第7話:はねっかえり
日も暮れようかという頃になって、ヤン・リクたちは帰還した。
負傷した村人や兵たちを運びながらの移動だ。どうしても歩みは遅くなる。しかし族長の帰りを今か今かと待っていた家人たちは、大歓声と喜びでもって彼らを出迎えた。
彼らの声援を受けて、ヤン・リクは声を張る。
「留守中の護り、ご苦労だった! 大蛇の妖魔は倒したので心配いらぬ。ただ、これから多くの負傷者が運び込まれてくる。彼らの受け入れを!」
「お任せください!」
ヤン・リクは後ろに下がり、代わりに前に出たカシグ医務官頭と数人の助手が、指示を出していく。その隙を見て、執務頭がヤン・リクの脇に立った。
「ヤン・リク様。まずは無事のご帰還、お喜び申し上げます」
「ウルラ。ご苦労だったな。首尾はどうだ?」
「その、ヤン・リク様。その前に一つお聞きしても良いでしょうか?」
「……何かあったのか?」
「いえ、その、あったと言えばあったのですが。いえ、決して悪いことではありません。しかし、その……」
要領を得ない執務頭に、ヤン・リクは先を急かした。
「なんだ。はっきりしろ」
「あのチルという方は、いったいどういうお方ですか?」
「…………」
ヤン・リクは言葉に詰まってしまった。それをどう取ったのか、執務頭はここぞとばかりにまくしたてる。
「『たまたまいらしたお客人で、この混乱のなか手伝いを申し出てくれた良家の者』とお聞きしていたのですが、とてもそうとは思えません。彼女は、何者ですか?」
「あー。彼女は、その、何をしたんだ?」
「良家の者とおっしゃいましたが、地味な下仕え姿に着替えて来られました。この慌ただしい中、しかも他家の裏方仕事を難なくこなしていらっしゃったかと思うと、各所で滞りがあればさりげなく助言し、仕舞いには台所で人を集めて薬を作り始めました。混乱時の適応能力と行動力が普通ではありません。思わず当家に勧誘しようかと思ったほどです」
「……それはすごいな」
ヤン・リクは驚いた。そしてトウ・フォンが「心配するな」と言っていたのはこういうことか、と納得した。確かに「好いように」してくれている。
「しかも、今カシグ殿が指示していることですが、負傷者の受け入れ方法です。これには私も驚きました。正直、今後の参考にすべきかと」
「どういうことだ?」
「負傷者を床に収容してから診るのではなく、まずは数人の医務官で簡単に診てまわり、その症状ごとに部屋を振り分けるのだそうです。今回であれば、毒に侵されている者といない者、外傷がある者とない者、というように。そうすることで、毒を受けた者には集中して解毒治療を施せますし、毒を受けていない軽傷者には、医務官でなくとも処置ができる、と」
「…………」
ヤン・リクは、思わず眉間に指をあてた。
「何よりそれらを『私やカシグ医務官を通して』実行しようという、さじ加減の絶妙さです。台所の火を借りる現場の交渉などは、ご自分でもなさるのに、家人を集めたり説得したり、重要な部分は我々から決定権を奪わない。……本当に、『どちらのどなた』なのです?」
「…………」
黙ってしまったヤン・リクの後ろで、フォンが必死で笑いをこらえている。「このやろう!」と思わないでもなかったが、族長の矜持でもって抑え込んだ。
「ひとつ……ひとつですよ? 私にも、彼女の正体に心あたりがないわけではないのです。近日中にいらっしゃる、お客人の予定がありましたよね? ですが、それは、あまりにも……でして、本音を申し上げますと、恐ろしいです。どういうお方に、何をさせてしまったのかと考えると!」
「…………」
ヤン・リクは何とも言えない表情で、黙って宙を仰いだ。リャン・チルに直接、話を訊きたかったが、新たな報告を持ってきた家人に遮られる。
「ウルラ。言いたいことは痛いほどわかるが、今は忘れろ」
「ヤン・リク様!」
「とにかく今は、負傷者の治療と被害状況を調べるのが先だ。調査部隊を出せ。焼け出されて来た者もいるだろう。物資の輸送と、炊き出しの手配を……」
「そちらも万事整っておりますよ!」
「…………」
「もちろん、例のお方のご采配です」
再び黙り込んだヤン・リクの後方で、下仕えの恰好をしたチルが走り回る姿があったが、彼の目には入らなかった。
諸々の処理に一段落がついたのは、真夜中も過ぎた頃だった。
ヤン・リクは腕を伸ばして大きく伸びをすると、積み上がった書類の山を苦々しく見つめた。徹夜になると思っていたのだが、思いのほか順調に処理は進み、軽く仮眠をとることはできそうだ。
朝を待たなければ上がってこない報告もあるだろうが、休める時に休んでおかなければ体力も集中力も持たない。
そう思ったヤン・リクは立ちあがり、仮眠室へと足を向けた。しかしふと思いたち、負傷者の部屋へと行き先を変える。空いた時間で、彼らを見舞っておこうと考えたのだ。
とはいえ、この時間だ。医務官も負傷者も、その多くは眠っているだろう。ヤン・リクは、できるだけ音をたてないよう気をつけながら、薄暗い部屋に入った。
主人に気づいたカシグ医務官頭が、やはり小声で応対する。
「ヤン・リク様。何かございましたか?」
「いや。あちらが一段落してな。仮眠をとる前に、彼らを見舞っておこうと思ったのだ。みなの容態はどうだ?」
「そうでしたか。そうですね……心配なのは、毒を受けた村の子供と年寄りたちでしょうか。体力や抵抗力が低いので、回復が遅いようです」
「そうか」
「ただ、予断はできませんが、おそらく大丈夫でしょう。体力が有り余っている若者や、鍛えている兵たちと比べると回復が遅いというだけで、快方には向かっています。時間はかかるかもしれませんが、大丈夫かと」
「そうか。……よかった」
カシグ医務官頭の言葉に、ヤン・リクは胸をなでおろした。ひとまず死者が出なかったことは不幸中の幸いだ。
しみじみとそう思い、彼は横たわる負傷者たちを見渡した。苦しそうに呻いている者もいれば、眉根を寄せながら眠っている者もいる。
と、そこで部屋の隅に、見てはならぬものを発見し、ヤン・リクは無様にも大声をあげてしまった。その表情は鳩が豆鉄砲を食ったようで、見たことない主人の慌てぶりにカシグは逆に不安になる。
「ヤン・リク様? どうされました。お静かに……」
もぞもぞと動いた者はいたものの、目を覚ました患者はいないようだ。驚き心配しながらも、主人の大声をたしなめたカシグは、視線の先を見て「ああ」と嘆息する。
そこには下仕え姿のまま薄い布に包まって寝息をたてている、チルの姿があった。
「どういうことだ? なぜ彼女がここで寝ている? 誰も部屋を用意しなかったのか!」
「ヤン・リク様。落ち着いてください。もちろんご用意しました。ご用意したのですが、彼らの具合が気になるので、此処が良いと言われて……」
「それでも、良家の姫を、こんな雑多な部屋で、雑魚寝させられるか! ヤン家の沽券に関わるぞ!」
「そ、そう言われましても」
「はぁ……」
大きなため息をついて、ヤン・リクは寝ているチルに近づいた。気持ちよさそうに猫のように丸まって、すうすうと寝息をたてている。
寝ている良家の姫に触れるなど、本来あってはならないことだが仕方がない。
ヤン・リクは覚悟を決めて、慎重にチルの肩をゆすった。
ややあって、もぞもぞとチルは目を覚ました。
「カシグ殿? 何かありましたか?」
あくびをかみ殺しながら問うたチルは、側にヤン・リクの姿を認めて目を見開いた。
「リャン・チル殿。寝ているところを起こしてしまい、申し訳ない。ですが、なぜこのような場所で休んでいるのです。彼らが心配だとしても、仮眠をとるなら、別に部屋を用意しています。そちらで寝てください」
「それは、お手数をおかけします。ですが、今はこのような状況です。お気になさらず」
「しかし……」
「野宿や野営でこういうのは慣れていますし、本当に。平気ですよ」
「ですから! そうはいきません。非常時とはいえ、良家の姫を雑魚寝させてしまうとは、ヤン家にも体面というものがあります。あなたも良家の出であれば、ご理解下さい」
チルの頑固さに、ヤン・リクは軽いめまいと苛立ちを覚えた。自然とその口調には、棘が混じる。
内心「しまった」と冷や汗をかいたが、もう遅い。
「そう、ですか……」
「……そうです」
しかしチルは、そんな棘などものともせず、あっけらかんと言い放ったのだ。
「でしたら、そんな体面など、捨ててしまってください」
「……は?」
「大丈夫です。体面を捨てたところで、誰も死にはしませんよ」
「は? チル殿。何を……」
「意味がわからない!」といった様子で、ヤン・リクはチルを見た。しかし彼女は平然と笑い、臆することなくヤン家の族長に言い返したのだ。
「ですから、そんなモノは、何の腹の足しにもならないと言っています。それに、私がここで雑魚寝をしたところで、黙っていれば誰も気づきませんし、誰も文句は言いませんよ」
「そんな……あなたのところの侍女だって!」
「大丈夫です。この布を持ってきてくれたのは、ほかでもない彼女ですから」
「ぐ、な、ん、この……」
ヤン・リクは唸った。
結構な物言いである。例の事件、『事情のある姫』だということは理解していたつもりだが、こういうことかと思った。なかなかに頑固で、鼻っ端が強い。
しかし無下に言い返すわけにも――――
「なんですか? 言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃってください」
が、チルの挑発めいた言動に、とうとうヤン・リクの『体面』は崩れおちた。
「この……! こんな薄い布で! 風邪でもひいたら大事だろうが! それにここは男所帯だ! 自分が『姫』だと言う自覚を持て!」
「……」
「……」
「……ふぁっ」
この小さな諍いは、チルの戦線離脱によって幕を閉じた。
こらえきれなくなった彼女は、しどろもどろに「ちょっと失礼します」と言い残し、部屋を飛び出していったのだ。
災難だったのは、実は目を覚ましていた何人かの患者たちと、一部始終を見守ることになってしまったカシグ医務官頭だ。この場違いで異様な光景に唖然とし、そして笑いたいのに逃げられず、大変苦労したのだった。
そして、げっそりと肩をおとしたヤン・リクに、カシグ医務官頭は小声で告げる。
「ヤン・リク様。私は彼女のこと、『好い』と思いますよ」
「……うるさい」
ヤン・リクは苦々しくそう言ったものの、『リャン・チル』に興味を持ったのも事実だった。家族でもないのに、『思わず』素を晒してしまった。
久しく記憶にないことだ。
それは彼にとって初めての感覚で、もやもやと腹の辺りで渦巻いている。
その感覚が何なのか分からないまま、チルのことをもっと知りたいと、ぼんやりとヤン・リクは思ったのだった。
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