陸地は見えない。遭難したあの無人島も、だ。しかしきっとこの船は今、王国のある主大陸へと向かっている筈。
それを止める唯一の方法は、最早船を止めるしかない。
船の止め方は簡単だ。帆を壊してしまえば良い。風を受けられなければ、帆船はろくに進めない。ある程度は慣性で前進しても、その後は海流に流されるままになるだろう。
延々と海に浮かべば、やがて船は朽ちて沈む。あの無人島にしかキノコ亜人がいないのだから、恐らく奴等も生身で海は越えられない。ならば船を海に沈めれば、最悪の事態は避けられる。
一番良いのは船底に穴を開ける事なのだが、非力なシャロンでは恐らく不可能。また船乗りの知性を得たキノコ亜人達なら、流石にそこは警戒しているだろう。船底の奴隷部屋が菌糸塗れで、船長キノコがいたのもこれが理由か。
何か出来るとすれば、後は帆の破壊ぐらいしか思い付かない。
「……………いや、これも駄目みたいね」
それさえも、キノコ達はあっさり打ち破る。
帆を破壊しよう。その気持ちが、シャロンの中からすっと引いていく。恋が冷めるように、むしろ自身の決心が忌々しく思えてきた。帆を前にして、シャロンは棒立ちするしかない。
何かを実行に移す前に、その気持ちさえ操られる。これでは反攻なんて出来る筈もない。
完敗だ。或いはこの気持ちさえもキノコ達により植え付けられたものか。尤も、どちらであっても大差ない。そんな気持ちになっている事だけは、確かな事実なのだから。
しかしこうなっても、消えない疑問が一つだけある。
どうしてキノコ達は、ここまでこちらの気持ちを読む事が出来るのだろうか。恐らく自分の身体は菌糸に蝕まれているとシャロンは思っているが、身体からキノコは生えていない。まだそこまで菌糸塗れではなく、故に脳の模倣なども出来ていない筈だ。ならば体内のそれは未だただのキノコであり、人の心という複雑で高度なものを理解出来るとは考え難い。
理解出来ない気持ちをあれこれ弄るなど出来ない筈。ましてや火を付けそうだとか、帆を壊そうだとかの、『戦略行動』が分かる訳もない。だが現にシャロンはそうした行為を止められ、菌類達に逆らえないでいる。
何故だろうか。どうせならば考えてみよう。
「そんな考えなくても、俺等が答えを教えるっすよ」
そう思った矢先、声が聞こえた。
それはつい先程まで一緒にいた、護衛の船員のものだった。そういえば偶然とはいえ一発良いのを食らわせて、彼は昏倒していた。
必死だったとはいえ酷い事をしてしまった。もう彼自身ではないだろうが、それでも謝っておこうとシャロンは船員の姿を探す。
ところが見当たらない。
もしかしてキノコになってしまったのだろうか? そう思うも、人影どころかキノコの姿も甲板には見当たらない。
そもそも今の声は何処から聞こえたのだろうか。よくよく考えてみると、その辺りが曖昧だ。
「そこに俺達はいないっすよ、お嬢」
再び聞こえてきた声は、とても近い場所からのもの。だけど方角は分からない。
直感的には、頭の中で直に響いたように感じられた。
「そうそう、それで合ってる。頭の中というか、心の中っすね」
「……ああ、成程。こんな風に人の心を覗き見ていたのね。悪趣味ぃ」
頭に響く声と会話してみれば、『知識』が一気に入り込む。
キノコ達は模倣した脳の構造だけではなく、様々な形で仲間と連絡を取り合っている。
菌糸同士の繋がりは最も強力かつ高速な連絡手段。しかし直接触れ合わずとも、空気中を漂う胞子越しでも意思疎通は可能らしい。おまけにこの方法なら、時間は掛かるが胞子のある限り何処までも遠くのものと話が出来る。
「そーいう事だぜお嬢」
「やっと加わったか。全く、遅いぞ」
「まーまー、そう言うなって」
シャロン達よりも先にキノコに襲われた船員や、船長なども話に加わった。無理矢理キノコを生やされた新人の声も聞こえてくる。
いずれもシャロンや護衛の船員と違い、人間の肉体は朽ちて完全なキノコになっている。なのに今、こうして話をしていた。
その理屈も理解した。菌糸が構造を模倣する方法は、その対象と『置き換わる』ように繁殖するというもの。脳の神経も同じであり、構造を模倣する過程で少しずつ置き換わっていく。
その時、意識はどうなるのか?
答えは、そのままだ。模倣が完璧であれば、薄れもせずに残る。何故なら置換は少しずつ行われるから。例えるなら博物館に展示されている船から、経年劣化した部品を交換し続けるようなもの。いずれ元の船の部品が一つもなくなるが、『展示されている船』という本質は何も変わらない。これと同じ事なのだ。
断絶なく移行された意識は、そのままキノコ達の中に残り続ける。胞子を介して意識のやり取りが発生すれば、最早キノコ本体が失われても意識は消えない。苗床の意識は、胞子達の間を飛び交い続ける。
キノコに取り込まれた全てが、今此処にはいるのだ。
「キューン」
島にいた野生の動物も。
「ピピピッ。ピィ」
偶々島に飛んできた鳥も。
「ようやく僕以外の人も来てくれたかぁ。長かったなぁ」
遭難して島に流れ着いた人も。
「全く。ほんと散々な目に遭ったわ」
そして、シャロン達が連れてきた奴隷の亜人の意識も。
「あっ……」
「ほら。なんか私達に言う事はないの?」
亜人(姿形は見えないが
途端、シャロンの頭に入り込んできたのは少女の記憶。
家族や友達と過ごした楽しい思い出。
人間達に襲撃され、家族や仲間を殺された思い出。
狭く苦しい牢屋に閉じ込められた思い出。
キノコが身体中から生え、全身を蝕まれる思い出。
その全てを心で感じた。少女が何を思ったのか、何を考えていたのかも。亜人が下劣で可能な動物でない事、いや、そんな生物がこの世にいない事も、心から感じる。
自分のしてきた事が、如何に愚かで浅ましいかも理解した。
「ご、ごめんなさい……」
謝って許してもらえる所業ではない。だけど他の言葉がない。絞り出すように、シャロンは情けなくその一言だけを亜人の少女に伝える。
「よし、許す!」
その一言で、少女は全てを受け入れてくれた。
「……え。で、でも」
「あんたが心から反省したのは分かった。だからそれで十分。あんた達にとってはそれが当然だったってのも、こっちも理解したし。私らだって、動物を食べたり利用したりしていた訳じゃん? なら、ある意味同じでしょ」
戸惑うシャロンの気持ちをさっと読み、そして理由も答える少女。
そう。少女はシャロンの全てを知っている。
何故ならキノコ達の胞子を介して、全てが伝わったから。だからその時の人間達の価値観も、考えも、相手の立場として理解出来る。シャロンが亜人達の心を理解したように。
だから許せる。謝ってきた相手の辛い気持ちも分かるから。
他の亜人達は言葉こそないが、その気持ちはシャロンに通じた。彼等もまた人間と同等、或いはそれ以上の知性と倫理観を持っていた。ただ、人のそれと違うだけだと。
キノコ達の協力がなければ、きっと分かり合えなかった。
「ああ、そっか……これが……」
みんなと仲良くするという事か。
夢物語が実現する空間。キノコ達はこの領域を、狙って作ろうとした訳ではない。だが胞子で繋がり合う事で、彼等はそれを成し遂げた。
この輪の中に加われば、きっと――――
想いを抱きながら、シャロンの意識は『仲間』達の下へと向かう。
その間に、彼女の肉体はキノコの苗床と化す。目から、口から、耳から。身体の至るところからキノコが生え、養分を吸い尽くされた肉体がボロボロと崩れる。やがて骨も筋肉も失われた身体はぐしゃりと潰れ、人の形を留めない有機物の集まりが甲板に広がった。それさえも菌糸により吸収され、後には菌糸の老廃物である黒くドロドロしたものが残るだけとなる。
けれども胞子達の間を行き交うシャロンの意識は気にしない。
全ての命と分かり合い、友好を結べる事と比べれば、肉の体が失われた事など些末な出来事なのだから。
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