第41話(最終話) 冬空は知っていく
遮られて、しばらく頭が固まった。
急に途切れて見失ったわけじゃなくて、ずっとあったズレてる感覚を言い当てられた気がしたからだった。
「わから、ない」
声が出て、それが聞こえて、自分で思ってしまって。
――お前はいっつも、何もわからないんだな。
「私が知っている空森さんは、いつも曖昧な言い方はしますが、決して嘘はつかない方でした」
八重石は、まだ俺をまっすぐ見ていた。
まばたきしても、ずっと変わらずに。
「そこに私は、あるとき共感を持ったんです。自分を保とうと、自分を把握し続けていようとし続けているあなたが、私には同族に見えました」
俺は違う。俺は平気で嘘をつける。俺はそんなに自分を考えたことがなかった。
「同じ志を持っているとわかると、だんだんと会話でも意識するようになりました。その時々、私とあなたで何が違うのか、どうして違うのか、何が、どうして一緒なのか。こんな話を直接あなたとしたことはありませんでしたが、真摯に向き合って頂けたため、私も真摯に考えることができました。結果が、今の私になるのですが、これでも、随分と成長した方なんです」
俺には、その成長がわからない。
お前と会話し続けたのも、お前が同族だと思ったのも、お前が比べたのも、お前と向き合ったのも、全部、俺じゃないんだ。
「そんなあなただから」
後ろの窓から風が吹き込む。
ばたばたとカーテンが揺れて、目の前の八重石の真っ白な髪も、流れるみたいに広がる。
言葉を詰まらせた八重石は、目元に涙を溜めていた。
唇はきつく閉じられていて、顔全体がうっすら赤くなっていた。
それに気付いた一瞬、意識が飛んだみたいな衝撃があった。
――待ってくれ。
自分の気持ちがわからない。
良いのも悪いのもごちゃごちゃになっている。風邪を引いたときみたいな、熱いのに寒い感覚が一気に広がっていく。
けど、はっきりわかるのは、
「だから、私はあなたを信じています。信じたいんです。理解したいんです。理屈が通っていないのはわかっています。だけど、私は」
「――俺は空森冬空じゃない」
わかるのは、それが最悪ってことだった。
もし、運命だとか筋書きだとか、そういうものがあってこんな状況になってるんだとしたら、それを作った奴は性格が最悪なんだと思った。
だってそうだろ。
今八重石が「何か」を伝えようとしたかもしれない奴は、伝えたい奴と全く同じ見た目をした別人で。
――その、本当に伝えたかったはずの奴は、自分のことを殺そうとしていたはずなんだから。
「ぇ……?」
「俺は、空森冬空じゃない。たぶん、意味わからないと思うけど、俺はパラレルワールドから来た、空森と同じ見た目の、別人なんだ。記憶喪失とかも全部嘘で、俺も気付いたら入れ替わってて、どうやって入れ替わったのかもわかんなかったから、とりあえず生きてくために、空森のフリをしてた」
俺はそれに、もう耐えられなくなっていた。
でももし俺が黙っていたら、八重石はもう少し幸せだったのかもしれない。
自分がここ二ヶ月、『空森』だと思っていた奴は全くの別人で、本物の『空森』はどこに行ったのかわからなくなっている。目の前の奴が記憶を取り戻して、本当のことがわかるなんてことも、今後絶対に起こらない。
目の前で固まっている八重石の顔が、何も理解できていない子供みたいに見えたとき、俺はようやく、自分が八重石を困らせたんだということに気付いた。
……そのとき、もう全部嫌になったんだ。
やめたくなった。
俺がダメなのも弱いのも全部わかったから、もう許して欲しくなった。
もう何も悪さはしないから、迷惑もかけないから、ほっといてくれって、思ってた。
「――全部、八重石さんに話した方がいい!」
突然モトナリが隣で立ち上がった。
俺も八重石も動けなくなっていたのが、その声で思わず振り向いてしまった。
「八重石さん、その、たぶんしばらく信じられない話が続くと思いますが、おそらく、それが事実です。この人は空森君じゃなくて、いきなり知ってる人が誰もいない、この世界に放り込まれた、空森君に良く似ただけの人なんです。……そしてあなたを助けたのは、空森君じゃなくて、この人なんです」
何かに気付いたみたいに短く息を吸う音が聞こえる。
八重石が俺を見る。
「冬空君。冬空君と、俺には、八重石さんに全部を説明する、責任があると思う。そしてそれは、たぶん俺からするより冬空君からする方が、八重石さんのためになる。から、頼む。お願い、します」
そのとき俺は、「もういい」「嫌なんだ」とも、言うことはできた。ていうか、そう言うつもりだった。喉まで出かかってた。本当なんだ。
けど頭を下げてるモトナリを見て、言えなくなった。
コイツは今どんな気持ちで俺に頭を下げてるんだろうって思ったら、全部喉の中で消えていった。
俺はモトナリと目が合うと、何とか首を縦に振った。するとモトナリは一瞬泣きそうな顔になってから、「じゃあ俺は、誰か来ないか見張ってるから」と廊下に出て行ってしまった。
しばらくは、俺も八重石もそのまま黙っていた。
でも、ずっとそうしてるわけにもいかなかったから、俺はとりあえず自分のことを話し始めた。
自分がどういう世界から来たのか。こっちと向こう、俺と『空森』の、どんな違いに驚いたのか。『空森』がどんなものを隠していて、それを知って、俺はどんなことをしていたのか。どんなことができなかったのか。気づいてなかっただけでどんなことをしようとしてたのか。
「あのとき俺は、お前を見捨てて、花巻について行くべきなんじゃないかとか、考えれてた」
俺と『空森』はどこが同じなのか。どこが『空森』の方が優れているのか。俺には何が足りないのか。
――俺はもしかしたら、『空森』と同じような判断ができてしまう性質で、だけど単に度胸だとか意思の強さだとかが足りないだけなんじゃないのか。
窓の外が黄色っぽくなっていた。
はっと気付くと、俺は自分が今まで何を喋っていたのかがわからなくなっていた。
いや、覚えてる。言ってしまったんだ。本当に全部。
……全部説明って、絶対ここまで言う必要はなかった。
覚えてる。途中から何の話をしてるのか考えなくなって、ひたすら自分の中にあったモヤモヤを言葉にしていた。もうほとんど愚痴でもなくて、懺悔だとか弱音みたいになっていたはずだった。
八重石が黙って聞いてくれてるのをいいことに、俺は。
「ご――」
「信じます」
その静かな声を聞いたのは、すごく久々な気がした。
俺が遮ってから、ずっと瞬きだけを繰り返していた八重石が、突然それだけ言った。
「な、なにを……?」
「あなたが、パラレルワールドから来た別の空森さんだということを、です」
それで思わず聞き返したけど、意味は最初に考えた通りだった。
「あなたは、たしかに多くの点で空森さんと異なっています。自信や自我の強さ、思考力、身体能力、足りないものが、たくさんあります。ですがやはり、同一としか考えられないほどに似通っている点が、多々見られました」
じゃあそれはなんでと聞く前に、八重石は言い出していた。
けどまだ、「本当にそうか?」と聞き直す隙間は、このときにはあった。
「現に私は、今のあなたにも共感を持っています」
……けど、それが本当だったら良いと思ってしまったからこそ、ここで言い訳をしないわけにはいかなかった。
「違う。俺、こっちに来るまで、こんな色々考えたことなかったんだ。考えないといけなくなって、やっと考え出して、でもわからないことばっかで……」
「……。わからないことなんて、誰にでもあるものではないでしょうか?」
八重石は当たり前みたいに言って、小さく首を傾けた。
でも実際、それは当たり前だった。
たぶん誰も自分のことを、百パーセント理解なんてしてない。それが普通なんだ。理解し切るなんてできるわけがないはずなんだ。
だけど。
「それでも、理解しようと求めているということは、きっと何か、あなたにも理由があるはずなんです」
考えないといけないと思ったのは、なんでだったか。
俺は、自分にも人殺しに近い性質があるのを、否定したかったのか。
人殺しを考えられるような奴より自分が下だって、認めたくなかったのか。
八重石や千崎、モトナリみたいな強さが欲しいって思ったのか。
「私は、自分の志を確かめたいんです。遂行するべきだからではなく、どうして私は、それを成し遂げたいと思っているのか。それを理解することができれば、私は本当の意味で、自分の志を遂げられると思うのです」
いつもより少し大きく聞こえる声で、八重石は自分の理由を教えてくれた。
それを聞いて、思い出した。気付かされた。
ああ、そっか。
俺は、自分が偽物だって思いたくなかったんだ。
「……俺は、自分にも、誰かを助けたいって思える気持ちがあるのかを、知りたかった。知りたくなったから、色々考えるようになったん、だと、思う」
元々俺にだって、そういう気持ちはあった。けどこっちに来てから、それがどこから来てる気持ちなのか、どんどんわからなくなった。
やっぱりただの優越感欲しさなのか。でも、本当に俺は、八重石達みたいな「本物」を持っていないのか。
「……どうして、あなたはそれを、知りたいのだと思いますか?」
聞いてくる声にさっきまでみたいな力強さはなかった。
たぶんそれは八重石にも答えがわかっていなくて、純粋に気になったから聞いてきただけだった。
「自分の中にも、そういう気持ちがあってほしいから、だと思う」
から、俺も純粋に思ったことを答えてみた。
答えになってるのかもわからなかったし、それが八重石の欲しかった答えなのかもわからない。
――けど、そのとき一瞬、俺には笑ったみたいに見えた。
見えたと思ったら次の瞬間には見えなくなっていたから、本当に俺の気のせいだったのかもしれない。でも。
「やはり、あなたは優しい人です」
……だったら良いなと、思ってしまった。
「もし、あなたや他の誰かが否定したとしても、私はそう思います」
思ってすぐに、自分の喉と顔が熱くなって、コントロールできなくなってることに気付いた。
気付いたってどうしようもない。出てきそうになるのを必死に押さえつけて、八重石に背中を向ける。
……知らなかった。
優しいって言われるのが――信じてもらえるのが、こんなに嬉しいのなんか。
否定しようと思えばいくらでもできた。お前がそう思ってくれてるのはあのとき助けたからだろうけど、あれは何か強い気持ちがあったわけじゃなくて、なんかそうするしかない状況だったから、とか。
そんなのも全部関係ないと言ってくれるのが、あの瞬間の目を見たらなんとなくわかってしまった。
「……だから、あなたまで私の前から、いなくならないでください」
たぶん八重石も、信じたかったんだと思う。
そうだったなら、俺は目の前からいなくなる必要はないし、『空森』が俺と同じ性質を持ってるかもしれなくて、本当は八重石を殺すつもりじゃなかったのかもしれない。
――俺は、そうなれるのか。
「俺は、空森じゃない」
「はい。今私は、あなたに言っているんです」
自分じゃ絶対に言い切れない。俺はそれを、ここで思い知らされた。
「私は、八重石幸です。八つの重なった石に、幸せと書きます」
「……知ってる。でも、最初聞いたとき、ゆきって天気の方かと思った」
「よく、言われます。髪の色と利術の特性から、イメージが結びつきやすいようです」
「うん。あの雪が降ってたとき、すげぇ似合ってた。雪の女王とか雪女って感じで、正直、綺麗だった」
「……。はい。ありがとうございます。……では、お尋ねします。あなたは、お名前をなんというのですか?」
「俺は……中村。中村冬空」
――けど、もしそんな俺を。
「中村、さん」
「冬空でいい。てか、そっちでお願いしたい」
「了解、しました。では、冬空さん。私をあなたの、お友達にしてください」
――認めて、信じてくれるって奴がいるんだったら。
「友達……」
「はい。以降も、今日までのようにお話しをしたり、お互いに助け合ったりを続けていきたいと、私は思っています」
――ここにいて欲しいって、思ってくれる奴がいるんだったら。
「冬空さんは、どうでしょうか……?」
ここを、俺の居場所にしていいんだったら。
俺は。
「わかった。なるか。友達」
俺はもっとやれるんじゃないかって、そう思えた。
この、俺が今まで経験してきた中で一番ぎこちない友達成立には、同時に俺と『俺』のことを今後も隠してあの学校で生活していく、という決断の意味もあった。
つまり俺はこれからも、八重石をあの組織から守りつつ、今後狙われるかもしれない自分のことも守りつつ、自分が向こうの世界に戻る方法も考えて、『空森』のことをさらに知っていきながら、ついでに花巻を助けることも考えていく必要がある。
……具体的に考え出したら、なんか急にまたやめたくなってきたけど。
目の前のお嬢様はそんなこと許してくれないんだろうし、俺もそれを真面目に考えてみようとは、思えていなかったから。
「おう」
いつの間にか伸ばされていた手を、俺はちょっと考えてから、結局握り返すことにする。
手のひらは柔らかくて、細くて、透き通るみたいに真っ白で。
けどその氷みたいな真っ白は、熱いくらいに温かかった。
こんなふうに、俺はこれから知っていく。
冬空と『冬空』と魔法があった空 橋月 @hashikarasu
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