後日譚

 キンキンに冷やされた小さなグラスに、同じくキンキンに冷えたビールを注ぐ。

 まだ体の中の熱が収まらない中、僕と直先輩はグラスを合わせた。


「乾杯!」


 しゅわしゅわの泡とほろ苦い液体が入り混じり、勢い良く喉を通っていく感覚が心地良い。学生時代、部の飲み会で初めて口にした時は「嗜好品の癖に苦いだなんて意味が分からない」と思ったものだが、先輩が「アホだな、ビールは喉で呑むんだよ」と教えてくれた。当時の僕は『喉で呑む』ということ自体がよく理解出来なかったけれど、今なら分かる。

 

 ビール、旨い。

 ビール、最高。


「イベント、お疲れさん」

「いやもう、マジでお疲れさまっした!」


 金曜日の午後十時半。

 僕たちは焼き鳥店のテーブル席に向かい合って座っていた。


「初めて自分で企画を立ち上げて、ゼロからイチを作った感想は?」

「めちゃくちゃ勉強になりましたし、すんごい楽しかったです」


 先輩の提案をきっかけに作り始めた『違和感』をテーマにしたホラーイベントの企画書は紆余曲折の末、綿墨さんを介して、あるナレーターのもとへ届けられた。

 その方は色々な場所で朗読会を開催しているそうだが、これまでにない新しい形の朗読会をやりたいと模索していたらしい。僕が作ったホラーイベントの企画内容をベースにしてみてはどうかという綿墨さんの提案に、面白そうだと食いついてくれたのだ。


「同じ声を使う仕事でも、ナレーターってのはアナウンサーや声優とはまた違う表現力を持ってるからな。耳からスルッと入り込んできた言葉が、脳内で物語の世界観をどんどん構築していくんだ。本当に凄い仕事だよ」


 他人にクソ程厳しい綿墨さんが感心しているというだけで、僕はナレーターという職業に興味を惹かれた。


「オーディオブックの人気っぷりを見れば分かる通り、本は読まないけど『本を聴く』って人間は結構いるんだぜ。個人の配信やXのスペースなんかでもよく朗読やってるだろ」

「いや、僕、Xとかやんないんで」

「お前、本当にイベンターか? どうやって世の中の流れをチェックしてんだよ」

「だってあんなとこ、誰かの悪口とか思想信条の垂れ流しばっかりなんですよね? そういうのは見るなって先輩からお達しが出てるんですもん」

「……アイツの過保護も度が過ぎるな」


 そう言って額に手を当てながら「マジで独り立ちさせる気あんのかよ」と呟く綿墨さんのことを、僕は思い出していた。 


「――今日のイベント、見てもらいたかったな」


 開演時間の午後七時まであと少しという時に、突然綿墨さんから今日会場に行くことが出来ないと連絡があったのだ。


 準備で問題が発生する度に、僕と先輩、綿墨さんでたくさんやりとりをしてきた。

 先輩は僕や綿墨さんとの会話にこれまでよりも言葉を費やすようになったし、綿墨さんは僕にダメ出しをしつつも考えるためのヒントを与えてくれた。

 自分から積極的に意見を出すと毎回二人から褒められるので、僕は何だかお尻の辺りがむずむずしたものだった。


 綿墨さんは目の奥が冷たくてわずかなズルも許さない人ではあるけれど、一度認めた相手に対しては表も裏も関係なく手を貸す甘々な性格であることを、僕はもう知っている。こういう人は情に流されて、いつかとんでもない事件や事故に巻き込まれるんじゃないかと心配していたけれど、まさか本当に何かが起きたのだろうか。


「綿墨さん、何かあったんですかね」


 不安げに呟く僕に向かって、先輩はぼんじりを齧りながら「大丈夫だろ」とあっさり答えた。


「朗読会に使えるエピソードもいっぱい集めてくれて、どんな風に読まれるのか凄く楽しみにしてた癖に、急に来られなくなるなんて変ですよね」

「急ぎの案件でも入ったんじゃね?」


 ぼんじりを食べ終えた先輩は、次にヤゲン軟骨へ手を伸ばす。


「いやでも、綿墨さんが集めてくれた話って結構ヤバそうなのも多かったじゃないですか。取材中に何か恨みを買って襲撃されたとか、あの人ならあり得ますって」


 悪い想像がどんどん頭に浮かんで、止まらない。

 もしかしたら僕があんな企画書を作らなければ、綿墨さんは危ないことに巻き込まれずに済んだのかもしれない。僕は申し訳なさの余り、つくねを取ろうとした手が止まった。


「バーカ」

いてッ」


 先輩から脳天にチョップをお見舞いされた。


「どうせまたつまんねぇこと考えてんだろ」

「だって」

「あのな」


 ビールから日本酒に切り替えていた先輩は、御猪口おちょこの中の酒を一気に飲み干すと言った。


「無理やりやらせたならそう思うのも仕方ねぇけど、アイツがお前の企画に手を貸したのはアイツ自身の意志なんだぞ。その結果に付いてくることは全部自分の責任で背負うモンであって、お前がうじうじする必要はこれっぽっちもない」

「そうなんですかね」

「そうだよ。第一、今日来られなくなったのもどうしても外せない用事が出来たからって言ってただろ」

「でもそんなの、朗読会を中止にさせないための嘘かもしれないじゃないですか」

「それこそあり得ねぇな」


 酒を注ごうと徳利に伸ばした手をビシッとはたかれる。つまらない気を遣うなということらしい。


「アイツは俺に嘘を吐かないから」


 手酌で注いだ二杯目を、先輩はぐいっとあおった。

 綿墨さんに対する先輩の信頼度が高すぎて、何だかイラっとする。

 確かに思っていたよりいい人だったかもしれないけど、やっぱり僕は綿墨さんが苦手だ。


「で、二回目もやんのか」


 シーザーサラダに添えられた温泉卵をぐしゃりと潰し、皿に取り分けながら先輩が尋ねる。こういうことをいつもサラッとやるので、気を利かせるタイミングを僕は毎回失っているのだ。たまには後輩らしいことをしたいのに。


「分かってると思うけど、初回の数字はご祝儀的なものがあるからな。二回目は前回の内容を踏まえてのものになる分、色々な意味でシビアだぞ」


 僕は一旦箸を置き、先輩の目を見ながら答えた。


「それでも僕はやりたいです。出演者の皆さんも凄く前向きに取り組んでくださってありがたかったですし、今回の公演で掴めたものがたくさんありました。その教訓を生かして、二回目はもっとお客さんに今回以上に満足してもらいたいし、楽しんでもらえる会にしたいと思ってます」

「そうか」


 そう言うと先輩はドレッシングで湿ったクルトンをひとつ口の中に放り込んで、「分かった」と頷いた。その言葉の裏には「頑張れ」という気持ちが潜んでいることを、僕は知っている。


「ありがとうございます!」


 先輩の期待に応えたい。

 ひとつずつでも、実績を積んでいくんだ。

 先輩の隣に立つのは綿墨さんじゃなくて僕だってことを分からせるためにも。


「開催するならいつぐらいの時期を考えてるんだ?」

「作品決めにキャスティング、読み合わせもしないとですし、何より会場も押さえなきゃですから、半年後ぐらいでしょうか」


 今回来場してくれたお客さんは勿論、配信を見てくれた方々の記憶が薄れない内に開催したいのは山々だが、レギュラーの仕事や突発作業なども起こり得る業界だけに、焦って半端なものを披露するようなことは避けたい。


「今から半年後ってことは、春だな」

「春らしく明るい物語でまとめるとかは?」

「俺の趣味じゃない」

「先輩の趣味に合わせたら、またクセ強な話ばっかりになるんですけど」

「アンケートの結果は? 次にするならどんなジャンルの話がいいか、項目にあっただろ」


 来場者を対象にしたアンケートには、イベントの満足度や料金設定の妥当性などについて尋ねた質問の他、『二回目が開催されるとしたら、どのような作品を期待しますか?』という項目を用意していた。


「ちょうどいい、ここで見ようぜ」


 質問欄には全部で十のジャンルをあらかじめ提案し、複数回答可という形で答えてもらった。僕たちは回収したアンケートにざっと目を通す。


「アレだな、『切ないラブストーリー』と『BL』『GL』、この三つはナシだな」

「ボーイズラブとかガールズラブだけじゃなくて、恋だの愛だのといった話は朗読会に求められてないってことですかね」

「乙女ゲームやり込んでるお前には残念な話だけどな」

「ちょちょちょ、何でそんなこと知ってるんですか!」

「綿墨が『俺、難易度激ヤバだけど攻略後はめちゃデレてくれるタイプなんだと』って言ってたぞ」


 あの時、綿墨さんの事務所で喋ったことは他にも色々あったというのに、何でよりによってその部分をピックアップして先輩に言うんだよ。

 もう本当に嫌だ、あの人。

 いっそのこと事務所が爆発するとかして、事件でも事故でも何でも巻き込まれたらいいんだ。


 というか、慌てる僕の反応をニヤニヤしながら見ている先輩も人が悪い。


「まぁまぁ、そう睨むなよ」


 本当に可愛いなぁ、お前は……と、先輩がニマニマと笑う。

 悔しい。

 いつまでも可愛がられるだけの後輩でいちゃダメなのに。


 僕はグラスに残っていたビールを一気に呑んで言った。


「先輩。僕、決めました」

「何を」

「二回目は、僕が思う『春』をベースに朗読会の企画を進めます」


 出会いと別れ。

 むせるような花の香りと、風に散りゆく刹那の時間。

 表裏一体となる喜びと切なさ。


 ミステリーなのかホラーなのか、あるいは泣かせるヒューマンドラマなのか。

 イメージさせる映像が多い『春』ならではの物語を、楽しんでくださる方々の耳に届けたい。


「いいんじゃないか」


 俺とお前が最初に会ったのも春だしなと、先輩が言う。

 

 僕の憧れ。

 僕の一生の恩人に出会った、春。


八代やしろ

「はい」

「自由にやりたいことを、めいっぱい好きにやりな」


 アルコールでほんのり赤くなった顔でニカッと笑うと、先輩は日本酒をなみなみと注いだ御猪口を僕に差し出した。


「誓いの盃って感じですね」

「二回目が無事に終わったら、事務所に隠してる俺のとっておきの大吟醸、呑ませてやるよ」

「え、本当ですか。僕、先輩が退院する前にその大吟醸探したんですけど、見付けられなかったんですよね」

「んな簡単に分かる場所にゃ置いてねぇよ」

「どこにあるんですか。ねぇ、可愛い後輩に教えてくださいよ」

「二回目が成功したらって言っただろうが」

「そんなこと言って二回目が終わっても、次は『三回目が成功したら』って先延ばしにするんですよね。そう言う人ですよ、先輩は」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。俺、お前の雇い主なんだけど」

「雇用関係を盾に言論封殺するのはパワハラですよ」

「社長が不在の間に家探しする社員もどうかと思うけどなー」


 僕の言葉を先輩が拾い、打ち返す。

 この軽口のラリーがこれからもずっと止むことなく続きますように。


 そんなことを思いながら、僕は先輩と今日二度目の乾杯をした。


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金曜奇譚 もも @momorita1467

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