チルの縁談
千賀まさきち
第1話:チル将軍の蟄居
「チル。すまない。さすがに庇いきれなかった」
苦々しく眉間をおさえた族長を、チルは淡々と見つめた。
それは予測していたことだったので、いまさら悔しさも、悲しさも感じない。
ただ、族長が自分を助けるために奔走してくれたであろうことには、少しだけ申し訳なく思った。
「トウ・チル。お前の軍籍は剥奪、トウ家を離れてリャン家へ入れ。10年の蟄居を命じる」
族長の言葉に、家人たちはざわついた。
チルのやってしまったことを思えば、軍籍から外されるのはしかたがない。むしろ、今まで多くの功をあげてきたチル将軍だからこそ、処刑まではいかなかったとも言える。
しかし「トウ家を離れて蟄居せよ」とは、あまりのことだ。
リャン家というと、トウ家に連なるものの遠縁も遠縁、傍系も傍系だ。これでは実質、トウ家からの追放と変わりない。
諫言諫止が入り乱れる中で、当のチルは、逆に驚いていた。
正直、腕の一本を失くすくらいは覚悟していたのだ。なのに『この程度』で済むなんて。
よほど族長が頑張ってくれたに違いない。
チルは各家を束ねる盟主、スイ家族長の命に背いたのだ。
それどころか、あらゆる罵詈雑言を浴びせた挙句、盟主に手をあげた。
それはもう、側に控えていた護衛が思わず見とれてしまったほど、鮮やかな一撃だったという。
普通ならば、この程度の罰で許されることではない。だから不思議に思ったのだ。
その琥珀の瞳を揺らして、彼女は内心首をひねった。
トウ家が武を尊ぶ家柄だったこともあり、幼いころから武芸に励んできたチルは、当然のように軍籍に入った。
貴人の側仕えとして護衛を任され位を上げ、戦では将として武功をあげてきたのだ。チルを慕う武人も少なくない。
もしかすると、族長以外にも恩赦を願い出てくれた人達がいたのだろうか。
だとしたら、やはり申し訳ないことをした。
じつを言うと、チルは盟主であるスイ・ジエルを殴ったことを、微塵も後悔していなかったのだ。
スイ盟主は、先の戦でも無茶な命を繰り返し、周囲は結構な被害を被っていた。今回のチルの行動に、陰ながら手を叩いた者も少なくないだろう。
しかし、チルは自らの心に従ったにすぎない。
きっかけはあったが大儀など微塵もなく、ほとんど私怨のような感情と意志でもって、盟主を殴ったのだ。
後悔はない。
……後悔はないが、やってしまったことは、「やってしまった」ことではある。
チルは訊ねた。
「それは、リャン家へ嫁にいけ。ということでしょうか?」
それを聞いた族長は、皮肉を隠しもせずに笑って告げる。
「……であれば、良かったのだがな。仮にも『盟主』を殴りつけた女将軍を、嫁に欲しがるようなモノ好きを、俺では見つけられなかった」
「それは、そうでしょうね……」
なんという会話だろう。周囲は頭を抱えている。
チルは重ねて訊ねた。
「では、どういう意図です?」
「少なくともしばらくは、もしかすると一生、お前の嫁ぎ先は見つからないかもしれん。軍籍にあれば身を立てる望みもあったが、今はそれも叶わない。だが、リャン家は細工に秀でた職人の家だ。お前の『趣味』が、役に立つだろう」
「なるほど。武人や婦人としてではなく、職人として生きよ。ということですね。ですが正直申し上げるなら、私は流れの傭兵になるのも良いかと、考えていたのですが……」
「お前はそう言うと思ったから、リャン家に頼み込んだのだ! この馬鹿者が! 腐ってもトウ家の姫を、流れの傭兵などにできるか! お前は良いかもしれんが、俺も家人も困る!」
族長の叫びに、家人たちは力強くうなずいた。
こうしてトウ・チルは、リャン・チルになった。
18になったばかりの、春のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます