第40話 お前はどうなんだ
八重石は体を起こして、ベッドの上から窓の外を眺めていた。
病院は街の少し高いところに立っていて、遠くには海が見えた。雲と青色が半々くらいの空で、入ってくる風に蒸し暑さはもうなかった。
ほとんどのものが白い病室の中で、八重石は一番白いように見えた。
「空森さん、寺林さん、この度は命を助けて頂き、誠にありがとうございました」
と、モトナリと揃ってぼーっとしてる間に、八重石はベッドの上で姿勢を正して、顔がシーツに埋もれるくらい深く頭を下げてきた。
咄嗟に周りを見てしまったけど、病室にも近くの廊下にも、俺達以外には誰もいなかった。
……でも「周りに変な目で見られたら」とかよりも、止めさせなきゃいけない理由があったことに、俺は気付けなかった。
「そ、それはいいですから、八重石さん、頭を、上げてください! たぶん、傷に良くない、です」
たしかに八重石の傷は、背中の腰のところにあるはずだった。それで入院してるんだから、あんなに体を倒していいはずがない。
「……ご心配頂き、ありがとうございます。実を言うと、先ほどからかなりの痛みがありました」
「なんでそれでやっちゃうかな。俺ら、そういうの気にしねーから、普通に八重石が一番楽な体勢してくれてていいよ」
「……申し訳ありません」
むしろこっちが謝りたい気分だったけど、八重石を困らせるだけだろうから、やめておいた。
首だけでこっちを向いていた八重石は機械みたいにゆっくりと体を起こして、最初と同じ姿勢に戻る。そこで少し悩むみたいに固まってから、布団の中の足を小さく横に崩した。
「お二人も、どうぞおかけ下さい」
と、手で示された先には、肘掛けとクッション付きの椅子が二つあった。
俺の病室にあったのは普通の丸椅子だったなと思いながら部屋を見回してみると、カーテンだとかベッド横の棚だとかがなんとなく高そうで、テレビやベッド、部屋自体も、少しだけ大きいみたいだった。
「今日は、親は来ないの?」
「……。はい。昨日、来て頂きましたし、私も順調に快復へ向かっていますから」
普通娘の背中に穴が空いたら、急変しないとしても心配して毎日見に来ないのかよ、とは思ったけど。
「昨日来て頂いたのも、お二人ともかなり無理を通してのことだったんです。次は三日後、またお二人で都合をつけて頂けるということでした」
八重石の両親が普通じゃないのはわかってたし、忙しいのはどうやったって変わらない。ていうか、八重石がそれでいいんだったら、別に俺がどうこういうことでもない。
「それで、なのですが」
「まあでも、千崎は毎日来てくれるんだろ?」とか言おうとしたところで、八重石がそんな前置きを挟んできた。「おう」と言いながら、何がそれでなんだろうと考えていると、
「その三日後、お二人にも、私の両親と会って頂きたいのですが、ご都合はどうでしょうか?」
隣のモトナリが、飛び上がりそうな声で「え!」と叫ぶ。耳にキンと来たけど、まあ気持ちはわかった。
「俺らも、もうちょいこっちの基地にいることになるらしいから、都合は大丈夫。……でも一応聞いとくけど、どういう要件で?」
「ぜひ、お礼がしたいとのことでした」
チラリとモトナリの方を見ると、わかりやすく困った顔をしていた。
「……気持ちはすげぇありがたいし、会うのは会わせてもらうけど、もし、お礼としてなんかくれようとしてるんだったら、ごめんだけど八重石の方から断っといてくれない?」
「えっ」
また隣から変な声が聞こえた。あれ、なんか違ったか。
「……私も、受け取って頂きたいのですが」
「だとしても、大丈夫」
「どうしてですか」
八重石にしては、かなり速い反応。
でも俺からしたら、どうしてって言われる方がわからないんだけど。
「八重石、あのとき、俺とあの……八重石刺した女の子との会話、聞いてなかった?」
「聞いていました。空森さんは、あの方とご兄妹で、あの方の属している組織の一員、なんですよね」
今度は声は出なかったけど、まさに息を呑むって感じの音が、隣から聞こえてくる。
そこまで、ちゃんと聞こえてたんなら。
「別に、本物の兄妹ってわけじゃないけど。……まあ、大丈夫。別に、三日後まで逃げたりしないし、」
自分の事情聴取のときは、ほとんど癖みたいに誤魔化した。
『俺』のことも、花巻のことも、当然俺のことも。
けどその後、やっぱり言ってしまおうと思った。俺のことは、狂ってると思われないため黙っておいても、それ以外は言うべきだと思った。
……もう、こんなことが起きないように。
「――八重石のお父さんにも、ちゃんと話すから」
なのに。
「っ、そんなことを、言いたいのではありません!」
……今度は俺も、モトナリと一緒に驚くことになる。
あの八重石が、大声を出した。
顔も、いつもの無表情じゃない。わかりやすくはないけど、怒ってるのがわかるくらいには、目元が険しくなっていた。
「……すみません、取り乱しました」
が、俺達の反応からそれに気付いたらしい八重石は、すぐに表情を消してしまう。そのまま視線を布団の上で握り締められた手に落として、じっと動かなくなる。
それはいつも通りの、八重石の仕草だった。
それが――会話の最中にできる長い沈黙が、自分の言いたい言葉を必死に組み立てている時間なんじゃないかと、突然思い当たった。
外から見てたら、会話のテンポがおかしい奴か、頭の回転が鈍い奴にしか見えない。けどそれは、ただ正しく伝えられる言葉を探している時間で、そう思ってみればそれは当たり前のことだった。
誰だっていきなり正しい言葉が出せるわけじゃない。だから普通は「えー」とか「あー」とか言ったり、適当に話を伸ばしたりして隙間を埋める。あとは、すぐに見つかった言葉で妥協して、後から訂正したりする。
けど八重石にそんな器用なことはできないから、馬鹿真面目に集中して言葉を探す。
今も、八重石は必死に探している。俺がしてしまった勘違いを正すためだけに。
「……まず、私は空森さんを咎めるつもりはありません。そしてそのことを、私は誰かに言うつもりもありません。父にも母にも、事情聴取でも、私はこのことを、伝えませんでした」
そんな八重石が、十秒以上かけて見つけてきた言葉は、あまりにも八重石の性格とズレているように聞こえた。
「だって、空森さんは、私の味方なのでしょう?」
「今は、そうだけど。でも、記憶がなくなる前は違った。俺はアイツ……花巻の、仲間になろうとしてたらしくて、八重石を殺すことで、その組織に認められようとしてた。……から、もし記憶が戻ったら、俺はまた」
「私には、あなたが私を本当に殺そうとしていたとは、到底思えません」
ぐっと、喉の奥が詰まったみたいな感覚があった。
「私が、記憶を失う前のあなたに騙されていたのかもしれないと念頭に置いても、やはりそうとは考えられないのです」
けど、八重石はそう言い切った。だったら、八重石が『空森』に騙され切っているということは、自然と考えられないような気がした。
それでも、喉の詰まりは消えてくれなかった。
「少し、自分の話をさせてください」
という前置きから、八重石の考える『空森』の話が始まった。
「以前にも、少しお話ししましたが、空森さんは度々私に、私の思考の傾向を探るような問いかけをされていました。初めは、全て取るに足らない、意義のわからないもので、これが一般にいう世間話なのだろうと考えていたのですが、段々と回数を重ねることで、私は常にどこかで判断をさせられていると気付きました」
そこで八重石は、一瞬俺の方を見る。反射的に見返してしまうと、少し戸惑うような時間を置いてから、その青みがかった黒目をこっちに向けて。
「話は変わりますが、空森さんは私のことを、感情が豊かだと思われますか?」
いきなりの質問だったけど、聞かれているのは、割と答えが決まってることだった。
「はっきり言うと、思わない、かな。最近はちょっとわかるようになってきた気はするけど」
すると八重石は、俺の目をじっと覗き込んだまましばらく固まる。思わず目を逸らしてしまったところで。
「私にも、その自覚はあります。……十歳を過ぎた頃、あまりにも素直過ぎるということで、お手伝いさんの一人が随分気にかけて下さいました。色々と、私の好みや欲を聞き出そうとして……それに答えられないことに気付いてから、私は自分の感情を理解したいと思い、常に考えるようになりました」
「本を読むのも、その一環です」と、八重石は枕元にあった一冊の本の上に手を置いた。
頷きながら、やっぱり馬鹿真面目だなと思った。
そして、だから俺は小説が嫌いだったんだと気が付いた。
いちいち理解させようとしてくるのが嫌だったんだ。
……『お前はどうなんだ』と聞いてくるような感じが、嫌で、鬱陶しかった、だけだったんだ。
「だから、気付いたのだと思います。空森さんの問いかけが、私を理解しようとしているためのものなのだと」
「……なんで、そこまで理解しようとするのかって話、だよな? 近いうちに殺そうと思ってる奴なんかのことを」
先回りされたことに少し驚いたみたいだったけど、八重石は一秒くらい固まってから、ゆっくりと頷いた。
「そこんところは、俺にもわからない。けど、普通に理由があっただけかもしれない。仲良くなって、色々聞き出すためとか、警戒心なくして殺しやすくするとか、父親を引っ張り出してくるためとか」
勢いでお前は素直すぎるし無警戒すぎるとか言いそうになって、どうにか声に出る前に止めた。
「……もっと、俺らには想像できない目的があっただけかもしれない」
「私は、そうは思いません」
なんでそんな、まっすぐ言えるんだ。
でも、今度はいくら待っても、なかなか八重石は喋り出さない。
ずっと俺の目を、まっすぐ見つめてくるだけで。
「なんにしたって、花巻が俺のことを知ってたのも、花巻がお前のこと刺したのも、俺の部屋に、お前を殺す計画書があったのも、変わらないだろ」
……気付いたら、俺はそんなことを言っていた。
自分がこんなに低くて聞きづらい声を出せるんだと、俺はこのとき初めて知った。
「どんだけお前が信じてくれたって、これが警察にでも知られたら、俺は絶対捕まる。……でも、元からそうするべきだったんだ。俺は、自分で知らない……知らなかっただけで、悪い奴らしいから。俺が、もっと早くこのこと話してれば、こんなことにはならなかった。お前がそんな怪我することも、死にかけることもなかったんだ」
どんどん言ってしまうのが、なんとなく他人事みたいだった。けど、それは絶対自分の意思だった。言っていいのかわからなかったけど、言いたくて仕方がなかったんだ。
たぶん、近いのは、コントローラーでゲームキャラを動かしているみたいな感覚だった。
「……俺は、捕まらないと。じゃないと、記憶が戻ったとき……いや、そうじゃなくても、俺はお前を、また」
「――それは、本当にあなたの本心ですか?」
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