第21話 いや、酒は呑まんよ。
翌朝、いつものように道場へ行き、門弟たちに厳しく稽古をつけた後、半之丞に話があるから残るようにと伝えた。
半之丞は最初、ぽかんとした顔でいたが、怯えるような顔で忠弥を見た。
俺がそんなに怖いか、と内心思ったが、自分とは全く考え方の違う男なのだから仕方あるまい、というくらいのことは分別できた。
一緒にいたいと渋る兵馬を追い返し、二人きりで道場を出た。
あまり人に聞かれたくない。
静かに話せる場所はないものか、と
お染に頼んで人払いをしてもらおう。
あそこには奥座敷があったはずだ。
「半之丞、覚えておるか? 前に一度、連れて行ったろう。あの居酒屋に行こう」
「酒を呑むのでございますか?」
半之丞が不安そうにたずねる。
「いや、酒は飲まんよ。今日は真剣な話があるのだ」
半之丞の顔つきがかたくなる。
忠弥はそれを無視して歩いた。
道場からわりと近いので、朋輩にもよく会うが、今日は日の明るい時刻だからか、誰にも会わなかった。
暖簾をくぐり、お染を呼んでもらう。
お染は、忠弥を見るなりパッと笑顔になり、後ろに神妙に控えている半之丞を見て、目を丸くした。
「あら、いつぞやの」
「半之丞だ。お染、すまぬが、今日は真剣な話があって来た。半之丞と二人きりで話がしたい」
忠弥の様子を見て、お染はピンと背筋を伸ばすと、
「わかりました。お部屋をご用意して参りますわ」
と奥へ入った。すぐに名を呼ばれ、奥座敷へ案内された。
部屋は落ち着いた雰囲気で、広くはないが
「ほお、美しい庭だな」
「評判がいいんですよ」
お染はそう云うと、お酒はいかがいたしましょう、とたずねた。
「呼ぶまで待ってくれるか。よければ、先に茶を。半之丞には菓子をだしてやってくれ」
半之丞を見ると、青ざめて緊張しているように見えた。
「私は結構です。お茶だけお願いします」
「まあ、半之丞さん、大丈夫ですよ。忠弥さまはお優しい方ですから」
余計なことを云ってから、お染は下がり、すぐに茶が運ばれてきた。
「まあ、飲もう」
庭を見ていた忠弥は、半之丞の前に座った。
半之丞は畳ばかり見ている。
何を怯えている。
よくわからない半之丞の様子に忠弥はあきれた。
「半之丞、俺を見ろ」
「は、はい」
「思い出したのだろう? お主がかどわかしに会った日のこと」
「な、なぜそれを?」
半之丞の体から力が抜けて、張りつめた糸が切れたような表情になった。
「姉上は東北へ嫁がれた。もう、会うことはあるまい」
「美津どのが嫁がれたのですか?」
姉の名を知っているところを見ると、やはり二人の間に何かあったのだ。
「そなたをかどわかす者は、もうおらん。安心せい」
「そ、そうではありませんっ」
半之丞が首を振った。
「私は美津どのを恨んでなどおりません」
「じゃあ、いったいなんなのだ」
「ご迷惑をかけたから」
「そんなわけがあるか。そなたに非はない。悪いのはすべて俺の家だぞ。姉上の身勝手で、お主を苦しめた。すまなかったと謝るのはこちらだ」
そうだ。
きちんと謝りもせず、おとなしい半之丞ばかりが萎縮して、迷惑をかけていたのはこちらだ。
「すまなかった」
「い、いいえ……」
頭を下げる忠弥に、半之丞が首を振った。
「やめてください。もう過ぎたことですし、成沢さまには責任はありません。本当にやめてください」
半之丞の目から涙があふれた。
忠弥が呆気にとられた。
「なぜ泣くのだ」
「このままじゃ、忠弥さんとの接点がなくなってしまうから……」
「は?」
「ずっと、ずっと憧れていたんです。私の生きがいはあなたでした。迷惑がかかるから離れなきゃ、と何度も自分に云い聞かせていたのに、無理でした」
「離れる必要はなかろう」
大げさな男だな、と忠弥が笑う。
「でも……」
「俺は姉上のことがあろうとなかろうと、半之丞は、兵馬と同じ、門弟の一人だ。相談も乗るし、居酒屋でも稽古でも付き合ってやるさ」
難しく考えすぎだな。
そう云うと、半之丞がさらに泣き出したので参った。
「おいっ。お染、誰か来てくれ」
廊下に向かって声を張ると、待ち構えていたのか、お染が急いでやってきた。
そして、泣いている半之丞を見て、目をつり上げた。
「なんで泣いているんです?」
「勝手に泣いたんだ」
「勝手に泣くわけあります? 大丈夫ですか? 半之丞さん」
「申し訳ありません……」
「なんとかしなきゃですねえ」
「酒でも飲ますか」
「やめてくださいっ」
お染に止められて、忠弥は頭をかく。
弟だったら、泣くやつがあるか、と突き放すが、半之丞は弟ではない。
姉上がもし、この場にいたら泣いている半之丞をかばうだろうか。
かばうだろうな、と思いながら肝心なことを云うのをすっかり忘れていた。
「半之丞、姉上からそなたに伝言だ」
「は、はい」
「すこやかに育ってください、とのことだ」
「……はい」
半之丞は、大きく息を吸って、涙を拭った。
「忠弥さん、ありがとうございました」
泣き顔にようやく笑顔が戻った。
ふと、あの幼い頃の泣き顔を思い出した。
「そなたの泣き癖も治さねばな」
忠弥が云うと、お染がプッと吹き出す。
「何がおかしい」
「いいえ。すみません。なんだか、お可愛らしいなと思って」
「誰に云ってる」
「そりゃ、半之丞さんですよ」
今度は、俺が半之丞を男らしく育ててやろう。
約束をすると、半之丞の頬が赤く染まり、よろしくお願いいたしますと、頭を下げられた。
よしよし、と頭を撫でてやる。
おとなしい半之丞はうつむいたまま、はい、と小さく答えた。
かどわかし 春野 セイ @harunosei
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