奇跡流転紀行

今福シノ

Moving

下車、その少し前

 機関車はけたたましい音で鳴くと同時に、煙突から煙を吐いた。

 煙は機関車の上部を漂い、そして流れていく。煙のように見えるが、実際には違う。もちろん蒸気でもない。吐き出される粒子の一つひとつが、自ら輝いていた。


 それは奇跡の粒。空中に浮かぶほどに小さくなった、奇跡の成れの果て。


 真っ暗な空間を、機関車は流星が如くひたすらに進んでいた。車窓から漏れ出る光と煌めく粒たちが列車の周囲だけをぼんやりと照らしながら。再び遠吠えのように鳴くと、煙突から奇跡の粒が勢いよく噴き出る。粒の一つひとつは異なる色をしており、また一色に定まることもない。次の瞬間には違う色へと変わっている。


 そんな様子を、魔法使いのミザは車窓から眺めていた。

 まるで夜空に瞬く星のようだと思った。そんな感想が浮かぶのは、この列車が常に真っ黒な空間を走っているからだろう。

 どんなに目を凝らしても、身を乗り出しても、何時間乗っていたとしても。列車と粒子以外には何も見えることはない。昼でもなければ、夜ともまた違う空間。線路と車輪が擦れる音は聞こえるが、果たして地面を走っているのかどうかも定かではない。もしかすると水上を、あるいは雲の上を進んでいるのかもしれない。


 やがて奇跡の粒たちは、カーペットに水が浸透していくように暗闇の中へと広がっていき、そして見えなくなっていく。だが消失してしまったわけではない。目に見えないほどに小さくなったそれらは、どこかの世界に、国に、町に降り注ぐのだそうだ。そうして奇跡は巡り続ける。


 あらゆる場所へと散らばり、そこで役目を終えた奇跡たちを集める。また違う場所へと届けるために。ミザたち魔法使いが生業なりわいとする仕事。


 窓の外から少し冷えた風が入り込み、肩まである黒髪を揺らす。だがあまり冷たさは感じなかった。レザージャケットを羽織る彼女にはちょうど心地よかった。

 丸メガネを軽く指で押しながら、窓の外の景色から車内へと視線を移す。木製の床に壁。二人掛けの横座席は濃い緑色で、車体が奏でる振動も相まって乗る人の心を落ち着かせる雰囲気だ。


「ん……」


 ミザの隣から、小さく声が漏れ聞こえる。少女がちょこんと腰かけている。

 少女はすうすうと寝息を立てていた。青紫色をしたとんがり帽子のつばはアイマスクのように目元を覆い、サイズの大きいローブは毛布の役割を果たしている。時折首がこてんと動き、帽子の隙間からカールした赤毛がチラリとのぞかせる。小さめの手には、大事そうにぎゅっと握られた一冊の本。

 そんな姿に、ミザの口角は柔らかく上がった。ずっと見ていても飽きなかった。


 車内はミザと、そして共に旅をする彼女の二人占めだった。


 どれくらい時間が経っただろうか。ミザは次第に前方から重力を感じるようになった。同時に車輪から金切り声が聞こえてくる。基本的にこの列車は減速することはない。ずっと同じ速度で走り続ける。こうして速度が下がっていくのは、駅に停車する時だけ。

 車内アナウンスのようなものはない。だが何度も列車に乗り続けているミザにとっては、何よりもわかりやすい合図だった。

 煙突からの粒子がだんだんと収まっていく。代わりに暗闇からポツリと姿を現したのは、小さなホーム。電灯のようなものがぼんやりとその場所だけに光を与えていて、洋上に浮かぶ孤島のようだった。


 やがて金切り声と揺れは一段と大きくなり、機関車からは『プシュー』という音が聞こえる。駅に到着したことを五感で伝えてくる。


「ルコル」


 ミザは隣の少女の肩を揺らした。彼女の名を優しく呼んで。


「んえ……師匠……?」

「さあ起きて。駅に着いたよ」


 もにゃもにゃとした返事に魔法使いは再び頬を緩める。それから立ち上がる。自身の黒髪をまとめなおして。レザージャケットの襟を正して。列車を降りる時の、ミザのルーティーン。


「さあ行こうか。奇跡を集めるために」


 魔法使いたちの旅が、再び始まる瞬間だった。

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