友達の輪
そこは、王国最大の港町と呼ばれていた。
何百もの船が停泊出来る広大な土地を有し、船以上の数の建物が建ち並び、そこに住む大勢の人々が行き交う。王国のものだけでなく、海に面しているあらゆる国の船が集結し、世界各地の言語が交わされる。船から世界中の物品が降ろされ、市場で売られ、買われ、そして船に運び込まれていた。
その活気たるや、世界で最も忙しい町とも、世界で最も金の飛び交う町とも称されるほど。
これだけ大きな都市となれば、騒動も頻繁に起きている。規模の大小を問わなければそれこそ毎日何十と。殺人のような重大犯罪も、一年を通せば数え切れないほど起きていた。
このため港町に暮らす人々の多くは、騒動に慣れている。ちょっとやそっとの事件では、噂好きな者達を一時賑わせるのが精々だろう。
だが今日の出来事は、少なからず人々を動じさせた。
「おい! 本当に帰ってきたのかよ!」
「見間違う訳ないだろ! お嬢が乗った船だぞ!」
大勢の船乗り達が、大声で騒ぎながら海へと駆ける。港に集まった彼等は今にも落ちそうなぐらい海に近付き、押し合い圧し合いを繰り返す。
海の男達の群がる様は、一般人の目には奇異に映る。通行人や観光客が続々と集まり、騒ぎを聞き付けて憲兵や新聞記者もやってきた。彼等は遠巻きながら船乗り達の動きを見ていたが、当の船乗り達はそんな視線など気にもしない。
彼等は今、お嬢――――大貴族の娘シャロンを乗せた船に夢中なのだから。
「ほ、本当だ! 本当にお嬢の船だ!」
「まさか本当に生きてるとはな!」
船乗り達は喜び、笑みを浮かべる。彼等の視線の先、遥か彼方の大海原には一隻の船が浮かんでいた。
その船が広げている帆には、特徴的な紋様がある。船を遠くから識別するための情報だ。それが見えたのだから、間違えている筈がない。確実に、この町の大貴族の一人娘シャロンを乗せた船である。
シャロンを乗せた船は、本来ならば十日前にはこの港に着いている予定だった。
帆船の動きは風任せなので、天候次第では予定より遅れる事も珍しくもない。しかし航路が短ければ短いほど、そして航路の歴史が長ければ長いほど、その誤差は小さくなる。行き慣れた近所の店までの時間を、計り間違える事がないのと同じだ。
王国のあるこの主大陸から、
そして先日起きた、季節外れの暴風雨。もしや船に何かがあったのでは……嫌な予感が過るには十分な状況だった。
だからこそその予感が外れて、皆が喜ぶ。シャロンは貴族であり、海の男達にとっては雇用主でもあるが、同時に娘のように可愛い存在だ。それが無事帰ってきたのだから喜ばずにはいられない。
……そう。彼等ははしゃいでいた。船上の人影すら見えないほど離れた位置から、ぶんぶんと両手を振ってしまうほどに。
だから違和感に気付かない。
「……なんか、速くないか?」
一人の船員が、ぽつりと呟くまで。
言われて、ようやく彼等はハッとする。確かに船の速度が、かなり速いように感じられた。
シャロンが乗る船は奴隷である亜人を五十体も積み込める、とても大きな船だ。大きな船はそれだけ質量があり、質量の大きなものは止まり難い。一度速さが出ると、重たい分だけ運動量も非常に大きくなるからだ。減速させるのに必要な力も大きくなる、と言えば感覚的に理解しやすいだろうか。
ましてや帆船はどうしても風任せで動くため、急な減速は出来ない。だから多少手間が掛かろうと、遠いうちから速度を落とす必要がある。
ところがシャロンを乗せた船は、間もなく港だというのに減速が足りていない、ように見えた。
まさか、と誰もが思った。シャロンを乗せている船の船長は、この港でも特に優れた腕前の持ち主。着港前の減速が足りないなんて、初心者のような失態をするとは思えない。仮に船長がなんらかの理由で『不在』だとしても、他の船員もベテラン揃い。基本的な操舵ぐらいは出来る筈である。
だが船が近付くほどに、現実逃避もしていられなくなった。
「お、おい。速過ぎるぞ」
「あれじゃあ港のところで止まれない!」
不安が確信に変わると、喜びの感情は吹き飛んでしまう。
もしも止まりきれなかったらどうなるか?
此処がなだらかな砂浜なら、ちょっとばかり派手な座礁で済んだかも知れない。だがこの港は石造りであり、海と陸の境目は切り立った崖のよう。止まらなければ正面衝突となる。
巨大な船が高速で追突すれば、その衝撃は凄まじいものとなる。近くにいれば吹っ飛ばされ、当たりどころが悪ければ死ぬ。船にいる船員の命だって危険だ。
故に普通は、例え間に合わなくとも帆を畳むなどして減速を試みる。
ところがシャロンの乗る船は――――帆を広げた。風を受け、加速するために。
「な、な、なん」
「逃げろおおおお! 衝突するぞおおおおお!」
あり得ない行動を前にして多くの船乗りが困惑する中、ただ一人避難を促すよう叫ぶ。
その言葉がなければ、彼等は船の真正面で棒立ちしていただろう。
一人が叫んだお陰で、船乗り達は全員が海から離れる。ところが彼等を見ていた一般人や観光客、憲兵や新聞記者は動かなかった。船の知識がない彼等は、船が衝突した時の衝撃を知らなかったからだ。それに大きな船の動く速さは、肉眼では測り難い。そこまで速いようには見えず、船乗り達の言葉が大袈裟に思えたのだろう。
それでも間近に迫った船が爆走する姿を前にすれば、ようやく走り出したが。
誰もが逃げ出す。少しでも離れる事で頭がいっぱいだ。このため一人として、迫りくる船の上に巨大なキノコが何本も生えている事に気付かない。
誰も船の状況を知らぬうちに、船は港に激突する。
瞬間、船体前方が爆発音を鳴らして砕け散る。火薬が炸裂した、のではない。あまりにも大きな衝撃により、船体が弾け飛んだだけだ。されど板材が砕けた際の衝撃は空気を震わせ、爆音が周囲の人々の身体を激しく揺さぶる。
そして飛び散る木片に混ざり、白い『粉』も吹き荒れた。
「わぶっ!? な、なんだこれ――――」
粉は逃げ遅れた人……最後までその場に残ろうとした、新聞記者の若い男を飲み込んだ。突然の事で息を止める暇もなかった彼は、その粉を一呼吸分吸い込んでしまう。
すると彼の目や鼻、耳から小さなキノコが生えた。
「あぇ、なんで急に暗ぐぶ」
痛みも感じず戸惑った彼の言葉は、開いた口から伸びたキノコで塞がれる。
苦悶の声一つ出さずに、新聞記者の男はばたりと倒れ伏す。
「ぐっ!? な、なん……あ、ああぁ……!?」
次いで飲み込まれたのは、一人の老紳士。観光客であるその紳士は粉を僅かに吸うと、酷く狼狽える。
そして零したのは、滝のような涙。
「わ、私は、私はなんて事を……し、知らなかった。猫の亜人にあんな心が、あるなんて、知らなくて、わ、私は……!」
涙を流しながら、己の無知を訴える。
その顔は悲痛なもので、後悔が滲み出ていた。
しかし悲痛な顔は、すぐに満面の笑みへと変わる。
「許して、許してくれるのか……! ああ、なんて温かな……」
許された事への感謝を伝えると、老紳士の身体を白い糸――――菌糸が覆い尽くす。
老紳士だった菌糸の塊は、やがて空高く伸び始めた。老紳士の時よりも細く、故に老紳士よりも高く。そして赤い傘を開いて一本の大キノコとなるや、その下側から無数の白い粉こと、胞子を振り撒く。
船から溢れた白い粉も、キノコから出る胞子と同じものだった。
船から出た胞子は激突時の衝撃に加え、海風に運ばれて港町の奥深くまで浸透していく。
「な、何、な、に、あ、ぁ」
若い主婦が胞子に飲まれ、その目から二本のキノコを生やして倒れる。
「あ、ママだぁ。どうしてここにいるのー?」
胞子を吸い込んだ幼子は母を呼ぶや、べしゃりとその身体が崩れた。潰れた身体から、無数のキノコが生える。
「わ、悪かった……俺が……俺が殺して……あ、ああ……俺を、許して」
ある男は殺人を自白し、安らかな笑みを浮かべて倒れる。その背中から生えたキノコは高く伸び、男の身体はみすぼらしく縮む。
町のあちこちで、人々がキノコに変貌していく。キノコからは胞子が吐き出され、更に広範囲が汚染された。
「とぉー!」
「やったぜー!」
「私達は自由よ!」
そして一部のキノコは、人の言葉を話し、自分の足で動き出す。
未知なる『亜人』。
その出現で人々は困惑し、逃げ惑う。しかしキノコ亜人は力強い足で彼等の後を追い、襲い掛かり、身体から出した菌糸で侵す。
菌糸に埋め尽くされた人々の身体からは新たなキノコが生え、キノコはまた別の誰かを襲う。
一部の市民や憲兵が銃で応戦するも、キノコ達には通じない。内臓どころか血液も持たないその身体を弾丸が貫いたところで、何一つキノコを脅かさないのだから。むしろ人々を守るため足を止める憲兵は格好の獲物とばかりに、キノコ亜人達は大群で取り囲んで襲い掛かる。襲われた憲兵から生えたキノコは、亡骸となった憲兵から銃を奪い、それを用いて他の憲兵や市民を撃つ。
腹を撃たれ、倒れた人はすかさずキノコ達が菌糸で侵食した。彼等が命を絶やす前に新たなキノコは生え、そして生まれたキノコ達は感謝する。「私達をキノコにしてくれてありがとう」と。
港町の全てがキノコと化すのに、長い時間は掛かりそうになかった。
「さっすがお嬢。作戦大成功っすね」
「ここで一気に数を増やせば、もう王国の騎士団が来ても怖くねぇな」
世界有数の大都市が破局を迎える中、壊れた船から港に降りる者がいる。
それはキノコだった。
ぞろぞろと港町に降り立つ何百ものキノコ達。何物にも縛られない、無邪気な歩みで彼等は人間の国土を闊歩する。大きさぐらいしか違いのない彼等は、されどその声や性格は千差万別で、だけど誰もが仲良く歩く。
「あら、騎士団なんて最初から怖くないでしょ?」
そんな無数のキノコ達の中の一体が、少女の声で語る。
「だってみんな、友達になる相手なんだからね」
壊れゆく町を進みながら、その声は何処までも無邪気で、希望に溢れていた。
キノコ友好論 彼岸花 @Star_SIX_778
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