キノコ友好論

彼岸花

遭難日和

 透き通った海が、彼方まで広がっている。

 空は雲一つない晴れ模様。前日が息も詰まるほどの大荒れの天気だったとは、この天気からは想像も付かない。波も穏やかになり、今なら小さな船でも順調な航海が出来るだろう。

 シャロンは海を眺めながら、そんな事を考えていた。

 ……視界の端に映る、自分がつい先程まで乗っていた木造帆船を無視するよう努めながら。二十人の船員と、その船員を一月養う物資、そして彼等に報酬を支払ってもなお利益が出るほどの商品を詰め込めるほどに大きな船。それがシャロンのいる砂浜のすぐ傍に停まっている。

 しかし目を逸らしたところで、現実はなんら変わらない。船は浜の近くに留まったまま、決して大海原には旅立たない。


「お嬢。やっぱり損傷がかなり酷いようです」


 半裸の船乗りから現状を伝えられ、シャロンは大きなため息を吐くしかなかった。

 シャロンはとある大陸(主大陸と呼ばれている)の海沿いに位置する『王国』に暮らす、貴族階級の娘である。

 貴族といってもここ何十年の改革で、かつてほどの横暴が出来る立場ではない。土地は王が管理するようになり、徴税権なども失い、自治領における法の例外とはならなくなった。つまり働かなければ金は入らず、貧乏農民を殴れば容赦なく憲兵に捕まる、一市民と変わらぬ存在という事だ。

 市民との違いは、先祖代々溜め込んだ金銀財宝のお陰で、資本家と言える程度には金があるぐらいか。それだって生きていくだけで金は消えていくのだから、節制しても何世代か後には一つも残らない。仮にこっそり横暴な領主的行いをしても、百年前に開発された『銃』によって市民でもそこそこ戦えるようになった。下手に機嫌を損ねれば反乱を起こされ、次の日には高貴な生首が一つ出来上がるだろう。

 最早権威で食べていける時代ではなく、貴族であろうとも様々な事業をしなければならない。貴族の娘であるシャロンも例外ではなく、一市民と同じく仕事をしなければ生きていけない身である。とはいえ未だ成人していない彼女に任される仕事は比較的簡単なもので、今回も海の向こうにある新大陸で仕入れた『商品』を、王国の港まで運ぶ旅に同行していただけだが。しかし流通の現場を直に見る事で、仕事について理解を深められる。それは将来、彼女が大人として働く時に必要な知識だ。

 その大切な勉強の最中、彼女を乗せた船は大嵐に遭遇。

 嵐に揉まれ、シャロン達の船は方角を見失う。どうにか転覆は避けて陸地に辿り着いたものの、そこは見知った大陸ではなく、小さな島だった。つまり漂着である。今は船長と航海士が現在地の割り出しを急いでいて、これが分からなければ帰り道も分からず、いくら海が穏やかでも船が出せない。

 おまけに激しく揺さぶられた影響か船体に穴が空き、浸水までする始末。この穴を塞ぐまで、やはり外洋には出られない。


「(現在地については、大きな問題がなければ今日中には分かると聞いている。だから問題は……穴の方よね)」


 船体の穴を塞ぐ事。これ自体は問題ない。シャロンが乗るという事もあって、今回船旅に参加した船員はその大部分がベテランだ。彼等はこんな時に備えて、簡単な造船技術ぐらいは持ち合わせている。ちょっと穴が空いた程度なら騒ぐほどの事もなく、ぱっと直してくれるだろう。

 しかしいくら技術があろうとも、材料がなければ腕は振るえない。

 そして見たところ、この島には『木』がなかった。


「……なんだって、こんな変な島に流れ着いちゃうのよ」


 愚痴りながらシャロンは背後、自分達が流れ着いた島へと振り返る。

 そこは、薄い紫色の大地に覆われていた。

 芋の皮のような明るい色合いではない。カビたような、少し白味の混ざった不気味な色をしている。よく見れば無数の繊維が無秩序な並びで張り巡らされており、虫の集まりを見付けた時に似た、生理的嫌悪を引き起こす。

 その繊維の上に生えるのは、キノコだ。

 数は視界を埋め尽くすほど多く、いずれも柄は大地と同じ白味のある紫をしている。背丈はものによって違うものの、高いものなら人間三人分はあるだろうか。太さも、物によっては人では抱えられないほどだ。

 柄の先には大きな、実にキノコらしい傘を被っている。赤い下地に白い斑紋。王国にもキノコ料理はあり、シャロンにとってもキノコは馴染みのある食材だが、こうも毒キノコですと言いたげな見た目では食欲も湧かない。というより巨大過ぎてキノコ食べ物に思えない。特段美味しそうな香りもなく、むしろちょっとカビ臭いのも食欲を感じさせない一因か。

 そしてキノコばかりで、植物の姿は何処にも見られない。木どころか草すら生えていない有り様。大陸中央の乾燥地帯でも、ヤギが食む程度の草はあるというのに。

 シャロン達が流れ着いた島は、謎のキノコ島だったのだ。こんな島の存在は今まで聞いた事もない。ここ二百年でようやく大陸外への冒険が始まった今の人類は、世界について知らない事も多いが……このキノコの森は世界的にも珍妙なものだろう。

 これだけ変な島が噂にもなっていないからには、恐らく誰も見た事がない。どうやら地図に載っていない島のようだ。


「島の位置自体は、今までの航海ルートと星の見え方、後は羅針盤で算出出来るんすけどねぇ」


 船員が語るように、此処が未知の島である事自体は問題ではない。ここまでの航海記録と星と羅針盤があれば、どちらに主大陸があるかは算出可能だ。それだけの技量がこの船の船員達にはある。

 未知の島なのも、単純に世界は広いという事の証に過ぎない。航海技術と造船技術はここ数十年で著しく発展しており、シャロンが商品を仕入れた新大陸も、ほんの三十年前に発見された。安全な航路もここ十数年で確立したもので、そこから外れた位置にどんな島があるかはあまり分かっていない。小さな島の一つ二つを見付けたところで(新しい資源や商機はあるにしても)騒ぐほどの事ではないのである。

 居場所も、発見も、問題ではない。では何が問題か。

 それはこの島からの脱出が、現時点ではどう考えても無理である事だ。

 シャロン達が乗ってきた船には今、穴が空いている。だから直さねば海には出られない。

 しかし船に使う木材は、選び抜かれたものでなければならない。ある程度の丈夫さがなければ、またすぐに穴が空いてしまうし、隙間なく敷き詰められる『板材』を作るには十分な大きさも必要だ。

 だが自然の木でその要求を満たすのは難しい。光を巡る木同士の競争を勝ち抜くため、太く丈夫に成長するよりも、高く細く伸びてしまうからだ。間伐など人が手入れをして、ようやく木は優れた材木へと育つ。

 今まで発見されていない島に、人工林なんてある筈もない。というより今見える範囲にはキノコしか生えていない。キノコは木材に生えて弱くする邪魔者。この島に船を直せる木材があるとは思えない。

 よってこのままでは脱出は不可能だ。他に助かる可能性があるとすれば、近くを偶々王国の船が通り、こちらを救助してくれる展開だが……地図に載っていない島の傍を船が通るとは思えない。

 奇跡的に通ったとしても、相手の船にも船員がいる。二十人の船員が余計に乗って、果たして水や食料は足りるのか。自分達の身を守るため、助けを無視する事は十分あり得る。その後王国に報告してくれるかも知れないが、見捨てたという悪評を恐れ、黙ってしまうかも知れない。

 王国に帰れない未来が、幾つも浮かぶ。百歩譲ってこの島で暮らすとして、この謎キノコだらけの島で生きていく事など出来るのだろうか……


「お嬢、あまり気落ちしないでください。確かに木はなさそうですけど、そうと決まった訳じゃないです。それに修理に使う部品の備蓄はありますし、万が一の時には浸水と関係ない部分の木材を剥がして、それで修理を行う手もあります」


 落ち込むシャロンを船員が励ます。

 気休めを、と言いたくなる口をシャロンは噤む。確かに諦めればその時点で終わりだが、諦めなければ可能性はある。船をバラすのはそれこそ最後の手だろうが、だとしてもやりようはあるのだ。

 危機的状況だからこそ、絶望すべきではない。シャロンはそれが分からないほど、達観した性格ではなかった。


「……ええ、その通りね。我ながら不甲斐なかったわ」


「まぁ、お嬢は船乗りではありませんからね。一旦は俺等にどーんっと任せてください」


 自身の胸を叩き、自信満々に語る船員。実際、貴族の一人娘であるシャロンに船で手伝える事などない。非力な彼女が参加したところで足手纏いだ。

 シャロンに出来る事は、金持ち貴族として彼等の報酬に色を付ける事だけだろう。無論、それは無事帰国出来たらの話だが。


「ええ、頼りにしてるわ」


「うっす! じゃあ俺もそろそろ手伝いに戻りますね。あ、島の奥には行かないでくださいよ?」


「そこまで勝手はしないわよ」


 警告を笑いながら受け止め、シャロンは手を振って船員を見送る。

 ……言われずとも、島の奥に行く気はない。

 此処は人類未発見の島。どんな生き物がいるか、どんな環境があるかも分からない。ましてや巨大キノコが乱立する場所など、聞いた事もない自然環境だ。下手に動いたら、何が起きるか分かったものではない。

 それにこの世界には『亜人』という存在がいる。

 亜人というのは名前の通り、『人に似た種族』の総称だ。王国がある主大陸には狼型の亜人ウェアウルフがいるが、シャロンが商品を仕入れた新大陸では猫型亜人フェルプール、魚の身体を持つ人魚、豚面の怪人オークなどが発見されている。

 どの亜人も人間に敵対的な上、かなり凶暴だ。見付け次第攻撃してくる者も少なくない。最悪な事に、大抵の亜人は普通の人間よりも獣に近く、力は非常に強い。貴族の小娘など、襲われれば抵抗する暇さえないだろう。

 この島にも独自の亜人がいる可能性は否定出来ない。単身で行動するのと、屈強な海の男達の傍にいるのと、どちらが安全かは言うまでもない。亜人は凶暴かつ野蛮ではあっても、知能がない訳ではないのだ。


「……このぐらいが良いかしら」


 邪魔にならない程度に離れ、船や船員達が見えるぐらいの位置の砂浜にシャロンは座る。キノコの森からは十数歩程度離れた、菌糸がない場所だ。

 吹き付けてくる潮風を心地良く感じながら、シャロンはぼんやりと船員達の仕事ぶりを見守る。

 とはいえ、やはり何もしないのは退屈だ。適材適所だと頭では分かっているが、それだけでやる気を維持出来るほど人間の頭は単純ではない。

 やる気がなくなると、段々眠気が込み上がる。

 皆が真面目に働いている中眠るなんて、とシャロンは思う。思うが、しかし暖かな朝の日差しは実に心地よい。潮風も程良く、日差しで温まった身体を冷やしてくれる。単調な波の音、獣の声一つしない静けさ、変わらない空模様……全てが心地良い眠りを誘ってきた。

 うつらうつらとしてきたシャロンは、ゆっくり瞼が落ちてくる。身体もかくんかくんと、前後に揺れ始めた。意識も段々遠退き、寝てはならないと思いながら、自分が眠りつつある事に気付かず――――

 背後からもそりと何かを踏む音がしなければ、あと数秒で眠っていただろう。


「ひゃうっ!?」


 突然の物音に、シャロンは跳ねるほどに驚く。同時に血の気も一気に引いた。

 何かが落ちた結果の物音なら、それで良い。

 人に危害を与えそうにない、小動物の足音でも構わない。

 だがそのどちらでもないなら、何か危険なものが背後にいるかも知れない。想像するだけで恐ろしいが、聞こえた以上無視するのは愚行。せめて正体は確かめねばなるまい。

 幸い音は一度聞こえたきり、二度目は聞こえてこない。つまり近付いてきてはいない筈だ。焦る事はない……自分にそう言い聞かせながら、シャロンは数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 そして意を決し、立ち上がる準備をしながら振り向く。


「……えっ」


 その瞬間、シャロンは驚きで固まってしまう。

 言葉が出ない。どうすれば良いのか分からない。ただ、恐怖の感情は湧いてこない。

 何故ならそこにいたのは、だったのだから……

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