6.

 ブランの真意を聞いた後、三人はリビングから移動した。階段を上がり、一番奥の部屋へと。


 扉の前に立つ。一番前にブラン、その後にミザとルコル。


「この部屋の前に立つのも、久しぶりじゃ」


 老人はつぶやく。白いひげを揺らして。いや、ひげだけではなかった。彼の全身が、かすかに震えていた。

 だがここで終わるわけにはいかない。ルコルたちは今から、この部屋に入るのだから。


 彼の想いに応えるために、彼の「想いを伝えたい」という願いに応えるためには、全員で部屋に入る必要があった。だからこそ、三人でここへとやってきたのだ。


 静かにミザがブランの隣へと移り、


「……私が代わりに開けましょうか?」

「そうしてくれると助かるかのう」


 では失礼して、とミザが前に出て、ゆっくりと扉を開く。

 部屋の中は薄暗かった。窓はあるのだろうが、外からの光はカーテンで遮断されていた。何年も誰も足を踏み入れていない部屋だ、当然明かりもない。


「ルコル」とミザが言う。返事の代わりに杖を取り出し、魔力を込める。途端に杖の先に光の玉が生まれ、ふわりと浮かせた。それは徐々に部屋の暗闇を取りはらっていく。

 部屋の中にはたくさんの物があった。洋服が入っているであろうタンス、シーツが敷かれたままのベッド、閉じられた三面鏡。きっとそのすべてがブランの妻の所持品、いや遺品であり、彼女の思い出させるものなのだろう。


「大丈夫、ですか」

「あ、ああ」


 たまらずルコルは声をかける。ブランの表情は部屋に入る前からずっと苦しそうだ。だが自身に言い聞かせるように首を小さく振って「かまわん、続けてくれ」と言う。

 そんな彼を横目に、ルコルは部屋の中央に椅子を二つ、それぞれが向かい合うように置く。ミザに言われて、リビングから運んできたものだ。準備が整うと、ブランに座るよう促す。


 ミザはブランが座っていない方の椅子の後ろに立つ。それから弟子を呼び、隣に立たせた。


「ワシは、このままでおればいいのか?」

「はい。ブランさんはそのままで待っていてもらえれば」

「しかし、一体どうやるというんじゃ? リーゼに想いを伝える手伝いを、と言ったが……」

「大丈夫、私たちに任せてください。――それじゃあルコル。始めるよ」

「わかりました」


 ルコルは杖を取り出し、部屋の真ん中に向けた。すぐさま魔力を込める。あらためて人前で魔法を使うとなると緊張した。しかもそれがブランの願いに直結することとなれば、なおさら。


 集中するんだ。ボクはこの魔法に集中する。それが今回のボクの役目。

 杖の先に淡い青紫色・・・の光が宿る。魔法が発動するのがわかる。きちんと発動しているのがわかる。なぜなら、ルコルの頭の中にたくさん、流れ込んでくるものがあるから。


 首を振り、ミザの方を見る。大丈夫です、という意を込めた視線を送ると、彼女は頷いた。

 そして――どちらからでもなく、二人は手を握った。


 ブランがルコルたちの方を見ている中、ミザもまだ杖を手に持った。ルコルのそれとは違い、不規則に少しだけ曲がった年季の入った杖。

 それを音もなく向ける。誰も座っていない椅子の方へと。光はない。だが確実に魔法の発動は始まっている。ミザのような熟練になると、魔力に反応して杖がわざわざ光ることはないと聞いたことがあった。


 音も、光もない動作。ブランからは、ミザは不可解にただ細い棒を椅子に向けているようにしか見えないだろう。


 だが、不可解は次の刹那、驚愕へと変わった。


「お、おお……?」


 ――空いている椅子に、ぼんやりと人の姿が浮かび上がったからだ。それは徐々に輪郭を形づくり、はっきりとしていく。


 腰かけているのは若い女性だった。線は細く小柄。腰まである美しい金髪。白い薄手のワンピース姿。ルコルの方から顔は見えないが、きっと美人に違いない。


 もちろんルコルはその人と会ったことはなかった。だが確信はあった。頭の中にすでに流れ込んできていたから。彼女が一体誰なのかを。


「……リーゼ?」


 ブランが呆けるように声を出した。目の前に突如現れた女性に向かって。その名前を、自身の妻の名前を呼んだ。これでもかというほど目を見開いて。


「ほ、本当にリーゼなのか……?」

「ええ、そうです」


 現れた女性が答える。透き通るような声だった。


「そんな、まさか……」


 ブランは表情そのままにミザの方を一瞥する。それに無言の首肯を返す。


 この状況は、言うまでもなく二人の魔法によるものだった。


 ルコルがミザに言われて使っているのは『情報を読み取る魔法』。魔法使いが旅をするうえで一番多く使う魔法であり、基礎的な魔法。ルコルにとっても最も使ったことがあった。だが普段使うように時刻表を読み取るのではない。今回魔法を使った対象は、この部屋にあるものすべてだ。

 この部屋のもの、ブランの妻の遺品。そこに残っている、あるいは込められていた彼女の意思、記憶、あらゆるものを情報として読み取ったのだ。


「あの時の姿のままじゃ……信じられん」


 そして隣のミザが発動させているのは『情報を映し出す魔法』だ。ルコルが読み取ったものを、手を握ることで共有する。それを、椅子へと投影している。すべての情報をもって、生前の彼女をそこに顕現させていた。


「久しぶり、ですね」


 だからこそ、リーゼは話すこともできていた。あくまで遺品に宿った記憶の範囲内ではあるが、彼女が何をどう話すか、どう答えるかも映し出すことができる。そういう魔法だった。


 リーゼは眼前のブランを慈しむように見て、


「随分と、長生きできているようでよかった……ずっと心配だったんです。あなた、仕事でずっと大変そうでしたから」

「な、何を言うんじゃ。お前の、お前の方こそ……」


 言葉が途切れる。そして彼は椅子から立ち上がり、いや崩れ落ちるように床に手をつき、彼女のもとへと近づいて、ひざまずいた。


「……すまんかった」


 そこからは止まらなかった。まるで決壊したダムのように、彼は言い続ける。謝罪を。


「すまん、すまん! ワシは……ワシがもっとお前のことを見ておったら……こんなことには……仕事なんぞを言い訳にして、放っておいてしまったから、お前は……」


 気づけば言葉だけでなく、涙もとめどなく流れていた。嗚咽おえつを混じらせながらくり返す。すまない、すまない、と。


 それを見て、聞いていたリーゼはやがて――彼の肩に手を置いた。やさしく、包み込むような手つきで。


「いいんですよ。……いいんです。わかっています、あなたが私たち家族のために昼も夜も惜しまずがんばってくれていたことは。だから、謝らないでください。むしろ私の方こそ……ごめんなさい」

「何を……お前が謝ることなど」

「私も申し訳ないと思っていました。あなたと、家族を残して先にいってしまって……」

「大丈夫じゃ、ワシはこの通り元気でまだ生きとる。それに息子たちも、立派に成長したんじゃ」

「あなた……」

「リーゼ……!」


 お互いの名前を呼び合い、二人は抱きしめ合っていた。震える手で、ぎゅっと、力強く。見れば、リーゼも涙しているようだった。


「許してくれ、とは言わん。じゃからこれだけは言わせてくれ。ありがとう。それから……愛している」

「私もです。ずっとずっと、愛しています」

「もう少しだけ待っていてくれ。ワシもこの命をまっとうしたら、お前のところにいくから」

「はい、待っています。そうして、二人で生まれ変わりましょう。それから、また出会いましょう」


 永遠の愛を誓いあう。それは祈りにも似た誓い。たとえ叶わないとしても、ブランとリーゼの強い気持ちが、心からの愛が、ルコルにも伝わってきた。

 だが、この尊い時間もいつまでも続きはしない。ルコルたちの魔法が永遠ではないから。そしてそのことは、リーゼ本人が一番よく理解していた。


「あなた。……そろそろ、時間です。私はこの人たちの魔法でここにいる。もうすぐ魔法が切れますので」

「十分じゃ。こうしてお前にもう一度会えて、言葉を交わすことができたのじゃ。ワシの想いを、伝えることができたのじゃ。これ以上望むものは、もうない」

「私もです。あなたに会えて……本当によかった」


 その言葉を境に、リーゼの身体は徐々に薄くなっていった。ミザとルコルの魔法が切れかかっている。透けていき、彼女がこの世のものではないことがあらためて認識させられる。

 最後に、とブランはもう一度彼女の身体を抱きしめる。


「ありがとう……ありがとう。もう一度お前と話ができるなんて、本当にこれは奇跡・・じゃ……っ!」


 瞬間、ルコルの目に光り輝くものが映った。小さなそれは一つではなく、部屋中を淡く漂っている。


 間違いない。これは……奇跡の粒たちだ。


 この村に行き着いていた奇跡の粒たちが、今こうして奇跡を目の当たりにして、実感したブランのもとへと集まってきたのだ。

 そしてその瞬間を、魔法使いは見逃さなかった。ミザは杖を持っていない左手で懐から小瓶を取り出し、器用にコルク栓を開ける。途端に空中にある光る粒子たちは、磁石のように瓶に収められた奇跡の粒へと吸い寄せられ、ガラスの中へと入っていく。


 あっという間に、小瓶の中はキラキラで満たされる。

 その様子を、ミザとルコルは魔法を発動させながらじっと見ていた。それから、小声でつぶやく。


「師匠」

「ああ。これで私たちのここでの役目は、終わりだね」


 そうして、部屋の中にあった魔法と奇跡の粒は消えていった。

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