3.5章 混沌たる悪魔 愉悦の魔女

第33話 悪魔達の談笑

 黒いスーツを着込んだ赤い目の青年は、不思議そうに首を傾げた。淡いピンクの髪が肩から流れるように落ちていく。


「アレェ? おかしいな。召喚魔法がキャンセルされちゃった」


「ピンクメルト様。召喚魔法とは、例の廃ホテルに仕掛けた罠のことでしょうか?」


 下から聞こえた声に、ピンクメルトは頷いた。


「そうそう。グレムリンを助けに来た奴をびっくりさせようと思って、仕掛けておいたやつ」


 ピンクメルトは、あーあ、と唇を尖らせた。


「罠もないし、ワタシとも鉢合わせしなかったって安心していたところに、悪魔のワタシが召喚されるんだよ? びっくりした顔見たかったなぁ」


 そう言って、ピンクメルトは溜息を吐いた。


「それに、顔見れなかったからさ。誰だったのかも分かんない。調べるの面倒だなぁ」


「でも、ピンクメルト様」

 先ほどとは違う声がピンクメルトに問いかけた。

「顔を見たら満足して、すぐ溶かしてしまわれるんでしょ? 飽きたのなら、追わなくても良いのでは?」

 

「そう思ってたんだけど、絶対に捕まえたくなった」

「おや?」「あら?」


「助けに来たのは魔法使いだよ。グレムリンを閉じ込めておいた魔法が正しい手順で解かれたんだ。そうじゃないと、召喚魔法は絶対に阻止できないし、グレムリンも死ぬ。そういう仕掛けだったんだ」


「同胞ですか」

「違うね。ワタシの方が格上だよ。だって悪魔になったんだし。でも魔法使いなら、少しは抵抗してくれるはず。悪魔の力を試すには、良い実験台になるじゃん?」


「見つけたら、集会に招待されるのですか?」

「うん。そうしよう! 実験台にもならないようなクソ雑魚だったら、ワタシへの贄にしていいよ」


 床を這いずり回る生き物達がピクっと頭を持ち上げた。豚とも芋虫とも似つかない異形の姿は、ピンクメルトから贈られたものだ。


「うん、うん! そいつを面白い方法で殺した奴を魔法使いにしてあげよう。なぜなら、ワタシは悪魔ピンクメルト。ワタシを一番喜ばせたと契約してあげよう」


 這いずり回る異形達は狂喜に満ちた歓声を上げた。ピンクメルトに隷属するこの生き物たちは、誰一人として元の——人間の姿を取り戻したいとは考えていない。ただ、ピンクメルトに気に入られて、魔法の力を分けて貰うことだけを考えていた。


「君達は本当に面白いね」


 ピンクメルトは「ねえ」と視線を隣に向けた。


 ピンクメルトの傍で部屋の暗闇が渦を巻いて、人型を作り出した。現れたのは黒のタイトドレスを着た、赤い目の女。薄緑の長い髪の隙間から、二本の山羊の角が生えている。


Gringiggleグリンギグル。調子はどう?」


 ピンクメルトが微笑みかけると、グリンギグルと呼ばれた女は妖艶に笑った。


「あぁ……ピンクメルト。あの牧場は素晴らしいわ! あなたを仲間にしてよかった!」

 そう言って、悪魔グリンギグルは異臭のする不整形なミートパイを差し出した。

「見て。狩りたて肉で作らせたの」


 ピンクメルトはパイを受け取ってテーブルの上に置くと、ナイフを突き立てて一切れ切り取った。そして血の滴る桃色の断面を見て「ワォ」と歓声を上げた。

「ワタシ好みの焼き加減だ!」

 一口齧ると、端から零れた肉片を摘まんで床に投げた。肉に群がる芋虫達を見て、「皆も気に入ったみたい」とクスクス笑った。


「ところで、ピンクメルト。夕方に牧場の周りを、妙なカラスが飛び回っていたんだけど。何か知らない?」

「んー? それはたぶん、ワタシとゲームをしている魔法使いの使い魔だよ。グレムリンは取られちゃったけど、あっちもまだゲームを続けるつもりみたい。近い内に来るかもね」


「あのグレムリン、取られちゃったの? 残念ね……。やっと面白くなってきたところだったのに」


 グリンギグルが唇を尖らせると、ピンクメルトは齧りかけのパイをグリンギグルの口元に運んだ。


「次はもっと面白いのを見せてあげるよ。グリンギグルがワタシを悪魔にしてくれた日のように」

「それは楽しみね」


 グリンギグルはクスクスと笑ってパイに齧り付いた。


「グリンギグル。ワタシが目を付けたこの国は、とっても良い所でしょ? あらゆる信仰に寛容で、八百万も神がいるんだって。そのせいか、ワタシが少し力を見せただけで、こんなにも信者が集まったよ」


 ピンクメルトはそう言って床に転がる芋虫達を指差した。


「グリンギグル、前に言ってたよね。ワタシ達の故郷アメリカには、昔魔法使いの楽園があったんだって」


「ええ。アタシはそこで生まれた魔法使いだった。楽園は、この世から切り離された異界。誰にも邪魔されない、面白い事だらけの国。いくつもあったのに、全部なくなっちゃった」


「異界を作れるほどの大魔法使いが何人もいたなんて、まるで御伽噺だね。それなのに、南北戦争のゴタゴタで全部滅んだなんて、信じられないな」


「そうでしょう? でも、滅んでしまった。アタシは子供だったから、何があったか覚えてないけど……」


「詳しい記録は残ってないんだってね」

「だからきっと、魔法使いの子供も悪霊ブギーマンを恐れるようになったんでしょう」


「知ってるよ。楽園を滅ぼした黒い狼の御伽噺。記録がないから、臆病な魔法使いが馬鹿げた強さの化け物を作り出したんでしょ? でも、ここは日本だ。ブギーマンはいない」


 そう言ってピンクメルトは、グリンギグルをからかうように笑った。


「笑いすぎよ。でも、そうね。昔のように、自由気ままな魔法使いの楽園を、この国に作りましょう」


「そしたら、ワタシが王様。君は女王様。それから……」

 ピンクメルトは床に転がる芋虫達を一瞥した。

「君達は、近衛兵にしてあげよう」


 また異音のような歓声が上がった。


 投げられたミートパイの欠片を奪い合う芋虫達は、自分達が何の肉を食べているのかも、もうどうでもいいようだった。

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