3.
村に着いて迎える初めての夜。魔法使い見習いはゆらめく火とにらめっこをしていた。
赤色は一瞬ごとに形をゆらゆらと変える。時に小さく、時に大きく。パキリ、と時折火の下で赤く輝く薪が爆ぜた。やがてそれらは赤さを、色を失って失い灰へと形を変え、最後には崩れていく。こうしてじっくりと観察してみると、この世界は星の数ほどの事象が折り重なってできていることがわかる。
とはいえ、ただ見つめ合っているわけではなかった。
「ブランさーん、お湯加減はどうですかー?」
「おお~、ちょうどいい
ルコルの頭上にある小窓から陽気な声と、白い湯気が立ち
「いやあ~、こんなにいい湯は久しぶりじゃ」
「そうなんですか?」
「ワシは熱めの風呂が好きなんじゃが、ひとりじゃと
「あはは、ならよかったです」
答えながら、ルコルは火の方に視線を戻す。彼女の右手には杖。そして左手で新しい薪をくべる。瞬間、火の勢いがぼうっと強くなるが、杖に魔力を流しこむことで弱める。
この火はルコルが魔法で発生させたものだった。さらに今使っているのは、火を操作する魔法。要は薪焚き風呂の火加減調整だ。
薪が割れる音の合間に、小窓からかすかに聞こえてくる鼻歌が挟まる。
喜んでもらってる、のはいんだけどなあ……
ブランは助かっていると言ってくれている。いいことだ。それはいいことに違いない。
でも、だけどなあ。
と、ルコルは杖を片手に数時間前のことを思い出していた。
「ブランさん、何がしてほしいことはあったら言ってください! ボクの魔法で解決してみせます!」
ルコルは杖を高く掲げ、決めゼリフのように言葉を放った。
もちろん、何の算段もなく自身が魔法使いであることを明かしたり、こんな提案をしたわけでない。
人が『奇跡だ』と感じた時に奇跡の粒は集まり、回収することができる。ならそれは一体どういう時か。ルコルが考えた最も有効な方法は、その人の困りごとを解決する、もしくは願いを叶えることだった。そういったものは大なり小なり誰もが抱えている。そして往々にして自分ではどうすることのできない場合が多い。
そこへルコルが魔法を使ってきれいさっぱり解消してあげる。とくれば人は間違いなく驚き感謝する。奇跡だと感じてくれる。自分たちの目的は達せられる。
そう思っての提案だったが、
「ほっほっほ、ありがたいのう。じゃがこれといって特に思い浮かばんのう」
返ってきたのはブランの陽気な笑い声だけだった。
「え、でもでも……本当に何もないですか? なんでも言ってください。こんな機会、もうないかもしれないですよ?」
「そうじゃのう……。お、そうじゃ」
「何かあるんですね!?」
「うむ、では…………風呂を沸かしてはくれんか?」
「――へ?」
そんなわけで、ルコルはこうして釜の火とにらみ合いを続けているのである。
ブランさんってば変な人。魔法使いに出会うことなんて、しかもそれだけじゃなくて魔法を使ってもらえることなんて、人生で一度もないかもしれないのに。
でも困ったなあ。どうやって奇跡を集めよう。さすがに好みの温度のお風呂に入ったくらいじゃ奇跡は感じないだろうし。
「ルコル。ここに追加の薪、置いておくね」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「……どうかした?」
気づけば薪を持ってきてくれたミザのことを見つめてしまっていたらしい。
「い、いえ! なんでもないです」
「そう? ならいいんだけど。じゃあ私は部屋に戻ってるね」
そう言って家の中に戻っていくミザを見送る。そして、思わずルコルの口からは独り言が漏れ出た。
「どうしたらいいか、師匠に訊いてみた方がいいかなあ……」
って、いやいやいや。今回はボクがやってみるって自分で言ったんだから。ここで弱音を吐いたら一人前なんて夢のまた夢。それに、まだ二日あるんだし。
考えるんだ、ルコル。ブランさんは何も望みはないって言ってたけど、気づいてないだけであるかもしれないし。
もしかしてアピールが足りないのかな。もっと魔法でできることを伝えて、たとえば、ブランの興味のある話題からつなげて。そうだ、趣味を訊いてみるのはどうだろう、好きなことならきっと願望があるかもしれないし。
ようし、そうと決まればもう一度訊いてみて――
「うわちちちっ」
思考を巡らせ意気込んでいると、頭上から声が降ってくる。
「お嬢ちゃん、さすがに熱くなってきたからちょっと火を弱めてもらえんかのう?」
「え……あ。ご、ごめんなさい!」
いつの間にか火力を強める魔法ばかり続けてしまっていたルコルは、慌てて火力を下げようとする。
するとその拍子か、釜から黒い煙がボワッ、と噴き出して「ぶえふっ!」ルコルの顔面を覆った。
だが、以降もルコルの思惑は外れに外れた。
風呂から上がった後の夕食時も、
「ブランさん! 好きなものとか趣味ってありますか?」
「いやあ、特にはないのう。ワシはのんびり暮らせればそれでええわい」
「じゃあ、どういう時にうれしいなーとか思ったりします?」
「ほっほっほ。今はお嬢ちゃんが元気にしてくれておったらうれしいかのう」
「そ、そうですか」
明くる朝も、
「ほかには何かないですか?」
「では今夜も湯を」
「そ、そうじゃなくて。したいけど中々できないこととか。なんでも言ってください。ボクたちに手伝いますので」
「うむ……まあ、あるにはあるがのう」
「え! あるんですか!」
なんだ、じゃあそれを魔法でサクッと解決しちゃおうじゃないか。
「じゃが、こんなことを旅の客人に手伝ってもらうのは情けない気もしてのう」
「遠慮はいりません! 泊めてもらってるお返しでもありますから! さあなんでも言ってください」
「お嬢ちゃんがそこまで言うなら…………家の中の掃除を手伝ってはくれぬか?」
というやりとりばかりが続いた。
その結果、
「ふう……廊下の雑巾がけ終わったあ~」
ルコルは朝から掃除に精を出していた。
「んぐぐ……」
雑巾をバケツにじゃぶじゃぶとつけて、しぼる。汚れてしまうのでローブと帽子は脱いでいた。なので今のルコルはその下に着ていた無骨なシャツとスカート姿。
この格好じゃあ魔法使いっていうより家事手伝いみたい。いやまだ見習いだから魔法使いってわけでもないんだけどさ。
唯一彼女を魔法使いっぽくたらしめるのは、彼女の周囲でふわふわと浮いている
「おお、廊下が見違えるようじゃな」
と、リビングからブランが顔を出す。彼は彼でリビングの掃除をしていた。ちなみにミザは食材の買い出し中で出かけている。
「こんなに家の大掃除ができたのは久しぶりじゃわい。ワシも息子たちも
「いえ、その……お役に立てたならよかったです」
ブランはきれいになった廊下に目を丸くしているが、湯沸かしと同様この程度では奇跡を感じてもらうにはほど遠い。一応はたきを浮かせて使うという魔法も使っているけど、普通に掃除しているのとあまり変わりはなかった。
もう。こうなったら家中ピッカピカにするしかない。それでブランさんにビックリしてもらおう。もしかしたら万に一つ、奇跡を感じてもらえるかもしれないし。
「じゃあ、ボクは二階に行ってきますね」
熱に燃えるルコルはまだ手を付けていない部屋に向かおうとバケツを持つ。だが、ブランに呼び止められた。
「ああ、二階じゃが、一番奥の部屋はやってもらわんでかまわんからの」
「え、いいんですか?」
「物置きじゃなからな。長年手つかずじゃからきっと中はとんでもないことになっておるに違いないわい。さすがにそこまで客人にやってもらうわけにはいかんのじゃ」
「それならなおのことボクに任せてください! どんなに荷物があってもひどい汚れでも、魔法がありますから」
自信満々に言うルコル。だが、内心では「あれ? そういう魔法って私まだ使えなかったような。あとで師匠に教えてもらわなきゃ」と若干不安になっていた。
が、ブランは首を横に振る。
「いやいや、本当に大丈夫じゃから。これだけ綺麗にしてもらえただけでも十分じゃからの」
「でも、」
「いいんじゃて」
食い下がろうとするルコルを、ブランの声が遮った。心なしか、その口調はいつもより少し強いものだった。
しかし次にはもういつも通りの朗らかなそれに戻っていて、
「お嬢ちゃんの申し出はありがたいのじゃが、気持ちだけもらっておくのじゃ」
「は、はい」
奇跡を実感してもらうための絶好のチャンスだと思ったのだが、無理強いはよくない。無理にやってしまったらブランがルコルたちのことを『困った存在』と思ってしまうかもしれない。そうなれば奇跡を集めるどころの話ではなくなってしまう。
「えっと、その」
「では風呂場の方の掃除を任せてもいいかのう?」
「わ、わかりました」
「うむ、頼んだのじゃ」
そうブランに言われ、ルコルは次なる掃除場所へと向かうのだった。
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