女侯爵アリアレインの生涯

 レダンからの報告を待っていた王都にその一報が届けられたのは、アラス峠に雪が降ったあとのことだった。

 報告を聞いたあとは、王太子エイリーク・ナダールほか、執務室にいた者全てが無言だった。


 執務机の向こうの椅子に腰を沈めた王太子は、黙ったまま、手振りで諸卿に、下がってよい、と示す。


 執務室には、王太子と、そしてソファから立ち上がれなくなったノール伯爵ルドヴィーコ・フォスカールの2人だけが残された。


「――なぜだ」


 呻くような声が響いた。

 王太子の声だった。


 ソファで頭を抱えていたルドヴィーコが視線を天井に向け、長いため息をついた。


 ――自分たちはあの令嬢を見誤っていた。能力も気性も気概も、何もかもを。


 その後悔と敗北感だけが、ルドヴィーコの心の中にある。


「すべて」


 声を絞り出すように、ルドヴィーコが答える。


「すべて、かの追放者の、掌の上でございました」


 血を吐くような声だった。


「これからどうなる」


「アラスの峠では雪が降った由にございます。

 そしてレダンは既に敵手に。もはや春まで誅伐は叶いませぬ。

 それに――」


 ルドヴィーコは、机の上に放り出されたままの書状に視線をやった。


 先遣隊の将兵およそ3000、近衛の騎士と騎兵が合わせて300。

 加えて輜重などの非戦闘要員。

 そのほとんどがレダンで捕縛されていた。


『当方には捕虜を解放する意思と用意がある。

 ついては、捕虜の解放に関する条件について交渉したい』


 書状の文面にはそうある。

 とはいえ、到底交渉とは言い難い、一方的なものになることは目に見えていた。


 こちらにはひとりの捕虜もなく、停戦を条件にしようにも、そもそも攻めることができない状態に持ち込まれている。

 他方、マレス側は捕虜をどうとでもできる状況だ。


「捕虜の解放について考えますれば――」


 沈痛な表情で、ルドヴィーコは首を振る。


 少なくとも1年、下手をすればそれ以上。

 王国側が身動きの取れなくなるような代償を、要求してくるに違いなかった。


 その間、マレス側はいくらでもレダンとアラス峠の防御を固めることができる。

 実質的に、マレス討伐の目は潰えたと言ってよい状況だった。


「――なぜだ」


 王太子がもう一度呻く。


「我々は」


 がっくりと肩を落とし、うなだれたルドヴィーコが力のない声で吐き出した。


「見誤っておったのでございます」



※ ※ ※ ※ ※



 マレス侯爵の誅伐に失敗した王太子エイリーク・ナダールは、ほどなく父王の崩御に伴って即位した。

 しかし、誅伐の失敗によって失われた王室の威信と、そして科された巨額の賠償金は、彼の治世を大きく制約することになる。


 マレス侯領の再復を事実上断念し、国力の回復に努めるも、彼はその後5年ほどしか生きることができなかった。


 過労と心労からか病を発し、死を間近にした床で、くれぐれも王太子を頼む、と大臣たちに言い遺して、彼は死んだ。

 王弟と王太子が後に遺され、幼い王太子が即位したうえで、当面は王弟が摂政として政務を司ることが決まる。


 だが、先王の遺言を本当の意味で守ったのは、ただひとりだけだった。


 即位した幼い王と摂政たる王弟をそれぞれ担いだ重臣たちが内紛を始めるまでに長い時間はかからず、そして内紛は長く続いた。

 幼王が有力貴族のひとり、ブロスナー侯を頼ることで内紛はどうにか終結するも、もはや王室に王国をまとめ上げるだけの力は残されていなかった。


 王の成人とともに、ナダール朝サンサール王国は、臣下であったブロスナー侯に玉座を譲って滅ぶ。

 マレス侯爵の離反から、わずか20年ほどのことだった。



※ ※ ※ ※ ※



 クラウディア・フォスカール=ナダールは、結果として、ナダール朝最後の王妃となった。

 短い婚約期間ののちエイリーク王に嫁いだクラウディアは、ただひとりの室として王の私的な側面を支えた。


 多くの悩みを抱え、公的な面では王朝の衰退を防ぎ得なかったとされるエイリーク王は、しかし、家庭人としてはそれなりの幸福を享受できたと言ってよい。


 王を深く愛し、また愛されたクラウディアにとっても、それは同様であったと思われる。

 王の死によって短く終わった結婚生活ののちは、王母として幼王の養育に専念した。


 結果として王は成人とともに臣下に玉座を譲ることとなるが、そうであっても彼女自身と父と、そして王であった子息がその生涯を全うしたことは、彼女にとって何よりの幸運であったと言えるだろう。


 意図したものであるのかどうか、クラウディアは、公的なものとしても私的なものとしても、己の内心を吐露するような手記や書簡を遺していない。

 ナダール朝最後の王妃の内心は、だから、謎に包まれたままである。



※ ※ ※ ※ ※



 小心者の俗物。

 前半生においてそう評されていたノール伯爵ルドヴィーコ・フォスカールは、エイリーク・ナダールの即位とともに侯爵に上った。


 内大臣として辣腕を振るった彼は、その後半生――というよりも人生の終盤の二十数年の働きにより、ナダール朝最後の忠臣として歴史に名を刻んでいる。


 ルドヴィーコは、エイリーク王の崩御とともに内大臣を辞し、その後はひたすら孫である幼王と娘であるその母、そして己の妻を守ることに努力を注ぎ続けた。

 ブロスナー侯への譲位は彼の発案であると伝わるが、確かな史料は残されていない。


 だが、フォスカール家は、サンサール王国ノール地方の小さな港町、マノールを領する子爵家として、現在も脈々と続いている。

 フォスカール家の存続は、伯爵として政界に入り、侯爵に上り、子爵としてその生を終えたルドヴィーコの政治的奇術によるものとも、かつて敵対関係にあったマレス侯家の影響になるものとも言われる。

 しかし、王室と子爵家のほかに、実際のところを知る者はいない。



※ ※ ※ ※ ※



 古神正教会サンサール教管区における最高位者であったヴァレリア大司教は、その生涯に数々の教会文書を残した。


 大司教として最後に発出した文書は、サンサール教管区からマレス教管区を独立させ、併せてマレスに大司教座教会を設置して大司教を任命する、というものである。

 この文書により、教会はマレス侯国の成立を認めたものとされている。


 マレス教管区の設立を最後に退位したヴァレリアは、余生を王都の修道院で過ごし、10年ほどの後に永眠した。

 彼女の墓所は、余生を過ごした修道院――アリアレイン記念王都修道院の内部に置かれている。



※ ※ ※ ※ ※



 スチュアート・スティーブンスはその後、アリアレイン記念王都修道院の初代掌記となった。

 屋敷は修道院となり、主は侯爵家から教会に変わったが、そのことは彼の仕事に大きな変化をもたらしはしなかった。


 侯爵家が寄進した修道院そのものを含むいくつかの不動産と王都近郊の教会領、それらを運用し、そこで働く者たちを取りまとめ、着実な収益を上げる。

 そのようにして教会の信頼を得た彼の職歴は、その死の数年前まで続いた。


 後進を育て上げ、そして道を譲った彼は、晩年、孫のような歳の庭師が丹精を込めて作り上げた庭園を眺めて過ごすことを、何よりも好んだと伝えられている。



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 ラドミール・ハシェックは、マレス侯国の第2代農務院長官として、その長い官僚人生の後半を過ごした。

 新たな農法の導入、高付加価値の商品作物の増産、開拓地に関する税の優遇など、農産に関する政策を進め、発足間もない侯国執政庁を足下から支えたその手腕は、後世においても評価が高い。

 初代侯と2代女侯、2人の侯爵に仕えたラドミールの引退は、2代女侯の治世も20年を過ぎた頃であった。


 ハシェック家の墓所は侯都ではなくその郊外の、小さな港町にある。

 天気のよい午後、小さな庭に出したテーブルでたびたび母と談笑していた若い息子は、やがて家族を伴って訪れるようになり、母に孫を抱かせ、十数年後に没した母を弔い、そして自身も余生を同じ小さな港町で過ごしたのち、母のそれと隣り合う墓所に葬られた。


 ラドミールが農務院長官としての執務の備忘にと書き続けた日記『落穂録らくすいろく』は、侯国執政庁初期の姿を記録した貴重な一次史料として知られている。



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 クルツフリート・ハーゼンは、マレス侯国成立の3年後、ストラウケン家に婿入りして、クルツフリート・ハーゼン=ストラウケンとなった。

 以後、妻であるストラウケン家の令嬢とストラウケン家そのものを穏やかに支えて一生を送る。


 姉である2代マレス女侯爵アリアレインとの関係は常に良好であり、ストラウケン・ハーゼン両家の橋渡し役を務めることも多かった。

 しかし、クルツフリートの筆になる、マレス侯爵家への厳しい要求を記した書簡も多数遺されている。


 あるとき、あまりに過大と思える要求に、舅であるルーラントが、本当にそれでよいのか、と念を押したことがある。


「姉上は私に借りがありますから。

 ああ、いや、私は貸しとは思っていないのですが、どうも姉上は借りがあると思っている節があるのです」


 クルツフリートは、笑ってそう答えたという。


「この程度ならば問題ないでしょうし、まずければさすがにそれは、と言ってきます。姉上は姉上ですし、義兄上もお側におりますから」


「そうは言うがな。血を分けた姉ではないのか」


「確かに仰るとおりですが、そうであればこそ、ですよ。

 それに義父上、」


 まだ訝しげだったルーラントに、クルツフリートは柔和な表情のままに断言した。


「私はもう、この家の人間です」


 半拍遅れて大笑したルーラントは、以後、クルツフリートを全面的に信頼して、家臣たちとともにその意見を取り入れるようになったという。


 クルツフリートが支えたストラウケン家は、マレス侯国最大の貴族家――唯一の伯爵家として、侯爵家と良好な関係を保ち続けている。



※ ※ ※ ※ ※



 アリアレイン・ハーゼンは、18歳で成人し、かつて腹心の配下であったアーヴェイル・メイロスを夫に迎えた。

 早々に隠退した父から20代半ばで侯爵位を譲り受けたアリアレインは、以後約40年にわたってマレス侯国を牽引する。


 隣国からの侵攻、宗主であったサンサール王国との緊張関係、そして数々の天災。

 治世はけっして平坦なものとは言えなかったが、レダン女伯と血を分けた弟でもあるその夫クルツフリート、そして自身の夫であるアーヴェイル・メイロス=ハーゼンの支えを受けて、彼女は侯国とその民を守り抜いた。


 私人としては3人の子に恵まれ、公私の隔てなく寄り添う夫とともに、穏やかな家庭を築いていたという。


 60年近く続いた結婚生活は、互いに生涯愛し合い、支え合った夫の死によって終わった。

 夫と死別したのちも、成人した子や孫に囲まれた晩年は、寂しいものではけっしてなかった。

 だが、死の床で、アリアレインが最後に呼んだ名は、取り囲む子や孫たちのものではなく、数年前に死別した夫のそれであったと伝わる。


 侯国をあげて営まれた葬儀ののち、アリアレインは、長く連れ添った夫アーヴェイルの隣に埋葬された。



※ ※ ※ ※ ※



 マレスにあるハーゼン家の侯爵公邸内、侯爵執務室の壁には、1枚の絵が掛けられている。


 侯国草創期の3人の侯爵が1枚に収められたその絵は、2代女侯爵アリアレインとその家族を描いたものであったとされている。

 2代女侯爵アリアレインとその夫であるアーヴェイル、初代侯爵ランドルフとその妻、アリアレインとアーヴェイルの間に生まれた3人の子。

 7人の中心で微笑むアリアレインは、侯国成立のきっかけを作った女傑であると同時に、侯国を大きく飛躍させた名君主でもあった。


 ランドルフが独立させ、アリアレインが育て上げたマレス侯国は、かつての宗主であったナダール朝サンサール王国よりも遥かに長く栄え、現在もなおその命脈を保っている。

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侯爵令嬢アリアレインの追放 しろうるり @shiroururi-ky

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