先輩も仮装してくださいね、ねっ?

紫鳥コウ

01. イタズラしちゃいます……?

 大槻唱歌おおつきしょうかという、この世で一番かわいい後輩は、真っ昼間から絶賛ハロウィンを楽しんでいるらしい。自分でこしらえたのだという衣裳は、彼女を怪盗のようなドラキュラに仕立て上げていた。

 いましていたことも忘れて、送られてきた写真にじーっと見入っていると、当の唱歌から電話がかかってきた。


『どうです?』

「どうって?」

『素直に言ってくれていいんですよ?』


 何を言うべきかなんて、決まっていますよね?――と、言わんばかりの口ぶりだ。

 そりゃもちろん、決まっているさ。


「めっちゃかわいいです」

『ふっふーん。そうでしょう、そうでしょう。どうです? 目の前で見たくはありませんか?』


 そりゃもちろん、見たい……のだけど、困ったことに、Minor Revisionの判定を受けた論文の手直しを、来週までに終わらせないといけない。


『そうですよね、忙しいですよね……というのは知っているので、それでは、楽しみにしていてくださいねっ!』


 それきり電話は切れてしまった。なにか企んでいるのは分かったけれど、これだけは「確約」してほしかった。


(絶対に、その格好で外を出歩かないでくれ!)


 ナンパされまくりなのは確実だ。普段は勇気を出せないオトコまでナンパしてくるのも想像できる。大切な唱歌の身になにかあっては困る。

 査読者からの指摘など目に入らない。頭の中にあるのは、あの写真の超絶かわいい唱歌が、ぼくの人生ではモブでしかないやつらにナンパされている妄想ばかりだ。


「恋人どうしだっていうのに、なにをこんなに焦っているんだろう。なんで唱歌を、信頼してあげられないのかなあ……」


 嫉妬に燃えているなかに、情けない自分の姿が浮かび上がってくる。

 ようやく付き合うことができた、この世で一番かわいい後輩のことを、絶対に手放したくないという気持ちが、たかぶっている。

 このままだと、どれくらいの迷惑を唱歌にかけてしまうか分からない。


 論文を修正する手を止めて、窓の外をぼんやり見つめていると、ピンポン、ピンポーンとチャイムが連打された。

 絶対に唱歌だと分かったが、一応、インターフォンを使って確認をする。

「唱歌か?」

『そうです。先輩のはじめての彼女の、かわいくてかわいい唱歌ですよ』

 ちゃんと、普通の服(もちろん超かわいい)を着ていた。


 遠慮なく入って来た唱歌は、部屋を見渡しながら、

「忙しいのは分かるんですけど、軽くお掃除くらいしてくれないと、わたしが甘えたくてついつい来ちゃったときに、困るじゃないですか」

 と、床に積まれた本を横にのけながら言う。そしてベッドの上に腰をかけて、

「折角ですから、イタズラしちゃいます……?」

 と、上目遣いに、甘えるような、からかうような口ぶりでいてくる。


 ぼくは、唱歌の横に腰をかけて、そっと肩を抱き寄せる。

 唱歌は、素直にぼくの肩にもたれかかり、「幸せ」とつぶやいた。そのコトバは、ぼくの耳に真っ直ぐに届いてきた。だから、「ぼくもだよ」とさらりと言った。


 しばらくして、唱歌はこちらを見上げて、「待ってますよ」と微笑む。その顔はほのかに赤らんでいる。ぼくは左手で唱歌のほほをなでて、栗色の髪をそっと払って、唇をかさねた。時の流れが止まった。


 唇をはなすと、唱歌はさっきより顔を赤くして、「ちょっとだけ、いちゃいちゃしませんか?」と、僕の耳に、甘えるように訴えかけてきた。ぼくは、唱歌を優しく押し倒して、唇をゆっくりと押しつけた。


 窓から夕陽が差しこんで、ぼくたちを暖かく照らしている。聞こえてくるのは、唱歌の息づかいと、ぼくの「名前」を呼ぶ声だけだった。

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