0歩目 顔のない奴は手心もない
意識が浮上する。周りを見渡そうとするけど首が全く動かないと言うか感覚がない、おまけに目隠しでもされているのか何も見えないし、仮に首が問題なくてもこれじゃ無理か。
……あ、意識があるってことは俺まだ生きているんだ。じゃあこうして何も見えないのは包帯とか巻いてあるのかな、顔から落ちたわけだし確かに入念に処置はされるか……余計なことしてくれたな。
「真面目に状況整理しているところ悪いんだが、君は普通に死んでいる。もっとも君の場合は残念ながら、よりも喜ばしいことに、と言った方がふさわしいかな?」
不意に男の声が聞こえてくる。
何も見えない状態ではあるけど、声の大きさからおそらくソレは俺の真正面にいるのが分かった。
反射的に後ろに下がろうとして気づいた、足の感覚が全くと言っていいほどない。
足だけじゃない、よく考えたら顔や腕に包帯とかが巻かれている感覚が分からないのはまだ麻酔の影響って思える、首が動かないのもガッチリ固定されているならおかしくはない。だけどそれ以外の部位全部の感覚も一切分からないのは流石に変だ、そんなこと今までなかったから案外こういう感じなのかもしれないけど。
「まぁ普通はこんなこと経験することなんてないし、そりゃそんな反応にもなるか。なにはともあれ一旦落ち着きなよ」
呆れたような声がすると、声の主がいるはずの方向から指を鳴らすような音が聞こえてくる。それと同時に真っ暗だった視界を正反対の白い光が埋め尽くす。
やがて光は収まっていき、少しずつ周りの様子が分かるようになり──視界に広がった光景に、俺は思わず息を呑んだ。
最初に目に入ったのは川だった、行く機会なんてなかったから写真や絵でしか見たことがないけど、今見ているのはその写真なんかとは比べ物にならないほど透き通った綺麗な青色をしていた。
周りを見れば大小さまざまな大きさの石が敷き詰められていて、よく目を凝らせばところどころに赤色の花、確かヒガンバナって名前だった気がする花が咲いている。そんな光景がどこまでも続いているんじゃないかってくらい広がっていた。
なんて言えばいいのか分からないけど、多分こういう時は幻想的って表現が正しいんだと思う。
……あれ、普通に足元とか見れるな。まばたきも──うん、できる。
ただ案の定足自体は見えなかったしその感覚もない、なんなら腕はもちろん体の方も見えない。つまり今は首のない頭だけの状態ってことになるのか、どうりで妙な感じだったわけだ……想像したらなんか気持ち悪いし、所謂人魂になっているとかそういうことにしておこう。
「少しは落ち着いたかい?」
川を見つめながら物思いに耽っていると、さっきと同じ声がした。今度は後ろから、距離は相変わらず近い。
振り向けば黒色の燕尾服? を着た男が立っていた。身長は高いみたいで顔の方はよく分からないけど、髪は腰の近くまで伸びているあたり結構長い。
いつものように顔色を窺っておくために不自然じゃないようにそのまま上を向く。
黒い穴が開いていた。
半ば不意打ちみたいに視界に入ってきたソレに一瞬フリーズし、必然的にじっくりと見つめるような状態になる。
本来そこにあるのは顔のはずだ、けど目や口など本来それらがあるはずの場所には黒い穴がぽっかりと開いていた。貫通しているわけじゃないみたいで、向こう側に広がる空は見えない。
向こうからひらひらと手を振ってきたので目線を正面に戻す。見えるのは当然服にズボン、今気づいたけど手は浅黒い。
深く息を吸って、吐く。口が開いた感覚はないし、そもそも口がないような気がするのにすんなりとできたのは触れないことにする。
目を閉じて、上を見て、また開ける。
顔のないナニカが立っていた。
「なかなかイケメンだと思わないかい?」
穴の中から声が響く、どうやら口に相当する部分らしい。
「……無理があると思う」
「おやおや、さっきと比べて随分とあっさりしているじゃないか。少し残念だ」
顔がない以上表情は分からない、でも発言の割に残念そうには全く見えない。それどころか何となく面白がっているように思えた、まず何が残念だったんだか。
……それよりも普通に返事はしちゃったけどこういう時はどう対応すればよかったんだろ。というか俺喋れる状態だったんだ、誰もいないと思ってたし試してなかったけど。
「さて、そんなことよりも本題に入ろうか。単刀直入に言うと君には今から異世界転生してもらおうと思っている」
「……イセカイ、テンセイ」
「おっと? ……そうか、そこからか」
聞き覚えのない言葉だった。
テンセイは多分、転生だと思うけどイセカイが分からない、仮に世界ってするなら分かるけど。
胃世界、意世界、亥世界……どれもしっくり来ない、なんだ? イ世界って。
反応的に結構知られている言葉だったりするみたいだけど。
「簡単に言えば君がいたのとは違う世界、魔法が使えたりデカい怪物が闊歩している世界に生まれ変わるって言えば分かるかな」
違う世界……もしかして”異”世界か。
「大体は分かったけど、なんで俺?」
「機会を与えようと思ったのさ。正直に言って君の人生はろくなものじゃない、そうだろう?」
あっけらかんとした様子でソレは言う。
否定はしない、まぎれもない事実ではある。ただ、会ったばかりのバケモノにそれをずけずけと言われるのはどうにも気分が悪かった。
「それが何?」
「個体によって一つの現象による感情の動きは違うとはいえ、君が今まで受けていた仕打ちで魂に蓄積されている負の感情……一部じゃ穢れって呼ばれているのがぶっちゃけかなり酷くてね、死んで輪廻の輪に戻る時に他の魂が影響受けそうだから異世界でガス抜きするって話さ」
「よく分からないけど早い話が病原菌の処分みたいなものか、だったらそう言えばいいだろ」
「……いやいや、そうは言わないさ」
僅かに声色が低くなる。
同時に心なしか周りの雰囲気も変わったような気がした。
気を悪くしたなら怒りたいのはこっちの方だ。いきなり引きずり出されて嫌なところに踏み込まれているわけだし、そもそも説明を聞いた限りじゃそうとしか思えないから答えとしては正当なッ!?
「一つ教えてあげようか、少年」
いつの間にか穴の開いた顔が目と鼻の先まで近づいていた。
距離が縮んだことで初めて気づいたけど、顔の穴はどうやら微妙に渦を巻いているみたいで、それが余計に不気味さを引き立てていた。
「単なる厄介払いなら君はもう消えている、口の利き方には気を付けることだ」
そうして狼狽えている間にソレの穴から地の底から響くような声が発せられる。
存在しないはずの背筋が冷えるような嫌な感じがし、再度俺はフリーズした。
少しすると何事もなかったかのように雰囲気が元に戻った……ような気がする、そうであってほしい。
「説明に戻ろうか」
「……分かった」
よく分かった、駄目だこれ。こいつの前で不用意な発言はできない、確実に殺される──いや、どうなるかは分からないけど文字通り消されると言った方が正しい。
そんなこっちの様子にソレはどこか満足げに頷くと、再び説明を始めた。
俺がわざわざ異世界の方で生まれ変わる理由はさっきも聞いた俺の魂に蓄積されている負の感情、穢れとも呼ばれてるのが影響しているらしい。
穢れっていうのは生きてる時に嫌な出来事に直面したら溜まる老廃物みたいなもので、その出来事に対する受け止め方、ソレ曰く感情がどれだけ動くかで溜まる量が変わるって話だ。
普通は穢れが溜まってもそれを嬉しかった出来事とかで打ち消し合うから問題ないんだけど、俺の場合は穢れだけが極端に溜まりまくっててこのまま生まれ変わっても穢れの影響で流産とか生まれ変わる時に他の魂の異常に繋がる可能性が高くなるらしい。
異世界の生物は魔法の力を扱うのに適しているから穢れが溜まっていても流産とまでは行かなくて、あとは嬉しいと思えることを体験し続ければ時間が解決するって話らしいけど、そのあたりは転生してからとか言ってたあたり信憑性がなんとも言えない。
「仮にこのまま普通に生まれ変われたとしてもだ、君の魂の穢れが中和されるほどの経験なんて君の世界で言う現代社会じゃ到底無理ってことはよーく分かっているはずだ、違うかな?」
「……うん、無理」
一瞬、ほんの一瞬だけど前世の出来事が脳裏を過った。
これ以上は思い出したくもないな、反吐が出る。
不意に目の前に手が差し出される、顔を上げれば相変わらずの黒い穴──けど、それが何故だか微笑んでいるようにも見えた。
「もちろん君はこの機会を捨てても構わない、穢れが溜まった状態で輪廻に戻るだけだからね。だがもしも君が望むのであれば手を取るといい、君には新しい人生で幸福を享受する権利がある」
視線を出された手に戻す。
幸福。
その言葉の意味は何度も辞書で読んだんだ、忘れないはずがない。
どれだけ手を伸ばしても届かない、どれだけ背伸びしても超せない、どれだけ努力しても……絶対に、得られない。
俺にとって幸福ってのは無縁なものであると同時に、とても輝いて見えるものでもある。
なら、答えは決まっている。
「…………どうも胡散臭いけど乗るしかないんでしょ、その話」
考えた末に、差し出された浅黒い手へと一歩踏み出す。足はないけど、一応進むことができた。
より満足げに頷いたソレは、俺の行動に応えるようにその手を俺に乗せる。
「契約成──」
「一つだけ頼みたいことがあるんだけど、いい?」
「……というと?」
こっちを見下ろす穴を真正面から見つめ返す。
さっきの失言の後だ、話を遮ったことで消されても仕方がないとは思う。
そんなリスクが分かってても、俺はたった一つだけ譲れない、気に入らないところがあった。
「人間に転生するのだけは絶対に嫌だ」
生きてた頃あんなに辛かったのも、あんなに虚しかったのも、思い返せば原因は”人間”だった。
出来損ないの自分は人間で、俺と比べて優秀だったのも人間、俺を見限ったのも人間で……思い出すだけで吐き気がする。
「今の発言が原因であんたが言う消されるってことになっても、また同じような思いをするならその方が──」
「だっはっはっはっはっはっは!!!」
言い切る前に妙な大声で掻き消される、それが笑い声だと気づくのに時間はかからなかった。
手は俺に乗せたまま、その状態で笑いながら俺のことをぶっ叩いているせいで割と視界が揺れて気持ち悪いし結構痛い。
「いっひゃ驚いたっはっはっは! なんかすごいチート能力が欲しいとか生きてた時に使ってた便利アイテムをもっと便利にしたのが欲しいみたいなよくある要求でもするかと思ったらそう来るとはねぇ!」
「チート? ……よく分からないけど最初からすごい力があるってのも嫌だな、自分の努力で手に入れてない力に頼るのもつまらないし、今更そんなのあっても虚しいだけだ」
「っはは! いいねえいいねえ! そういう考えは嫌いじゃあないむしろ大好きだ! 泥臭い浪漫がある!」
思ったことを口にしただけなんだけど、それで一気にテンションが上がったみたいでさっきまでとは明らかにキャラが変わりまくっている。
なんかこっちの方が素な気がするけどそれは触れないでおこう。この様子じゃ多分要求自体は大丈夫みたいだし、これ以上下手な発言は……向こう次第だけどしたくない。
「だけど実際のところ慣れ親しんだ人型から別の種族に切り替わるのは結構感覚が変わるからねぇ、その点を踏まえて僕から一つおすすめの転生先を提示しようか」
そう言いながらソレは顔の穴の中に手を突っ込み何かを探すように動かし始める。
ぐちゃぐちゃと明らかに聞こえちゃいけない音を立てながらソレが引きずり出したのは……よくある動物の図鑑だった。
「……そこから出すんだ」
「気にしたら負けだよ、無駄に話が長くなるのはよくない」
色んな意味でね、と付け加えながらソレは開いた本をこっちに差し出す。
黒い液体が滴るのを我慢して見てみると、開かれていたページには灰色と白の毛が生えた四足歩行の獣、狼の写真が載っていた。
「異世界の狼は色々と特殊でね、四足歩行型が大半ではあるけどたまに人狼……まぁ二本足で歩く喋る狼と考えてくれればいい。とにかく、それに進化すれば最初は四足歩行でもいずれ慣れ親しんだ二足歩行もできるってわけさ」
「やったことないけどゲームみたいだな、それ」
「あー……いや、実際そんな感じではあるんだけど色々事情ってのがあってね。まぁ君は知らなくていいことだ、それよりもあと他に説明することなんだけ……うわ最悪だもう出たよ」
どこかうんざりしたようにソレが川を見る。
釣られてそっちを見ると、さっきまで透き通っていたそれがいつの間にかぼんやりと光っていた。
何故だか呼ばれているような……違う、戻らなきゃいけないような気がする?
「あれは簡単に言えば君のいた世界に繋がっている扉さ、飛び込んだら本来の輪廻に引き戻されて二度と外れることができないっていう面倒な仕組みなんだよねぇ……って分かんないか。仕方ない、少し手荒だけど我慢してよ?」
頭……体? を掴んでいた手が離れていく。
嫌な予感がして隣を見ると、片手で親指を立てながらもう片方の手をこっちに向ける穴の開いた顔が見えた。
「よき狼生を! 少年!」
愉快そうな声が聞こえたかと思うと、胸かどこかを突き飛ばされたかのような衝撃と同時に視界が暗転した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます