第2話:いわくの御仁
「私に縁談。一体どこのモノ好きですか?」
チルはそう言い放つと、眉根を寄せた。
話を持ってきたトウ・カラムと、同席するリャン家の族長夫妻は呆れて顔を見合わせる。
「まったくお前は! 10年経っても変わりがないな!」
「それは、そうでしょうね。時が経っても、私は私ですから」
「屁理屈を言うな!」
トウ族長の悲痛な叫びをさらりと躱し、チルはそっぽを向いた。リャン族長が笑ってとりなしてくれる。
「まぁまぁ。チル。せっかくだ。お話だけでも聞こうじゃないか」
チルがリャン家に入って早10年。
彼女はすっかりリャン家に馴染んでいた。
族長は「リャン家に頼み込んだ」と言っていたが、どうやらリャン家としては、チル本人に恩があったようなのだ。
チルは全く意識していなかったのだが、先の戦でリャン族長の危機を救ったことがあったらしい。
そのためだろう。リャン夫妻をはじめ、家人たちも、厄介な事情を抱えてやって来たチルにも同情的で、温かく迎え入れてくれた。
チルはリャン家の職人たちに付いて、細工の技術を学び、今では一端に彼らを手伝っている。
そもそも手先が器用だったチルは、トウ家に居たころから武具に吊るす飾り細工やら、髪飾りやら『趣味で』自作していたのだ。
それは『趣味』で終わらせるには手が細かいもので、職人達も舌を巻いたほどだ。
トウ・カラムがリャン家を頼ったのも、それを見込んでのことだったのだろう。
「結構です。お断りしてください」
あっさり言いきったチルに、族長たちはそろってため息をついた。
男二人がどう話を持っていったものかと悩んでいると、おっとりとした様子ながら、リャン夫人が助け船を出す。
「ところでお相手は? どちらの御仁なのですか?」
「おお。確かにそれは重要なことだ。相手が誰なのか知らなければ、受けるも断るもない」
チルもその『モノ好き』が一体どこの誰なのか、気にならないと言えば噓になる。
しかし『トウ家の族長本人』が持ってきた以上、『ただの御仁』とは考えられなかった。
せっかく蟄居も明けるのに、面倒はごめんだ。
三人の視線を受けて、トウ・カラムは重々しく口を開いた。
「うむ。ヤン家の族長、ヤン・リク殿だ」
「ヤン・リク殿!」
「『あの』ヤン・リク殿ですか?」
リャン夫妻は、そろって驚きの声をあげる。
『ヤン・リク』というと、南の大家、ヤン家の族長のことだ。
武に秀で義に熱く、才ある人物として有名だが、別の意味で名を馳せている人でもあった。
曰く、独り身族長。
どうにも女性との縁がないのだ。
家柄や才は申し分なく、見た目も悪くない、むしろ美丈夫ですらある。族長を務める以上、跡継ぎを望む必要はあるわけで、彼自身も縁談には真面目に取り組んでいた。
しかしどうしても、『縁がなかった』で終わる。
その生真面目で苛烈な性格が女性には疎まれるのだとも、単純に女運がないのだとも、ひどいものだと男色家だという噂さえたつ始末だった。
ヤン・リクとしてはふがいなく、なんとかしようと足掻いたが、10年もするとそれは悟りとあきらめへと変化した。
跡継ぎは一族から養子をとれば良いし、族長として仕事のやりがいはある。自分に忠を向けてくれる有能な家人も多い。
結果、『独り身でも、なんとかなるものだ』と、考えるようになったのだ。
かつてはひっきりなしに入ってきていた見合いや縁談の話も、今では閑古鳥が鳴いている。家人はあいかわらず『嫁』と『子』を望んでいたので、公には口にしなかったが、今となってはそれらが逆に億劫で、面倒だとすら思っていた。
「なるほど。ヤン・リク殿ですか」
「不満か?」
「いえ。ただ、少し不思議に思いまして。その話はヤン・リク殿から、いただいたものですか? それとも、どなたか他の紹介で?」
「悪くない読みだな。この話を持ってきたのはヤン・リク殿ではなく、ホク家のヨウ夫人だ」
「「「ああ……」」」
三人は、「なるほど」とうなずいた。
ホク家のヨウ夫人というと、縁談をまとめることに異様な意欲と執念をしめすことで有名なご婦人だ。
今回『独り身族長』と『いわくつきの元トウ家の姫』の縁談に、白羽の矢が立ったということだろう。
しかし彼女が相手では、無下にするのは難しい。
ホク家の地位は高いし、何よりトウ・カラムの愛妻は、彼女の紹介だったのだ。
彼は夫人に頭が上がらない。これが夫人の持ってきた縁談でなければ、トウ・カラムはその場で断っていただろう。
「つまり、お会いしないわけにはいかない、ということですね。……お互いに」
「そういうことだ。まあ強引な方ではあるが、本人たちの気持ちを無視するような方では、ない……はずだ」
その歯に物が挟まった物言いに、多少の不安を覚えはしたが、チルは了承した。
「そうですか。では、一度お会いして、それでお断りすれば良いですね」
元も子もない。
「なにも会う前から決めなくてもいいだろう。もちろんヤン・リク殿のことが気に入らなければ、断ればいい。だが俺も、彼は悪くないと思うぞ。何よりお前とは気が合いそうだ」
トウ・カラム族長の無責任な言葉に、チルはこれ見よがしに息を吐いた。
「知りませんよ。そんなこと……」
チルはかつて戦場で垣間見た、ヤン・リクのことを思い起こした。
確か12年ほど前だろうか。厄介な妖魔が出たとかでトウ家にも応援の要請が入り、その討伐に参加した時のことだ。
近くで共に戦ったというわけではない。本当に遠くから『垣間見た』だけだ。
チルは彼のことを、単純に「強いな」と思った。そして「家人から熱烈に慕われているのだな」とも。
それから、そして、そうだ。たしか彼は……
チルは『あること』を思い出す。
「あ!」
チルは思わず、声を上げてしまった。
「チル? どうかしたの?」
「あ、いえ。なんでもないです。大丈夫」
「そう?」
驚いたリャン夫人が、心配そうに訊ねてきたが、チルはとっさに取り繕った。
そして改まって、トウ・カラムへと頭を下げる。
「トウ族長。わかりました。そのお話、ひとまずお受けします。場所と日程は?」
「場所はヤン家の本邸だ。少し遠いが、なにしろお忙しい方だからな。なかなか身体が空かんらしい。それを理由にホク・ヨウ夫人を退けようとしたのかもしれないが……」
トウ・カラムは、ホク・ヨウ夫人の執念深さに思いを馳せた。
「『それならばこちらが出向く』という話に持っていかれたようだな。まあ、お前も蟄居明けだ。気晴らしに旅をするのも、悪くないだろう?」
「そうですね……」
チルはため息をついた。
「すまんな。代わりと言っては何だが、護衛と侍女にフォンとルンをつけよう」
「本当ですか!」
トウ・フォンとトウ・ルンは、トウ家でチルが仲良くしていた兄妹だ。二人と久しぶりに会えるのは、単純に嬉しい。
「ああ。結果はどうあれ、しばらく3人で旅を楽しんでくるがいい」
「ありがとうございます」
トウ・カラムの気遣いに、チルはようやく素直に礼を述べたのだった。
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