脇道 自然ってのは常に何が起こるか分からないもんだ

「こいつぁひでぇな……」


 セルウ山中腹、ティタンスパドゥルと思しき影が目撃された場所に向かっている途中で、苦虫を噛み潰したような顔をしてヴェルンは口を開く。

 彼らの視界に映っているのは薙ぎ倒されたような折れ方をした木々、しかし周辺に残る足跡から目的のモンスターではないことが分かる。


「流石に雨の後なんで分かりづらいっすけど足跡からしてソルウルスで間違いないっすね、それも結構デカい個体っす」


「ソルウルスと言うと……確か地属性の魔法を扱うのと体色も合わさって土塊熊と呼ばれているんですよね?」


「そうっすね、見かけのわりに結構走るのが速いから見つからないようにするのが一番っす。それにしても一体どこに続い…て……」


 踏み荒らされた地面を観察しながらペクスは足跡の続いている方向へと視線を向け、絶句する。

 一見すると足跡は森の奥へ続いているように見えるものの、倒れている木々の影響もあって分かりづらいがそれは確実に山頂へと向かっていた。


「旦那、俺すごい嫌な予感がするんっすけどこの方角ってまさか……」


「セルウ山の山頂だな、つまり奴さんはアイアンドレイクの縄張りに構わず突っ込んだってことになる」


「俺行きたくねえっすよ旦那ぁ!!!」


「ガタガタぬかすな! 腹括れ腹!」


「ちょ、ちょっと待ってよ、それってなんか変じゃない?」


 絶望したように叫ぶペクスを横目に、破壊の跡の先にいるであろう山の主の姿を想像しながらアイザックは首を傾げる。

 それもそのはず、本来ソルウルスは気性こそ荒いが、縄張りの外に出てまで侵入者ないし獲物を追いかけるような真似はしないモンスターである。それが格上の、ましてやこの山の主アイアンドレイクの縄張りに侵入してでも追跡し続けるという行為は明らかな異常と捉えられる。

 生息しないはずのモンスターの目撃情報も合わさり、一行は気温が少し下がったかのような感覚を覚えた。


「えっと……どう、しましょう?」


「ティタンスパドゥルは大体の場合木の高さに合わせて待ち伏せするが戦闘になりゃ立ち上がって迎撃するが俺達がそれを見てないとなりゃ奴さんはまだ動いていねえ、となれば先にこの血の臭いの正体を探る必要がありそうだ」


 言い終わるやいなや、徐に背負っていたハンマーを肩に担ぎ直してヴェルンは山頂の方角へ向き直って歩き出す。

 種としての鋭い嗅覚で捉えた血の臭いは雨が降った後にもかかわらず僅かに残っていたことからその凄惨さが容易に想像できた。


「あの、血の臭いってひょっとしてソルウルスのですか?」


「そこまでは分からん、まぁ大方獲物を仕留めたか、それとも女王の餌食になったかのどちらかだろうな。どっちにしろまだ距離はあるしんなビビんなくてもいいんだよこういうのは」


 人間では一切感じ取れない死の気配に青ざめるティア、それを豪快に笑い飛ばせるのは長く探検家をやっているヴェルンだからだろう。


「女王案件だったら本当に嫌っすよ……っていうか、やっぱ俺と旦那じゃ嗅覚に結構差があるっすね。俺じゃ全然分かんなかったのに」


「前にも言ったが産まれてからずっと獣なのと人の部分も多くあるのじゃそこらへん変わるからな。まぁ俺としちゃ手先が動かしやすいのが少し羨ましいがな」


「いやおじさん十分器用な方だと思うけどなぁ……ほら、僕の防具手入れしてくれる時とか針の扱い方すごい上手いじゃん」


「あ~…ありゃそういうもんだ、そういうもん。んなことよりさっさと行くぞ、臭いが消えたら面倒だからな」


 どこかはぐらかすように空いている手で頭を掻き、尻尾を揺らして山頂へ歩を進める猫妖精にまた癖が出てると内心で苦笑しながらアイザック達はその後をついていった。











「……酷い」


 ティアの震えた声が空気を震わせる。

 一行の目の前に広がっていたのは非常に奇妙で、且つ凄惨な光景だった。雨で濡れているため一見分かりづらいが、周囲に散乱している土の塊──地属性の魔法テルジラの形跡、なによりその魔法を使った張本人の無惨な死骸が放置されていることから戦闘になったことは察しが付く。

 放置された死体は目元を切り裂かれた上で何かに叩き付けられたかのように細かい傷が付いている。背中は皮を妙に丁寧に剥がされたことで骨が剥き出しの状態であり、本来そこについていた肉は幾らか食い千切られた痕跡が残っていた。

 しかし一行の目を引いたのはその首元に突き刺さった黒一色の鎚剣ソードメイス、返り血によるものかどこか妖しい輝きを帯びたそれは、ギルドに集まった探検家達で様々な武具を目にしている彼らでもその異様な雰囲気を醸し出す得物は初めて見る。


「おじさん何か……っと」


 武器のことなら何か知ってるかもしれない、そう思ってアイザックが顔を上げると件の猫妖精はまるで仇でも見るかのような形相で忌々しそうにその武器を見つめており、以前も何度か見た表情にアイザックは思わず口を閉じた。


「んー? ……いや、やっぱそうっすよねぇ」


 そんな二人を余所に先ほどまでのげっそりしていた様子と打って変わって死骸の調査をしていたペクスだったが、手帳と傷跡を何度も見直してはしきりに首をかしげていた。


「ペーさん、なにか分かったの?」


 様子に気付いたアイザックが声を掛けるとペクスは調査の手を止めて立ち上がる。

 しかしまだ気になっているのか目線だけは死骸の方に向けていた。


「まぁ分かったっちゃ分かったんすけど……ちょっとあり得ないんっすよね」


「あり得ないって何が?」


「目の部分見れば分かるんっすけどこの形ってどう見てもヴォルフェの爪痕なんっすよ、それに傷とか見た感じ多分一体だけっす」


「言われてみれば確かに傷が少ないですね、群れで襲ったなら腕や足に傷があってもいいはずですし……」


 補足すると魔狼とは名前通り魔力を取り込んでモンスター化した狼のことであり、別名でヴォルフェとも呼ばれている。山岳地帯に強力なモンスターが多く生息しているためか比較的脅威度が低い平原や森林地帯で目撃され、ほとんどの場合群れを成して獲物を襲うモンスターであるが単独でいること自体はあまり珍しいことではない。

 というのも群れから離れて番を探している途中、もしくは群れから逸れたか追い出された個体が狩りをしている姿が目撃されているからだ。

 しかしそのような個体が狩るのはウサギや鳥など比較的狩りやすい動物である、つまり一行からすればこの状況は魔狼と思しきモンスターが自分よりも体格の大きい化け熊を仕留めて喰らったという通常ならあり得ない状況を意味していた。


「しかも臭いから考えて二日三日経ってる感じじゃないんっす、なのに他のモンスターに喰われた跡がどこにもないんっすよね……ひょっとしてこれのせいとか?」


 そう言いながらペクスが刀身に手を伸ばそうとした時だった。


「馬鹿野郎そいつに触るんじゃねえ!」


「あだばぁ!?」


 怒号と共にペクスの背へ我に返ったヴェルンの飛び蹴りが突き刺さる。巨大な肉と毛の塊に吹き飛ばされたペクスは前方へ倒れ伏して悶え転げるも、それを余所に冷や汗を浮かべたヴェルンは鎚剣の傍へとしゃがむ。

 真剣な様子で数秒見つめ続け、やがて納得したように目を細めるとヴェルンは口を開いた。


「……こいつは俺の育て親から聞いた呪いだ、間違いねえ」


「呪い……ひょっとして、武器の形を取っているんですか?」


「いんや、元々は優れた武器の一つよ。名をニグレド、色々あって闇属性の力を必要以上に吸い過ぎたせいで触れた奴全てを蝕み殺すようになっちまった危険物だ、呪いといっても過言じゃねえ」


「いでで……そ、そんなもんがなんでこんなところにあるんっすか?」


「俺も知らん、聞いた話じゃ昔なんかの戦いで紛失してそれっきりだったんだが……取り敢えず回収するぞ、持ち運ぶ程度ならこいつの呪いの影響は受けねえ」


 飛び蹴りによる痛みに顔を顰めているペクスを尻目にヴェルンは毛深い懐に手を突っ込むと、そこから箱のような物体を取り出しニグレドへかざす。すると一際大きく輝いたかと思うと突き刺さっていた凶器は粒子となって箱へ吸い込まれていき、やがて最初から何もなかったかのように消失した。


「いつ見ても行商人のおじさんが知ったら発狂しそうだね、それ……」


「あー……何度も言うがこの事は言うなよ? 下手したらマジで刺されかねねえからな」


 たった今ヴェルンが使ったのは俗にアイテムボックスと呼称されるアーティファクトの一種である。

 片手に収まる大きさでありながらあらゆる物体がある程度まで入る特殊な空間が内包されており、飛竜の死骸から木の実まで魔力さえ込めれば自由に出し入れすることができて重量は変わらないというあまりにもふざけた力を持つ。

 その性質から行商人が殺してでも手に入れようとするケースもあるがそれはまた別の話とする。


「この後はどうするんですか?」


「一先ずこいつの使用者を探したい、性質上確実に呪いで苦しんでるはずだからな」


「問題は何故かいるヴォルフェの方っすね、使役とかそういうのだったら分かるんっすけど……ってか旦那、さっきから思ってたんっすけどなんか詳しくないっすか?」


「それは僕も思ってた、おじさん何か知ってるの?」


 アイテムボックスをその毛の中へ沈めたヴェルンの背に好奇心に満ちた視線が浴びせられる。


「お前らそりゃ……うぅむ」


 思わず足を止めたヴェルンは一瞬口を開きはするもすぐに言い淀み、小さく唸り声を上げた。

 誤魔化すわけでもなければ無視するわけでもない普段とは異なる様子にアイザック達は顔を見合わせる。




 ──その時だった。




「っ!? 皆さん下がって!」


 最初に反応したのはティアだった。

 叫び声を聞き、コンマ数秒も経たないうちにアイザック達はその場から飛び退いて距離を取る。

 ほぼ同時に突如として足元が揺れ出す、即座に一行が各々の得物を構えた瞬間──


「シギャララララララララララララ!!!」


 ──咆哮と共に、全身を色とりどりの水晶で身を包んだ巨大な蛇が地面から飛び出した。

 体長はすぐ近くにあるソルウルスの死体二体分を並べたくらいだろうか、鱗や皮は纏っている水晶のようにところどころが尖っており、攻撃を当てずともその堅牢さがうかがえる。

 着地によって更に揺れを発生させたそれは殺意に満ちた眼で周囲を見回し、やがて己の前に立つ四つの生命を補足する。


「退却だお前らぁ! 走れぇえええ!!!!!」


 叫び声が響き渡った直後、元々細かった大蛇の瞳孔はより細くなり、先ほどより一際大きく咆哮すると全身をくねらせて周辺の木々を鱗や水晶を以て削り、粉砕しながら突き進む。

 その顎から黒い煙を立ち昇らせながら。

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