第34話 愉悦する冬の魔女
瘴気が満ちた深い森の中に、異形の小屋が一つ佇んでいた。垣根には幽世を荒らす悪鬼の骨が用いられ、小屋は巨大な鶏の足の上に建てられている。
幽世にあるこの小屋は、冬と死を統べる大魔女バーバ・ヤガーお気に入りの別荘だった。
バーバ・ヤガーは小屋の中で本を読んでいたが、来客に気づくと、サファイアのように青い目を本から玄関に移す。
ドアの向こうから現れた人物は、バーバ・ヤガーに促されるままテーブルを挟んで向かいに座った。
どこか緊張した面持ちの来客に向かって、バーバ・ヤガーは穏やかに問いかけた。
「ねえ、ルナ。覚がまた悪魔憑きを追いかけているみたいだけど。あの馬鹿弟子は、そんなに悪魔になりたいのかしら?」
「いいえ。探偵さんは、悪魔も悪い魔法使いも嫌いです」
喫茶ひすがらの看板娘、ルナは首を左右に振った。
「それにピンクメルトという魔法使いを放っておけば、現世と幽世の境が曖昧になって、あわい横丁が無くなってしまいます。探偵さんは、管理人としてお仕事を一生懸命されているだけですわ」
「そうかしら? 案外、悪魔になりかけている今より、いっそ成ってしまった方が気楽かもしれないって、考えているかもしれないわよ」
「ご主人様。意地を張らないで、探偵さんに力を貸してあげてくださいな」
琥珀色と水色の双眸で、ルナは真っすぐバーバ・ヤガーを見つめた。
「探偵さんは自分の中の悪魔と戦っているんですわ。先代の管理人として、探偵さんのお師匠様として、導いてあげてくださいな」
「お前も言うようになったわね。顔は母親似で美人なのに、性格はだんだん父親に似てきたわ」
その時、コツコツと窓を叩く音が部屋に響いた。
バーバ・ヤガーは立ち上がると窓を開け、
「お帰り。夜の騎士」
と、一羽のカラスを迎え入れた。
夜の騎士は彼女の腕に止まるとルナを一瞥し、「おや。どこのご令嬢かと思えば、昼の騎士の……」と納得したように呟いた。
「世間話よりも先に、報告を先にしてちょうだい」
「もちろんですとも。早速ご報告させていただきます。偉大なるバーバ・ヤガー」
夜の騎士はよく通る低い声で報告を始めた。
「まず、あわい横丁の揺らぎについてですが。あなた様の仰る通り、原因は管理人の万屋覚ではありませんでした」
「だから言ったでしょ。あれは半端者だけど、魔法の腕は一人前なの。そうじゃなければ横丁を任せて幽世旅行になんか来ないわよ」
「ですが、今後はどうなるか分かりませんよ。悪魔が二体ほど、日本に紛れ込んだようです。趣味の悪い牧場を見つけました。まるで、かつてアメリカに存在した悪魔憑きの楽園の再現です。横丁の存在を揺るがすのはそれかと」
「関係者がいるのかしら?」
「悪魔の姿を確認しました。グリンギグルです。アメリカにあった魔法使いの楽園の忘れ形見で、死体を操る魔法使い。悪魔と契約して早々に残虐性が気に入られ、仲間として迎えられたとか」
「この短期間でよく調べたわね」
「カラスの情報網を侮ってはなりませんよ。ご主人様」
「ご主人様……!」
ルナは驚いたように両手で口を押え、バーバ・ヤガーを見上げた。
「冷たく突き放すような事を仰っていても、本当は探偵さんの事を案じていらっしゃったのですね」
「勘違いしないで、ルナ。私、名の知れた大魔女だもの。弟子が悪魔堕ちなんてしたら、悪魔が勢い付いてしまうわ。私が覚に味方する理由はそれだけよ」
「しかし、ご主人様」
夜の騎士が口を開いた。
「そもそも、あなた様が万屋覚を横丁に迎え入れなければ、こんなややこしい事態にならなかったのでは? あの時既に万屋覚は、悪魔になりかけていたでしょうに」
フーッと猫の威嚇が聞こえると、夜の騎士は冷静な視線をルナに寄越した。
「おっと失礼。お嬢さんの過去の微笑ましい失敗を貶した訳じゃないんだよ。私は喫茶店のことで頭がいっぱいの昼の騎士の代わりに、ご主人様を支えなければならないのでね。時にはこうして、憎まれ役を買って出るのさ」
「返す言葉がありませんわね……。でも、あの喫茶店も元はといえば、ご主人様が現世の物を真似て作ったんじゃありませんでしたっけ?」
「そういえば昔、店だけ作ってはみたものの、店主が居ないと嘆かれていたような」
「お前達、やめてちょうだい」
バーバ・ヤガーは不満気に、細い指を雪のように白い髪に絡ませた。
「あの狂犬を弟子に迎えて、万屋覚なんて大層な名前をあげたのも、喫茶ひすがらを作るだけ作って任せきりにしたのも、全部私の気まぐれのせいよ。付き合わせて悪いとは思っているわ。でも——主人の願いを叶えるのが使い魔というものでしょう?」
そう言って、バーバ・ヤガーは青い目を光らせた。
「悪魔憑きであろうと、弟子に迎えてしまった以上は最期まで面倒をみると決めたの。悪魔に堕ちかけているというのなら、手を貸しましょう」
「承知致しました。至急、万屋覚を召喚致します」
「いいえ。手を貸すとは言ったけれど、私が手を貸すのは覚じゃないわ」
「はい?」
「だって、それじゃつまらないでしょ」
バーバ・ヤガーは楽しげな笑みを浮かべると、
「
セージを自分の小屋に呼ぶよう、夜の騎士に命じた。
怪異探偵—覚— 木の傘 @nihatiroku
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