★★★ミリスお嬢様には逆らえない★★★ 福山典雅さま

https://kakuyomu.jp/works/16817330653192201384


今回は「★★★ミリスお嬢様には逆らえない★★★」を執筆されていらっしゃる福山典雅さんの作品をお話しさせていただきます。


都合七度拝読し、ある程度の底は見えたように思います。


では、読んだうえで、きちんと評価しますね。


キャッチコピーは「賢いってなに?」。

賢さとはいったいなんでしょう。

「利口」「聡明」「頭が良い」「英明」「利口」「賢明」「抜け目ない」「インテリジェント」「怜悧」「知的」「聡明」etc.強弱もありますね。頭が良いの反対は頭が悪い、になりますし、「賢さ」をキャッチコピーにする以上は、読者の想定以上の頭脳や展開が必要最低限のハードルになります。

やりたいこととやらなければいけないことの明確な線引きができる作品、という印象を受けますね。

こういった「頭脳戦」を主にする作品の場合、作者が意識しなければいけないことは下記の通りです。

1. 作者よりも頭の良い登場人物をどのように創り出せるか

2. 周囲の知能を下げずに「読者」よりも頭の良い展開を創り出せるか。

どちらも生半可なことをしてしまうと、一気に読者の熱が冷め、反対に作者だけが「面白い」と勘違いをし、売れない、受けない、といった悪循環が生まれてしまいます。

私なりにWEB小説を何作品か拝読し、その後の読者反応を見た限り、カクヨムに限らず媒体上の欠点としていくつか挙げられるものがあるなと感じています。月並みで作者の皆様に置かれましても一様の感想を持っているかと存じ上げますが。

A.レビューや読者からの反応は「表面上」「前向きな」コメントしか書かれない

B.Aに続き、作者も亦、「表面上」「前向きな」コメントしか「書けない」

特に重要なのがBの「書けない」という点。

これはなにがいけないのか、ではなく、なにもかもがいけないことになります。読者が喜び、読者なりの知見の許に感想を云ってくれている。作者としては非常に喜ばしいことであり、作品に対する創作意欲も向上することでしょう。けれどそこには「意味」がほとんどありません。(ほとんど、ということは多少、ほんの一パーセント以下の確率では得るものもありそうですが、脱線してしまいますので戻します。)悪意こそ作品の為になる、とまでは思いませんし云いたくもありませんが、「悪意」や「批評」も作品と作者を繋げるかけがえのないものには相違ありません。WEB小説では作者も読者も、読者が作者に、作者が読者に「気を遣って」「社会人として」「思ったことや感じたこと」を「口にできない」といった厭な空気を感じます。

まあ、私も他の作者と仲良くしたいし、拗れることは厭なので当たり前と云えば、当たり前ですし、少しでも相手に良い顔をしたくないと云えば噓になってしまいます。

だからこそ、私はエッセイを書くことにしました。

編集者目線で、できるだけ辛辣に、けれども相手を一方的に思い遣って、殴りつける。

評価とは正にそういった趣旨のものであり、他の人間が感じるであろう、感じたであろう内容を言語化し、作者に落とし込む手法です。

だいたいのひとたちはこの「言語化」が面倒臭いと感じ、放棄し、迎合します。

私もすごく面倒臭いですし、好きか嫌いかで云えば好きですが、前向きに取り組みたい内容ではないです。時間もかかりますし、特段得るものもありませんし。

それでも、一瞬でも関わってくださり、評価してほしい、と云う言葉を頂き、請け負った以上は遂行します。大人として当然の考えであり、請け負う前に流し読みし、「これであれば成長性が感じられるだろう」といった思考の許、返答していますので、完全に私のせいであり、私以外のせいではないですね。

戻します。

思い遣りや気遣い、はWEB小説の場合、「悪手」でしかないです。

別に「批評」を肯定しているわけでもありませんし、意味のない悪口に意味を見出せと云っているわけでもありません。

読者は「ある程度」真剣に拝読し、面白いと思ったことを「面白い」と評価している。この「面白い」という言葉を「真に受けて」作者は成長を止め、自己肯定感「だけ」を肥大化させてしまい、自らの力量を見誤り、勝手に絶望をして、思い込みで書くことを辞めてしまう。理想と現実のギャップが存在していると云えば聞こえこそいいものの、単にそれは自意識過剰なだけであり、過剰な自意識を自己保身と肯定感で保っている陳腐なだけの才能ということに他なりません。本当に下らない。

云いたいことを云って、云いたいだけのことは云わない。

読者にも批評をする権利がありますし、作者も批評を批判する権利もあります。

どちらも正当な権利ですし、正当である以上、正義同士の云い分は争いを産み落としますが、創作とはそういうものです。自己を表現したい作者と、自己表現に感化された読者。争いが起きないほうが「不自然」です。

WEB小説の批評の話は次の機会にして、戻しましょう。


1.作者よりも頭の良い登場人物をどのように創り出せるか

2. 周囲の知能を下げずに「読者」よりも頭の良い展開を創り出せるか。


上記ふたつの創作に関する解答は様々ありますが、共通することは「作者と読者の相互理解」という点。

「知ったつもり」の情報開示に「分かった風」に解釈してしまい、伝えたいこと、魅せたいことのズレが生じてしまう。たったひとつの努力を怠れば、双方のデメリットにしかならず、作者は「面白いのに分かってもらえない」となり、読者は「なにを云っているのか分からない」と頭を悩ませます。

このズレを修正することは不可能に近く、基盤基礎を怠惰にしてしまえば、折角のアイデアを棒に振ってしまうことにもなりかねません。

では「相互理解」とはなにを指し示すのか。

答えは簡単で、別のエッセイで紹介した井上ひさし氏の言葉を何度も読み返し、自分なりに解釈し、本質を見極め、文章に投影しましょう。それだけです、それだけで物語とはなにか、小説とは、大衆とは、文学とは、といった難解な問題を超えることができます。


私は精読し、理解したつもりの情報をわざわざ開示するほどお人よしではないです。

最低限の、ありふれた、感想文、批評をするのみに留めるものだと認識してください。

「面白かった」や「面白くなかった」という感想はしませんので、あしからず。


作者が紹介する小説のあらすじは以下の通り。

トリスティアナ王国、四大貴族の筆頭、最大派閥を抱えるビスタグス家には、ミリスという名の可憐なお嬢様がいた。

魔力も剣術も体術も何も出来ない彼女は、至って普通の高貴な貴族令嬢である。

誰もが見惚れる程の立ち居振る舞い、さらに見事な礼節とマナーも取り揃え、優雅に日々を暮らしている。

だが、そんな彼女は……。


これは渡なりの考えになりますが、あらすじや冒頭のシーンでは「専門用語」を多く遣うべきではないと考えています。確かに用語を並べ、いち早く読者に理解してもらいたい、雰囲気を少ない文字数で知ってほしい、という観点からのアプローチは必要ではありますが、わざわざ「そこ」に持って来る必要はないと断じます。

小説とは「現実の延長線上」であり「空想と理想が綯い交ぜになり、空虚が実体を持つ」ことこそ重要ではありますが、小難しい専門用語や雰囲気を持ち出してまで語る内容ではありません。読者は用語を流し読みし、「ふーん」と云うだけです。これが作者の意図があり、興味を持ってほしいという願いから出た行動であれば頷けますが、本心は私からは見えませんので、あくまで想像上の発言となります。

と、云っても。

あらすじに専門用語、造語が入らないことのほうが少なく、WEB小説ならではの文化なのかもしれませんが。


本作は異世界転生ものではなく、純然足るファンタジーです。

ファンタジーとは、ギリシア語のファンタシアphantasia(〈映像〉〈想像〉の意)に由来し,一般に幻想を意味するが,文学においては夢想的な物語全般に冠せられる名称のことであり、作者が神となり一から世界を再構築する物語です。


夢想的表現こそ賛美される物語であり、人間賛歌を主にせず、夢のようで、辛酸極まる滑稽な物語が、ファンタジーの本質により近いものとなります。


では本作は如何でしょうか。


冒頭の一文、結末の一文を紹介します。

冒頭。

私は馬鹿である。

 5歳の頃、公爵である父が初めて舞踏会に私を連れて行った。社交界へのお披露目を兼ね、多くの同世代の子息子女達がそこにいた。

 煌びやかでたおやか、そして下世話な噂話。存外楽しい物だった。そこで私は同じ年の少年に出会う。しかし、ここでの胡散臭い見栄を張る嘘っぱちで見え透いた取り繕いも出来ず、随分と鼻につく生意気な態度だった。しかも私にウザ絡みして邪魔臭い。だから、ぶっ飛ばした。

 後に英傑としてこの国をまとめる、第二王子だった。

 王族に対する不敬を通り越した暴挙だったが、父の必死の奔走で事無きを得た。教訓、生意気なくそガキはぶっ飛ばす。

 7歳になった私に家庭教師がついた。国内でも俊才として名を轟かす人物で、魔術、一般教養、歴史、算学、科学、薬学、更に政治心理学、人心掌握術など多岐に渡り指南してくれた。

 とても聡明で親切な先生だが、変態だった。私が勉強が嫌で罵倒すると、よだれを垂らして「も、もっと下さい、ミリス様!はぁはぁ」と言う。愉快なのでしっかり手なづけたら、父にバレて解雇された。

 後に圧倒的外交手腕で、この国の歴史に名を残す名宰相となる男だった。

 彼は必至に誤解だと訴え、仕方なく父が厄介払いを兼ねて王家に紹介した。父も大概だが流石でもある。教訓、変態はバレなければ正義。

――――――――――――――――――――――――――

結末(この場の結末とは、一話のミリスお嬢様視点のことを指す)

私を誰だと思っている、四大貴族筆頭にして最大派閥を抱え、この国はおろか他国にまで影響力を持つビスタグス家の娘だぞ。軍事力だけのエレメントなど、眼中にない」

「はん、お貴族様ってのは気位がお高くて困るってもんだ。いいか、革命を起こすって言うのはな、そんなに易しい話じゃねぇんだよ!」

「御託はいい。で、いくら金が欲しいんだ、言って見ろ」

「けっ、小娘がいきりやがって、泡吹いて倒れるんじゃねぇぞ! いいか、聞いて驚け、き、き、き、金貨、十万枚だぁぁぁぁぁぁぁ!」

 安いな。

 なる程、庶民には大金だが、その程度で革命が出来るのか? 言ってる本人が泡を吹きそうなくらいに興奮しているが、大丈夫か?

「確認するが、貴様らは盗賊なんぞしていて、その金が貯まるとでも思っているのか?」

「はん! 出来る出来ないじゃない、やるんだよ! それが男ってもんだ!」

 うむ、共感出来ない。

 貧乏な男は大概、こういう役にもたたない格言を好んで使う。

 そういう気休めで自分を鼓舞するより、何も言わずに実行するのが一番スマートだと私は思うのだが違うのだろうか? まあ、そんな空回り気味な意気込みを汲むのも、たまにはいいな。

「おい、私の手枷を外せ、足枷は外さなくていい、逃げる気はない」

「な、何を言ってやがる! なんで人質が偉そうに命令してやがんだ!」

「貴様らの革命の為だ、いいから外せ」

 私は凄む誘拐犯に、有無を言わさぬ圧力をかけ、そっと独り言で「ふふ、面白い」と呟いて微笑んだ。

――――――――――――――――――――――――――


冒頭に関してはミリスお嬢様の性格がよくわかる紹介ですね。

結末ではこれから起こり得る出来事を予感させるものとなります。

途中では誘拐犯とミリスお嬢様とのやり取りがありますが、この場では省略します。


こういう風にやっていくとキリがなく、際限もないのである程度のものにします。

作者さんに限りましては、詳細の質問を受け付けいたします。返答が遅れる場合がございますので先んじて謝罪をいたします。


冒頭から結末まで、ミリスお嬢様と云う人物を表現したいという熱が犇々と伝わってきました。読みやすく、亦、非常に空虚とも取れる内容のものです。一話目、特に一人称と呼ばれる視点の場合には、「心理表現」や「心情的表現」と云ったものを好まれる作者が多いです。WEB小説然り、まあ、私の書いていた「救世主とは傲慢である」も然り、一人称という認識がブレてしまっています。

一人称とは、「主人公の心情を主に取り扱う視点」のことであり、「自己紹介」や「自己表現」をする視点ではないです。特徴のある駄目な冒頭で有名なのが「俺の名前は〇〇〇! 〇〇〇高校に通う二年生!」といった「あまりにも不自然」な表現。

日常生活を行う以上、我々は常に一人称です。

小説という媒体ではございますが、特に肩肘を張って書くべきではなく、いつも通り、主人公=作者と仮定し、「私であればこういうとき、どういうことを考えるだろう」と考えてください。

例えば二話の冒頭ではこのような表現がされています。

――――――――――――――――――――――――――

 私は現在、父の執務室に呼び出されている。

 来客用のソファに上品にふわりと腰かけ、何事もない風で侍女の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。

 厳かに座る父に視線を移すと、左手は顎を撫で、右手は執務机の上に載せられ、その指先がトントントンとせわしなく動いていた。これは父の癖であり、判断に困った時に出る。その側に控える筆頭執事のローブは、感情を押えた声色で淡々と告げた。

――――――――――――――――――――――――――


気になる表現としては以下の文。

来客用のソファに上品にふわりと腰かけ、何事もない風で侍女の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。


ミリスお嬢様の自己表現が凄まじいのか不明ですが、違和が残ります。

自らが椅子に座っている状態を、わざわざ「ふわり」というオノマトペを使用して感じることのほうが少ないでしょう。人間は自らの行動に対して冷淡で冷徹な生き物です、聴覚や視覚、嗅覚に作用することではオノマトペは有効な手法ではありますが、こういった「結果」を表す状態では、あまり相応しいとは思いません。

オノマトペ自体、私の好みではない、ということも取り上げた起因になります。ひとつの表現法にはなりますが、「別の云い方」もきっとできるはずです。前後の文や読者層を考えての結果であればその通りではありますが、「元編集者視点」での評価となりますので、私の担当作家という視点で云わせていただきます。

オノマトペはできるだけ遣わず、日本語の響きやイメージを掻き立てる文章を心がけてはいかがでしょうか。これはWEB小説だけではなく、書籍化された作品のなかにもあるものですが、「うおおおおおおおおおおおお」や「はああああああああああ」などといった同じ文字が連続して繰り返される表現も亦、控えるほうがよろしいです。

非常に分かり易く、文字を見ただけで必死さが伝わるものですが、「想像を超える結果」にはなりません。ではどのようにすればいいのか、という話題に関しては「ご自身で参考にしている作家とは別の作家を精読し、解析してください」としか云いませんが、兎に角、真直ぐな表現は真直ぐという特性上、素直に落ち着きますが、それは落ち着いているわけではなく、腑に落ちていないということでもあります。日本の純文学作家として必ず名を表す三島由紀夫氏の作品は、難解な漢字や前後の文章が数多く存在しますが、精読し、知識を身につけると、超えられない壁というものが確かに存在することを知り得ます。

ジャンクフード染みたものは不要であり、ご自身にしか書けない文章を身につけることが最重要視されます。


そして物語はクライマックスの戦闘描写へ。戦闘描写に関しては取り上げません。

四話から八話までが怒涛の展開となり、敵役である人物が何故堕ちてしまったのか、ミリスお嬢様がなぜ序盤で国を滅ぼしたのかの説明が入ります。

判然云って、展開が急すぎてついていけません。

敵役の過去も入れたい気持ちはわかります。エッセイでも触れましたが、登場人物には須らく人生があり、主人公はその人生を読者へと伝える役割も担っています。

ですが、過去回想とは走馬灯のものであり、一瞬だからこそ映える表現です。長くしてしまうと特別感が薄れ、陳腐なものになりかねません。

これは書くべきか非常に迷いましたが、そもそも「過去回想」とは「読者の想像を掻き立てる」ものにするべきで「解答を掲示」しては折角のアイデアが薄れます。読者の気を引く「程度」のもとで良く、「ご想像にお任せします」といった文体で構わないものです。


結末は前向きなものとなっており、これから小説を初めて読む方には非常に良いのではないでしょうか。



たったこれだけを書くために長い間待たせてしまい非常に申し訳ないと感じております。

この記事は2024/5/5~2024/5/7の間に書き起こしています。

途中何度か作品にお邪魔し、私の伝えたいことが合致しているかなど、言語化に戸惑いましたが、「ある程度」ではありますが、言語化ができました。

私の中では満足のいくものに仕上げたつもりです。

きっと、恐らく、多分。

二日程度経てば「あれ云えてない」とか「これも云いたかった」と思うことも続々と出てくるでしょうが、それはそれ。


以上が「★★★ミリスお嬢様には逆らえない★★★」著者は福山典雅さんでした。

福山典雅さんには不快に思う処もあるかもしれませんが、忌憚のない意見として、はっきりと申し上げました。これが私の最大限の誠意であり、愛情表現となります。


この記事に関してご不明点がございましたら、気軽にご相談受け付けております。


長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。








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